1-6 聖女、ゆるふわ勇者へ想いが募る
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星霜の大賢者チハチル。
数百年生きていると噂される地上最強の大魔術師だ。
魔術に関する知識と技術は神々を超えると噂されるほど。
ある時は火山を噴火させドラゴンの群れを退治し、巨万の富を得たとか。
またある時は野鳥の楽園を作るために島ひとつを空に浮かせたとか。
他にも脱皮して若返るだの、赤子に乗り移るだの、時を止めて若さを維持しているのだの、噂と伝説には事欠かない人だ。
実際は魔術結社の長が代々襲名しているだけで数百年生きている人物ではない。
伝説的なエピソードについても誇張された伝聞がほとんどだ。
どこまで事実かを知る者は、賢者当人の他にはいない。
それでも今の賢者は私よりずっと歳上であることは確実だ。
私が修道院に入ったときには、すでに何十年も魔術を教えていたようだから。
もちろん魔術の腕も私より上だ。
砦が崩れたにも関わらず人的被害が出なかったのは賢者のおかげだろう。
この人には頭が上がらない。
殺したいほどムカつくけれど私をここまで育ててくれた恩義ある師匠だ。
だからありがたい説教を文句も言わずに聞かねばならない。
大丈夫。
今は少し落ち着いている。
本気で魔術をぶっ放すような馬鹿はもうしない。
だって……
「おぬし、ゆーしゃに惚れておるな?」
だって、どう見ても私が悪いのに助けに入ってくれたんだよ?
説教中だというのにリラの勇姿を思い出して頬が緩む。
にぇへへへ……
「オイこらバカ弟子。みじんも隠す気ないじゃろ……」
ゴツッと鈍い音が降ってくる。
賢者の杖が脳天に振り下ろされていた。
たとえ見えていても避ける事は許されない愛の杖だ。
避けたら余計に怒られるだけだしね。
でも砦を半壊させたことについてはちゃんと反省しています。
本当ですよ?
「あれほど深入りするなと言うたのに、使命を忘れたわけではあるまいな?」
「使命のほうは忘れておりません。それについては毛頭守る気がないだけですのでご心配なく。身勝手とは思いますがひとつご容赦いただけませんか?」
挑戦的に睨み返す。
こればかりは賢者の怒りに触れようとも曲げることはできない。
「許せるわけないじゃろうが」
小さな胸から吐き出される大きなため息。
私の特製の薬を浴びて紫に染まってしまった髪の毛。
見るたびに笑え……見るたびに申し訳ない気持ちになる。
頭頂部で一纏めにしてお団子を作っているのも笑える。
髪の毛で身長を高く見せようとしても私の胸元までしか届かないんだもの。
正座させられた私は、その小さな賢者を見上げる。
でも、確かにこの人に師事して多くの魔術を学んだんだ。
記憶の混濁がひどいが少しずつ思い出されてきた。
姿形は小さくても私のただひとりの師匠だ。
「……まったくおぬしというやつは」
「そのため息は、了承と受け取ってもよろしいですね?」
なんだかんだ言って最後には私の意見を通してくれる。
通さなければ通すまでゴネるからだけど……。
魔術に関しては一目置かれているからできるわがままの通し方だ。
「そんな脅しまがいのことをしよって、聖女の名を汚すでないわ。
先代に申し訳ないと思わんのか。おぬしとは姉妹であったのじゃろうに」
ぅぐっ…今その名前をだすか。
でもそれくらいは予想済み。
私の良心に訴えかけようとしても無駄なことだ。
「彼女に顔向けできないようなことはいたしません。えぇ、誓っていたしません。
聖女に暗殺を命令するような国ならいっそ滅んでしまえばいいのです。
私はそんな破滅の未来を覆すために、勇者リラと時を共にいたします。
邪魔をするものは何人たりとも許しません。それが師である貴方でもです」
言い切ってやった。
きっと今、生まれてきてから一番にいい顔してる。
「おぬし、ようスラスラと言葉が出たのう。何度も練習したんじゃろう?
心意気はわかった。国がどうののくだりも聞かなかったことにしてやろう」
賢者は瓦礫の中から手ごろな椅子を探し出して腰掛ける。
まだ説教する気ですか……。
「……じゃがな、それができたら最初からゆーしゃ召喚になぞ頼らんかったわ。
現状を見据えてみい。わが国の民は、帝国の侵略によってヒヘイしきっておる。
これ以上戦うとなれば怒りはこちらにも向き、誰かが泥をかぶることとなる。
それを抱えて消えるのが、ゆーしゃの最後の役目であるとわかっておろう?」
乾燥した風が吹き荒んで塵を舞い上げた。
空気が悪い。
賢者の冷たい眼差しが怒りも呆れも通り越して、哀れみに変わった。
「やれやれ、わしが全て手配せねばならぬか……」
手配とはきっと邪神討伐のあとの勇者暗殺のことだろう。
誰がそんなことさせるものですか。
「私の力を見てくださいましたよね?
