③.薄茶のしみと千歳緑の暖簾
「U・ZA・I」
言ったのは目の前で呆れた顔を晒すサカノにじゃない。脳内にこびり付く頭痛の種にだ。
この店『エンデュミオン』は町の外れの、地味で湿っぽい路地の奥にある。派手派手しい活動は絶対に向いていないと最初から分かっていたし、大体において口煩い友人もその点に関しては何も言ってこない。
しかし名前は『エンデュミオン』。奴がそう決めた。
俺としては名前なんてどうでもよくて、『睡眠によるセラピーを行う店』とでもしようとしていたのに全力で反対された。神秘的なイメージとロマンティックな語呂うんぬん、の結果がこれだ。
店長が俺であることを全く加味していない。キラキラしすぎ。しかもちょっと不吉だし。
ねちねちと言ってはみたが、他に何かいい案が? と聞かれれば出てくる筈もなく、それ以上考えるのも面倒臭くて結局採用した。
そんな立地と名前でも意外と客は来る。運が良かっただけかもしれないが。
開店当初、ホームページも同時に開設し、数店のコンビニ等にビラを貼ってもらった。宣伝としてはかなり弱く、二週間に一人来れば良い方だったが、リピート率はかなり高い。口コミやネットの書き込みを見て来る人も居て、順調に走り出した。
コンビニ時代に貯めていた金を崩しながらもかつかつで時間だけ余らしていたのが、今では随分と逆転している。
数が増え、稼ぎも増えたのはいい。問題は客を選べないことだ。
冷やかしや非難のためにやって来る客も多い。怪しい技術を使っているのではないか、本当に安全なのかと疑ってくる。
確かに未知の力だ、異能を使っているのだから。しかし心配されているような麻薬の類を使っている訳じゃない。中毒になったり危険な目に遭うのも本人次第。麻薬ほど危険な代物ではない。
そもそも明らかに態度や性格に変化があっても、それが異能とイコールにはならないのだから誰もこの店を排除することはできない。その面では俺達は安全な位置に居る。
しかしそれ以上に厄介なのが、リピーターの中に居る。
夢に満足した本心を隠して、無駄金を使わされた、と理不尽な悪意を吐き捨てる者。あれこれ手を尽くしてこちらの経営や技術の秘密に侵入しようとする者。……ある程度の予想はしていたが、対面してこそその煩わしさが分かる。
その中で群を抜いてうんざりする客。それは馴れ馴れしく近付いてきては根堀り葉堀り質問して、その上我が物顔で居座って邪魔する奴。
ここのところ頻繁にやって来る女子高生の一団を思うと、また頭痛がしてくる。
……マジでうぜえ。正生はワカイコにモテたいとか言ってたけど、何がよかったんだ。
やたら上から目線でピーチクパーチク喚きたて、散々疑っていた癖にやってみたいという。いざやってやれば、あれがすごい、これがイヤ、もっとこういうのが欲しい。
おべっかを並べては要求をどんどん高くするその表情は、世界は自分達を中心に回っているのだと信じていた。疑う余地なんて最初からないのだとでも言うように。
最初に来た日、こんな人種が居るのかと度肝を抜かれた。同時にこういうのが人間の価値を下げていると確信した。正夫ですら可愛く思える。
真剣に疲れ、なけなしの小遣いを貯めてくる子も居るというのに。
「こな…きゃ…いいのに……」
「金を貰ってる身なんだから、間違っても目の前で言うなよ?」
こいつの性格が羨ましい。適当なとこでいなすし、それでも相手を嫌な気分にさせない。まずあれを苦痛に思わないとか尊敬する。
……いや。俺と違って、完全に標的にされていないから言えるのかもしれない。恨めしさを示すように睨んでおく。
あのテンションに俺は付いていけない。付いていきたくもないけど。
夢見なくたっていいじゃん。もうたっぷり現実に夢見てるじゃん。
人生の甘さなら脂肪たっぷりのチョコレートケーキも真っ青じゃん。
