⑤.ピンクの髪と白い鳩
まさに珍獣。淀みのない鮮烈な二色を見てそう思う。
鳩、という少年の額を小突いて眠らすと、振り返りその珍獣……いや、虎斑という少女に向き直る。
桃岡の名前よりもその頭の中よりもピンクの、髪。前髪に入った黒でさえ狂気的に見える。見た目だけなら桃岡よりもずっと危険そうだ。
話がしたいのだという。女子高生が一介のセラピストに何の話があるのか。生まれた警戒心が胸の奥で膨らんでいく。
これまで幾通りもの人間と対峙してきたが、彼女は違う、という確信めいた予感があった。何が、という明確さはない。ただ何かが……誰とも違う。
それは奇抜な見た目に反した真っ直ぐ伸びる背筋だろうか。それとも薄明かりに爛々と光る目だろうか。
その瞳は確かに、初めて見る色を纏っていた。その揺らめきに溜息が漏れる。
弱い電球の光を吸収して発光するようだ。欲望や悪意は影もなく、涙を湛える脆さもない。赤子の目のような無垢故の単なる純粋さとも違う、幾重にも重なる七色の輝き。
敢えて探せば、サカノが前向きな意見を言う時の視線に似ている。見ていれば思わず時を忘れそうになる。
絶対に手に入らない宝石を目の前にした女とは、こういう心持なのだろう。自分は男だが、手を伸ばしてまで欲しいものが思いつかないので、こう例えるしかない。
取り込まれそうなそれを見つめていれば、隠すように僅かに細められる。緩く弧を描く唇で微笑まれていることに気が付いた。
……あ、待ってるのか。
「どうぞ、こちらへ。狭いが客に聞かれるのも気まずい」
「わかりました」
少しだけ心拍数が上がっている。気取られないよう平静を装って、奥の自室へと案内する。その雑然とした部屋に呆れられている気がした。
寝るのは受付の長椅子だし、料理も気が向いた時しかしないからあまり使っていない。作成した資料と荷物を置くくらいなものだろうか。物も大体ダンボールの中で……倉庫みたいな扱いだ。
「すみません、応接室だなんて上等なものはないもんで」
台所からテーブルまで二メートルもない狭い部屋だ。親しい人以外を通すのに恥を覚えるくらいには、俺の心も繊細らしい。
椅子を引いて指し示すと、彼女は浅く頭を下げて音もなく座る。この前サカノが座ってトーストを齧っていた場所に、奇抜な女の子が静かに収まっているのが何やら可笑しかった。
彼女が鞄を膝に乗せたところで、見計らったようにサカノが入ってくる。
――おい、聞きたいことがあるぞ。
そう睨みつければ頷きが返ってくる。
「今お茶持ってきますねー。その前に真木をお借りします」
「お気遣いなく」
模範的な姿勢で座る彼女を尻目に、少し離れてダンボールの群れに足を突っ込む。大した距離はないが、小声であればぎりぎり聞こえないだろう。恐らく彼女なら聞こえてもなかったことにしてくれそうだが。
頭ひとつ分低い耳に口を寄せる。
「なんで引き受けたんだよ」
「キッチリお金くれるっていったから」
おい! ……流石と言うか何と言うか。
「っていうのは二割冗談で。聞きたいことっていうのがまた変わっててさ。電話口じゃ見た目見えなかったし、普通に礼儀正しいいい子に思えたんだよね」
確かに。態度や言動だけを見れば、優等生そのもの。その見た目で損をすることも多いんじゃないかと思う。
何故あんなちぐはぐな生き方をしているのだろう。ただの好奇心?人生のスパイス?
