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なろう演出祭  作者: 空伏空人
天使の血管【室木柴×絃羽】
25/34

2.灰にちらつく躑躅色

「君、失礼するが佑の家族か誰かかな?」

「うわっ」


 いきなり声を掛けられて大げさなほど身体が跳ねる。佑、という単語に一気に心臓が強張る。おそるおそる見上げた先に好意的な笑みが待っていて、思わずふっと息を吐いた。それからその人の全体像を知って、驚きに息が詰まった。


 躑躅色に染まった髪はこれまで見たことのない鮮烈さで目に飛び込んでくる。前髪に入った黒のメッシュの方が異質に思えるのは何故だろう。そこから覗く瞳は力強く、柔和さの向こうに意思の強さも感じさせた。

 申し訳程度のショートパンツはあまり意味をなしていない。剥き出しの素足から急いで視線を上げる。けれど透け過ぎているガーゼシャツも肩のラインをはっきりと伝えてくる。陽の光を反射するシルバーの腕輪が、眩しいながら気を楽にさせてくれた。


 佑とは正反対にインパクトしかないその人は、何も言わず小首を傾げている。腰を曲げて答えを待つ姿は、いつかの佑を思わせた。――何か、似てる。

 胸の奥がざわつきそうになるのをぐっと押し留めて、立ち上がる。今や答えは十分教えられている。


「白河 鳩といいます」


 頭を下げて、もう一度名乗る準備をする。二度聞きされることなんていつものことだ。


「ああ、よかった。やっぱり佑の弟さんだったか。やはり似ているね。話は彼女からよく聞いてるよ、自分は虎斑 凛。知ってる?」

「手紙で。その……勝手に見てすみません」


 事も無げに話が始まる。戸惑うけれど、佑の友達なんだと納得できるから不思議だ。

 短く答えながら、似ている、という言葉を思う。佑と彼女に見る近さとは違う、表面上のことを言われているのだろう。

 度々言われてきたけれど大して似ている訳ではない。けれど僕達の“親子”という制度が他人の目を錯覚させているのかもしれない。

 ――そうだとしてもその心の半分も分かりはしないのに、どこをどう似ていると胸を張れるだろう。


 顎を撫でながら、ふぅむ、と考える仕草はその人に――虎斑さんの見た目にあまり合っていない。ちぐはぐな雰囲気の人だ。やがて僕の手にある手紙を指差して言う。


「別に虎斑は構わない。だけど、様子から見るに佑に許可はとっていないようだね。彼女は来ていないようだし、もしかして何かあったのかな。どうしてもこれない事情があって、代わりに君が来たとか」

「そ、そうです」

「まあ、彼女が誰かに虎斑について話すとは思えなかったけどさ。それで、佑に何があったか教えてもらうことはできる? 勿論、支障があれば無理に言わなくても構わないよ。そこまで言える立場じゃあないからね」


 筆跡を見て感じた知性はやはり勘違いではなさそう。はっきりした物言いに全てを探り当てられそうで怖さもあるけれど、その礼儀正しさからか近付きたくないとは思わなかった。

 言わなきゃいけない。そのために来たのだから。緊張を悟られないよう、静かに長く息を吸う。


「いえ。実は、姉は……事故死、しまして」

「……事故死、か」


 言葉にすればたった一言なのに、ひどく重くて身体も思考も動きを鈍らせる。そのくせ心臓は忙しなくて眩暈がしそうだ。

 彼女はやはりいじめの事実さえ知らないらしい。でも何かに感付いているようにも見えた。

 にぃ、っと引かれた唇と細められた目が猫みたいだ。愛でるようなそれというよりは寧ろ、策士なチェシャ猫の狡猾さを目の当たりにしたようで落ち着かない気分になる。


 そのまま深い溜息を吐いてショルダーバッグに手を伸ばすのを、僕は見つめる。彼女が目に掛かる前髪を払うと一房の黒が光に煌いた。

 取り出されたのは動物の写真がプリントされた封筒だった。見覚えがある。佑の部屋に買い溜めして置かれていたレターセット。佑らしく、いかにもそこにあったものを適当にとってきたようなデザインだった。


「これ、彼女からの最後の手紙」


 さらりと発した言葉にはっとする。ぶつかった視線はほんの少し申し訳なさそうだった。


「遺書じゃあないよ? だったら、虎斑は佑の死を既に知っていたことになるからね。

 特に変わったことは書いてなかった。いつも通り。学校や家でなにがあったとか、次はどこどこに何時待ち合わせしようか、とか。

 今日ここにこの手紙を持ってきたのは、彼女にちょっと聞きたい話があったからさ」

  「それは僕でも答えられる内容ですか?」


 答えられるといいな、という緩い願望が多分投げ掛けた視線に出ていたと思う。考えるように見つめ返してはくれたけど、望みは薄いらしい。


  「どうだろう。今、こうして会ってみた印象だと、無理そうに見える」


 はっきりそう言ってくれたことで、やっぱりな、という程度で然程がっかりせずに済んだ。

 座るよう促されて、本腰を入れた話が始まるのだと肌がひりついた。浅く腰掛けた僕に安心させるような柔らかな笑みを向けると、隣いいかな、と尋ねてから自身もそこに座った。