後でどうなっても知らん。
多分生態が違う。天使と人間、それ以上に何か根本的なところが違う。
それなりに悩みや痛みもあるのだろう。それは分かるが俺に頼まれても困る。俺じゃどうしようもない部類なんだから。他の、大人でも多少は見かけるが、あれ以上の強敵は居ない。
帳簿に目を落とす横顔を見ながら長椅子に寝転がる。開店の時に中古で仕入れた固いやつ。座るにはいいが寝心地は最悪。毎晩寝てもまだ慣れない。仕事中だと戒める声を無視して天井を見上げた。
借りたアパルトメントの一室。
以前の入居者は喫煙者だったのだろう。見上げ続けたコンビニの天井に似た、灰色のそれがヤニで汚れている。
正夫と住んでいた家にもこんな風になった部屋があったのを思い出す。
薄茶に変色した壁を見て、何の汚れだと正夫に聞くまで煙草の存在すら知らなかった。正夫は吸わなかったが母親が喫煙者だったらしい。家にあった親の痕跡はたったそれだけだった。
「今度買ってみようかな」
薄い声が空気に混ざる。
年齢的に、今なら簡単に買える。手持ち無沙汰な指を掲げて動かしてみた。
その時。
ドアに括り付けた鈴が、ちりんちりりんと中途半端に響く。開店記念だ、と引きずられて行った神社で買ったお守りの鈴。何のお守りだったのかはもう忘れた。
さて仕事だと動き出そうとして、その足音に身を隠したくなった。存在を知らしめるように踏み鳴らす革靴の音は、紛れもなく一番厄介な客の訪れを宣言していた。
「こんにちはぁ~! 真木さんいますぅ~? なんかぁ今日も来ちゃったんですけどぉ。やだーアタシったら常連ー!」
煩い。大声で喋るな、無駄に語尾を伸ばすな、頻繁に来るな。
仕方なく立ち上がって、努めて無表情で前に出る。
サカノの忠告のせいではないが口と顔には出さないようにする。金はきちんと出しているのだから文句は言えない。……もし甘えてタダでやってくれと言い出したら無視できるのに。顔の神経が震える。
「今日は何名様でしょうか」
「今日はぁ、アタシ一人でぇす」
「マジッすか」
思わず出た。ふざけんな疲れる。お前が一番嫌なんだって。
バッグも髪もチャラチャラした余計なもので飾りたて、制服はこれ以上ないくらいに着崩して靴下もヨレヨレ。
動きやすく身体を縛らない服装をしているからか、どうも俺を同種と見なしているらしい。意味が分からん。
俺はただ単に着るのも選ぶのも楽な格好を追求した結果がこれなのであって、手間をかけてまで自らの不真面目をアピールするその姿と一緒にされたくない。
怠惰は否定しない。サボリ万歳、ダラダラ大好き。ただし他人は巻き込まないし、巻き込まれるとか絶対嫌。
お金いらないから帰って。そう思うのにそいつは目の前で鞄の中身を掻き回す。探る鞄の中で物がぶつかり合う音がする。見た目通り、整理ができない女。
やっと取り出した手には財布が握られていた。その指の先で毒々しい青の爪が光って目がチカチカする。金を出すために腕を動かす度、何重にも巻きつけられたパワーストーンのブレスレットがじゃらじゃらと鳴る。これ以上どんなパワーが必要なんだ。
勢いよく差し出された金を払い落としたくなる。毎回、施術後に受け取ると言っているのに一向に覚えない。それなのに誇らしげで……自分の金でもないくせに。
「じゃあ、終わった後でいただきますから。コースはどうしますか」
「いつもの!」
「わかりました。奥へどうぞ」
いつもの、で分かってしまうのがまた腹立たしい。
背中を向けて進み出すが怒涛のように話し掛けられる。中身のない言葉の羅列を聞き流し、適当なところで相槌を打つ。これで満足するのだから、注意して耳を傾けるだけ無駄だ。
受付の横を通り過ぎようとして、小さく向けられるガッツポーズに気付く。
――がんばれー! ファイトーいっぱーつ!