脳内を引っ掻き回しても、答えの得られるサンプルはない。
「じゃあ、その質問ってなんだよ」
当然の問いをしただけだ。聞かれたまま答えればいい。なのにうーん、と考え込む。
「あー……」
「ハッキリいってくれ」
「……真木がよー」
“天使”じゃないのか、っていうんだ。
心臓がひっくり返る、気味の悪い音を立てて。熱が生まれ、同時に熱が引いていくように荒ぶる心音。息が詰まるくらいの驚きが、恐怖を伴って津波のように押し寄せる。初めて経験する激情ってやつに身体ごと奪われてしまいそうで、爪先で床を掴む。
「やっぱりブッとんでるよな。ネットでそういう噂があるのか、って聞いたんだけど、別にないって」
そう言って見上げる表情からして、俺は無表情を保てているらしい。それさえも自分では分からなくなっていた。
馬鹿な話。そう答えるのが精一杯で。
何で、どうしてばれた。何か不自然なところが? ……あったとしても気取られるほどのことは今までひとつもなかった筈。
誰しも何かしら秘密を抱えていて、それを隠して生きている。違和感とすら呼べない程度の翳りは、寧ろあった方が人間らしい。
初めて受ける、的確な問い。店の秘密を探ってきた奴らでも、天使のワードには行き着かなかった。
商売を始めるなら天使というネームバリューを使わない訳がない、と思っているのかもしれない。多くの人間にとってはまだ、天使という存在は幾らか神秘的で、手を伸ばした先より遠くに居るものなのかもしれない。
上手くやる。他人の手で止められる人生なんてまっぴらだ。
「問題ないとも。すぐに終わらせる。お前は他の客を見ててくれ」
「おっけー。あ、お茶だけ入れてくわ」
こいつが指でマルを作ると金のマークに見えてくる。それくらいにはいつもの自分が戻ってきた。
サカノは動き出すと、宣言通り台所で湯を沸かし、茶葉を取る。
「虎斑さんは白河さんのお友達?」
「はい、そうです。正確には彼の姉がきっかけで」
「へえ、いいねえ。若い友情って」
手を止めないでさり気なく、何気ない会話をする。これがコミュ力ってやつか。
使われているのは家にある中で一番高級な茶葉で、感心しながらテーブルについた。
「はい、粗茶ですが。じゃあオレは仕事場を見てるんで」
「ありがとうございます」
そう言って去る手にも湯呑が握られている。確実に自分の分。
――抜け目ねえなヤロウ。
そのぶれのなさにいっそ心が救われる。
湯呑みに口を付ける。急須で入れた濁りと鼻に抜けていく煎った葉の匂い。細かいことは分からないが、流れていった茶が喉に引っ掛かった緊張を洗い流してくれる気がした。
「では、お話を伺いましょう」
静かに言葉を出すと、彼女は居住まいを正した。
正面からあの瞳が真っ直ぐに見据えてくる、探るでもなく訴えるでもなく。
いつもは全てを覆い隠したくなる不快な行為が、彼女の瞳であるだけで心が凪ぐような心地さえする。
「単刀直入にお伺いしましょう。わた、虎斑は貴方を天使ではないのかと思っています」
「面白いことをいいますね。俺が天使だなんてキレイなもんに見えますか。セラピーをしているが白衣の天使とも程遠い」
「そういうことをいっているのではない、とわかりますよね。先にいっておきますが、虎斑は別段貴方が天使だったらどうこうしようとは思っていません」
どういうことだ? 彼女の意図が掴めない。その声には確信が見えた。
わざわざここまで確認に来たということは、何か目的がある筈。天使であることを吹聴するためか、更に正体を隠した営業だと悪評を広めるためか。彼女の正々堂々とした姿勢なら、先を行って警察にまで訴え出ることも考えられる。
てっきりそうした糾弾があるものとばかり思っていた。思わぬ発言に表情を作るのも忘れてしまう。そんな俺を見て、真剣さに固めていた表情が緩んで爽やかに微笑む。
「驚かしてしまってすみません。ただ、こういったご商売をされているのに秘密にされているからには、相応の理由があると思いましたので。電話口でご友人に根拠があるようにお話するのも気が引けて」
「ですが、電話での問いかけの方は明け透けだったみたいじゃあないですか」
「親しくない人の興味を引くには、インパクトがあるのがいいのです。長々と連ねても面白くもなんともありません。短いのがいい。だから『変わったお店にオカルティックな興味を持った、ミーハーで摩訶不思議が大好きなオンナノコ』のつもりでああいいました。あれだけならいくらでも誤魔化せるでしょう?」
あっさりと真相を明かしてみせる様は潔く清々しい。これで嵌める気なら、いっそ拍手を送ってやろう。俺ならこんなに淀みのない笑みで嘘を吐くなんて絶対できない。
「アンタは本物のミーハーを知らない」
見せてやりたい、それが可愛さとは無縁なこと。
わざと敬語を捨てた。もう隠す意味もない。今から店員と客ではなく、対等な者として話をしよう。もしくは秘密を打ち明ける被疑者と警官のように。
認めたことを悟った彼女は、無邪気な少女のように足をばたつかせる。どこまでも風体とはそぐわない。
「虎斑は貴方に警告に来た。敵対の意思も悪意もない」
「警告? 何の。天使であるのを隠しちゃいけないのか。別に自分でなりたくてなってわけでもないのに、包み隠さずいわなきゃいけないなんておかしいと思っていたんだ」
「どうやら勘違いしているようですね。天使は自分の正体を隠匿してよいという権利があるんですよ。プライバシーの保護ってやつです。色眼鏡で見られるのは大変だ。たかが二万、されど二万。そのうちに一人の割合の存在は目立ちますから」
「……そうなのか?」
知らなかった。正生は一度もそんなことは言わなかった。
「ええ、小学校の道徳だとか、高校生の社会の授業とかで習いますよ。そういえば貴方は『記憶喪失』だとか。当時に天使である自覚がなかったにせよ、隠したかったにせよ。『自分が天使だ』といわない権利は保障されています。だから貴方が天使であるとわかっても、誰も追求しません。少なくとも公的な場では」
病院。警察。裁判所。戸籍を得るために身を硬くして通り抜けたそれらの難関。天使である可能性を全く追及されなかったのは、証拠が足りなかったんじゃなく、天使という存在そのものが守られるべき対象だったから?
