3-6 聖女、悲哀の法皇と対峙する(後編)
◆◇
神聖力の篭った杖に、さらに暗黒力を上乗せして容赦なく振り下ろす法皇ユノ。
際どいところで均衡を保っていた精神が、仇を目の前にしたことで限界を超えてしまったのだろう。
その表情は狂気に染まっており、とても話が通じるようには思えなかった。
……厄介だわ。
邪神がもたらしたであろう影響に心の中でため息を漏らす。
このまま力で押さえつけることは簡単だし、暗黒力を浄化することもできる。
でもそれでは、恋人を失って嘆くユノの気持ちが整理できないままになる。
気持ちがくすぶったままでは、正気を取り戻しても話を聞いてもらえない。
マール将軍が生きていることを到底信じてもらえないだろう。
まずは怒りと憎しみを軽くしてあげないと、どうにもなりそうにない。
本当に厄介だわ。
「あなたが……反乱軍が、勇者などいなければッ!!」
悲哀の法皇はなりふり構わずに暴れ回る。
杖を振り下ろし叩きつけ、力任せに振り乱した。
子を失って怒り狂う野生の獣のようだ。
「……ッ!」
怒りを鎮めるためにはひたすら受けに回るしかない。
自己強化魔術で極限まで耐久力を上げて、真正面から攻撃を受け止める。
強い憎しみが伝わってきた。
人は愛する人を失っただけでこれほどまでに狂えるのか。
愛する人の死を思うだけで辛くなった過去の私は、思考を放棄してしまった。
安易な答えに飛びついて死へと逃げしまった。
もし愛する人を失ったら私はどうなってしまうだろう。
リラが殺されたら……勇者が死ぬなんて想像できないけどもしそうなったら?
「あなたがッ、あなたがッ! マール様の、クァラスの仇!!」
恨み言と一緒に、憎しみのこもった杖の攻撃が何度も何度も振り下ろされる。
受けるごとに浄化の力を流し込み、暗黒力を削いでいった。
体力も精神力も少しずつ削っていく。
「どうして……どうしてわたしを残して行ってしまったの」
ユノの手からは血が滲み、一撃の威力も弱まってきている。
強い怒りは長くは続かない。
それでもユノは杖を振り下ろすのをやめられない。
やがて悲しみだけが残り、怒声は嘆きへと変わっていく。
そろそろかしら……。
「不公平よ。仇を討つどころか傷をつけることもできないなんて……。
あの人が何をしたと言うの。大陸の平穏のために戦っただけじゃない……」
「貴方は仇を討つ必要なんてないのよ。マール将軍は死んではいないもの。
彼は悪くない。私たちも。貴方は怒りを向ける先を間違っているわ」
「またそうやってわたしを騙そうとする!」
振り上げられた杖を力任せに弾き飛ばす。
武器を失い唖然となったユノを引き倒し、押さえつけ、頬を張った。
暗黒の影響を根こそぎ奪い去るように浄化の力を込めた平手打ち。
思った以上に派手な音が響く。
狂気の去ったユノは悲しみで疲れきった顔をしていた。
「……殺しなさいよ。あの人のいない世界に生きている意味なんてないもの」
「私を信じろとは言わない。
せめて話を聞いて、考えることを止めないで」
組み伏せたまま、要塞都市で起きたことを話して聞かせた。
マールが一騎討ちに応じたこと、負けたこと、そして潔く兵を退いたこと。
希望があることを信じてもらうために、ひとつひとつ言葉を選んで聞かせた。
女帝が暗黒神に操られている可能性を知ったマールがどういう行動をとるか。
退いた兵を連れて帝都へと乗り込むはずだ。
将軍は潔い実直な男だと思った。
「マール将軍を愛していた貴方なら、きっとわかるはずよ?」
「……マール様ならば、きっとそうするでしょう。
でも、それ真実ならば……なぜ死んだなどと言う嘘の情報が流れたの」
話に納得できる部分はあったようだが、新たに生まれた疑問に法皇は考え込む。
私はその疑問に対する答えも持っている。
「マール将軍が殺されたとなれば、慕っていた人たちの動揺は大きいでしょう。
心の隙に付け込めば、暗黒の力で簡単に操れるようになる。貴方と同じように」
そんなことができる人物は限られている。
マールと同列の四将軍か、帝国軍を束ねる大将軍。
暗黒神を呼び起こした術師。あとは女帝とその息子くらいのもの。
その中で対王国の前線にいたものはひとりだけだ。
「誰が偽りの情報を流したか、わからない貴方ではないでしょう」
「……ガトー様、ですか。
心優しい方だと領民にも慕われていたのに」
すべてを理解した法皇は静かに瞑目した。
暗黒の力は人を狂わせる。
精神を強く侵されれば元に戻ることはない。
ユノは帝国が狂っていくのを感じていた。
その疑問の答えがすべて国の内側にあったことを悟ったのだ。
「なぜここまでしてわたしに話を聞かせたの?
