3-2 聖女、女帝の息子を叩き潰す(前編)
◆◇
ベイバロン島へ渡る橋の攻防は激しいものとなった。
にわかに立ち込めた雷雲にグリフォンの飛行を封じられ、私たちは地上戦を余儀なくされた。
リラは前線に出て皆を護った。
私は後方に立ち聖女見習いたちと治療術で支援に回る。
戦況はほぼ互角だった。
数では勝るものの、帝国兵は死を恐れずに突撃するので苦戦していた。
しかし雨が降り始めたあたりから継続戦闘能力の高い解放軍が押し始めたのだ。
治療術師の熟練の差が戦いに影響するようになってきていた。
「帝国兵は降伏勧告に応じません。死に物狂いで突撃してきております」
「こちらの被害はなんとか抑えられていますが疲労は激しいです。
支援が途切れれば瓦解しかねない危うい状況かと思われます」
騎士たちも聖女見習いたちも限界まで力を振り絞った。
賢者の強力な魔術、花畑王女の特殊な切り札。
そして新たに加わった聖母の支援があってようやく橋を支配権を獲得した。
私の予想以上に解放軍は強くなった。
今は橋を渡って新たに陣を敷き、雨で奪われた体力の回復に努めている。
この調子で聖教会本部も取り戻したいところだ。
「帝国兵は暗黒の力に魅入られ、悪鬼に取り憑かれているのですね。
セイカ様に教わった対処をしたいのですが、太陽がなければ効果がでません」
ユークリアは初めての戦闘にも落ち着き、騎士たちを励ましていた。
簡単にできることではない。
私に足りてない優しい心根を持ってる。
「あの雷雲は暗黒騎士が呼んだものかもしれないわね。
ひとりずつ浄化していくしかないでしょう」
太陽神の力を借りる聖域の魔術は日中でなければ効果が薄い。
敵ながらよく調べている。
やはり聖教会の力が暗黒騎士の唯一の弱点なのだろう。
「しかし、生きたまま暗黒の力に魅入られたものがこれほど厄介だとは……」
私も暗黒力を身につけた帝国兵の対処には頭を抱えた。
死者に取り憑いた悪霊は神聖魔術で簡単に浄化できる。
しかし、生者から暗黒の力を取り除いても、狂ってしまったものを元に戻すことはできなかった。
無力化するまで戦うしかない。
兵士を簡単に捨て駒にするなんて……。
「暗黒騎士ガトーは非道な手段を選ぶことにも躊躇いがありません。
普通の人間では到達できないほどの暗黒力を手にして酔っているのでしょう」
ユークリアに敵を討たせてやりたかったが無理かもしれない。
不愉快さで今にも爆発しそうだった。
「セーイカ! ちょっと来て」
「どうしたのリラ、まさか問題発生?」
橋周辺の安全を確認していたリラが戻ってくるなり私を呼びつけた。
それもだいぶ険しい顔で。
周囲に敵の気配はない。
それどころか島内には人の気配がほとんどなかった。
雨のせいではない。非戦闘員はすでに島から避難済みなのだろう。
何の問題はないはず……。
「大問題だよセイカ。もしかしてわかってないの?」
ぐいぐいと引っ張られ路地裏にまで連れてこられる。
そこまで警戒する必要があるんだろうか。
「今にも噛み付きそうな顔してたよ? 解放軍の聖女がそんな顔しちゃダーメ!」
リラに頬を摘み上げられ、無理矢理に笑顔を作らされる。
私今、情けない、わけがわからないって顔してるはず。
「笑顔だよ、え・が・お! みんなが怖がっちゃうからしかめっ面はナシだよ」
「戦闘中に笑顔のほうが怖いんじゃないかしら」
「むー、そういうことじゃないのに」
詭弁で返す私に「本気で怒るよ」と子供を叱るみたいにたしなめるリラ。
真っ赤な瞳が真っ直ぐ私を捉え真剣であることを伝えている。
わかってるわ。
私の愛想が悪いのくらい。
顔が険しくなるのだって生まれつきなんだからしょうがないじゃない。
「わたしと二人でいるときはもっと優しい顔してくれてたよ?
みんなにも分けてあげて欲しいな」
頬を摘んでた手を離すと、そのまま首に回して抱きついてくる。
雨に濡れた髪がとても冷たい。
こんなになるまで走り回ってたんだね。
「私は、優しくなんてないから……」
リラの発する前向きな感情を胸いっぱいに吸い込んだ。
そうすれば元気や勇気を分けてもらえる気がして静かに深呼吸した。
「努力は……してみるわ」
「うん」
私の答えに満足したようで小さな顔を上げ唇を触れさせてくる。
そっと触れ合うだけの可愛い口付け。
それは信頼の証、約束の印。
「さぁ行こうか。あとは聖教会本部だけだよ!」
リラも少し照れくさそうにしていつも以上に明るく振舞う。
そこだけ雨がやんで日が差したような気がした。
実際に空が明るくなっていた。
晴れ間が見えたわけではない。
空に映像を浮かび上がらせる投影魔術だ。
あれは聖教会秘伝の魔術で上位の神官にしか伝えられていないはず。
「聞こえているか?聞こえているな? 愚かな反逆者どもに告ぐ。
俺は帝政ハルバニア東征将軍ガトー、不死身の暗黒騎士ガトー様だ」
なんて自己主張の激しいやつ。
雷雨の降りしきる空に映し出されたのは黒鎧を着た不遜な男。
背後には教会関係者らしき姿も見える。
光の根元は聖教会本部の辺りだ。
広場に人質を集めているのかもしれない。
投影魔術も脅して使わせているのだろう。
「教会はこのガトー様が完全に制圧した。こいつらを生かすも殺すも俺次第。
だが聖母を差し出せば他のやつらは助けてやろう。たった一人と交換だ。
安いもんだろう。ゆっくり話し合え。こっちはこっちで楽しませてもらうがな」
そんな要求通すわけないのに好き放題に言ってくれる。
望みは全面対決か?
