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なろう演出祭  作者: 空伏空人
天使の血管【室木柴×絃羽】
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4.紅が掠めるまだらの青色

 二人が出会ったのは十二月のことだったと、彼女は話し出す。昨年の冬は一段と寒くて骨が軋むようだった。

 彼女は当時を懐かしむように遠い目をして、グラスの縁を撫でる。


「木曜日の午後だった。理由は忘れていたが疲れていた虎斑は、ここでコーヒーでも飲んで安らごうと考えた」

「あのバイクが突っ込んで彼女が怪我をしたっていうのは?」


 そんな記憶ひとつもない。話を遮るのは失礼だと思いつつ、早く真相を知りたくて本題へと急かす。

 彼女は口を開かず僕のグラスを指で弾いた。カチンと響いた音は涼やかでいかにも夏らしかったけれど、心の熱がさっと引いた。咎められているような気がした。


「そう急がなくていい、すぐに話すよ。ゆっくり飲んでて」


 緩く微笑むその仕草さえ、奥が見えなくて怖くなる。言われるまま一口、ウーロン茶を流した。


「読書を楽しみながらコーヒーを飲んで十五分くらい経った頃か。外から騒がしいエンジン音が耳に届いてね。無茶な運転をしているバイク乗りか、ぐらいに思っていたんだけど、あんまり近く、大きくなっていくものだから顔をあげた」

「本当に無茶な運転をしていたんですね」

「ああ。一体どういう経緯を辿って繋がったのかは知らないが、結果として喫茶店にとてつもない勢いで突っ込んだ。平日で人が少なかったし、寒い外側を選んで座っていたのは、光をふんだんに取り入れるつくりを気に入っている虎斑ぐらいだった。怪我人は一人」

「佑、ですか」

「その通り。たまたま来店したばかりで、どの席に着こうか迷っているうちに運悪く。不幸中の幸いは、直撃はせず、怪我が衝撃と受け身の為に転んだ際にガラスが刺さってしまっただけであること」


 ぞわりと震えた。背中に氷の塊を入れられたような感覚に鳥肌が立つ。

 乗り物事故がどれだけ危険かは学校で散々注意されて知っている。起こる音と衝撃も想像がついた。

 ガラスが突き刺さる痛みはどれほどだろう。注射や紙で指を切った時さえあんなに痛い。深々と肉を抉られる感覚をうっかり想像して、身体の芯が一気に冷えた。


 脳内にちらつく恐怖をどこかに流し去りたくてまたグラスを取った。音を立てて置いたグラスには中身はもう殆ど残っていない。口の端から零れる滴を手で拭うと、彼女と目が合った。


「それで、一番佑の近くにいたのが虎斑だった。虎斑は救急車を呼ぼうとしたんだけど彼女、平気だからいらない、っていってね。その場で足に刺さったガラスを抜き出したんだ」

「え、ええッ」

「いやあ虎斑もびっくりしたともさ。店員さんが持ってきてくれた救急箱でガーゼやら包帯やら、消毒液なんちゃらを使って手当したよ。あんなに必死になったのはいつ振りだろう」

「なんで、そんな。怪我をしたうえに危ない目にあったんだから、病院には行くべきでしょう」


 僕の考えはおかしいだろうか。いや、普通のことを言っている筈。

 語尾を微かに強めた僕に彼女は眉を下げて、唇の一端を吊り上げる。


「だよね。虎斑だったらバイキンや膿が怖くて絶対行くけどな。最も佑は怪我よりもお茶を楽しむ方を優先したかったらしい。手当が終わると礼を一言。顔を合わせて言ってね、また驚いた。涙一粒流していない。何もなかったみたいに席について、注文してたよ。何を注文したかも思い出せる。カフェオレ、ミルク多め砂糖少なめ」

