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なろう演出祭  作者: 空伏空人
天使の血管【室木柴×絃羽】
24/34

①.光の透ける黄緑のカーテン

 ――幸せな夢を見たいと思うか?


 目が覚めて一番に自分の声が頭に響くのは、あまり良い気分ではない。

 今より少しだけ幼い、あの時の言葉。頻繁にではないが、仕事を新しくしてからもう何度目だ? 余程気に掛かっているらしい。


 あの問いを後悔はしていない。確かにあいつは幸福そうだったし、実際喜んでもいたから。

 だが、あの問いに疑問を持つことはある。あいつはそれだけを求めて死んでしまったから。


 たった三年だった。あいつと――正夫と過ごした時間はたった三年だった。

 もっと一緒に居たかったとか、居ないことが泣きたくなるくらい悲しいとか。そういうのは正直ない。曲がりなりにも“親”だったのに、自分でもあっさりしすぎている自覚はある。

 ただ、足りない、とは思う。



 ベッド代わりの黒い長椅子から足を投げ出し立ち上がる。背中が痛いがいつものことだ。重たい身体を引きずるように、のたりのたりと自室に向かう。

 台所のシンクで蛇口を捻ると、空気を吐くような音の後で水が落ちる。

 掬い取った冷たい水で顔を洗うと多少はすっきりするが、大して変わりはしない。顔から滴り排水溝へと流れる水滴を目で追いながら、二人で暮らした時間を思い出す。




 正夫という奴は、人間への理想を悉く打ち砕いてくれるような奴だった。

 丸まった背中を見てがっかりすることは多かった。例えばアルバイトをクビになった時、好きな女に振られた時。そして――俺に落胆した時。



「お前って本当に天使なんだよな? じゃあ何かできないのか」


 確かこんな言葉から始まったと思う。その頃の俺は高校生くらいにまで成長していて、正夫の期待を余計に大きくしていただろう。畏まった姿勢で焦った表情を浮かべる様子から、悪い予感はした。

 その何かについて問えば、金を生み出すやら幸運を運ぶやら、果ては目立つからという理由で火を出すことも提示してきた。本当に好き勝手なことを言ってくれる。


 確かに俺は“天使”だ。既に自分の異能にも気付いていた。だが異能はそんなに都合の良いものばかりではない。そんなものだとしたら先人の力で、この地球に正夫みたいな人間は居ない筈だ。

 冷たい視線を向けると、大して怖くもない睨みが返ってきた。


「なんだよ」

「正生、勘違いしないでくれ。アンタを駄目な奴だといっているわけじゃあないんだ」


 誰しも一度くらい空想することはあるだろう。しかし本気で望み、しかも誰かの力を使って実現しようなんて愚かだ。

 落ち着けるために出した筈の言葉に正夫は過剰に反応し、俺の胸倉を掴んだ。予想はしていたが遅かった。間近に見た切羽詰った顔に息が苦しい。

 その手を掴んだがそのまま揺さぶられて、吐き気がしたのを覚えている。


「じゃあ俺はなんのためにお前を養ってきたんだよ! お前がいれば、そのうち能力を使ってテレビにでるとか、モテるとか」

「そりゃあ最初から無理な話さ。俺が出たところで、最初だけ珍しがられてすぐ忘れられるのがオチだよ。俺ァ目立つのに向いてねぇし。大体、天使なんてのは何千年も前から人間と共生してきたんだぜ。正生が思う程、衝撃はない」

「でも、でも」

「天使の能力が必ず目立つもんだとは限らない。イロモノ勝負しても長続きしねえよ」


 はっきり答えてやれば、全身の力を失ったようにだらりと座り込む。真っ赤だった顔を白くして、何も考えられないような表情をしていた。

 異能のために育てられたと面と向かって言われても然程ショックはなかった。俺を見つけた時、面倒な顔をして警察に連れて行こうとしていたのに、天使と知ってすぐさま態度を変えたのだから。漠然と見返りを求められているような気はしていた。敢えて気付かない振りをしていたけれど。


 世の中そんなに甘くない。他力本願で夢見がちな正夫のままでは生き抜くのは難しい。俺がどうこうしたって変わらないんだから、正夫自身が変わらなければいけなかった。

 俺の思いを他所にふらりと立ち上がると、正夫は部屋の隅に膝を抱えて座り込んだ。丸めた背中に落胆の字を貼り付けて縮こまる姿に、珍しく名前を呼んだ。


「だってさぁ……お前のこと、頼りにしてたんだよ。お前さえいれば、なんとかなるって」

「ならない」


 薄汚れた六畳半の部屋の隅で、小さく震えながら期待を口にするのは明らかに子供のようだった。

 天使が表立って活躍することが少ないのは数の問題だけではない。人間全てが天使に対して好意的ではないからだ。それは好奇にもなれば嫌悪にもなるし、憎悪に変わることだってある。

