1-4 聖女、ゆるふわ勇者に誘惑される
◆◇
「これってセイカの服だよね。お香の匂いがする。えへへ~、いい匂い」
リラは着替えながらも私にちょっかいをかけてくる。
匂いフェチなのかずっと鼻を鳴らしている。
『リラ、それは焼け落ちた家の焦げ臭さだよ。お香なんて可愛いものじゃない』
などと言える訳もなく、冷たく素っ気なく振舞う。
「どこで誰が聞いているとも限りません。お静かにお着替えください」
じゃれつきたいのはこっちだって同じだ。
リラのは無邪気で、私のは邪な気持ちだから、真逆ではあるのだけど。
そんな邪な気持ちを追い出すようにベッドに腰掛けてひとつ深呼吸。
心を落ち着けて髪を梳き始めるが、一向に櫛が入っていかない。
「んー、ちょっとブカブカかな。あ、でも胸はきついかも」
いい加減にしないと実力行使で黙らせるよ、勇者様。
ついつい髪を梳いていた手に力が籠もってしまう。
私の重苦しい黒髪は針金のように太く真っ直ぐで色気の欠片もない。
従軍治療師として慌ただしい生活が続いたせいで、いくら梳いても引っかかる感じがした。
それに比べてリラの髪は軽く空気を纏っているように見える。
耳元までは真っ直ぐで、そこから肩にかけて毛先がふわふわと遊んでいる。
寝る前に髪を結っておくとあのようにふわりと広がるらしいが、私がやるとゴワゴワと広がるだけになる。
なんだろうこの差は……?
おのれ勇者の毛質。
「セイカってば、いつもそんな目で人を睨むの? ちょっと怖いよ?」
「申し訳ありません。櫛が髪に引っかかっただけですので……」
山奥の修道院に入れられて、朝から晩まで魔術修行してた頃を思い出した。
そこは結婚相手のいないような問題ありの子女たちが送り込まれる修道院だ。
聖教会所属の治療術師――聖女になるための山寺と言ったところだ。。
人付き合いの苦手な私は、他の聖女候補たちと友人になれなかった。
変にライバル意識が強かったんだと思う。
そのうち実力に差がでてくると上下関係が生まれるようになっていった。
エスカレートして主従関係に発展するものまでいた。
窮屈な生活の中で女同士の嫌な部分をたっぷりと味わった。
「今度は難しい顔してる。セイカってば友達少ないでしょ?」
やっぱりこの子は人の心を読めるんじゃないだろうか。
あまりにも目つきが悪くてデッドリーポイズンなんであだ名されたことは絶対に隠し通そう。
絶対にからかわれる。
「では勇者様がなってくださいますか?」
「なるよ~なるなる。友達なるよ~」
ちなみに私は修道院で主従関係の主のほうにされていた。
やたらと引っ付いてくる子がいただけで、私にその気はなかったよ?
リラもその引っ付いてくる子にどことなく似ていた。
私以外に話相手がいないからベタベタしたくるのは必然だと思うけど。
「では新しく友となったリラにお願いがあります。
女王との謁見では威厳と礼節をお忘れなきように。
友に恥をかかせるようなことはありませんよね?」
「あはは、面白いよセイカ。わたしそういう面倒な言い回し嫌いじゃない」
屈託のない笑顔でウインクまで飛ばしてくる。
本当にわかっているんだろうか。
これから女王との謁見を済ませて、解放軍の編成をしなきゃいけないんだ。
今現在、王国は崩壊寸前だ。
国内の混乱に乗じて他国の侵略を許してしまっている。
勇者の実力をお披露目して有能な部下を集めなくてはいけない。
戦闘は私と賢者がいればどうにでもなるけど、侵略された都市に赴き民衆を解放するには人当たりのいい優秀な人材が必要になる。
私は一度は聖女候補から漏れたおちこぼれだ。
人付き合いなんてものも極力したくない。
矢面に立つのはまっぴら御免である。
「……セーイカ、セイカってば」
旗印を勇者ひとりに背負わせれば良いかと言えば、そういうわけでもない。
どんなに民衆のために戦ったとしても、所詮よそ者はよそ者。
脅威と取られれば、勇者は黙って去るしかない。
リラには要求が高いと言われたが、その期待に応えてもらわないと私が困る。
勇者が無双しても、私が無双しても、幸せな未来はやってこないのだ。
「全然聞いてないし、また眉間にシワ寄ってるし、あんまり無視すると耳齧るよ?
