4-8 聖女と勇者と神と鍵(前編)
◆◇
「さてどうする白き者よ。神を相手に一人で抵抗を続けるか?」
邪神の問いに、リラは攻撃で答える。
白い髪をなびかせ風のように駆け抜けた。
メイスの重い一撃は、鋼鉄のように硬い邪神の身体を押し潰し砕け散らせた。
リラならきっと大丈夫。
私がいなくても軽々と邪神を倒してしまう。
けれど私がいたらそれは叶わない。
お互いに攻撃力が極まっている状況で、勝敗を決するのは生命力だ。
魔力の供給源の私を潰しさえすればすぐに終わる。
こんなことになるなんて……。
私が自分で決着させようとしたのが全ての間違いだったんだわ。
自分で戦いの場に出て、身の破滅を引き寄せた。
結局、前と同じ結果になるのね。
私は自分の命を絶つことしかできない運命なんだ。
胸の痛みが強くなる。
悲しみから来るものなのか、邪神の欠片が影響しているのかはわからない。
黒い霧に包まれ強いめまいが襲ってくる。
邪神は私の身体を包み込むように自身の肉体を再生させていく。
肉に埋もれて身動きもできなくなる。
でも、もうどうでもいい。
心地好いまどろみに落ちていく。
「黒き者よ、我が胸で眠るがよい。死は平等に与えられる。
我が魔力となり永久に生き続けるとも言える。好きに解釈するが良い。
すぐに白き者も取り込んでやろう。人はひとりでは生きられぬというからな」
絶望から逃れるための思考停止。
暗黒神の甘い誘い。
このまま眠ってしまいたい。
「だめぇええ!!」
リラの叫びがこれまでにない強い光を生み出した。
放たれた神聖な光は邪神の肉体を焼き払う。
「セイカ! まだ諦めちゃダメだよ!!」
邪神に取り込まれた私に向かってリラが飛び込んでくる。
暗黒力で満たされた邪神の肉体を引き裂き、真っ白な光を届ける私の天使。
「……リラ、私ごと邪神を倒して全てを終わらせて」
リラは全身から光を発していた。
目を閉じても感じる強烈な存在感。
賢者たちと同じように命を燃やして力に変えている。
「どうして逃げるの? 何も言わずにさよならするつもり?」
私は無駄に力を使いすぎた。
あとは邪神に命を吸われてあとは朽ちていくだけ。
リラの笑顔をもっと見たかったな。
「安らかな顔で祈るのはやめてよ。
わたしたちはまだ終わってないんだから!」
膝を付いた私に白い手が差し伸べられた。
小さくて柔らかな勇者の手。
握り返せば破滅の運命に引きずり込んでしまう。
その手が握るべきは賢者から受け継いだ世界を救う鍵だ。
「リラ、この剣で邪神を打ち倒して」
そして世界を救って。
できることならその鍵を使って元の世界に……。
リラの手が伸びて……瞬間、火花が散る。
!?
頬がゆっくりと痺れと痛みを訴えかけてきた。
そこで事態を理解する。
「えっ? あっ……何で?」
「恋人が諦めて死のうとしてたら引っ叩きもするよ!
逃げないでよセイカ!!」
「でも……私がいる限り邪神は倒せないわ」
「すぐに結論出して諦めちゃうのはセイカの悪い癖だよ。
わたしはまだ諦めたくない。まだやれることはあるはずだよ!」
強く揺さぶられても頭は冴えてこない。
何をしたって私の運命は変わらないんだ。
暗黒の気が私を中心にして集まってくる。
何度やっても同じことの繰り返しだ。
結界も悲鳴をあげている。
次の一撃で決めなければ結界が崩れて帝都が滅びかねない。
「どんなに辛いことがあっても、わたしはセイカをひとりにしないよ。
嬉しいとき、楽しいときと同じように、悲しいときも一緒にいたいよ」
それはまるで夫婦の契りのような宣言で……胸の痛みが強くなった。
「ねえ、セイカ……最後の加護を授けて。命がけの悪あがきをしようよ。
セイカの身も心も全部、わたしに預けて欲しいんだ」
「そんなことをしたらリラまで死んでしまう。
私ごと倒せば済むことじゃない。大丈夫、死ぬのは初めてじゃないから」
リラは咎めるように私の唇を噛んだ。
「わたしを信じて、絶対に諦めないで」
「私ごと邪神を消滅させて……」
「諦めないでよセイカ。またわたしが誰だか忘れちゃったの?