「なんで」

「さあ。後から聞けば『すぐにどうにかなるものじゃないから』って。頭で考えることと感じることは別だろうに」


 全く、わからんね。そう言って締めくくる彼女の当時の動揺は、今の僕の抱えるそれと大差はないだろう。

 身内ですら佑の動じなさには何度も驚かされてきたけれど、冷静で我慢強い子なのだと思ってきた。でもそれでは結論付けられない。

 十二月、足、怪我……。キーワードを反芻して、記憶の中を探る。

 包帯を巻いていたならすぐに気が付いただろう。次の日に治るようなものでもないし。怪我の度合いは分からなくても怪我の有無くらいは察知できた筈。


「怪我ってどこらあたりですか? 具体的に足首とか、太ももとか」

「足首から膝の間」


 かなりの大怪我じゃないか。半年前、まだ佑がいじめられていると知る前。学校に通っていない頃。


「あっ」


 そうだ、あの頃。普段は脛を隠す程度の黒い靴下を履いていた佑が、膝まである長く白い靴下を履いていた時期がある。暫くはそれを履いていて、でも気が付けば黒に戻っていた。

 もしかしてあれは、怪我を隠していたんだろうか。

 両親、特に母なら異変に気付いたかもしれない。けれど本人が何も言わなかったから気にしなかったというのもありえなくはない。血が付いていることもなかったし、余程きちんと管理していたんだろう。

 事実から逆算して考えると、家族としていかにも間抜けだ。気に掛けていればすぐにでも対処できたような違いだったのに。

 俯いて唇を噛めば、簡単には上げられなくなる。


「てっきり別れた後で病院にいったもんだとばっかり思ってた」

「保険証は両親が持っていますから、病院に行ったなら理由を含めて知っているはずです。ですが話題にすら出た覚えがないので、恐らく知らされていないし、行っていないかもしれません」


 家族で囲んだ食卓でそんな話題は一度も出てこなかった。つまり、佑は宣言通り病院に行かなかったし、僕だけでなく両親にも事故についての何の報告もしなかったということだ。

 何かある度に頻繁に話す仲の良い家族だった。そう思っていたけど。


「うーん。もしかすると、時間が経ってみたら案外平気で、まんまにしちゃったのかな? でも濃化してないなら自分で処置したのかも」

「佑ならありえます」

「どうして」


 そうだね、と続くつもりが問いを返されてたじろぐ。そういえば始まりは佑について予想するという試みのためだった。

 どうして。どこが。自身で繰り返した定型文が、他人によって針になる。そんな筈がある訳ないのに、ありえないことだと責められているような気分になる。


 土台として組み上げられた前置きが、音を立てて飛び散るような感覚。それは神経に当たるような痛みを伴って僕の心に降ってくる。考え始めたそばから絡め取られて、何をしていたのか分からなくなるのは僕の悪い癖らしい。いかに流されるままに生きてきたのかと思い知らされる。

 佑の影響? ……違う。佑は流されたりなんかしない。どこまでも自分を貫く。たとえそれが身近な者との齟齬の原因になるとしても。


「あまり自発的に話す人ではありませんでした。よく会話はしましたが、基本的に聞き役や受けて返すのが圧倒的に多くて。色々振ってみましたが、譲れない意見、信念……本当に、本音で思っていること、みたいなのを話してくれなかったような」

「ふむふむ。君の言う通り、自分を語らない子だったね」

「虎斑さんはどう思いましたか?」

「こういうのもなんだが。佑は自分に興味がない子なのかも」

「自分に、興味がない?」


 他人に興味がない、家族に興味がない、という人間はよく聞く。だけど自分に対して無関心なんて。

 どうやっても心と体は離れはしない、当たり前のことではあるけれど。それでも自分自身に無関心ということは心さえ分割するようなものじゃないか。見たもの感じたものを共有して、更にそこから思考を広げる。それはこの世で一番関心がよりがちな対象だろう。


