4-2 聖女と法と剣と王冠
◆◇
「おや、聖女代理殿。
式典で見かけなかったが君は出席しなくていいのかい?」
「貴方こそ帝国側の代表として顔を出さなくてもよろしいのですか?」
厩舎から戻る途中、中庭で一人休んでいるマール将軍と出くわした。
大広間では戴冠式の真っ最中のはずだ。
彼も今日ばかりは鎧を脱いで儀礼用の軍服を纏っている。
特徴的な長髪も束ねて邪魔にならないようにしていた。
「式は滞りなく終わったよ。俺も先ほど挨拶を済ませたから出番は終わりだ。
今は楽隊の奏でる曲を聞きながら昼食会の準備を待ってるのさ」
「そうなのね。知らなかったわ」
昼食会をやることも知らなかった。
せっかくだから参加しておくべきだったろうか。
いや、いまさら考えても仕方がないな。
どうせ解放軍からは抜けるんだ。
未練を残さぬように躊躇うことなく立ち去ろう。
私が引き込んだ将軍や法皇には悪いけど、お先に抜けさせてもらうわ。
「西方将軍も反乱を起こすだろうという話を聞きましたよ。
マール様のおかげで無駄な争いを避けられて、新王も喜んでおられるでしょう」
「ディアボラ陛下と話をできないままで、俺としては複雑な気分なんだがな」
「大丈夫。解放軍と共に進めば対話する機会は必ず巡ってきます」
「君が言うのならそうなんだろう。
先を見通す目は本物だと信じているからね」
「殿下の強い意志と解放軍の力を知れば子供にでもわかることです」
いい男に褒められるのは悪い気分ではないが、持ち上げられすぎても困る。
また何か政治の材料にでもされかねない。
私はもうやりきった気分でいたので、何もかもが煩わしかった。
「せっかくだしユノも呼んでくるよ。あいつの話を聞いてやってくれ。
君には感謝してもしきれないと、何度も聞かされて参ってるんだ」
「恋人の貴方が参っているものを私に押し付ける気ですか」
「彼女の謝罪と感謝をしっかり受け取ってくれって話さ。
なんでもいいんだ。彼女の気が済むように難題を押し付けてくれてもいい」
法皇ユノは暗黒の力に溺れかけていた。
恋人の死を知らされ絶望し復讐に燃えていた。
気持ちが揺れていると察知したのはリラだ。
私はただ話を聞いて、思い違いだと教えただけ。
これからの王国に必要だから頑張ってみただけ。
「難題に近いものは、もう言ってあるのですけど……。
王国のためにマール将軍と一緒に働いて欲しいと」
「それは当然のこととして受け入れているよ。むしろ恩情だと感じてるくらいだ。
もっと普通では受け入れ難い、君のためになったと確信できる何かを」
これだから真面目な聖職者は困る。
止められない将軍も将軍だ。
実害は出ていないのだから軽く流せばいいのに。
「それでしたら……聖母ユークリアを養女に迎え入れてはもらえませんか?
あの子は複雑な事情を抱えておりますので、マール様さえ良ければですが」
「聖母と法皇の縁組か。
また思い切ったことを提案するものだな」
ユークリアは亡き先代聖女の娘で父親を知らない。
天涯孤独と言っていい境遇だ。
放っておけば聖教会にいいように使われてしまう。
私はそれを見過ごすのが嫌だった。
他に生き方を知らないユークリアが騙されたまま閉じ込められるなんて……。
本人に何も言ってないけれど私の最後の願いならきっと聞いてくれるはず。
「あの子には普通の人と同じ幸せも知って欲しいのよ。
使命に生き甲斐を感じて人々のために生きることも尊いことだとは思うけど」
「君の理想は高すぎるんだ。力を抜かないと身体を壊すぞ」
「できることをやらないでおくのも気分が悪くなるから……」
「難儀なお人だ」
やれやれと頭を振る将軍。
本当にそう思う。
どうして私は素直になれないのか。
好きな人を好きと誰の前でも胸を張って言える法皇がうらやましいわ。
「お二人で何の話をなさっていたの?」
なんて噂をすればご本人登場。
儀礼用の肩掛けで着飾った法皇ユノがマールを探しに来たようだ。
二人は流れるように抱きしめ合って口付けを交わす。
帝国の人は皆こうなのかしら。
鼻の触れ合う距離で見つめ合い、お互いに愛しさを表現し合っている。
何なの。この睦事を始めそうな雰囲気は……。
幸せなのは伝わってくるけど、この二人にユークリアを任せて平気かしら。
うらやましく思う反面、人目は気にして欲しいとあきれてしまった。
「なぁユノ、子供は欲しくないか?