過去の答えに思い至ると同時に、今まで知らなかった自分の能天気さと痛みを受けなかった幸運を知り、背筋に冷たい汗が伝う。
「記憶喪失なんて珍しいですから。ニュースでも取り上げられてたんですよ、もう五年も経ったから覚えている人も少ないでしょうけど。もしもっと地味な話題だったら、議題にあがったかもしれない」
「ゾッとしないな」
「ですね。しかし、このことを知らないとなると代償もご存じでない?」
「代償? なんの」
ダイショウ。嫌な響きだ。
理想だけを求めた代償。夢の中を選んだ代償。
何度も使ってきた筈のその言葉も、自分で出すのと他人から差し出されるのとでは、聞こえ方も全然違う。
「天使の異能っていうのは、便利でしょう。特に貴方はそういうチカラの持ち主だから、何かを望めば別のものを失いやすいとよく知っている。同時にわかっているのに気付かないふりをしていたはずです、貴方自身『誰かに力を使うことで恩恵を受けている』と」
使ったからこそ得られた幸福。使わなかったらなかった幸福。それを得た瞬間から、その分の犠牲が付き纏う。
彼女の口ぶりから、異能で得た金銭の責任を求められているのではないと分かる。……だからこそ痛い。彼女の言う通り見るべきものに蓋をしてきたのだから。
知能があれば繁栄を、繁栄を見れば安全を。そうやって天使も人間と同じように法を作り、人間と共生するための型を確立してきた。
しかしそれ以上に守られるべきものがある。
人間が呼吸し水分を得、備えられた欲に従って食べ、眠り、子孫を残していくような。生命としてあらかじめ設定された摂理が、天使にしかない何かがあるとするなら。
異能を初めて使った瞬間から、目的や動機なんて関係なしにもたらされる代償。それは、枷。
「異能にも代償はありましてね。異能は人間にはない力。それを使うというのは人でないと誇示するようなものです。貴方たちは人の性質を如実に体現する」
だから、と続ける声は淡々と、事実だけを伝えてくる。
「異能を使えば使うほど、人から離れる。――怪物になる」
怪物? 問い返した単語があまりに現実味が薄くて鼻白む。
こんな話を以前に聞いていれば印象に残っただろう。しかし自分以外の天使が身近に居なかったことで、天使という存在に改めて触れようと思わなかったのも事実。生きているだけで良かった。だから正否は分からない。
「いきなり言われても実感できませんでしょう。貴方は日常的に力を使っているから、そろそろ兆候が現れてもおかしくない。
人が人を判断する時、真っ先に何で判断しますか?」
その問いに彼女自身が答えた。それは見た目だ、と。普通の女子高生らしくない彼女が、人間らしい主張に満ちた姿で。
「頻繁に異能を使うと、これまた原理はわかりませんが、少しずつ身体が変化していくんですよ。『人外の力に人の身体は耐えられない。だから人をやめる』と唱えた学者もいたかな。なんにしても今の生活を続けていれば、戻ってこれなくなります」
左腕に掌の感触。無意識の内に擦っていたらしい。こんな癖はなかった筈だ。触れた爪に異様に硬い何かが当たる。……いや、気のせいだろう。気のせい、の、はず。
テーブルに落ちた目線を天井に上げる。幾らかぎこちなくなったのは、腕へ、彼女へ、引っ張られる気がしたから。痺れた指先で椅子の脚を引っ掻いた。
しみの歪な円を視線でなぞる。そういえばまだ煙草を買っていない。
「戻ってこれない? 大仰だな」
「見た目が人生に作用する力も知ってるでしょ、多くの人の夢を見てきた貴方なら。別に回数制限があるわけじゃない。変異は頻度で起こる。貴方、近頃顔色が悪くなったり、身体に違和感を覚えていませんか? だったら気を付けた方がいい。店を辞めろとは申しませんよ、方法を考えてみては。たまに使うだけに変えるだけでもかなり違いますよ」
「……忠告の為だけに、ここへ?」
