1-3 聖女、ゆるふわ勇者にキスをする
◆◇
「……泣いてるの?」
ふいに声を掛けられ心臓が跳ね上がった。
白い勇者だった。
「お目覚めですか、勇者様」
自分でも驚くほど冷静に喋れたと思う。
「この度は呼び声にお応えいただき感謝いたします。どうか我々の導き手となって民衆の窮地をお救いくださいませ。私はセイカ・ハインテル。勇者様に加護を与え征伐のお手伝いするために参りました。どうぞよろしくお願いします」
白い勇者は顔を突き出して私の顔を覗き込んでくる。
顔が……近い。
「えっと、セイカ…ね? こちらこそよろしく?」
宝石みたいな赤い瞳で真っ直ぐ見つめてくる。
瞬きすると白い睫毛が揺れて……
「それじゃ……わたしをここに呼んだのってセイカなの?」
あどけなさは残るものの、柔らかさより活発さを感じる澄んだ声。
はっきりと意味のわかる言葉が聞こえてきた。
どうやら迎えの加護は正常に機能しているようだ。
「いえ、召喚されたのは賢者様で、私は勇者様に加護を与える聖女にございます」
目を細めて、先ほどにも増して顔を近づけて目の中を覗き込んでくる。
なんなの、顔近いってば……
「世界を救ってくれ、って呼ばれたのはなんとなく覚えてるんだけど……」
眉根を寄せて何か思い出そうとしている。
目を閉じて唸っているのが可愛らしくてちょっとムカついた。
私にだって無邪気な時期はあったんだからね!
……なんて心の中で毒づいてみる。
虚しい。
「ねっ、セイカ。わたしって何すればいいのかな?」
「それは導きの加護に訊いて……」
あっ!
導きの加護はまだ与えていなかった。
秘術の途中で体が勝手に動いて迎えの加護しか与えられていなかったんだ。
これは……ちょっと面倒だな。
導きの加護まで与えておけばよかった。
あれは勇者として何をすべきか、天啓のごとく勘が働くようになるものだ。
「導きの加護…?」
小動物っぽい大きな目で私を見つめ、言葉の続きを待っている。
なんと言えばいいのだろう。
加護の説明をした上で、断る選択肢を与えず、合意を得て、加護を与える。
つまり、なんだかんだ理屈をつけてキスを迫る、ということか。
無意識の相手の唇を奪うより、ずっと胸が苦しくなる。
「勇者としての自覚に目覚め眠った素質を開花させる、という秘術です。ちなみにこうして会話ができているのも加護の力のひとつなんですよ」
慎重に言葉を選ぶ。
過剰な期待をさせないように。
しかし、敬遠されないように。
「その付与には必要な手順がありまして……」
私の言葉尻がすぼんでいくと、勇者の顔がより近づいてくる。
匂いを……嗅がれてる?
なんだろう。
思ってたのと違う。
もっとおしとやかなタイプかと……。
「それでは、目を瞑っていただけますか。加護を与えるには……口に触れなければなりませんので」
私の説明を聞くなり白い勇者はポンと手を打って目を閉じた。
「あぁ、それで言いにくそうにしてたんだ? んっ、いいよ、して」
して……って。
実際にキスを待たれると、それはそれで辛い。
この状態で加護を与えるのは結構な勇気がいる。
無意識に喉を鳴らしてしまう。
「大丈夫。必要なことなんでしょ? 気楽に気楽に」
気遣いまでされてしまう。
聖女の私よりずっと思いやりがある。
「セイカ……わたし初めてだから、優しくしてね?」
……かと思えば弄ばれてしまう。
天然?
計算?
