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なろう演出祭  作者: 空伏空人
天使の血管【室木柴×絃羽】
26/34

②.黄ばんだ表紙に黒い文字

 コンビニでは四年近く働いた。表情すら偽っていたのは最初の一年かそこらで、二年を過ぎた頃には天使であること以外は隠そうともしなかった。それがどれほど力の要ることかよく分かったから。

 一度は短くした髪もいつからか大幅に切ることはしなくなって、ある程度を過ぎれば店で買った安い鋏で適当に乱切りするスタイルがこの頃確立された。

 長い髪を括っていた輪ゴムがまともなヘアゴムに昇格したのは、バイト仲間の女性が見栄えが悪いとひとつくれたのがきっかけだったな。あれは彼女が辞める頃に切れてしまった。


 バイト内での関係は然程悪くはなかったと思う。別段良くもなかったが、怠さを大っぴらにするようになった俺を避けるような人は特に居なかった。

 逆に世話を焼いてくるのがひとり。それが今の同僚でもある、サカノだ。

 下の名前は知らない。そもそもサカノという名前も最近になってやっと覚えた。人の名前なんか覚える気にもならない俺がちゃんと名前と顔を一致させているのだから、友人と呼べる間柄と言っていいだろう。

 店を二人で始めることになってから改めて名前を聞くと、怒りもせず転げるくらいに笑っていた。そういう豪快な奴だ。


 知り合ってもう六年以上になるのか、長い付き合いになったな。あの頃はこんな風にコンビニ以外の場所で一緒に働くなんて思いもしなかった。

 あの日の奴との時間がなければ、今の俺はないだろう。



 サカノという人間を簡単に表現するとすれば、正夫とは正反対の男。人間も悪くないと思わせてくれるものがあった。

 別に人間の鑑みたい、という訳ではない。ただ適度に人間臭くて正直で、でも気遣いもできるし、微妙な距離感を保ってくれるから一緒にいて面倒じゃない。未だに天使であることは隠しているが、奴の前だとそういう壁を気にしないで居られる。だから楽なんだ。



「はぁ。怠い」

「いいのかー? そんなこといってさ」

「疲れるのは生理現象なので。仕事はちゃんとやってるからいいじゃないですか」

「まあなあ。いや、初めて会った時と全然違うよな、お前」


 休憩時間の軽口も相手がサカノだったからだ。他の人だったら話を続けるのも億劫だっただろう。

 それに多分、やっぱりそういう日だったんだと思う。じゃなかったら、次の言葉なんて絶対言わなかった。


「しかたないじゃん。餓死するのも誰かに引っ張られて生きるのも怠いし」


 正夫が死んで以来、頭の片隅にいつもある考えだ。あいつのようにはなりたくない。

 生きているから生きる。それが一番シンプルで、一番強い生きる動機。

 面倒だ、生き死にについて悩むのは。起こるかどうか怪しい不幸を案じたり、無謀な未来を期待したり。その度に苦しんだり舞い上がったりするのは、正夫のというより人間の悪いところだと思う。