「さて、虎斑が聞きたい話はこうだ。『君は一体何を考えている?』」

「それは」

「わからないんだろう。わかっていたつもりだったのに、理解できてもわからなくてどうしようもない。そんな顔してるよ」


 ――天使、なのだろうか。この人も。

 近付きたくないとは思わなかった筈なのに、自然と距離を取っていた。覗き見られたような羞恥からくる恐怖というよりも、家族である僕の思考としてふさわしくないものを見られたような、背筋の冷たくなる恐怖。座り直してしまってから失礼なことをしたと気付いて、一層居心地が悪い。

 そんな僕を見て彼女は軽やかに笑う。それ以外の反応は持ち合わせていないとでも言うように。ひらひらと振った腕の先で動物達がはためく。

 続いてやけに子供っぽい動作で足を交互にばたつかせる。驚いた鳩達が逃げるようにこちらに飛んできた。


「虎斑は天使じゃないぞ、君と違って。なんでわかったか、って言いたそうだけど、簡単だ。なにせ虎斑も君と同じだからね」


 佑は僕が天使であることをこの人には話していた。そのことを考えるとどれほど信用に足る人かよく分かる。その人が僕と自分を同じだと言う。


「僕と同じ、ですか」

「家族で彼女の天使だった君ほどと驕るつもりはないが、それなりに彼女を理解していたつもりだったよ。友達程度には。

 でも、これを読んでわからなくなった。元々思うところはあったんだけどさ。なんていうか、今思い返すと、あの子の『いつも通り』は虎斑にとって普通じゃなかった」


 どこがどう普通じゃあないのかがわからんのよ、と言った声が幾らか沈んで聞こえた。

 そう、分からない。分かっていた筈なのに、いや分かっていると思っていたことがあまりに曖昧で、不鮮明で、頼りない。形にもならず、言葉にもならず、想像することさえままならない。

 彼女も同じ心持ちであることがせめてもの救いだった。彼女から佑について教えてもらいたいと望みながらも、あまりに自分との差を見せつけられたなら立ち直れなかったかもしれない。


「さて、今の君には時間が必要らしい。虎斑にもね」

「すみません」

「謝る必要はない。逆に虎斑が無礼だったと謝るべきだろう。遅れたが、今度のことは本当に残念だと思ってる。これは虎斑の連絡先だ。よければ、彼女の墓を教えてもらいたい。迷惑でさえなければ、手を合わさせてもらえないだろうか。いつでもいい」


 そう言いながらメモに素早くペンを走らせると、迷いなく破りとりこちらに差し出す。ちらと確認すればあの手紙と同じ筆跡で文字が並んでいた。走り書きでありながらきちんと形の整えられたその文字からは手書きに慣れていることが分かる。どこまでも予想を裏切ってくれる人だ。