「ちょっとちょっとセイカ~、今言ったばっかりでしょ!」
つい解放軍の人たちには見せられない顔になっていてリラに腕をつねられた。
皆のところへ戻らないと……。
ユークリアのことだからひとりで人質交換に行くと言い出しかねない。
陣へ戻ると予想通り人質についての議論が巻き起こっていた。
罠だとしても解放の可能性にかけて従うしかないと、聖母ユークリアはその身を犠牲にしようとしている。
血の気の多い騎士連中は犠牲を覚悟で突撃し暗黒騎士を打ち倒すことを優先しろと息巻いている。
聖女見習いたちはどちらも選ぶことができず右往左往。
「私は行きますからね。それ以外の選択肢はあり得ません。
彼らを見殺しにして生きていることなど私には……」
「進んで罠に掛かりに行くようなものではないか。
どうせ奴は約束など果たさん。ならば先制攻撃あるのみだ!」
「そんな野蛮な考えでは帝国となんら変わらないではありませんか。
セイカ様、セイカ様は私を止めたりいたしませんよね?」
「止めはしないけど、無策でいかせることもしないわ」
どれを選んでも暗黒騎士の手のひらの上だ。
聖母を差し出せば聖教会の頂点を潰せる。さらに人質も解放せずに殺せる。
渡さなければ人質を殺してから解放軍と徹底抗戦。帝国は負けるだろうが不死身のガトーは痛くも痒くもない。
解放軍に心理的に傷つけるのが目的なのだ。
兵を失おうとお構いなし。人の道を外れた男の汚い策略だ。
思い通りになんて絶対させるもんですか。
リラに作戦を伝えて騎士たちに準備させる。
私はユークリアを説得に……。
「貴方の犠牲の精神は尊いものよ? でも、残されたものは深く深く傷つくの。
それに何のために私たちがいると思ってるの。助け合うためではないのかしら」
彼女には聖母という立場だが、まだ年端も行かない少女なのだ。
この緊急事態に余裕もなくなっている。
取り乱すユークリアを抱きしめ、半ば強引に落ち着かせる。
騙すようで悪いが囮になるのを納得させるためだ。
「人質交換には私とリラが一緒に行くわ。ガトーの好きにはさせない。
だから貴方も無理に逆らうことなく、私たちを信じて身を任せて欲しいの」
私の考えは騎士のものに近い強攻策。
ただし、人質が犠牲にならないように一撃で仕留める強気な作戦だ。
暗黒騎士だけは一撃で仕留められない可能性があるので、人質と引き離すためにユークリアにも協力してもらう。
交換に応じる姿勢を見せて油断させるのだ。
解放軍をまとめるのは勇者の仕事。
私の仕事は憂いを払うこと。
「何が起きても取り乱さないでね?
勇者の心と力は本物だから何も心配はいらないわ」
私も信じているからユークリアも信じてと訴えかける。
すがるような気持ちに付け込んで了承させた。
誰が一番外道なんだか……。
リラの演説も終盤に来ていた様で、騎士たちはやる気に漲っている。
降りしきる雨で足元も悪く気力も体力も奪われているにも関わらずだ。
「これからユークリアさんと人質交換に行きます。でもこれはあくまでも振り!
暗黒騎士と人質を引き離したら、帝国兵に強大な一撃を叩き込みます」
リラの説明にそんなことをすれば犠牲が出るじゃないかとどよめきが起こる。
白い勇者に促され、黒い私が前に出る。
髪も衣服も真っ黒の、聖女とは名ばかりの畏怖の対象。
「広い範囲に渡って動きを阻害する雷撃の魔術を放ちます。
人質ごと巻き込んで打ちますが、死ぬような攻撃ではありません」
最初期からいる騎士たちは私の力を知っている。騒ぎが静まっていく。
「動きを封じられるのは少しの間だけ。うろたえることなく対処して下さい」
「騎士隊は帝国兵の拘束、無力化を。聖女隊は人質の手当てを。
わたしが暗黒騎士を抑えるから、みんなもできることを全力でがんばって!」
勇者の鼓舞に雄叫びがあがる。
準備はできていた。
私とリラとユークリアは先行してベイバロン島の中央部へと向かう。
雨は激しく降り続いていた。