わたしを反乱軍に引き入れようというの?」
拘束を解き、立ち上がりながら少し気取ったように答えてみせる。
「私は欲張りだから……。
貴方にも将軍にも統一王国のために働いて欲しいと思ってるのよ」
帝国に成り代わって統一王国を建てるのだと仄めかす。
過去の四カ国会議でも何度か話題になった計画。
分裂した王家を再び統一しようではないかという大きな計画だ。
ユノを死なせてしまったら、きっとマール将軍は敵対してしまうだろう。
逆にユノを取り込めれば、マール将軍の賛同も得られるはずだ。
帝国聖教会と帝国軍の幹部の両方の協力が得られたらどんなに楽できるか。
帝国の民衆を救えるのはこの法皇と将軍をおいて他にはいない。
「私たちはこのまま王都取り戻し、帝都まで突き進むことになるでしょう。
その過程でマール将軍にも行き当たるはず。共に歩んでいただけますか?」
倒れこんだままの法皇に手を差し伸べる。
この手を取って立ち上がって欲しいと願いを込めて。
「あなたを信じます。
どうぞ私の命を大陸統一のためにお使いください」
ユノは小さく頷いて手を握り返した。
憑き物の落ちたその表情は情け深い暖かみのある大人の女性のものだった。
どことなく母の面影を感じた。
「穏便に解決できた感じ?」
背後から声がかかった。
リラのほうはとっくに四人を倒して拘束し終えていたようだ。
さすが私の勇者様。
「平和な話し合いよ。何の問題もなかったわ。ねぇ、ユノ様」
「そう言っていただけると、少し気が楽になります」
二人して服の埃を払って微笑み合う。
結果だけ見れば、誰も傷ついておらず、話し合いをして和解したのと変わらないから何もなかったことにする。
それでいい。
「そうなんだ。それよりどうしてここの防備って薄かったの?
脱獄騒動があったようには見えないくらいなんだけど」
大人の解決法を軽く流してリラは気にせず話を続けた。
疑問だったことを解消することのほうが優先されるらしい。
「囚人の脱獄にはわたしも少なからず関わりましたので……」
法皇ユノは自ら帝国への裏切りを語り始める。
どうせ解放軍の歩兵部隊が追いつくのを待たねばならないと、アスポラの武装を解除させながらゆっくりと聞くことにした。
「首謀者はアテネステレス第一王子フィル様に間違いはありません。
ですが、帝国側に協力者がありました。軍部の頂点、ブランリー大将軍の娘。
聖堂騎士システィナ様です。わたしは二人の行いに見て見ぬ振りをしたのです」
システィナは女帝や幹部たちが暗黒神の力に溺れ、人が変わっていく様を間近で見てしまったようだ。
やり方に疑問を持ち、父であるブランリー大将軍に相談したものの、国に仕えることを第一とした大将軍はシスティナの言葉を切り捨ててしまう。
「わたしもその話を聞いたときは、信じることができなかった。
けれど、どこか引っかかるものがあって、内通者を素通りさせていました」
フィル王子と聖堂騎士システィナは脱獄計画を立てて機を窺っていた。
法皇もそれには気付いていたそうだ。
そんな時に解放軍の動きが活発化して快進撃を始めた。
「私はマール様を死んだものと思い込まされていた。だから自棄になっていた。
システィナ様の行動を止めることはしなかった。むしろ協力した」
愚かな行いだったけど嘆くが、結果的に助かった。
フィル王子が無事に脱獄できたのは、ユノのおかげでもあるようだ。
「囚人を追い詰め、倒すことに執着したものが、追っ手となりました。
暗黒の力を振るうことに溺れてしまったのでしょう」
残った兵たちは武装解除にも素直に応じて投降する用意があるようだ。
元は皆同じ同盟国の人間だ。
積極的に争いたいわけではないのだろう。
「歩兵部隊はもうすぐ着くよ。大空部隊も頑張ってくれてるみたい」
勇者リラの能力で解放軍の現在も把握した。
アスポラの掌握や再編成はアルベルトが到着したら任せてしまおう。
「ここはもう大丈夫そうだから、王子のほうへ援軍に行きましょうか」
私たちも挟撃作戦の現場へ飛び立つことにした。
法皇ユノもグリフォンに跨らせる。
一緒に連れて行くのは聖堂騎士との仲立ちをしてもらうためだ。
グリフォンはリラと私とユノを乗せ軽々と飛び上がった。
「出発進行! 一気に追いつくからユノさんもしっかり掴まってね」
三人乗せても悠々と空を飛ぶ。実に頼もしい。
ワイバーンがいなくて不満だった私を許して欲しい。
羽根を撫でて労ってやった。