セイカ殿の提案なのだが、ご友人を養女に迎えて欲しいと頼まれたのだ」
「それは私の子として養女を迎える、ということでしょうか」
「俺と君の、だよ。俺たちの子として育てるんだ」
「それって……」
「あの時の約束をもう一度やり直そう。俺と一緒になってくれないか」
ユノの前に跪き手を差し出すマール。
喜びに表情を綻ばせ手を握り返すユノ。
二人は再び抱きしめ合い濃厚な口付けを交わす。
「愛してるわクァラス」
「俺もだよユノ、愛してる」
一連の流れを見せられて、私はどう反応したらいいのかわからなかった。
「……おめでとうございます」
精一杯の笑顔で言葉を振り絞るその瞬間、少しだけ大人になった気がした。
「ありがとうセイカ様。きっと貴方にもこんな気持ちになる日が来るわ」
マールが死んだと誤解していた初対面の時とはまるで違う柔らかい表情。
これでいい。
私が頑張ってきたのは、きっとこういう顔のためなんだ。
周囲の人々が幸せを掴めば、勇者や聖女を暗殺するなんて話はでないはずだ。
「それで……養女に出したいご友人、というのはどんな方なんでしょう?」
法皇ユノは真面目な顔つきになって向き直る。
ようやく話が進みそうだ。
「私の親友だった先代聖女の娘で、当代の聖母ユークリア様です」
「ユークリア様とは先ほど式典におられた東方聖教会の代表者の?
それはまた大胆で、奇抜な……いえ、なんとも言葉にしがたいお話ですわね」
法皇が言葉を失うのも無理はない。
王国の聖教会(東方)と帝国聖教会は、元は教区が違うだけの同じ組織だった。
それが今ではそれぞれが独立して隆盛している。
もし国と同様に統一されることになったら権力闘争が起きるだろう。
聖母と法皇は代表の座を争うことになるかもしれない間柄だ。
「私たちにユークリア様をお守りし、補佐しろと仰るんですね」
「貴方たちなら権力に振り回されない。むしろ権力側の心構えを教えられる。
どう生きるかは彼女自身が決めるべきだけど、選べる道は多いほうがいいから」
「利用されているようには見えませんでしたよ。
聖母として立派に活動なされていました」
「今はまだ好きにやらせてもらえているのでしょう」
「確かに、組織が統一することになれば思惑が動き出すかもしれませんね」
法皇は納得した様子で深く頷く。
一緒に力を合わせて守っていこうとマールが肩を抱く。
「それではよろしくお願いします」
ユークリアの説得や周囲への対応も全て、二人に任せて投げ出してしまうことをお許しください。
誠実さに欠ける謝罪を頭の中で述べながら二人を見送った。
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今日は晩餐会も予定されているようだ。
城内の侍女たちがそんな話をしているのを耳にした。
フィル新王に旅立ちの挨拶をする時間が作れるか不安になってきた。
「晩餐会もご欠席ですか聖女殿」
振り返ると首元が大きく開かれた夜会服に身を包んだ金髪の女性がいた。
力強く引き締まった筋肉と女性らしい凹凸が同居した魅惑の曲線美。
声を掛けてきたのは帝国聖教会の騎士システィナだった。
あの肉体を手に入れるのにどれだけの鍛錬をしたんだろう。
私には見当も付かなかった。
「あまり見ないでくれないか。こういう服は着慣れていないんだ。
剣を振り回す乱暴者が張り切ってこんな格好していてはおかしいでしょう?」
「見蕩れていたんですよ。それだけ魅力的だったんです。
フィル新王は幸せ者ですね。こんな素敵な人がそばにいて……」
「いやっ、何を言うんですか聖女殿。彼とはまだ……」
こんな凛々しい女性でもあたふたとするものなんだな。
微笑ましい気持ちになった。
まだ、という言葉にも気持ちが見え隠れしていていじらしい。
これからは関係を発展させたい、ということだろう。
「私は帝国の人間であるし、父は大将軍だ。
王国がどうなって行くかもわからない。到底叶わぬ恋なんだ」
「けれど諦めるおつもりはないのでしょう?