ちゅーしちゃうよ? いいんだね? 知らないよ?」
思考の渦に巻き込まれていた私に、突然のキス攻撃が襲い掛かってきた。
「んんぅ!?」
なっ、何事!?
キス……されてる!?
「びっくりした~? こうでもしないと話聞いてくれなさそうだったから」
そう言って今度は耳を齧ろうとした。
ちょっと何がしたいの!?
「セイカずっとひとりで考えてる。わたし、そういうの良くないと思う」
「も、申し訳ありません。聖女としてやるべきことを考えて……」
「そういうの今はいいからさ、何が心配なのか話してよ。
困った人を助けるのが勇者の仕事なんじゃないの?」
リラの小さくて細い指が絡んでくる。
何を話せというのだ。
私は未来からやってきて自分の運命を知っていると言えばいいのか。
勇者を殺すか自分が死ぬかの破滅の運命しかないと言えばいいのか。
言えるわけがない。
私は自分の未来を守りたいんだ。
そのためには国の未来も勇者の未来も守らなくちゃいけない。
「ほらまた眉間!」
シワの寄ってしまった眉間にリラはぐりぐりと頭を押し付けてくる。
「勇者として呼ばれたんだから、わたしだって少しは頼られたいよ?」
見開かれた深紅の瞳に射抜かれて、私は身動きが取れなくなった。
「わたしが救う民衆の中に、セイカは含まれていないの?」
リラが甘い言葉で囁いてくる。
一周目の私ならきっとこのまま勇者任せにしてしまっていたと思う。
たとえ勇者を殺すことになっても構わないと自棄になって。
そして後悔するんだ。
運命の人を失うのがどれほど辛いことかを思い知って。
「んっ」
リラのほうから唇が重ねられた。
「……リラ?」
これは勇者としての慈悲?
小悪魔の誘惑?
友としての優しさ?
「この後、女王との謁見が……」
「それはさっき聞いたよ」
鼻の頭が触れ合ったまま絶妙な距離を保たれる。
「誰がどこで見聞きしているか……」
「それも聞いた」
吐息が触れ合う距離。
けれど大きな溝がある。
私のほうに踏み出せない大きな溝が……。
「話してくれないの?」
私は勇者にすべてを打ち明けることができるんだろうか。
いきなり全部は無理だけど、少しだけ……頑張ってみよう、かな?
「……謁見が終わったら、少しお時間いただけますか」
「うん! 待ってる」
私はリラの誘惑に負けることにした。
ほんの少しだけ、今だけ、唇に触れる感覚にだけ意識を集中していたい。
未来のことなど投げ打って溺れてしまいたい。
でも、それをできない小心者が私だ。
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そんなこんなで無駄に時間が掛かってしまった。
着替えを済ませたリラを連れて女王の謁見所へと向かう。
ここでは勇者の力を見せ付けて優秀な部下を集めるのが目的だ。
ほわほわしているリラにも威厳たっぷりに振舞ってもらってもらわなければならない。ぽかんと口を開けて、間抜けな顔を晒されては困るのだ。
と、口を酸っぱくして言ったのに、間抜けな顔を晒したのは私のほうだった。
「女王の横にいるのは……賢者様、ですよね?」
「目を悪くされたのですか?」
衛兵の一人に聞くと賢者以外の何者だと言うんだと怪訝な顔をされる。
その顔をしたいのは私のほうだ。
「どうしたのセイカ?」
私は激しい頭痛に苛立ちを隠せなかった。
私の知っている賢者は夜な夜な女漁りをする色ボケジジイのはずだ。
勇者を色街に連れ出しては悪い遊びを教えるダメな師匠だったはずだ。
どう見ても子供じゃないですか。
九歳くらいの女の子が偉そうに腕組んで私に冷たい視線送ってきている。
またか!
また禁呪の影響か。
未来の記憶も別世界の記憶もあるのに、今現在の記憶がないなんて……。
過去に戻れるなら賢者の顔を一発ぶん殴ってやりたいと思った。