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Bobby Bobby  作者: Pめんげる
13/15

Dear Bobby 3

その数ヵ月後、練習後の飲み会でクリスの口からリタとの婚約と妊娠が発表された。

いちばん最初に「おめでとう」と祝福したのはボビーだった。


リタはお腹の子がクリスとの子だと信じたかった。アルフレッドとも数回セックスしたが逆算しても彼の子である確率はほぼ0だった。

だったらボビーの子では? リタはあの夜のことは記憶から消そうとした。ボビーに言われたことは図星だった。メンバーなら誰でもいいというわけではなかったが、リタはクリスとアルフレッドのどちらかと結婚したいと思っていた。自分の恵まれた容姿をもって積極的に迫ればたいていの男は落ちた。そしてリタはリーダーとしてのクリスに無限の将来性があると見込んで狙いを絞った。


そんな時、クリスの部屋に通う人物の存在に気づいた。ギタリストのボビーだった。ボビーが訪問する夜は「作曲するから」とか「体調が悪いから」と言ってリタを近づけないようにしているのにも不審を抱いた。

そのうちクリスの方からボビーの部屋を訪問するようにもなった。リタは焦った。バンド内にはジョーイとその頃はまだスタッフのひとりだったレイクという公認のゲイのカップルがいた。まさかクリスが? 


クリスに対する疑惑と嫉妬と、ときどき自分に向けられるボビーの鋭い視線にリタは焦った。

そしてある夜、衝動的にボビーの部屋を訪れてクリスとの別れを迫ったリタはボビーにレイプされたのだった。

この事実だけは絶対にクリスに知られてはならない。リタはいつもと変わりなく振る舞いながら、それでも心の中に閉じ込めた秘密の重さに軽く不眠に陥った。

気分もすぐれなかった。食欲もなく匂いにも敏感になった。

そういえば生理も遅れている。まさか。


受診した産婦人科医で妊娠を告げられた時、リタは激しく動揺した。子供なんて好きじゃない。異性からも同性からも憧れの目で見られるこのボディが醜く膨らんで行くのなんてまっぴらだ。自分が赤ちゃんを抱いて授乳している姿なんて想像すらしたくなかった。

でもピルの服用をやめていたのは、心のどこかでこの結果を望んでいたのかもしれなかった。妊娠したことでうまくいけば望み通り妻の座につける、悪くても認知だけしてもらえれば相当な年月にわたり金銭的な援助を受けることができる。そして今、ボビーからクリスを取り戻すにはこの妊娠が最強の切り札になるかもしれないことにリタは気づいた。


ちょうどその頃クリスも、どんどん深みにはまっていくボビーとの不適切な関係に悩んでいた。自分はゲイではない、だけどボビーとの禁断の戯れはかつてないほどの快感だった。このまま続けていればいつか、ボビーから求められたとき性交渉を拒む理性も麻痺してしまうのではないかという怖れが強くなっていた。


そんな時、ガールフレンドのリタから妊娠を告げられたのだった。クリスは手放しで喜んでみせた。これでボビーとの関係を断ち切れる。

リタは思いがけないクリスの喜びように、自分のよこしまな計略のやましさを、祝福されるべき既成事実に見事にすり替えることができ有頂天になった。

そしてふたりは友人や音楽関係者に祝福され盛大な結婚式を挙げたのだった。


純粋な愛情で結ばれたわけではないクリスとリタだった。が、娘のドロシーが生まれると、これはふたりにとって思いがけない誤算とも言えることだが、ベビーを交えた結婚生活に人並みの幸せを感じるようになった。クリスの仕事であるバンド「ロートレック」もライブツアー、アルバムの売上ともに順調だった。傍から見れば順風満帆とも言える結婚生活だった。


そんなある夜、ボビー・ターナーが運転を誤って街路樹に激突クラッシュして急死した。確固たる愛情のもとに築かれた家庭生活だったなら多少の困難やアクシデントに遭遇しても揺るぎはしなかっただろう。けれど薄い氷の上に立つ虚像の結婚生活はボビー・ターナーの事故死で大きな亀裂が入った。表向き、ボビーの死因は交通事故だったが自殺説も囁かれた。検死の結果、ボビーの体はドラッグの長期使用でボロボロだった。


クリスもリタも激しく動揺した。ボビーの死に対して自分に責任があるのではないか、ボビーを死に向かわせたのは自分ではないか。夫婦はそれぞれの胸に同じ苦悩を隠し持っていた。もしその時、どちらかが勇気を持ってカミングアウトしてボビーの死に対する苦悩を共有することができていたなら、夫婦関係は存続していたかもしれない。


ボビーの怨霊に怯えながらのクリスとリタの結婚生活はほどなく破綻した。お互いを罵り合うこともなく淡々と別れたふたりはそれぞれの人生を歩んだ。

一人娘のドロシーの親権を得たリタは、その後レイというまじめな男性と再婚してようやく愛情に基づいた幸せな家庭を手に入れた。レイとの間に二人の子供ももうけた。


ところが7歳になったドロシーが交通事故に遭った。逃走した飼い犬を追って道路に飛び出して車に轢かれたのだった。

娘の小さな体から流れるおびただしい血を見てリタは半狂乱になった。急ブレーキの音と衝撃音、そしてリタの悲鳴を聞きつけた隣人が911をコールしてくれたおかげで間もなくドロシーは救急病院に運び込まれた。

職場からレイも駆けつけて、両親は医師から緊急の輸血が必要であることを告げられた。


「スペンサー(クリス)さんにも知らせたほうがいいんじゃないか?」


夫に言われてリタは冷静さを取り戻した。


「あの人は、ロートレックは今ツアー中のはずよ。大丈夫。ドロシーは大丈夫。きっと助かるわ」


両親の願い通り幼い娘は命を取りとめた。

リタには元夫のクリスに娘の事故を知らせることができない理由があった。リタはドロシーが生まれてすぐに血液型の不一致により子供がクリスの子ではないことを知った。しかし多忙なクリスは娘の血液型に関心も疑いも持たなかったのがリタにとって幸いだった。


クリスの子でないとすると……。

レイプでの妊娠であったとしてもその原因は自分にないとは言えない。短い結婚生活だったけれどクリスの娘に対する愛情は本物だった。

今、クリスが駆けつけて輸血の件で娘と自分の血液型の不一致を知ることはどうしても避けたかった。クリスのためにも、ドロシーのためにも、そして何よりも自分の保身のために。

そしてリタは嘘と秘密を閉じ込めた小箱にまたひとつ頑丈な鍵をかけた。死ぬまでこの鍵を外すことはないだろう



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