訪問者 1
クリス・スペンサーのオフィス。
今では音楽芸能事務所の社長のクリスだが、かつてはロックバンド「ロートレック」のボーカルでリーダーでもあった。
そして先日、元のメンバーたちと40年ぶりにロートレックの再結成ライブを成功させたのだった。ライブの終了後、バンドの解散と時を同じくして別れた妻の元で育った娘ドロシーが息子のボビーをつれて面会に来てくれた。成長した娘との再会と初めて見る孫との対面はクリスにとって人生最大の幸せなサプライズだった。
デスクの電話が鳴った。秘書からの内線だ。
「お客様が面会を希望されていますが……アポのないお客様です」
クリスには秘書の女性の声がいつもの落ち着いた声とは微妙に違って聞こえた。少し笑っているようにも感じた。
「誰だね?」
クリスはあえて事務的に聞いた。
「若いお客様です。ボビー・マクドウェル様です」
「通してくれ。あとで冷たい飲み物を頼む」
クリスのボスとしての威厳もそこまでが限界だった。自然に口元が緩んでいた。
ボビー・マクドウェル。ライブには来なかったがボビーには妹もいるらしい。この二人がクリスの孫だという。妻のリタと別れてから再婚もしなかったクリスは天涯孤独で終わるのも似合いな人生だと半ばあきらめていた。
その分、がむしゃらにビジネスに打ち込んでそれなりに成功も収めた。しかし再結成ライブに集まった元のメンバーはドラムのジョーイを除いて、みんな子や孫に恵まれて悠々自適に暮らしていた。それをうらやましく思う資格もないのだが、最もクールなレイク・ギルバートでさえ孫に自撮りのビデオレターを送っていると聞いて、一瞬別れた娘のドロシーのことを思い出した。クリスも3歳ころのドロシーを膝に乗せて絵本の読み聞かせをしたり童謡をいっしょに歌ったこともあったのだった。遠い遠い昔のことだが。
ノックの音がした。秘書の笑顔に続いて少しはにかんだ少年が入ってきた。大きなキャリーバッグを引いた少年の背中にはギターケースが背負われていた。
ライブの後、初めて対面した時より少し背が伸びたようだった。
「ハイ、ボビー。よく来たね。飛行機は快適だったかい?」
「長距離バスで来たんだ。飛行機より安いから」
長距離バス、もう何十年も利用していないクリスにはちょっと驚きだった。旅費くらいいくらでも出してあげたのに、と言いかけてクリスは思いとどまった。
あれからメールで連絡を取り合っていた孫のボビーから訪問してもいいかと聞かれ、クリスはいつでもオーケイと返した。本当は今すぐにでも会いたかった。ボビーがやってくるならどんなに詰まったスケジュールでも調整するつもりだった。
ボビーからはアルバイトで旅費を貯めたら必ず行くよ、とメールがあった。それがいつになるかは未定だった。しかしクリスはボビーを甘やかすことなく、バイトで旅費が貯まるまで見守っている娘夫婦を誇らしく思い深く感謝した。
わくわくするという感情はもうとっくに枯れたと思っていたクリスだった。しかし娘と二人の孫、とりわけボビーの存在はクリスの生活に喜びと希望をもたらした。
「お母さんやお父さんは元気かい?」
メールではフランクにジョークを交えて話せるようになったつもりのクリスだったが、いざボビーを前にするとどんな顔で話せばいいのか、たちまちギクシャクしてしまった。
笑顔でハグして、年齢を越えた友人のように笑い合う再会のシーンを何度もシュミレーションしていたのだが。
ボビーもそれが癖なのかうつむき加減の上目遣いで照れくさそうにクリスを見て答えた。
「二人とも元気です。父さんがバスステーションまで送ってくれました。母さんがサンドウィッチを作ってくれました」
「そうかい。で、リタは、えっとキミのおばあちゃんはどうしてる? 元気でやってるかい?」
「あ、えっと、おばあちゃんもおじいちゃんも元気です、あ……」
ボビーは気まずそうに目をふせた。リタが再婚したことはもちろん知っていた。新しい伴侶を得たリタはさらに子供にも恵まれ、娘のドロシーは新しい父親と家族の元で健やかに育っているという。その情報は、クリスがずっと背負わされていた罪悪感を少し軽くしてくれた。
「そうかい、それはよかった」
クリスは元妻の幸せなその後の暮らしに心から安堵した。それを見てボビーも少しほっとしたようだった。
「さて、これからの予定だが、ボビーは何がしたい?」