動く口を読み取り、うんざりする。やっぱりこいつ面白がってる。
――うるせえ、崖から落ちてろ。
後ろから見えないように、しかし鋭く親指を床に向けると笑って顔を逸らされた。……むかつく。
受付兼待合室を過ぎると、隣が施術室。横幅は狭いが奥行きがあって使い勝手は悪くない。施術室の更に奥は自室だがばれないためのカムフラージュは完璧だ。
受付と施術室を隔てる扉はない。薄い暖簾が一枚下がっているだけ。この店の唯一の問題点といえば、この暖簾をくぐる時に屈まないといけないこと。仕切りの枠が低すぎる。百九十まで伸びた俺が悪いのか。
暖簾は濃い千歳緑の生地に円を描く蔦の模様。茂る葉は灰色で、東洋とも西洋ともつかないこの中途半端な色合いが、妙に気に入っている。
多分、境界線が明白だからだ。外の喧騒の延長みたいな場所と静粛に夢を求める場所が、その濃さで分断されるように思うから。入ってしまえば夢を与えるだけ。気を張る必要もない。
さぁ、仕事を始めますか――――。
初めて来た女子高生は五人のグループだった。
特に派手で騒がしい面子。だがその影響で若い客が入るようになった。
彼女らの仲間らしい似た雰囲気の客も増えたのは痛かったが、正反対に気弱で真面目そうな学生達もよく見かけるようになった。同世代だというだけでその警戒心を解いたのなら、あの派手さも役に立つ。
学生、と一括りにしても多様な人間の集まりで。望む夢もそれを好むかも全く違う。
繁栄と称賛に満ちた遠い先の人生まで夢見た子ども、即物的で果てしない現在の夢を大量に生産する少年。そういうものであればある意味子供らしい、と片付けられた。
中には、理想の夢がない子も居る。
未来へのビジョンも願いもなければ、夢や想像への期待もない。現実で得られるものだけを欲しがるリアリスト。
前者に比べれば大人に近いが、それでも具体的にどうしたいか、何をすればいいのかを想像することはまだできないらしい。
そのせいで夢を見せても漠然とした靄のようになって、味気ない思いをして帰っていった。それ以降姿を見ていない。
月一で通う少女は、思いつめる性格で悩み事が多く、まともに眠れない日が続いていた中でここを見つけたと言う。
彼女が求めるのはいつも、刺激のない、綿菓子の海に浮かぶだけの可愛らしい夢。稀にガラスの粒子のような生き物が訪れては、一緒に遊んでくれと誘う。穏やかでファンシーな夢だ。
大抵の女子高生は、最初の一度は際限のない自由で華やかな夢を欲しがる。煌びやかな装飾品を身に纏って美しい男達にちやほやされる、そんな夢。いつかこうなるのだと確認するようなそれは、見せているこちらをうんざりさせる。
その中で彼女の夢は優しく、摩耗した神経を癒してくれる。ここに来ると幸せな気持ちで眠れる、と言ってくれるから素直に好きな客だ。
そういえば全体をひっくるめても一、二を争う変わったグループも間を置いて何度か来ている。
四人程度でどれもひどく顔色が悪く、攻撃的に睨みを利かせていた少女達。ささくれ立った心の状態が滲んでいたが、嫌味を吐く声はか細かったのを覚えている。本人達でさえ溜め込んだ感情を持て余していたのかもしれない。
揃って望んだ夢が、またおかしかった。
同じ制服を着た、感情をどこかに置いてきたような大人しい少女と向き合う夢。整頓された机の間で対峙する様子は、友人との楽しい放課後には見えなかった。
彼女達の内、ある者は怯え、ある者は罵り、ある者は許しを乞う。それに耳を傾ける少女は口を噤んだまま微動だにせず、ただ大きな瞳でそれぞれを見つめていた。観察か粗探しかも分からない瞳で。
彼女達が望んだのは理想の夢で、幸福になれる夢の筈だった。俺が失敗した訳じゃない。彼女達自身が望んだ夢がそれだった。
客観的に見ても幸福を感じないその夢は、当人達には当然重く。何度も来てはその度に疲れた表情で帰っていく。本当に奇妙な客だ。
それにしても、と思う。この騒がしいのはいつになったら飽きるのか。安らかな寝息を立てる姿は可愛いものだ。勿論、手強さ的な意味でだが。