 できるだけ平和に、安寧に暮らしたい。派手さは要らない。他の天使は知らないが、少なくとも俺はそう思っている。


「嫌だ、もう頑張りたくねえよ……。面倒だ、疲れたんだ。世の中、嫌なことばっかりで。できる奴はどんどん豊かになってくくせに、オレはこんなとこでガキみたいにうずくまるしかない。情けねえよ、もう……タルい、価値ねえよ、こんな世界」


 ただひたすら弱音を吐いて、ついに鼻を鳴らして泣き始める。その姿はあまりに情けなく、男としても人としても目指したくない頂点だった。

 全てを投げ出したいと願うその背中に俺は声を掛けた。


「なあ、正生」


 それほどつらいというのなら考えないこともない。

 いっそ、楽にしてやろうか。


「この世界で、俺にはアンタに金をやることも、幸運にしてやることもできない。ファンタジーの超能力じみた派手な力も持っちゃいない」


 陰る隅で丸まる、見るに耐えない“親”だとしても、それなりに感謝はしているんだ。


「が、幸せにしてやることはできる」


 正生の貧乏ゆすりが止まり、部屋の空気が重くなる。

 壊れたロボットみたいな鈍い動きで、ゆっくりと無言で振り返る。その目は驚き以上の期待に侵されていた。

 その視線はぎらぎらと熱く、捻るように俺の身体に突き刺さった。


 もう終わるんだな。それもロクでもない終わり方で。

 予想と確信を抱えながら告げた問いが、長く俺の心を揺らす。


「幸せな夢を見たいと思うか?」




 転がっていたジャージに着替える。最近苦痛になり始めている仕事でも、俺が動かなければ成り立たない。というか住居兼職場だから逃げようもない。別に着ていたもののままでもいいが、昨日のそれと同じだとばれる訳にはいかないのだ。後のことを考えると着替えるしか選択肢はない。

 過去を思い出すと、特にあの頃を思い返すとどうしてかその日の自分とリンクして、今の自分がどこに居るか分からなくなる。鮮明に思い出せる分、その後の疲労は半端じゃない。着慣れたジャージでさえ一瞬着方を迷ってしまった。

 それでも一度呼び起こした記憶はそう簡単には止まらない。


 俺の異能に飛びついた正夫は無残なものだった。

 見たい夢を見せる力。明晰夢、というやつだ。薄ぼんやりと気付いてはいたが使い道がなく、このまま風化していくだけの気がしていた俺の異能。最初にそれを使ったのが正夫に対してだった。

 相手を眠らせ、見たいと望む夢を見せてやる。実際は夢を見たことがない俺にはその正確さは分からないが、それからの正夫は幸せそうにしていたから、あの頃から力を使いこなせていたのだと思う。



 何もかも思うがままの夢の中。美しい容貌と努力の要らないしなやかで強靭な肢体を渡し、金も女も事欠かないどころか有り余るほどにその手に置いた。

 異性からの焦がれる恋慕と、同性からの熱い羨望。むかつく上司は殺して見せたし、正夫に否定的な奴は登場すらさせなかった。

 天上のものとすら思えるような極上の食事と酒に明け暮れる、毎度が宴だった。

 退屈すれば、ファンタジーな戦場へ。サプライズが欲しいと強請られれば、夢に介入し予想外のイベントを起こしてやった。

 過剰なほどの充実と、スパイス以上のスリルと興奮を。遂に夢かすら分からなくなるような強烈さで、求められるまま与え続けた。


 そうして、正夫は死んだ。


 飲まず食わずの日々が続いたせいだ。俺の見せる夢は単なる夢と桁外れに、現実世界と完全に切り離されている。夢の中に居る間は、肉体がどうなろうと関係ない。痛みも空腹も感じないし、同時に夢の中で満たされてもそれは全て虚像でしかない。

 死ぬなんて思いもしなかった。俺の異能がこんな風に作用するなんて、どうして分かっただろう。――ただ、何かが起こる予感はしていた。

 次の眠りまでのスパンが徐々に短くなって、現実の話題への拒絶が激しくなってから、自分から話し掛けることはしなくなった。正夫の口から出る話題も次に見る夢の話のみ。

 幸助、と名前を呼ばれなくなったのは一体いつからだ? 同居人とすら呼べない関係に成り下がっていた。

 やがて、今までで一番長く濃いめくるめく時間を望んで眠り始めてから一ヶ月後、死んでいることに気が付いた。最後の言葉は覚えていない。その体温に触れたのもいつが最後だったか。もしかしたら気付くよりももっと早くに死んでいたのかもしれない。


 今のところ、まだ涙は流していない。



 軽い欠伸が出る。眠たいというよりは脳に酸素が足りないとか、そんな感じで。

 特に腹も減っていないし、このままでいいか。でも多分ばれるだろうな、そういうとこ鋭いし。世間で言う母親みたいに吐かれる小言をあしらうのも無駄に疲れる。仕方なくテーブルの上に投げてあったゼリー飲料を咥える。立ったままプラスチックの口を噛みながら、ぼんやりと薄いカーテンの先の光を見つめた。