お父上は立場のある方ですから、討たれる覚悟までなさっているでしょう。
その戦いはお二人が乗り越えるべき最後の壁です」
彼女とフィル新王がどうなるか、私はすでに知っている。
統一王国を作り上げた二人は結婚して末永く幸せに暮らす。
私の目指した最高の結末だ。
「あなたはわたしに父を討てと言うのか……」
「どうなるかはわかりませんが、その可能性もあると心得ておいてください」
「厳しいことを言うんですね」
結末はわかっている。
だが、父と戦わなければならないシスティナの気持ちまではわからない。
大きな課題を背負ったシスティナの消え入りそうな背中を見送った。
あれでは晩餐会の豪華な食事も喉を通らないだろう。
彼女を支えるのはフィル新王の役目だ。
伝えなければならないことばかり増えていくような気がした。
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晩餐会も終わり、夜も更けてきた頃。
解放軍を抜けて隠居することを伝えるためにフィル新王の執務室を訪ねた。
「仕事しながらでも構わないかな、軍師殿。
処理しないといけないことが多すぎて、君に手伝って欲しいくらいだよ」
戴冠式から晩餐会まで新王としての初めての公務があったにも関わらず、衣服も姿勢も緩めることなく山積みの書類と戦っていた。
「もう私がお手伝いできることはもうありません。
これからの王国を指揮していくのはフィル新王、貴方ですから」
「君は極端すぎやしないか。僕か君の二つしか道がないわけじゃないだろう。
君が軍師として仕えてくれたならどれだけ心強いことか」
フィルは私を軍師と呼び、しきりに褒めようとした。
ロビーナ様以上に王族らしい心理戦に強い知性派なようだ。
「私も引き継ぎの内容を書面で提出しましょうか?」
「君にはぜひ残ってもらいたいんだが、どうしても行くのか?
砂漠向こうの強国の話は聞いているだろう?」
書類に目を通しては署名して、澱みない動きで仕事を片付けていく。
「帝国が同盟を支配下に置こうとしたのも強国に攻め入られないためだ。
同盟といえど一枚岩ではない。その不安を解消したかったんだろう」
「その心の隙を術師ランデールと暗黒神に突かれたわけですね」
「暗黒神も今はまだ人心を操るだけに過ぎない。
だが大賢者チハチルの見立てでは、受肉して暴れだす日が近いそうだ」
手を止めて大きく息を吐き出すフィルから深刻さが伝わってくる。
心配する必要はない。
暗黒神の影響は全てなくなる。
最後の仕事として私が片付ける。
「ご安心ください。勇者が役目を果たしますし、私も全力を尽くします。
ただひとつお願いしたいことがございます。邪神討伐を成し遂げた暁には……」
「あぁ、構わないよ」
???
まだ何も言ってませんが。
「わかっている。解放軍を抜けて聖女の職を退きたいのだろう」
虚を突かれた私にフィルが続ける。
何もかも筒抜けで怖くなるが、私ももう隠してはいない。
真正面から欲求を通そう。
「それもありますが……」
「特別な褒美が欲しいと言うわけだな?」
「はい。どうか役目を果たした勇者と共に旅立つお許しを頂けたらと……」
新王はどこまで考えているのだろう。
大きな被害なく王国統一が済めば、砂漠の強国もうかつに攻め入ってくることはなくなるはずだ。
そうなると勇者と聖女を偵察のために派遣しなくてもよくなる。
つまり私たちが解放軍を抜けても問題ないはずだ。
「なんだそんなことか。構わない。それも好きにするといい」
「えっ? あっはい。ありがとう……ございます」
なんともあっさり了承を得られて、予想外のことに力が抜けた。
「元より勇者は王のものではないし、君たちを止める手立てもこちらにはない。
君には僕にもしものことがあったとき、王国を引き継いで欲しかった。
だが、これ以上を望んでは父から受け継いだ王の名に傷が付く」
話が早くて助かるが何か裏があるのではないかと思ってしまった。
引き止める利益より危険のほうが大きいと冷静に判断したんだろう。
私たちが王家に危害を加えないと信じるほかはない。
もちろんしないけど。
「申し訳ありません。ただ一度のわがままをお許しください」
頭を下げるなんていつ以来だろう。
フィル新王は快く受け入れてくれた。
「愛に生きるのが女性の美しさの秘密だと聞いたことがある。
君もそうなんだろう。とても輝いているよ」
「その手の言葉は一番大事な人に向けてください」
「王国民は皆大事な僕の宝だよ」
気取った仕草だが朗らかに笑う姿は王者の風格を感じさせた。
去り際にこれから起こるであろうことを記して渡した。
王国統一までに起きる戦いのこと。システィナの父が退かぬであろうこと。
それを乗り越えて結ばれて欲しいという願いも。