最初に来たグループの一人で、他の四人は大方満足したのか見かけなくなったが、これだけは未だにかなりの頻度でやって来る。その勢いは襲撃と言ってもいい。
名簿を捲って名前を確かめる。『桃岡 奈々』。十五歳、高校一年生。
多い時は週に三回は来る。学生のバイト代で賄うには普通は厳しいだろう。親の財布から盗んでいるのではないかと疑っている。
しかしそれを追求したとして、脅されて持ってきていた、なんて嘘を吐かれた日にはこちらが不利になる。
世の中なんてものは若い女子と男なら、女子を守るものと決まっている。
特に桃岡は思慮深さの欠片もなく、断片的に脳裏に浮かんだ考えをとりあえず口にする。後先考えず、どうなっても周りが助けてくれると思い込んでいるものだから、振り回されるのは必至だ。
想像しただけで胃がムカムカしてきた。
「はーッ…」
目一杯に深く、重い溜息を吐く。傾けた首が鳴る。
仕事だ、仕事なのだ。割り切れ。
自己暗示をかけてから、受付へと向かう。次の客に会う時間だ。
額に触れるだけでどんな夢でも見せられるが、大いに神経を使うのが俺の異能だ。
だから清涼剤のような夢を見せた後は気分が軽くなる。そういう客には時々サービスで予想外のイベントを挿入する。癒してくれるのだからよりよくしてやりたいと思うのは“人間”としての性だろう。
店長だって楽しく、息抜きしながらの仕事がいい。
今日はたまたまあの綿菓子の少女も来て、随分と心地良い。
笑顔で帰っていく姿を見送れば、この後を思い出して既にどっと疲れが押し寄せる。……全く、忙しい日だ。
いつもより時間をかけて客を見送った後、桃岡の横に立つ。起こさなくてはいけないのだ。
ブランケットを剥がして畳むと、肩にそっと手を載せる。
別に優しくしているんじゃない。こいつには、起きるなりブランケットを床に投げて、靴を履いた後も拾う間もなく踏みまくった前科があるからだ。
意識を集中し、夢に揺さぶりをかける。目を閉じれば、干渉の為のイメージが瞼の裏に浮かぶ。
空を映した雲の中に、頼りなく浮かぶゆりかご。白い靄に包まっている生き物が夢見る者。その輪郭はぼやけて人の姿であるかも分からない。
明確な形にしてしまうと、人間の顔や見た目のイメージに引きずられやすくなる。こうして本人すら純粋な想像の世界の住人にしてしまうことで、理想の夢を表出させやすくするのだ。
ゆりかごの縁に手をかけ、ゆっくりと力強く押す。すると夢の住人と化した物体が、その危機感に神経を尖らせる。
鋭利なアンテナとなったその部位に静電気のような緩く痺れる波を寄せれば、小刻みに強く震え出した。
固めた意識を解いて目を開けば、桃岡も起きようとしているところだった。覚醒途中の瞼に作り物の睫毛が震えている。
「おはよぉございマース…」
「はい、どうも。調子はどうですか」
「そりゃもー! 今日の夢はですねー、お金持ちのお兄さんが」
「ではどうぞ。足元と忘れ物にお気をつけて。こちらが伝票になります、受付へどうぞ」
走り書きの伝票を押し付け、部屋を出る。長居すれば面倒な話が続くだけ、仕事は効率が大事だ。
受付で船を漕ぐ奴の頭をブランケットではたく。威力はないが突然の軽い衝撃にふらついた姿で、ひとまず満足。
桃岡が後を追って来る前に、別の客に声をかけた。
「○○様、どうぞ!」
「はい、桃岡様。代金を頂戴いたします、お釣りは八五円になります」
出てきた桃岡にはサカノが間髪入れず呼び掛ける。
今まで寝ていたくせに、手に握られている金額を即座に計算して釣り銭の額を提示してみせるのは流石。
言うがまま差し出された金を受け取り、同時に釣り銭を返して頭を下げる。一連の動作は流れるようで、一貫した完璧な営業スマイルも嫌味じゃない。コンビニ時代に鍛え上げた熟練の技に磨きがかかっている。
あれは丁寧で礼儀正しい対応に見せかけて、さっさと店から出てもらう作戦だ。
からかいはするが俺が本当に苦手にしていることを分かっている。そこには自分に矛先が向かないようにというのも当然あるだろうが、早く帰ってくれるなら何でもいい。
桃岡が玄関に向かっていく姿を横目に見ながら、気の利く友人に心の中で親指を立てた。今度は勿論天井に向けて。




