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医者は雨に濡れた二人を見て訝しげな顔をしたが、男性が名乗ると何も言わず少女の処置を始めた。少女のことは医者に任せ、男性は少女の着替えを買いに付近の服屋へ赴く。濡れた服のままでは、良い薬を与えられようとも体力は奪われるばかり。看護師は体を拭くくらいはするかもしれないが、それ以上は期待できない。できる限り、自分でどうにかしよう。それが男性の考えだった。金と権力さえ見せれば、無闇に少女を追い出すようなことはしないと分かっているからこそ、一時的にでも安心して少女の元を離れる。そこは分かりやすい、見え透いた心理で構築された世界だ。
今だけは、忌々しい自らの境遇にも感謝できた。
あらかじめこの街のことは調べつくしている。どこに何があって、誰が権力者で、どのような体制のもとに人々は生活しているのか。病院の位置も服屋の位置も、全て把握している。男性は服を抱えてすぐに病院へ戻った。
案内された部屋に入ると、ベッドの上に横たわる少女がいた。看護師は気を利かせてすぐに姿を消す。貴族と貧民の娘が共にいるなどめったに起こることではない。それも別の街の貴族など、訪れることですら珍しい。想像は膨らむだろうが、余計なことには首を突っ込みたくないのが本心だろう。
「起きているんだろう、フリージア」
「ばれてましたか」
悪戯な笑みを浮かべて、少女は体を起こす。
「体調はどうだい」
「おかげさまで、体が冷えないよう暖炉のある部屋にいれてくださったわ。この街に暖炉なんてあったことに驚きましたけど」
少女の瞳は憂いを帯び、暖炉の中で揺れ動く火を通して、誰かを思っている様子だった。
「その服では寒いだろう。これに着替えて。今の君に似合うと思って買ったんだ」
真っ白な立て襟のブラウスに、柔らかな布で出来た焦げ茶色の膝丈ワンピース。裾にはフリルがあしらわれており、腰には革製のコルセット。よくある裕福な娘の格好で、今少女が身に纏っている布をつぎはいだ服とは比べ物にならないほど上質なものだった。
「なんだか、こういった服を着るのも懐かしいわ」
少女ははにかみながら服を着替える。少女の赤みを帯びた白い肌が露わになるも、男性は違和感を覚えることはなかった。その肌は美しく、記憶の中の美しい女性となんら変わらない。そう確信して、心が穏やかになるのを感じていた。
慣れた手つきで着替えを終えると、少女は裸足のまま床に降り立ち、くるりと一回転して見せた。先ほどまでの格好との差、風貌から予想される生い立ち、貧民街の娘が着るには明らかにそぐわない、少女の全てに反した格好であるにも関わらず、むしろその可愛らしい服は少女に着てもらえたことを喜んでいるようで、どこか歯車がずれていたところがぴたりと重なったように、とてもよく少女に似合っていた。
「申し遅れました。改めて、この世界では初めまして。ロベリア、と申します。再会できて嬉しいわ、ワイス」
「これは失礼、女性から名乗らせるなんて貴族失格ですね。私は、アウレウス侯が第三子、大層な名はありませんのでルシオン、とお呼びください。久しぶりだね、フリージア」
「ルシオン、と言うのね。素敵だわ」
歩み寄る少女ロベリアの手を、ルシオンはそっと包み込んだ。
「私なんて、所詮お下がりの名だよ。君こそとても美しい名をいただいたね。今の君に相応しい」
「ありがとう。今の母が名づけてくれたの。過去の記憶を持って産まれた私を、それでも娘として愛して下さった、優しい優しい第二の母よ。でもね」
ロベリアはふと、ルシオンから視線を外した。
「私はまた、守れなかった。それに、前よりも力がないの、悔しいわ」
「……もう、長くはないのか」
力なく小さく頷く。
「元々体が弱いのに、私を産んでくれた。同じく体の弱い私を守ってくれた。前の私なら、助けられたかもしれないのに、今の私はなんて……」
ロベリアの肩が小さく震える。過去のやるせなさと、今の無力さが、幼い身の中で重みとなり、少女を苦しめる。
「一緒にいる。お母様を、今度こそ二人で見送ろう」
涙をこらえて頷く姿は少女の姿に相応しく、また成人した娘が亡くした母を思い涙する姿とも重なるのだった。