「悪く思ったなら謝る。ただ、彼女は自分を好きじゃなかったのかなって。普通、好きなものが傷ついたり失われそうになったら、その気配があるだけで怖くなるだろ」


 大切なものを失うのは恐ろしい。今の僕にはそれがよく分かる。

 だから立ち上がって走り始めて、その手ごたえの無さに立ち尽くしている。


「痛くて泣くのは生理現象だと思うけど、怖くてつらくて泣くのだって当たり前。でも虎斑は勿論、君の前でも一度も泣かなかったのだろう。おかしいでしょ? それに、よく言うじゃないか、好きの反対は無関心って」

「好きの反対は嫌いじゃないのですか」

「ん? けれど、例えばそもそも知りもしない人はどう思うこともできない。一緒だよ、関心を持てない人間は好きにも嫌いにもなれない」

「そういう見方もあるんですね」


 彼女が言う通りの心の在り様があるとしたら、佑もそうだったのかもしれない。

 無関心だから痛くなくて、無関心だからつらくなくて。――だから、泣かない。死だって怖くない。

 だとしたら、遺書を読んだ時の直観も、墓場で浮かんだ連想も幾らか納得できる。

 佑にとってもし彼女がどうでもいい存在だったなら、友人としてやり取りはしないだろう。けれど自分への無関心が形を変えて他人の元まで伸びることはきっとある。だからあの時想像は鮮明だった。

 ――選びようもなく家族になった自分は、佑から見て何だったんだろう。


「そうとも。そういう見方もあるっていうだけで、本当にそうだったかはわからない」

「でも、それなら納得できることがあるんです」


 一人で考えてもキッカケすらつかめなかった。そんな僕よりも、すらすら色んな可能性が浮かぶあなたのほうが佑を分かっている気がするんです。

 グラスの表面をつるりと水滴が伝っていく。まるで僕の代わりに泣いているように。

 床に落ちた影が濃くなる。これといった思い出話もなく、次の言葉も出ないまま、項垂れて口を噤んでいると目の端で何かが動く。

 僅かにあげた視線の先に、彼女の足があった。とんとん、と踵で床を小突いている。


「うーん、そうだなぁ。意見を肯定されるのは嬉しいよ? でもちょっと心配になるなー、少し虎斑の持論を言ってもいいか」


 どうぞ、と促すと踵が浮き、爪先が重なる。ずっと見ていれば、こっそり覗き見るような感覚に気まずくなって、重い頭を持ち上げた。

 ばっちりと目があった。高速で反らす。


「納得は大事だよ。納得は人生で二番目に優先されるべき選択だ。生きる為に選ぶこと、後悔しない為に考えること、前に進む為に立ち止まること。なべて考え尽くさねばならない。納得の為に。

 うーんと、なんでそう思うと思う?」

「納得って、わからないことや嫌なことに理由を付けて、すっきりすることですよね」

「今回に置いちゃそうかな。後に回したって解決しない。一度迷ったなら、次またあった時の参考資料になるぐらいには徹底的に考え込んで、ひとつの型を生み出したいものだ。虎斑はそう思うんだよ」


 随分とポジティブな考え。合理的で前進的で、心休めるには丁度いい。でも疲れ切った心にはあまりに痛い。


「教科書でも作るんですか」

「辞書はどう? 『吾輩の辞書に』ってね。話がずれたかな。要はさ、納得しなければ結局、人生という海を渡るのに難航すると思うんだ。納得を辞書にし、海図にするには、徹底し尽くさなければならない。自分の為の資料を作れるのは自分だけ、なのについ自分には甘くなってしまう。だから、徹底だ。底の底まで鉄の靴で踏み抜いてみないと理想の答えは見えてこない」

「鉄の意思っていうやつがいるなんて大変ですね」

「大したもんじゃない。甘く生きる為に自分に都合のいい逃げ道を塞ぐ。これだけでも案外いい考えが浮かぶ」


 手を振りながら軽く締められたその持論は、今までで一番難しい。一見矛盾だらけで、やけにあらかさまだから、そこには彼女の意図がある気がした。


「特に今回は君にとってとても大事なことでしょ。だから君がちゃんと納得できる考えを導いてほしくて。君の理想を見つけられるのは君だけだ。役に立てるのは嬉しいけれど、鵜呑みにされると申し訳ない」