わたしは勇者リラだよ。世界を守り、セイカを助ける勇者リラだよ」
私だって諦めたくない。
でも無理なのよ……。
私は嫌々と首を振るがキスで押さえつけられる。
「早く離れて、このままじゃリラまで取り込まれてしまうわ」
「わたしを信じて……大好きだよセイカ」
触れ合った唇と唇。握り合った手と手。
暗黒に飲み込まれているはずなのに、はっきりと映る白い髪の少女。
リラの瞳には私が映っているだろうか。
最後の力をすべてリラに流し込む。
「私もよリラ。愛してるわ」
身体の感覚がなくなっていく。
触れ合っていた手の温もりも、唇の柔らかさもすべて消え去った。
再び邪神の体内に取り込まれてしまった。
もう、リラを癒してあげることもできない。
『わたしの中の勇者の加護。どうかわたしの願いを叶えさせて』
真っ暗な中に声が響く。
頭の中に響いてるみたい。
『戦う以外の才能がないのはわかってる。でも今、どうしても必要なの。
だからお願い。大好きな人のために力を貸して……』
これはきっとリラの心だ。私を助けようとしてくれている。
そうして欲しいと願っている、私の幻聴かもしれない。
『セイカはわたしが死なせない。だから、信じて諦めないでいて……』
リラの唇が触れた気がした。
「不安が見て取れるぞ、白き者よ。安心しろ、その感情も食らってやろう。
我が破壊は平等に与えられる」
「手も足もでなかったくせに。まだそんなに強気なの?」
「黒き者の一撃には驚かされたが、その力の源は我の欠片であった。
このような僥倖に巡り会えたことを我も神に感謝せねばならぬか?
いいや違う。これこそ我が願いが引き寄せた運命だ。破滅の始まりだ」
「勇者の力は怖くないって言うんだ?
わたしはね、大好きな人を守るためならどこまでも強くなれるんだよ」
(ダメよリラ。邪神の言葉なんて無視して。ただの時間稼ぎよ)
暗黒神は今もなお威圧的な態度で大きく構えている。
リラにやられた肉体もすでに再生しきっている。
一方的にやられていたのもきっと見せかけだ。
塵のように小さくになって逃げ回っていたに違いない。
(……あれ? どうして邪神の姿が見えるの。私は体内に取り込まれているはず)
黒い霧の向こうに外が見えていた。
それもリラの視界を通して、向こう側から覗いているような不思議な感覚。
「セイカのくれた勇者の力と、セイカの中にあった邪神の力。
どっちの力が強いか、どっちの願いが本物か試してみようか。
耐え切ったらそっちの勝ち。消し飛ばしたらわたしの勝ち。簡単でしょ?」
リラは聖剣を掲げ暗黒神を挑発していく。
私の中から力が吸い上げられていくのがわかる。
暗黒神も最後の一撃だと覚悟しているようだ。
(リラ、お願い。勝って……)
私は祈ることしかできない。
『セイカにもまだできることがあるはずだよ。
魔術の苦手なわたしにだって、命を燃やす術が真似出来たんだよ?
賢者の弟子のセイカならそれくらいちょろいでしょ?』
リラの幻聴は私まで挑発してきた。
心の奥底でくすぶる何かに火がついた。
どうせ最後だと思って抵抗を試みる。
暗黒神の内側で聖なる力を練り上げていく。
命を燃やして力に変えて、リラの攻撃に合わせて爆発させよう。
『やっぱりセイカはそうでなくちゃ!』
頭に響くリラの声も明るく弾む。何故だか死なない気がしてきた。
「これが最後の一撃だよ。絶対セイカを返してもらうからね!」
勇者は聖剣を天に向けて構え、精神を集中させる。
掲げた剣に力が宿り、聖なる光が湧き出してくる。
勇者の放つ奇跡の光は、悪を滅する破邪の力となる。
「《神聖なる輝きの訪れ》」
聖剣が星の輝きを溢れさせ膨張しながら辺りを照らす。
「生命そのものを力とするか。やはり人間は面白い。何がそこまでさせる?
良いだろう。その執念も全て受け入れ、飲み込んでやろう!」
暗黒神の硬化した皮膚が何層にも織り込まれ繭を作り出す。
私から力を吸い上げ瘴気を撒き散らし、光を阻害しようと迎え撃つ。
八人が命を糧にして作り上げた結界が、ひび割れ、震え、悲鳴を上げている。
「この光は……なんという波動じゃ」
「勇者様、結界がもう持ちません!」
リラの手に握りこまれた流星の輝きは、全てを飲み込み消し去っていく。
持てる全てをつぎ込んだ必殺の一撃。
私はリラに呼吸を合わせて浄化の力を爆発させる。
命の炎で練り上げた力。
(リラが信じさせてくれたから、私は諦めないわ)
「セイカ……愛してるよ」
リラは振り上げた光の剣を一直線に振り下ろした。
「《勇者の一振り》」
圧倒的な質量を持った光の柱が倒れ込み、悪しき力を噛み砕いていく。
何層にも防御をめぐらせた暗黒神の身体を磨り潰す。
光の剣は全てを飲み込み崩壊させ、無へと還していった。
あとには何も残らなかった。




