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「この街には『記憶継承者』はいないようだな」
「そのようね。でも、折角ここまできたのだから何か収穫があると良いのだけれど」
「歴史書でもあれば十分なんだけどな。フリージアはどう思う」
「そうね、本には惹かれるけれど、まずは普通に観光がしたいわ。だってねワイス、今私達はあの頃文献でしか知ることの出来なかった場所に来ているのよ。『記憶継承者』の話が聞けないのなら、たまには息抜きもいいのではないかしら」
二人の旅人は青年と別れた後、これからのことを話し合いながら街を見て回っていた。楽しげに声を弾ませていると思われた少女に笑顔はない。先程青年から受け取った杜若は心なしか悲しそうに下を向いていた。少女は男性の手から滑り落ちそうになる自らの手に気づき、慌てて力をいれる。
「フリージア、少し疲れているだろう。無理しなくていい、君は前のような身体ではないのだから。早いところ宿を見つけて休む場所を確保した方が良さそうだ」
「ごめんなさい」
「いや、仕方ないさ。ここ数日歩き通しだったのだから。体力が回復したらゆっくり観光しよう」
男性が少女の肩を引き寄せて励ますように優しくその髪を梳いた時、二人の背後で足を止め、荒々しい呼吸を必死に落ち着かせながら言葉を発っしようとする人物が現れた。
「た、旅人さん……待ってくれ。は、話がある」
完全に二人の世界に入り込んでいた男性と少女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに平静を装いその人物に応える。
「先程の方、ですね。まずは落ち着いてください。私達は逃げたりしませんから」
男性が声に慈悲を含ませてゆっくり話しかけると、門付近で言葉を交わしたあの青年は深呼吸を数度行った。
「大丈夫ですか」
「ああ、すまなかった。急いで追いかけてきたものだから」
それは青年の様子をみれば一目瞭然であった。二人が知りたいのはその先である。
「それで、どうして私達を?」
「そうだった、いや、もしよければの話なんだが」
青年はそこで言葉を切ると瞳を斜め下方向へ泳がせ逡巡する。まだ躊躇っているのだろうか。
しかし、ここまできたのだからと青年は自らを鼓舞した。
「もし、この街で特にすることがなければなんだが……折り入って頼みたいことがあるんだ。勿論無理にとは言わないし、聞いてくれたらそれなりのお礼もするつもりだ」
男性と少女は少しの間視線を交わして相談する。やがて結論が出たのか互いに頷き合うと、青年に向き直り、真剣な面持ちで男性が口開いた。
「何でしょう」
「実は、色々な街を見てきた旅人さんだからこそ頼めることなんだが……是非その知識を生かして俺の妻の容体を見て欲しいんだ」
「奥様の、容体ですか。ですが私達は医者では」
「病気ってわけじゃないんだ。それに、治してくれとも言わない。ただ話を聞いてやって欲しいんだ。あいつは、毎夜悪夢に悩まされてる。俺にはどうしてやることも出来なくて」
青年は額に手をあてると力なく首を振った。
「愛しているのですね、奥様のこと」
少女は珍しく自ら話をふると、一瞬だけ男性の方に視線を投げ小さく頷く。その瞳には、何か確信めいたものを宿していた。
「勿論だ。俺は妻を大切にしたいと思ってる。けど……」
「奥様が悪夢に悩まされているのは最近のことですか?」
「いや、昔からだ。俺達は幼馴染なんだが、子どもの頃から時折怖い夢を見たと言っては泣いていた。でもここ最近は特に酷くて、何日も寝れない夜が続いている。このままじゃ衰弱する一方だ。俺は、元気に花を育てていた妻を取り戻したい」
少女は苦しげな青年の言葉に、懸命に耳を傾けた。脳内では絶えず思考を巡らしている。そしてあることに思い当たった。
少女の頭に浮かんだのは『軽度記憶継承者』という単語だ。正式に国から認められたものではなく、どのような症状でも『記憶継承者』と認められればそうでしかなかった。言葉としての差は明確にはされていないのだ。しかし、少女と男性は旅の中で、同じく『記憶継承者』と認定された人でも、症状や度合いは様々であることに気づいていた。それこそ全く同じ人間はいないのと同様にだ。
