3-8 聖女、我欲の男爵から王都を取り戻す
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「この美しい都に醜い争いを持ち込むとは、まったくもって度し難い。
高い金で雇った帝国兵もろくに仕事をしやしない。
この無駄な戦いで、一体いくらの損失になると思っているのかね」
金の鎧に鮮やかな羽飾りのついた肩掛けを羽織った恐ろしく目立つ男。
ヤーク男爵は王都に攻めあがってきた解放軍と、それを止められなかった帝国兵に激怒する。
荒れ狂う野鳥のごとき甲高い声が城内の大広間に響いた。
帝国兵は男爵がいうほど悪くなかった。
むしろよく戦ったほうだ。
しかし、万全の態勢で挑んだ解放軍が一気に押し切ったのだ。
理想を言えば戦わずに王都を取り戻したかった。
だがヤーク男爵は降伏勧告に一切返答することなく無視を決め込んだ。
どうせ戦うなら圧倒的なほうがいい。
アスポラに捕らえられていた元王国兵を加えて解放軍は全力で王城を包囲した。
おかげで王子を最前線に出せるほど、余裕の状況を作れている。
舐めているわけではない。
王子が王都を取り戻すことで正統性というのを見せ付ける目論見だ。
そしてついにヤーク男爵の待つ大広間までやってきた。
「聞いているのかね。フィリップ君。古臭い王国の時代は終わったのだよ。
いつまでも反乱など続けて、街を荒らして、無駄だとは思わないのかね!」
攻め込まれているはずの男爵が声を荒げて捲くし立てる。
鳥の羽根のように派手な色に染められた髪を威嚇するように振り乱す。
煽られてフィル殿下は睨み返す。
「裏切り者が偉そうなことを言うじゃないか。
父の作り上げた都を汚したのは貴様のほうだ。
金の亡者をはべらせて王を気取るというのか」
「裏切りとは心外ですね。
私は王国の下らぬ政策で出世の機会も得られなかった。
恨みこそあれ恩など感じたことがありませんよ」
緊張状態のはずがあまりの滑稽さに吹き出しそうになる。
男爵は不利な状況をわかってないのかしら。
「王政に不満があったからといって、国民を物のように売り渡すやつがあるか!」
フィル殿下の一喝に空気が震えた。
伸びきっていた髭を整えたおかげで顔にも王の風格を見え始めていた。
「貴方のような小うるさい貴族ほど高値が付いて実に儲かりましたよ。
さて、直系の王族はいかほどになるか、競売で試してみましょうかね」
男爵は奴隷商人の如く鞭を振るう。
鋲のついた鞭が王子に向かって放たれた。
「戯言もそこまでになさい!」
白鎧の騎士――システィナがすかさず剣で払い落とす。
鋭い剣閃だった。
男爵の鞭の勢いも尋常ではなかった。
苛立って振るった鞭が石の柱を削り取っている。
暗黒の力で男爵自身の肉体が強化されているのだろう。
「おやおや、貴方まで反乱軍に加担されるとは、父君もさぞやお嘆きでしょう。
私の元へ嫁ぐのならば、仲裁することを考えないでもないのですがね」
「誰が貴様のような俗物の妻になどなるものか」
嫌味ったらしく粘つくような声音でシスティナに言い寄るヤーク男爵。
いくら金があってもこんな男になびく女がいるものか。
システィナも当然のように跳ね除ける。
「口汚く罵るなど、あなたらしくもないですね。美しい顔が台無しだ。
武器を捨てて戻っておいでなさい。私に尽くす悦びを教えてあげましょう」
それが当然だと言わんばかりの物言い。
ひどい自惚れだ。
金の鎧も似合っていると思って着ているに違いない。
本気で気持ち悪い……。
システィナが身震いするのが見えた。
後ろから離れて見ていた私ですらも寒気を感じる。
生まれてしまった凍りつく空気を振り払うように、システィナが剣を構えた。
「もはや語ることはない。貴様のような悪魔は地獄へと送り返してやる」
「地獄を見るのはあなたがたです。
ランデール様にいただいたこの力で闇へと引きずり込んであげましょう!