 メモの感触を掌で確かめる。改めて彼女が『虎斑 凛』で、佑の文通相手だったのだと、その証拠を渡されたような気がした。


「わかりました」

「すまないね。ありがとう、その時はお礼に彼女と初めて会った喫茶店にでも案内するよ」


 言葉を落とし、踵を返して颯爽と去っていく背中を見ていた。躑躅色がはためくその様は掴めない彼女をそのまま表しているようだった。





 寄り道をする気にもなれず、ただ目についた道を選んで家までひたすら歩いた。玄関のドアを開けた時、時刻は五時を回ったところだった。


「ただいま」


 普段は出さない大声が喉に引っ掛かる。しんとした玄関に響いて、また静寂が落ちた。呼吸の音がやけに大きく耳に届く。

 ひとりきりの我が家で誰かの足音を待つ。目を瞑り、鳴らない床に耳を澄ます。

 上手く開かない目で廊下を見つめ、わざと音を立てて歩き出した。湿った空気を掻き分けて、靴下越しの冷気を断ち切るように。

 リビングの電気は消えていて、僕が家を出た時のまま何も変わらなかった。


 佑が、居ない。いつもなら遊びに出掛けた日だって、ソファに座っている時間なのに――。



 彼女と会ってしまったせいだろうか。『虎斑 凛』を間近に感じて佑との距離と混同する。

 佑は居ない。居ないんだ。言い聞かせていなければまともな思考も失ってしまいそうになる。

 世界はあまりにいつも通りで、全ては僕を取り残して、佑の姿さえ遠のいていく。


「お母さんとお父さん、いつ帰ってくるのかな」


 急にひとりの時間が怖くなる。もうこのまま、本当に独りになってしまいそうな気がして。

 あと二時間は帰ってこない。見上げた掛け時計の秒針が震えていることを確認する。……ちゃんと帰ってくるよね。


 心の中身をどこかにごっそり置いてきたみたいに、身体の芯が寒い。代わりに不安や恐怖が満ちていくようで、僕は動き出した。


 何もすることはない、しておくべきこともない。ただ手を動かすことだけに集中して冷蔵庫の整理を始める。消費期限の切れた食材が出てきて、時間の流れを思う。

 それを終えてキッチン、それからリビングを掃除する。まめな掃除で大して汚れてはいないけれど隅の埃は溜まっていく。

 玄関の塵を掃き出して、無造作に移動させた靴を揃えて並べていく。靴箱を開けば、佑の靴が一番に目に飛び込んできた。


 記憶はどれほどの間きちんとした形で留まってくれるのだろう。佑の持ち物を全て捨て去ってしまっても、いつまでも鮮明に思い出すことができるだろうか。

 きっと答えはない。けれど永遠もない。

 思い出したくても思い出せなくなる日が、多分来る。あの夢を見なくなって、不意に彼女の存在を感じることもなくなって。感情の薄いその顔も、脆い仕草も、柔い声だってきっと、思い出せなくなる。写真やビデオに残していたとしても、何もかも薄れていく。

 思い出せない自分に気が付いた時、僕は何を思うだろう。何も思わなくなるのだろうか。――それが一番、怖い。


 逃げるように自分の部屋に戻り片付けを始めたけれど、あまり進まなくなってしまった。掴んでは置いての繰り返しは、恐らく幼い子供の片付けよりも下手だ。なのにひどく手が重い。

 こんな時、佑ならどうするのだろう。早々に片付けをやめて違うことを始めそうな気がする。

 ――もし僕が死んでいたら……?

 不吉な考えが頭を過る。佑を失って何度も泣いて、何をするにも上手く手を付けられない自分を思い返すと、同じ様子を佑に当てはめることができない。遺書に遺した通り、加害者を許し信じることが佑にはすんなりとできてしまうだろう。僕を失ったからといって、その一筋さえ涙を流してはくれないような気がした。

 泣いてほしい訳ではないけれど、僕と佑にはそれくらいの温度差がある。


「……なんか、違うな」


 不毛な推論は無駄で、こんなことをしたい訳じゃない。佑は佑で、僕は僕。考えや行動の違いを今更並べたって哀しいだけだ。ただ佑という人物を知れればそれで良い。


 部屋の時計は気付けば七時を指して、けれど両親はまだ帰って来ない。階下に降り洗面所で丁寧に手を洗う。清潔にしていなければいけないような気がした。

 リビングに戻るとズボンのポケットに入れていたメモを取り出す。使い慣れないせいでもたつきながら、スマートフォンの画面をタップしていく。番号を三度確認してから通話ボタンをタップした。


 コール音が繰り返される度に緊張度が高まっていく。五回、六回と数えたところでぷつりと止み、機械的な声が聞こえた。


「もしもし?」

「もしもし、虎斑さんですか。白河 鳩です」

「君か。早いね、虎斑からいっておいてなんだけれど、大丈夫?」


 別れてから数時間、今日の内に電話したことを驚いているらしかった。


「はい、大丈夫です。少し心の整理がつきましたので。基本的に休日に予定は入っていません。そちらに合わせます」


 心の整理がついたのは嘘ではない。けれど実際のところ、長く時間を置いたからといって完全に整理がつくとは思えなかったから、というのも大きい。


「そう? ありがとう。今日は六月七日だったね。では十三日の土曜と十四日、どちらの方が都合がいい? 来週が急ぎ過ぎならもう少し先でも」

「平気ですよ。十三日にお願いします。どこに行けばいいですか?」

「知っているかもしれないが、虎斑は那谷木に住んでいる。待ち合わせ場所はそちらに都合のいい場所にして欲しい。町の場所は大体わかると思うから、どこでもいい」

「では駅前に、午後の一時半でお願いできますか。帰る時刻はどれぐらいに?」

「時間は気にしないで、君に合わせる。それでは次の土曜日に」


 返事をして電話を切った。やけにあっさり淡々と終わり、暑さに頭がやられたのかと思う。恐らく冷静な彼女の雰囲気に影響されたのだろう。初めの緊張が嘘みたいに消えていた。

 頭が揺れるような感覚。脳内に足りない酸素を補うようにゆっくりと深呼吸をする。正常に脈打つ心臓に少しだけ安心する。


 外はすっかり暗くなっていた。窓を開けると湿った匂いが風と共に僕を通り過ぎ、部屋の中を満たしていく。

 梅雨入りしてから暫く晴れが続いていたし、そろそろ凄いのがきそうだ。


 窓を閉めた時、車が入ってくるのが見えた。両親の車だ。

 ひとりじゃなくなる安堵と隠し事をしている後ろめたさが混ざり合う。けれどもうどんな風に止められても引き返すことはできないだろう。僕は彼女に会ってしまったから。

 薄い笑みを作る。二人を誤魔化すのに丁度良い顔を捜す。


 窓に写った顔は佑と心底似ていない。

 理由もなく右の頬を抓り、隠すようにカーテンを引いた。

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