今の私と勇者なら、二人だけでも邪神を討伐せしめる自信があります」
「思い上がるのもいい加減にせい!
そうやって何人の聖女が散っていったと思っておるのじゃ。
相手はいにしえのアンコク神じゃぞ。人間ひとりふたりで倒せるものか!」
「私になら、私とリラにならそれができるんです!!
邪神を倒すだけの知識と経験と記憶があるんです!!」
言い返されればすぐさま反論する。
昔もこうして何度もやりあった。
何度も同じことを言わせるな、古い理論を聞くのは飽き飽きだ。
小娘の癖に生意気だ、小さいくせに生意気だ。
お互いに引くことを知らなかった。
大抵の場合、正しいのは賢者のほうだった。
だが今は違う。
「おぬし暑さで頭をやられたのか、それともやはり酒か。
下戸なのだからあれほど飲むなと……!!」
ありがたい説教の間ずっと考えていた。
砦を半壊させた私の魔力の暴走の原因は何なのかを。
気付かぬうちに急激な魔力の上昇が起こっていた。
普通ではありえないことだ。
身体を鍛えることで足も速くなるし魔術も強くなる。
それが普通だと思っていたが、それは間違いなのかもしれない。
魔力とは魂から来る力だと、うさんくさい屍術師の本で読んだ事がある。
あの時は馬鹿にしていたが魂に力が宿るというのはありえるかもしれない。
魂を飛ばされるまではそんな発想にいたれるわけがなかった。
「師匠……魂の旅をしたと言ったら信じてもらえますか?」
片眉を大きく上げいかにも不信を示す。
「魂のたびじゃと?」
「……魂を過去へと送り返す禁呪です」
もったいぶっても仕方がない。
私は賢者に掛けられた禁呪のことを話した。
それが不完全なものだったことも、しっかりと付け加えて……。
「おぬし、禁呪をどこで知った? んん!? 今、誰が使ったと言った?
わしか? わしが禁呪を使ったのか? その……別次元の賢者が」
「おかげで私の記憶は無秩序状態です。こうなったのは賢者チハチル……あなたのせいでもあるんですから、責任を感じてどうぞ私のわがままをお許しください」
賢者は混乱している。
だが、しばらく唸っていると客観的事実から理論的な結論に至ったようだ。
導き出される結論は、きっと私の推論と同じはずだ。
「記憶と一緒に魔力もユウゴウしたのではないかと、そう言うのじゃな?」
大きく首を振って肯定する。
急に魔力が二倍、三倍と膨れ上がるなど他には考えられない。
これだけの力を自在に操れれば何でもできてしまいそうだ。
「少しは弟子を信頼して未来を託そうという気になりましたか?」
「なるわけなかろうが! おぬしの魔力がいかに伸びようとも未来は変わらぬ。
泥をかぶる役目が、ゆーしゃからおぬしに切り替わるだけじゃろうが」
「そこを何とかするのが聖女と勇者に与えられた真の役目と思いますが?」
「そう思うのなら、じせー心を働かせたらどうなんじゃ。
おぬしは頭の中身に難があるから聖女こうほから外されたんじゃろうに……」
残念なものを見る目つきで大きな大きなため息をつく。
私の弱点を的確に抉ってくる。
今は以前よりずっと賢く、ずっとおおらかになっている自信がある。
ゲームのことしか思い出せないが別世界の記憶のおかげで広い視野が身についたと思うのだ。
「今や私には全てがわかるんです。何をすればいいかもハッキリと!
未来の記憶も、それ以上の知識も手に入れたんです。
これは酒を飲んで見た幻覚でも、思いつきで話す妄言でもありません」
身についたのは視野だけではない。
攻略法だって身についている。
「私と勇者が戦闘を一瞬で終わらせれば、戦いの被害を最小限にできます。
解放軍を民衆の支援へ回すことで、精神的な回復にも力を注げます」
民衆の支持を集めながら帝国を追い払い邪神を討伐する。
それがグッド以上のエンディングを迎える前提条件だ。
「結局、取って代わられると危惧した女王派に消されるだけではないか」
いくら賢者であってもすぐに理解してもらえるとは思っていない。
「私たちが女王に成り代わるつもりはありません。
泥を被る気もありません。真に民衆に支持される王を据えてみせます」
「民衆も女王もナットクする王族など残っておるものか」
私がこの世界で目指すのはトゥルーエンド以上の結末だ。
こんなところで躓いてはいられない。
やるしかない。
賢者の知らない未来を私が実現してみせるしかないんだ。
「私が解放軍の旗印に据えるのは、先の戦役で死んだと思われた第一王子です」