死霊どもよ、呼び声に応えて闇の宴に集え……」
男爵が肩掛けを翻して大きく腕を広げると、暗黒の力が一気に膨れ上がった。
……来る。
「《冥界の円舞》」
黒い霧が辺りを包み込む。
低く響く亡者の嘆き。
悪しき魔力が渦を巻き、辺りを穢れで充満させていた。
「足が……身体が、重い。一体何をした」
「くふっ、息が苦し……」
息苦しさにフィルもシスティナも膝を付き呻く。
男爵は大広間全体を巻き込んで精気を奪う猛毒の霧を撒き散らしたのだ。
「もっといい声で泣きたまえ。苦痛の先には快楽が待っているのだ。
苦しみを受け入れろ。もっともっと泣きたまえ!!」
煽る男爵の余裕の笑み。
漂う瘴気にまるで影響を受けていない。むしろ調子がよさそうだ。
「これほどの力を持っていたとは……」
白騎士は自らの油断を後悔している。
悔しさと苦しさで歯噛みする。
「何が民衆のために戦いたいですか。女は黙って男を立ててればいいのですよ。
そうやって何もできずに朽ちていく絶望を、じっくりと味わうんですね」
高笑いするヤーク男爵。
さすがに王都を任されるだけの実力はあるということか。
暗黒の力の影響を取り除かなければ戦況は覆りそうにない。
つまり、勇者の出番だ。
「リラお願いね。王子を治すのに、少し時間を稼いで欲しいの」
「時間くらい任せてよ。空気の入れ替えもしておくね」
多くを言わずにすべてが伝わる。
男爵を打ち倒すのは王子。
リラでも私でもない。
私たちはその手助けをするだけ。
最初から決めていたことだ。
リラはメイスを振り回して霧を散らしながら、ヤーク男爵に飛び掛った。
背を向けていても安心できる。
リラがいるから大丈夫。
私は私のやるべきことができる。
「フィル殿下、毒を抜きますからじっとしていてください」
立ち上がろうともがく王子。
闘志はいまだ消えてない。
無理に起こさず手当てを始める。浄化の力を流し込む。
それと同時に身体強化の魔術も施した。
自分にやるのは得意だけれど、他人にやるのはなかなか慣れない。
鬱陶しいものは自分で叩き潰す。
昔はそればかり考えていた。
誰かに希望を託すなんて、力のない人の考え方だと思ってた。
でもそうじゃない。
「身体が軽くなったような気がするよ。
攻撃を受ける前よりもさらに軽いような…?」
「きっと死霊の中にも殿下を支えようとするものがいたのでしょう。
悪しき力を取り除いたおかげで、良い力だけが残ったのかもしれません」
聖女らしく振る舞い背中を押した。
今考えたでまかせだが、王子を奮い立たせるには十分だったようだ。
フィル王子は立ち上がった。
亡き前王の意思が宿ったとでも思ったのだろう。とても力強く胸を張る。
男爵を打ち倒すために、王都を取り戻すために立ち上がった。
「彼女のことも助けてやってくれ。
私に光をくれた大事な人なんだ」
一瞬の優しい眼差し。
脱獄の前後にシスティナと何かあったのだろう。
囚人として身分を隠していた王子が動き出したのは彼女がきっかけだ。
大将軍の娘と隣国の王子。
戦乱以前から面識があってもおかしくない。
元から恋仲だった可能性もある。
「お任せください。殿下はヤーク男爵を……」
システィナにも浄化と身体強化の魔術を施して戦いを見守る。
王都を取り戻すのは二人の仕事だ。
暗黒の力のほとんどを削り取られた男爵はそれでも粘る。
攻防は続いた。
均衡を崩したのは王子の執念。
「男爵よ。貴様の勝手もこれまでだ。王国法にて裁きを受けてもらうぞ」
男爵は膝を付き、うなだれて観念したかに見えた。
しかし鎧の下に隠していた煙幕を放つ。
この期に及んで悪あがき。
「逃がさないよ!」
そんなことで勇者から逃げられるわけがない。
「えぇい離せ。私は旧王都を治める東方伯となるのだ。
帝国に睨まれたこの都を栄えさせられるのは私しかいないのだぞ」
「時代が悪かったわね。貴方はお金や人を操るのが上手かった。
弱き人のことも考えて操れたなら、いい統治者になれたでしょうに」
泡を吹きながら喚く男爵を冷めた目で見る。
もう何を言っても無駄だろう。
他人のことを思いやれる人間だったらこんなことにはならない。
「今はまだ生かしておいてやる。沙汰があるまで悔いて過ごせ」
こうして解放軍は王都を支配していたヤーク男爵を打ち倒した。