 生きることに目標を持ちすぎているんだ。だから小さな状況の変化に耐えられない。必要最低限のものを得ることにすら誰かの手を求め、貸しを貯めては自身を追い込んでいく。

 大抵の物は手に入るこの国で、自分の持ち物の存在を忘れての無いものねだりは滑稽にしか見えなかった。去っていくバイト仲間達の背を見送る度、無駄に感情が揺さぶられた。


 どゆこと? と奴は聞いたけど礼儀としての問いだってことは分かっていた。突然の俺の主張に向けられる唖然とした顔は想像がついて、


「貸しを作るより、自分でやった方が気楽ってとこ」


とだけ答えておいた。興味なさげに相槌を打つ姿に人間の本質を見る。所詮誰も他人の言葉に興味なんてない。


 休憩時間はあまり好きじゃなかった。何もしない時間が俺に考えることを強要するから。だから怠い、と言えば奴は嘆く。


「オレは休み時間ないと死ぬ! 店長に聞こえるとこじゃやめてくれよな~」


 根本的な思考が違いすぎて、だから理解しようとせずに済むのかもしれない。まあ奴の考え方の方が一般的で、俺の方が少数派なんだろうとは思うけど。

 でもそれでバランスが取れている。奴が俺を引っ張り上げて堕ちないところで留めてくれている。

 そういう意味では俺もその手を借りているらしい。そして奴は奴で、俺の異能にほんの少し頼ろうとしていた。



 何気ない善意で使ったのが始まりだった。無理なシフトのせいでくたくたで、疲れすぎて眠れないなんて奇妙なことを言い出すから。

 どうしてだったんだろう。あの時自分から手を貸した理由を今でも明確には答えられない。それまでの自分では考えられないし、今でも仕事以外では使いたいとは思わないのに。

 ただひとつ言えるのは、たまには親孝行がしたいと疲れた顔ではにかむ姿がやけに眩しくて、懐かしく思えたから。それだけだ。


 酒で眠り込んでしまったところで触れ、最初に五円玉の夢を挟んでから、心休まるお望みの夢を見せた。

 後日、無事プレゼントを買えて母親が喜んでくれたことを満面の笑みで報告された時、胸の辺りが暖かくなった。ろうそくに灯した微かな火のように。

 自分の力が純粋にこの人を喜ばせている。そう思うと正夫への蟠りも少し和らぐような気がした。


 俺の未来を変えたその日は、軽口を叩いただけでは終わらなかった。



 正直に言えば、不安だったのだと思う。仕事終わりに家に来ないかと言われたから、目の前の男が正夫と同じ末路を辿るんじゃないかと、そんな思いが頭を掠めた。あのヘアゴムのバイト仲間のように辞めていくんじゃないのかとも。

 特技の催眠術。奴の中では今もそういうことになっている。

 その時承諾したのは、求められることを喜んだからだろうか。それともどんな結果も自己責任だと諦めたからだろうか。――最近ますます分からなくなってきた。


 バイトを終え、奴に連れられて家までの道を歩きながら抱えたのは、自己弁護と不快感。


 正夫を止められなかったのは俺だし、サカノに力を使ったのも俺から。俺が動かなければ確かにこうはならなかったのかもしれない。

 だがあいつが次へ次へと望んだのも、こいつが何度目かの安らぎを欲したのも、それぞれが自身で決めたこと。俺のせいじゃない。俺だけが責任を求められるのはお門違いだ。たとえ死を追うことになったとしても。


 ……そう思うのに、呼吸がつらくなるのは何故だ。

 夢を見せるようになってから笑顔が増えた正夫が、徐々に人間から遠のいていくのを見て。

 あけすけな性格のサカノでさえ、媚を売るように酒やつまみを餌にして何とか頼もうとするのを見て。

 吐き気と共に這い上がってくるのは、言葉にならない重たい感情。



 ――何のせいだ。一体何のせいで……誰が悪い?


 俺ですら幸せを感じた筈のありがとうが、こんなに胸に引っかかるのは何のせいだ?




 テーブルに立っていた飲みかけのペットボトルを手に取る。温くなった水が喉を通って流れていく。それでも解れていかない圧迫感に、煩わしくなって飲むのもやめた。

 あの時感じたものを思うと、今の仕事をよく続けていられるなと思う。それも多分ひとりじゃなかったからだし、あの日が予想を裏切って不快感だけで終わらなかったからだ。




 金を差し出された。ボロアパートの弱い電球に透ける安物の茶封筒。

 人間ってのはどうして恩を返そうとするのか。礼の言葉を返すだけで終わらないその律義さは、何度向けられてもすげー、と思う。


「別にイイって言ってんのに」

「それじゃー悪いだろ。忙しい時に散々助けられたしさ」


 そんな礼が欲しくて力を使った訳じゃない。寧ろそんなこと勿体ないからしないでほしい。

 夢を見るために呼ばれた訳じゃなかったことへの驚きと安堵で出した声が一瞬ひっくり返ったが、多分気付かれなかった。

 その封筒は薄かったが、それがどれほど生活に響くかはよく分かった。あの安月給で礼に金を出そうと思うその発想が俺にはない。

 逸らした視線の先に文庫本が転がっていた。『少年の日の思い出』『走れメロス』『羅生門』。黄ばんで掠れた表紙に、俺でも内容を知っているタイトル。奴に読書家なんてのは似合わないが、その純粋さと何かを秘めていそうな雰囲気は本の影響なのかもしれない。