二人は『記憶継承者』の中でも特に軽い症状の人を『軽度記憶継承者』と読んでいた。もしかしたらこの青年の奥様は……。
確証はなかった。しかし少女には感覚的にそうであるという確信があった。そんな少女の考えを読み取ったのか、男性が話を続ける。
「お話を伺うことは構いません。ですが、奥様は私達のような素姓の知れない旅人に口を開いて下さるでしょうか」
「それは……。二人には、というか兄ちゃんには、マインドコントローラーのふりを、出来ればして欲しいんだ」
マインドコントローラー。二人にはあまり聞き慣れない単語であった。しかし、その存在は知っている。マインドコントローラーも『記憶継承者』と同じく国から認定された人である。ただ、マインドコントローラーは言わば職業、資格のようなもので、誰でもなれるとまでは言わないが、ある程度の素質と学力、知識があれば国から認定されるのは容易だ。つまり、生まれ持つか持たないかの二分しかない『記憶継承者』とは根本的に異なっている。国からの認定にも様々なものがあるのだ。
「以前この街にマインドコントローラーがやって来た時、妻の容体を診てもらったことがあるんだ。その時妻はひと時でも安らぎを得たと言っていた。笑って俺にありがとうと礼をしたんだ。だからマインドコントローラーにならまた話をしてくれるんじゃないかと思ってる」
男性は青年の話に頷いて、しかし考える素ぶりをしつつ、慎重に言葉を紡いだ。
「成る程。念のため申しますが、私達は本当に一介の旅人です。マインドコントローラーの認定は愚か、それについて学んだことすらありません。そんな私達が大事な奥様のお話を聞いてもよろしいのですか」
「ああ、二人には、何か一般人とは違ったものを感じるんだ。特異な空気を纏ってるというか……。俺は、そんな力を持っている旅人さんに懸けたい」
青年は恐れと迷いを瞳の奥に秘めつつも、力強い瞳で男性を見つめた。男性は視線を確かに受け止め、暖かな笑みを浮かべた。
「私達に出来る限りのことをしてみましょう」
青年はその返事に、今まで意識せずして入れていた全身の力を抜き、膝に手をついてなんとか顔をあげると、情けなく笑った。大柄である青年がまるで子犬のようだ。
「ありがとよ、旅人さん」
それから二人は青年に導かれるまま奥さんと二人で営んでいるという花屋兼自宅へと向かった。
道中では青年が二人にいくつかの質問をし、それに対して男性が眈々と答えを返していた。
「ずっと旅人さんって言うのもなんだよな。名前は何て言うんだい?」
「これは失礼しました。まだ名乗っていませんでしたね。私はルシオン、そして彼女はロベリアです」
男性は自らの名を言う時、自然と胸に手を当て軽く腰を折った。また男性に紹介された少女も、スカートを摘み膝を曲げて頭を下げる。青年はそのような庶民離れした二人の態度に幾分慣れたのか、多少たじろいだものの普通に話を続けた。
「へー、綺麗な名前だな。俺はカイン。妻はアンシスだ。改めてよろしく。名前で呼ばせてもらってもいいか?」
「勿論、構いませんよ」
「そうか、ありがとよ」
青年カインはぽつぽつと質問を述べたが、そのどれもが控えめで二人を気遣ってかけられていた。一見すると大胆そうに思える青年だが、内情は細かな配慮を欠かさないわきまえた人物であることが分かる。
「もし、差し支えなければでいいんだが……聞いてもいいか」
「何でしょう」
「ルシオンとロベリアは二人だけで旅をしてるみたいだが、二人はどんな関係なんだ? あいや、言いたくなければ良いんだ」
俯きがちに尋ねるカイン。きっと彼の中は、物凄い葛藤により揺れているのだろう。対してルシオンは一切顔を歪めずにさらりと答える。
「そんなに恐縮されると私達が困ってしまいます。なんてことないただの親子ですよ」
「そうか、親子か」
カインは余りの呆気ない返事に一つ息を吐くと、納得したように二回頷き少しだけ遠い目をした。
「親子というのは、良いものだな」
その呟きは恐らく、ルシオンとロベリアどちらに対しても放たれた言葉ではないことを二人は理解し、心の中で返事をした。
本当に、きっと良いものだったのでしょう。