どちらにしても私の心をひどく掻き乱す。
この才能は指導者というより扇動者だ。
勇者としての素質は十分でも方向はまだ危い。
導きの加護を与えていい方向に修正しないと……。
国を救うだけでは足りないのだ。
私にとってもいい結末を迎えられなければ戻ってきた意味がない。
集中、集中。
魔力を全て秘術に注ぎ込み、導きの加護に変えて流し込む。
今はそれだけに集中だ。
私の緊張を感じ取って勇者が私の手を握ってくれた。
それだけでとても落ち着いた気分になる。
行動の端々に以前の勇者の面影を感じる
「あの……勇者様のお名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
「えっ? 今?」
白い睫毛が瞬いて、深紅の瞳が見つめ返してきた。
一瞬の間。
そして満面の笑みを浮かべた。
「わたしの名前はソウネ……リラ。リラって呼んで」
リラ。
見た目はゆるふわで可愛い。
中身は小悪魔で可愛い。
名前までもが可愛い響きだ。
「では、勇者リラに導きの加護を」
私はちょっとした仕返しのつもりで官能的なキスをすることにした。
どうしてそんないたずらをしようと思ったのか。
魔が差したとしか言い様がない。
「んんっ……」
薄い唇を押し当てリラの柔らかな唇をじっくりと味わう。
「リラ、舌を……」
「ぇう」
差し出された舌に唾液を絡ませ、ありったけの魔力を流し込む。
召喚の呼び声に応えるだけの才覚はあったのだ。
導きの加護を与えれば勇者としての素質もすべて花開くはず。
「ひぇいか、まだ……なの?」
引っ込めようとするリラの舌を追いかけ、舌先でくすぐり、押し返してきた舌を唇で食み、たっぷりと時間をかける。
なぜこれほどまでに勇者に執着したのか、この時はわからなかった。
勇者に対して主導権を取っておきたいという思いがあった。
戦いの中で勇者が暴走しないように手綱を握らなくてはいけない。
でも、それだけではなかった。
魔力を流し終えても、しばらく勇者の舌と唇を求め続けた。
女の子とのキスなのに不思議と忌避する気持ちはなくなていた。
むしろもっとしていたい。
聖女は勇者に惹かれるように運命づけられているんだろうか。
それとも私にそういう気があったんだろうか。
これも賢者の禁呪が影響しているのか……?
少し長すぎるキスを終えて、ゆっくりと離れる。
リラは恍惚の表情で虚空を見つめていた。
「……不調はございませんか、勇者リラ」
きっと今、体中に魔力が巡り、勇者としての覚醒が始まっているのだろう。
私の中でも新しい感情が芽生えていた。
はっきりとわかった。
私はこの子に恋をしているのだと。
「っぷぁ……すごっ、すご…いよ」
「ご満足いただけたようで何よりです」
私のほうも思った以上に満足している。
自分の気持ちに気がついて頭がすっきりとしてきた。
おかげで、ごく自然に返せていると思う。
未来の問題が消えたわけじゃない。
むしろ勇者との関係がより複雑になっただけにも思える。
破滅の未来を変えるため、勇者と共に国を救う。
けれど血塗られた道は歩まない。
勇者と私の新しい結末を迎えてみせる。
その思いが強くなった。
「セイカ……色々見えたよ。これって未来のわたしなのかな。できるのかな」
導きの加護によって未来像が見えたのだろうか。
当惑……というより興奮に近い表情をしている。
勇者としての使命を自覚して心が滾っているようだ。
「加護の力は大きなものですが、それに頼ってばかりではいけません」
「えっ、どうして? せっかく目覚めた力なのに使わないほうがおかしいよ」
その気持ちはわからなくもない。
だが、勇者が無双しすぎてもよくないのだ。
やりすぎは弱いものいじめに見えて、かえって民衆の心が離れてしまう。
それでは暗殺フラグまったなしだ。
「民衆は邪神を脅威に感じています。それ以上の力を勇者が見せ付ければどうなるでしょうか? あくまでも我々を導き、共に戦うということをお忘れなく」
「むー、それってちょっと要求が高くないかなぁ?」
「期待を上回るのが勇者だと存じております」
力を持っているからと好き勝手していいわけではない。
勇者なら尚のことだと念を押す。
……と、理屈で言っても子供には通用しないか。
不機嫌そうに唇を尖らせている。
そんな顔するとキスするよ勇者様。
私に好かれてしまったんだ。
覚悟しておけ。
期待以上の成果を挙げさせてやる。
「それはわかるんだけどさー。むー、そんなに睨まなくてもいいじゃん。セイカはちょっとお堅すぎるよ。その喋りがいけないのかなぁ」
「言葉遣いについては同意しますが、急に馴れ馴れしくするのも違うと思いますので、もうしばらくはご容赦ください」
「あんなキスした仲なのに?」
「それは……そうですが、あまりからかわないでください。解放軍の志願者を募りますので、それまではこのお堅い聖女にお付き合いください」
この後は女王に謁見することになっている。
それを終えるまでは聖女と勇者の関係を崩したくない。
下手に詮索されて送りの加護を与えていないとバレるのはまずい。
「ん? それって、普段のセイカと今のセイカは違うって認めるってこと?」
肯定も否定もせず笑顔で流す。
なのにリラはごまかされてくれない。
「普段のセイカはどんなか、ちょっとでいいから見せてよ。気になるじゃん」
「それはまた後ほど。今はお着替えのほうを……」
リラに謁見用の着替えを押し付けて、話を強引に打ち切った。
女の子の勇者が召喚されるなんて思っていなかったので私の修道服だけど。
私も髪くらいは整えて、少しは小綺麗にしておかないと……。