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二人がカインの家についたのは、丁度大人達が仕事を終え、子ども達が遊びから帰ってくる頃合いだった。周りの家々はそのどれもが賑やかで、多くの笑い声が聞こえてくる。しかし、そんな雰囲気から一つだけ離れた暗く静かな家を一軒。そこがカインら夫妻の家らしい。
「閑静なうちですまんな。表側の花屋は日中ならそこそこ賑わいではいるんだが、今日はもう閉めちまってるし……」
「いえ、お気になさらず」
どうやら表通りの一本奥が住宅街になっているようだ。表に面する方に店を、その裏に自宅を建てることで入り口を分けることができる。これは中々に工夫されたつくりだ。この辺りの住宅は、そういった商人の家が多いのだろうか。
「ただいま、アンシス。体調はどうだい? お客様を連れて来たんだが」
カインは淵に少し線が施されただけの木製扉を開いて、家の奥に声を投げた。すると、はーいという返事と共に一人の女性が早足で玄関にやって来る。
「お帰りなさい、カイン。そして、いらっしゃい」
「こちら世界を旅しているお二人だ。国にマインドコントローラーの認定を受けている方だから安心してくれ。君の気持ちが少しでも晴れればと思い無理を言って来ていただいたんだ」
紹介を受け、先程カインにしたのと同じようにふたりはお辞儀をした。
「はじめまして、私はルシオン。この子はロベリアです」
「あらあらご丁寧に。私はカインの妻のアンシスです。もう伺ってたかしら?」
軽くおどけて笑ってみせる仕草に憂いた様子は見られなかった。二人は少し違和感を覚えつつ、促されるまま屋内に足を踏み入れ、アンシスの顔がはっきり見える位置につき……初めて気づく。
アンシスの明るい声とは裏腹に、顔は酷くやつれていた。目の下には濃い影が差し、唇は赤みを失い、頬は痩けている。髪もよく手入れされている割に艶めいていない。外からではアンシスの顔は影となりよく見えなかったため分からなかったことが、ここへ来て彼女が相当苦しんでいることが理解される。
二人はそんな彼女を恐れることはしなかった。多少の近視感とともに、救ってあげたいという気持ちが湧き上がってくるのを感じたに違いない。
カインは二人の旅人の様子にひとまず安心した。ここ最近のアンシスは特に酷い。アンシスを見て逃げ出してしまうのではという恐れは、少なからずあったのだ。やはりこの二人は、一般人とは一味違う。
「さあさ、そんなところにいつまでもいないで上がってくださいな」
「おお、そうだった。夕食は俺が作るから、お三方は二階で少しゆっくりしててくれ」
急いで靴を脱ぎ奥へかけて行くカインの背を、アンシスは悲しげに見送った。
「ごめんなさいね、あの人の我が儘に付き合わせてしまって。とりあえず、上がってください」
一瞬で落ちたアンシスの声音に、これが本来の彼女の姿なのだと二人は思った。いや、本来と言うのは正しくないかもしれない。本来のやつれていない明るいアンシスならば先程カインに向けていた声音と相違ないのだろう。しかし今は、カインの前だけ無理していることがひしひしと伝わってくる。
「失礼します」
「こちらです。どうぞ夕食を食べたら出て行ってくださいね。宿の手配はしますからご安心を。私はあなた方に話すことは何もありませんわ」
アンシスの傷は、カインが思うより深いかもしれない。
案内されて上がった二階にある一部屋についても、二人を座らせるだけ座らせて、アンシスは一人遠い場所に腰を落ち着ける。
やがて、窓の外の沈みゆく太陽を見つめながらアンシスは口を開いた。
「あなた方がマインドコントローラーであろうと私は何も話すことはありません。以前も一度カインはマインドコントローラーを連れて来ましたが、その人は私に対して何かしてくれたわけではありませんでした。ただ家からお金を取っていっただけです。けど、あまりにも嬉しそうにカインが紹介するものだから、効果はなかったなんて言えなかったんです。彼を悲しませたくはない。だから私はいつも以上に明るいふりを頑張ったのです。彼は心優しく、また単純ですから」
アンシスは深いため息をついた。
「私はマインドコントローラーではありませんよ」
ルシオンは、一つ大きな賭けに出る。
「ただのしがない旅人です。ただ少し、普通の方とは違いますが。あなたの旦那様にマインドコントローラーのふりをしてくれと頼まれたのでそうするつもりでしたが、どうやら必要なかったみたいですね。そして私達はお金など欲していません」
アンシスに動揺が生まれたことが背中からも感じられた。そしてついに、ロベリアが動く。
ゆっくりとした動作で立ち上がると、アンシスの側まで行き膝をついてアンシスの手を握る。そっと、しかし確かなぬくもりを持って両の手で包み込む。
「あなたの話を聞かせていただけませんか。美しいアンシス、あなたの中には、何があるのですか」
真っ直ぐに見つめるその視線から、アンシスはもう逃れられない。小さな震えは次第に大きくなり、そして一つの疑問へと変わる。
「どうして、私はあなたを知っている気がするの?」
アンシスの右頬を雫が伝った。
「あなたではない、けど確かに感じるわ。この纏っている空気、あなたを知ってる」
「話してくださいますか。悪夢のことを」
アンシスは瞼を閉じてしばらく考えると、ゆっくりと開き、悲しげな瞳でロベリアを見つめた。
「私の悪夢は、いつも幼い女の子の叫び声から始まります」