「でもよ」

「いいだって! そんな大した金額じゃないし。これでうまいもんでも食えよ、お前細いんだよ! 枯れ木か!」


 無理やり握らされると返すのも悪い気がして困る。でも枯れ木とか流石に失礼。

 ふといつか観た代官と越後屋のやり取りが過って、変なところで人間らしくなったと可笑しかった。実際持たされた黄金色の菓子は比べものにならない量だが、それでも俺には十分すぎて恐れ多かった。


「……これの半分くらいでイイ……」

「人の好意を無駄にすんじゃねえよ、代わりにまたやってもらうからな! ミンミン打破代わりに!」


 越後屋、いやサカノも引かなかった。

 宣言を聞いて多少の落胆はあった。だが然程苦い思いはしなかった。面と向かって眠気覚ましだと言われたからか、こいつなら堕ちないと思ったからか。どちらにしても押し切られて受け取ることにした。


 皺の入った茶封筒をリュックに入れようとすると、手元をじっと見られてその唇が歪む。


「なに?」

「あのさ、お前そんなに金に困ってんの?」

「困ってないけど」

「ボロボロじゃん」


 同情したような目でリュックを差される。気に入って長く使っていた緑色のリュックサック。確かに生地が幾らか剥げてしまうくらいに使い込んではいたがまだ使えていたし、勿論それからも使う気でいた。


「着てる服も何年もローテーションして色落ちちゃってるしさ」

「毎日同じの着ないだけ、成長してない?」

「知らねーよ、んな成長! 前から思ってたけど、バイト辞めた方がいいんじゃないの」


 百円ショップのシールを付けたままのとっくりとおちょこで酒を煽る奴に成長のことは言われたくない。変なところで雑な奴。

 同じリュックと服を長く使っているだけでこんなことまで言われるのか。翳る前髪の下でどんな風に罵ってやろうかと口を尖らした。


 ――結構、お前のこと嫌いじゃないのに。イイヤツだし。お菓子くれるし。ポテトチップスのうすしお味のやつ。今、クッソショボイけど黄金色のお菓子もくれたのに。


 頭の中で作った声色が一向に音にならなかった。ずっと酒を飲んでいる奴に今に言ってやろうと幾ら口を動かしても、酸素不足の金魚みたいな動きにしかならなかった。実際酸素が足りなくなったように思う。

 そんな俺の様子に気が付くと、焦った顔でフォローし始めた。


「ちょっあっちが、違う違う! お前キライとかじゃないから! イイヤツだよ、催眠術うまいし、店長の怒りの矛先になってくれるし、怒んないし、あと、えーと…なんかこうイイヤツだよ!」

「そうかそうかつまり君はそういうやつだったんだな」

「うるせえエーミール! オレが悪かったよ、単にさ、コンビニよりずっとお前に向いてて稼ぎもいい仕事があるんじゃねーかって!」


 必死になって前のめりに言うから可笑しくて、言葉を返す。


「……詐欺のススメ?」

「ちーがーいーまーすー。最近はアロマだのマッサージだの、セラピーなんてもんが流行ってるじゃん。でも、本来の休息方法ってのは眠りだろう? お前の特技はまさにそれじゃないか。

 オレは小難しい話はよくわかんないけどさ、お前の特技がすごいんだってのはわかる。今よりずっとお前に向いてて、お前にしかできない、自由に動き回れる仕事だと思わないか?」


 茶化してやろうと思っていたのに、その表情も話し方もいやに真剣でできなかった。引き付けられるように唇の動きを追っていた。


「最初は大変だろうさ。何事もそうだし、オレなんかはじめようとしてもいっつもつらくなってすぐやめる。けど母さんの時は違った。お前の助けがあったからだ。仕事にしたって続けるうちにいつか絶対うまくいく、お前のはそういう特技だよ」