 正夫が俺を、幸助と名付けたのはやっぱり。自分の幸福を助けて欲しかったからだろうか。答えは知れなくても何となく透けて見える。が、特に何も感じない。呆れも怒りも悲しみも寂しさも、ぼやけてそこにあるようで、結局のところ何も感じない。



 ――エンデュミオンは幸せだったのだろうか。若さと美しさと、与えられる愛のために死を選んだその人生は、果たして幸福なのだろうか。

 もしそれが幸福だというのなら、正夫も不幸ではなかったのかもしれない。最高の夢を見て、快感を浴びて、死の危機すら感じないままに永遠の眠りにつく。あんな最悪の終わりも、妥協するくらいはできるかもしれない。

 正夫のようになりたいとは決して思わないが。




 あの日から今日までの日々を振り返ると、総括すれば面倒な時間だった。

 息がないことを確認して、救急車を呼んで、あとは周囲とインターネットの情報に従って手続きを始めたところから、誤魔化しながらの生活が始まった。


 医者にはクライン・レビン症候群の疑いがあると言われたが、正確な死因は不明として処理されている。本当のことを言える筈がない。

 正夫のことだから俺の戸籍の手続きなんて端からしていないだろうと重い足で役所に向かえば、哀れな目を向けられたのは流石に痛かった。俺だって好きでその状態を手にした訳じゃない。

 もっとも周りの誰にも俺が天使であると話していなかったのは、正夫にしては良い判断だった。いずれ明かして驚かせようという魂胆だったのかもしれないが、お蔭で天使として好奇の目に晒されることはなかったから。

 両親への通知もしたが、俺を拾うよりも前に親子の縁を切られていたらしい。引き取り手の居ない御骨は共同墓地に眠っている。


 それからの毎日は精神的につらかった。天使の体は一度成熟すればあとは人並みに老化していく。そうなれば、どうせなら人間として過ごしたい。そのための戸籍を手に入れるのに二年の歳月を要した。


 まず記憶喪失だと主張し、家庭裁判所に就籍許可を申し立てた。記憶を失って倒れていたところを真木 正生に拾われたのだと。全く記憶は戻らなかったが世話を焼いてくれたその人が死んでしまって、やっと一歩踏み出す気になれたのだと。そういうシナリオを用意した。

 そこから二年間、病院に入院しての検査が延々と行なわれた。恐らく調べられていたのだろう、天使ではないのかと。


 人間に対する天使の割合は、二万人に一人。この町の人口は約四万だから、俺以外にもあと一人くらいは確実に居るだろう。天使であっても個人情報は守られるから確かなことは言えないが。

 もし既に一人見つかっていたとすればあの期間の拘束で解放されたのも頷ける。決して短くはなかったが。

 そもそも記憶喪失だと言う奴を捕まえて天使かどうかをどう判断するのか。多少ひやひやとはしていたが大きく構えていれば、病院側が折れてくれた。今後の回復の可能性が低いことと社会復帰を強く望んでいることを認められ、結果戸籍を手に入れた。――何と言っても人間としての証明書だ。これがあれば最低限生きていける。


 正夫が散々文句を言っていた政府のサービスも、この時ばかりは悪くなかったと思っている。記憶のない俺に対して、一般知識は備えているとはいえ社会への恐怖や不安があるだろうと就職の手伝いまでしてくれたんだから。

 記憶云々の前に学校に通っていなかった俺が、人との関係を簡単に築ける筈もなく。大きな責任やプライドといった面倒なものが必要なさそうなコンビニでのアルバイトを希望した。笑えるほどの呆れ顔を晒していた役人も、俺に企業や会社勤めは向いていないと判断して送り出してくれた。

 人の世話になるのもしんどいもので。あとは自分で応募して試験も真面目に受けた。そして正直に書いた記憶喪失の文字で何度もはじかれ、その度にやめようかとも思った。今思えばあのコンビニに入れたのも、もしかしたら奇跡みたいなものだったのかも。



 あのコンビニで働き始めて、バイト仲間だった友人の言葉に行動を起こさなければ、今もまだあのコンビニに居たかもしれない。そう思うと珍しく素直に感謝できる。

 水っぽい音を立てて、中のゼリーを飲み干す。粗末なごみ箱に投げ入れて、引いた椅子に腰を下ろす。

 印象を悪くしないよう必死で笑顔を作って店に立っていた初めを思い出すと、よくやれていたと思う。今じゃ絶対無理だ。窮屈でしんどい毎日だったが得られるものがなかった訳じゃない。


 開店時間まで大分あるし、奴が出勤してくるにもまだ早い。思い出なんて大層なものはないが、ついでに口うるさい友人との出会いも振り返ってやろうか。……こんなこと知ったら熱測られるかもな。

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