「……ちゃんと自力で考えます」

「うん、協力は惜しまないよ」


 満足げに上がった頬に眉が寄る。生意気いってすまない、と頭を掻く姿がやけに茶目っ気を含んで、どこからどこまでが計算しての行動なのか頭を抱えたくなった。


「さてね、他には何があるかな」

「僕はまるで思い当りません」

「虎斑も思い出は幾つかあるが、心のうちが見えそうなエピソードといったらなあ」


 遊園地での思い出が挙がる。

 ジェットコースターに乗った時に取られた写真がまた、表情がなくあたかも悟りを開いているかのようだったこと。

 観覧車では一言も話さずに地上を睨み付けて、いつになく集中していた様が怖いほどで。

 自主的に選んだ遊具はひとつもなかったこと。


 次はショッピングセンターでの思い出。

 服屋ではよく選ぶタイプから全く好みでないものまで手あたり次第に試してみたこと。

 どんな服でも着こなしたのに、どの服も特別気に入らなかったこと。

 本屋では心理に関する書籍ばかり読み耽っていたらしい。


 最後に挙げたのは那谷木の公園での思い出。

 天気予報が外れて曇りになってしまったこと。

 転んで怪我をした少女に素早く近づき、手当をしていた姿は凛々しく。

 散歩中にすれ違った犬を、吠えられながらも鉄仮面のまま撫でていた様子は不自然だったと。


「こんなとこかなあ」


 彼女はまだ何かないかと首を捻るけど、情報がありすぎて窒息しそうだ。

 取るに足らないような日常のひとつひとつに、かけがえのない思い出が、経験が、違和感が――ヒントが隠れていた。

 どうして何も浮かばないんだろう。半年間の二人の関係に、十年の結びつきも解けてしまいそう。

 こめかみを叩き、衝撃に合わせて記憶が落ちてくることを願う。ハタキでホコリを落とすように。

 リズミカルな軽い刺激がやがて痛みに変わり、眉に力を入れた。


「そんなに思い出したいのなら、えー、どこだっけな、ほらあそこ、あそこだあそこ、行く手もあると思うんだが、何て名前だったかな」

「行く?」

「ちょっと待て、ここまで出ているんだ。ここまで」


 と、胸元を示しながらバッグからスマートフォンを取り出す。考えながらの動作は鈍く、人差し指でひとつひとつ確認するように操作していく。

 分かった、の声が思わぬ大きくて肩をびくりと揺らしてしまう。


「『エンデュミオン』だ」

「えんづ、えん、エンデュミオン」


 慣れない発音に舌が追いつかない。似た字面で『エデン』なら知っているけど、『エンデュミオン』とは何だろう。


「睡眠によるセラピーを行う店だよ。好きな夢を見せてくれるって近頃評判だね。個人的な興味もあって近々行こうか迷っていたんだが、君さえよければ一緒に行かないか」

「催眠による、なんですか。あるんですねそんな店が」

「もし催眠術ならば都合がいい。思い出させてもらえる」


 思い出せる。怖くない訳じゃないけど、そのチャンスは魅力的だった。

 用無しとテーブルに置かれたシルバーのスマートフォンを見やる。


「近いんですか?」

「交通の便がいいとは言い難いが、穴場っぽくてまたいいんだって。予約を入れておこう、いつにする?」


 そう言って置いたばかりのそれを取って、彼女は恐らく予約を始めた。テンポの遅さは元かららしい。まるで慣れない玩具に触れる幼児のようで、そう思って自分も変わらないことに気付く。

 期待はせずに、なんでもやってみよう。


 この人に触発されたのかもしれない、いつも朗らかな笑みを浮かべて前を向く虎斑 凛という人に。

 忘れかけていた挑戦心が胸の奥に宿るのを感じる。質問してばかり、応じるばかりでは男が廃る。


 やってやる。僕だってまだ、やれるよな?

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