 ――こういうとこ、ずるい。

 褒められ慣れていないのにそういうこと言うから、心臓を柔く撫でられるみたいに落ち着かない。一方で暖まっていくようなのに、脈拍が不安定になって冷えていくような気配がした。


「……つまり、セラピーの店でもやれって? 免許とかいらねえの」

「調べてみたんだけどさ、日本じゃ公的な資格がないらしい。一応資格を取るための学校はあるらしいから、胸を張るために取るのもありかもな。百時間ぐらいかければいいっぽい、流し読みだから確証はない」

「おい」


 その肩を小突く。自信ありげに確証はない、なんて言ってのける。そこまで調べていることを評価すべきか、そこまで調べたなら最後までやれよと注意すべきか微妙なところだ。

 何より、自分の将来を誰かが真面目に考えてくれるとか、何か嫌だ。皮膚の裏がむず痒くて仕方ない。こんなこと経験がないからどうしたらいいか分からなかった。

 自身が発した言葉の硬さに気付いたのか、サカノは頭を掻いて誤魔化すように声を上げた。


「お前、派手にやってやろーってタイプじゃないじゃん。そこそこイイ感じに、ローカルにアンダーにやったら」

「アンダーっていう響きは悪い。ローカルでいこう」


 仕舞いかけたまま手に残っていた茶封筒の表面を指の腹で撫でる。かさついた指に紙の凹凸が引っ掛かり、乾いた音を微かに鳴らす。

 できるだけ明るく、今度こそ茶化すように答えてみた。俺の目はどこを見ていただろう。そこまでの記憶はないがただ少し、ほんの少しだけ、今より先を見てみたい気がした。

 奴は俺の返答に大げさなほどに驚いて、言葉にならない音を出す。聞き逃すことができないくらいに盛大に上擦っていた。


「そんなに意外か」

「そりゃあもう! 自分でいっておいてなんだけど、ほぼ確実にバカにされると思ったぜ」


 俺は周りから見ればそういう人間に見えるのか、とその事実を知っても特に苛立ちはしなかった。そう見えても仕方ない生き方をしてきたし。

 確かによく分かりもしないものに手を出すのは面倒なことこの上ないと思ってきたが。


「豊かな暮らしがキライなわけじゃない。なくても困らない贅沢のために苦労するのが好きじゃないだけで」

「それってそんなに違うか?」

「違うさ」


 分からなくてもいい、俺にとって違うだけだから。無駄な主張は体力を消耗するだけだ。


「コンビニ生活も快適だったんだが。……やるだけやってみるわ」


 やりたくないことはこの世のすべて。それなら何をやろうがやるまいが、大差はない。とりあえずバイトの時間が勉強に変わるだけなら拒絶するほどのことでもない。

 相手と量を間違えなければ案外上手くいくかもしれない、試す価値はある。この時意外にも少しの自信があった。


「マジでか。槍…ゴミが降るんじゃねえの」

「本気か冗談かハッキリしてくれ。ま、もし店を開けたらお前を第一号にするわ」

「いったな。だったら恩人価格で安く頼むぜ、相棒」

「相棒になったつもりはない。考えとこう」


 相棒のくだりは反射的に答えていた。相棒、なんて頭に上ったこともなかったが、多分この時までそれは正夫に向けられていたから。



 それからの毎日はやっぱり面倒だった。資格や学校について詳しい情報を得るためにネットカフェに通ったし、いざ学校に通い始めたら聞き慣れない単語でいっぱいだし、勉強のために用意したパソコンとネット回線は金がかかるし。元々少ない体力が底をついて倒れそうになったのは一度や二度じゃない。

 でも悪くはなかった。人生で初めて必死になった一年は清々しくもあった。



 外からドアが開く音が聞こえる。時計を見れば開店三十分前。奴が出勤してきた音だ。

 だらりと座っていた身体を起こして立ち上がる。


 サカノを引っ張って店を始めてから今日まで一年強。何とか息切れせずにやってこれたのはやっぱり奴が居たからだと思う。

 あの日の、酔いに任せてけらけらと笑う妙に嬉しそうな顔を思い出して、ふと考える。

 ――相棒……。今なら、どうだろう?


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