本当にそれだけなら感謝しなければ。だが真新しい情報が頭を占拠して整理がつかない。彼女をどこまで信用していいのか、心がまだ決めかねているようだった。
冷めてきた茶を一気に煽る。正面に捉えた彼女は目尻を下げると、半分は、と答えた。飲み込み終えた筈の喉が鳴る。
「もう半分は?」
「ちょっとお願いしたいことがありましてね。鳩くんにある夢を見せてあげて欲しいのです」
「どんな?」
本人の望みを映す夢に彼女の夢を介入させれば、そのまま自身の望みと勘違いするのではないか。そうなった時の結果は事例がないから分からない。
目的を邪推していれば、ピンクの髪が気高く左右に振られる。
「ここに四人組の女子高生が来ているでしょう。鳩くんに似た雰囲気の、酷く表情も感情も希薄な少女の夢を見る子たちです。その子達のなかには少女……『白河 佑』との記憶を見る子もいますよね、その記憶を彼に分けてあげて欲しい」
「シワカワ ユウ?」
その名に聞き覚えはない。しかし、そのグループには思い至る。あの奇妙な少女達だ。
どこかで見た顔だとは思ったが、あの少年は夢の中の少女と繋がっていたのか。
肩代わりのために暴力も厭わず、自分に向いたそれへの容認は深く。
水をかけられ、白い靴下に広く血が滲んでも顔色ひとつ変えない。
割り込んできた教師に対しても、さもそれが自分に必要だったことのように言って、少女達を庇う。
喜怒哀楽を忘れた表情、向けられる悪意への慈愛。相対するそれらの目的も心中も分からず、近くに居ても近付きたくないような恐怖に似た不愉快さを、見せている俺が感じていた。
「……多分、わかる。口外しないなら構わないが、どうして」
「彼女は鳩くんの姉でね。事故死した。何故ああいった性格なのかさっぱりわからないので、調べている」
「……はあ……」
ちくり、と胸を刺したのは一体何だろう。
よく似た造形と雰囲気からして、あの少女が“親”なのか。
鳩、といった少年が天使だと、額に触れた時に気が付いた。しかし初めて出会った自分以外の天使への感慨深さは何もない。寧ろ。
「……天使っつうのは、ああも……カラッポで何もねえもんなんかね」
そんな曖昧な失望を感じただけだった。
少年の心は悲嘆と後悔に染まっていた。しかしこれまでの人間のどんな種類の悲しみやその度合いの強さとも違う、心の内をそこに見た。
澄みきった感情のひとつひとつはその輪郭すらぼやけていて。欲や自我という自己証明も頼りない。濃さで選んで摘み上げても、流れる水を掬い取るように指の間から漏れて残らない。
純粋、といえば聞こえはいい。しかし要は何もない。持っているようで、その胸にあるのは人間を模した感情の枠組みだけ。人形と人間の間で自分の位置を決めかねているみたいだった。
ぼやかした言葉の内を、彼女は見事に汲み取ったらしい。
「ええ、そうなんです。彼、どうにも経験が少なすぎるんですよ。かといってマッタリやっていたら、そのまま停滞してしまいそうで……ここはガツンとね」
少年が何を思うかは知らないが、同情する。人間らしい彼女の笑みは優しくも挑戦的で、全てを楽しんでいるようにも見えた。
“親”を喪った天使。
その響きは懐かしく心の縁をなぞっていく。いつかの自分も、少年のようにカラッポだったのだろうか。
あるいは――。
「なんでそんなに天使に詳しい?」
掻き消すように上げた声が空気に跳ねる。
「フットワークが軽いのが自慢でね。足は遅いけど」
彼女は虎のように獰猛な目とチェシャ猫のような作為的な表情をして、その歪んだ唇に細く長い指を置いた。
――見てみたい。彼女がどんな夢を望むのか。それを見た彼女がどうなるのか。
今朝は響かなかったあの言葉を、自分から進んで言うことになるといつの俺が想像できただろう。
「じゃあ、これはまた個人的な興味なんだが。
……幸せな夢を見たいとは思わないか?」




