2-9 聖女、隠された王子を探し出す
◆◇
剣を叩き折られた若き将校マール将軍の顔が、事実を受け入れられない状態から一瞬の間をおいて驚愕、そして畏怖へと変わっていく。
やり過ぎた……。
調子に乗って宝剣を破壊してしまった。
マール将軍が女帝に賜った、伝説級の大剣。
幻の天竜の鱗を長い年月をかけ磨き上げたという最高級の逸品。
この世界に二振りとない名品だ。
それを私は、力を見せ付けるためとはいえ、叩き折ってしまうとは……。
「どうした、止めを刺さないのか」
「……兵を退いていただくために参りましたので」
「本気で言っていたのか。まったくもって恐れ入るよ」
あれ……剣のことには触れてこない。
拍子抜けだ。
信奉している女帝に贈られた剣だから激昂してくるものと思っていた。
命に比べれば宝剣の一本や二本は安いものということかしら。
私の引き攣った顔にも気づいていない。
「貴方なのか、召喚された勇者というのは」
しかも何か勘違いしてるし……。
かなり精神的に参っているようだ。
「いいえ違いますわマール将軍。勇者はもっと清らかなお方。
私はただ力が強いだけで聖女代理に選ばれた育ちの悪い魔術師にございます。
礼儀知らずでまことに申し訳ありません」
マールは頭を振ってため息をついた。
緩慢な動きで折れた宝剣を鞘に収め、疲れきったように腰を下ろす。
そしてまたため息をひとつ。
ほつれた髪のせいで一気に老け込んだように見える。
いい男が台無しだ。
やつれた将校は宙を見つめ、独り言のように呟いた。
「これほどの力を眠らせていたとはな。
一刻も早く本国へ帰って報告をせねばなるまい。
全軍撤退だ。兵を残して見殺しにするなどできんからな」
「ありがとうございます」
提案を拒否することもできただろう。
だが、要塞都市の守備兵を全て投じても勝てるかどうかあやしいと、私を大きく評価してくれたようだ。
これで賢者に嫌味を言われずにすむ。
そこへ戦闘の騒ぎを聞きつけた兵士たちが雪崩れ込んできた。
遅い。
侵入者がまさか城主の部屋にいるとは気付かなかったのだろう。
将軍は部下が現れた途端に表情を切り替え、問題はないと手で制した。
揺らいでいた精神を一瞬で立て直した姿に拍手を送りたい。
さすが若くして将軍に上り詰めた男だ。
お節介かもしれないが忠告をひとつ授けてあげよう。
「マール将軍。もうひとつ、お知らせしたいことがございます」
彼はずっと前線にいて知らなかっただけなのかもしれない。
女帝が暗黒神の力に魅入られ、人の道を外れてしまったことを。
四カ国会議での反乱は仕組まれた出来事だったことを。
裏で糸を引いている邪悪な魔術師がいることを。
「よもやまさか、あいつの言うことが真実だったというのか。
いかな叱責を受けようと見極めねばならんな」
マール将軍は事の真相を確かめるために、その日のうちに本国へと向かうことになる。
行動の早さは好感が持てるが、彼のこれからを思うと胸が痛んだ。
女帝の行動に異を唱えれば将軍といえど捕らえられてしまうだろう。
それほどまでに今の帝国は狂っているのだ。
実情を知れば彼も解放軍に味方してくれるようになるだろう。
今は黙って見送るしかない。
「お気をつけください。邪神の力は人の心を容易に変えますので……」
「聖女代理で思い出したが、陛下のご子息が聖女の娘を執拗に狙っていたな。
進軍が順調ならばベイバロン島の聖教会本部を落している頃だろう」
マールは去り際にふと思い出したような小芝居をした。
忠言への返礼のつもりだろうか。
引き止めればこのまま味方に迎えられるかもしれないと思ったが止めておいた。
苦悩の聖騎士のように私個人に剣を捧げられても困ってしまう。
全ては第一王子がなすべき王国再建への道だ。
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「ふぅ……。疲れた」
帝国兵が撤退し、空になった要塞都市の執務室で解放軍の到着を待つ。
まるで王様になったような気分だ。
意のままに人を操る快感は心を惑わせる。
私の手には余るものだ。
きっと三日で飽きる。
国の中心で政務に励むなんて柄じゃない。
教会に囚われて飾られるのも御免だ。
権力者に敵視されて消されるなんていうのは論外。
嫌なことは山ほどあるけど、これがしたいというものが私にはない。
「私の幸せって何だろう…?」
親の希望で修道院に入り、国の要請で聖女代理となった。
自分から望んでしたことなんて何もない。
そんな私に芽生えたひとつの欲望。
リラの笑顔を独占したい。
なんて私はわがままなのだろう。
皆が必死になって頑張っていると言うのに……。
「わたしのこと考えてた?」
「ひぁっ!? 何!? えっリラ? いつの間に……?」
「ほわぁ、びっくりしたぁ。セイカもそんな声出すんだね」
いやいや、驚いたのは私のほうだよ。
物思いに耽っていたせいかまったく気配を感じなかった。
勇者が本気で暗殺しようとしたら誰も止められないだろうな。
いたずらに微笑むこの白い少女が勇者だなんて誰も思わないだろうし。
「解放軍のみんなも到着したよ。都市の警備はディアさんに任せてきたんだ。
早くセイカにお疲れさまを言いたくて」
「いいえ、私の方こそありがとう。退屈したでしょう?」
将軍との対決をどうしても自分の力で乗り越えてみたかった。
戦いたがるリラに我慢、もしもの備えとして待機してもらった。
リラのためというより、賢者への意地のほうが勝っていた気がする。
「セイカの活躍するところを見られなかったのが残念だったよ。
解放軍の隊長たちは見えるし話せるのに、セイカは見えないんだもん。
遠見の鏡も使えなかったし……わたし魔術の才能ないのかなぁ」
「繊細な魔力操作は反復練習あるのみです。
私でよければ今度ゆっくりご教授いたしますよ、勇者様」
やばい。恥ずかしい。妙に芝居がかってしまった。
いつの間にかマール将軍の仰々しさが移ってる。
「えぇ本当? セイカが教えてくれるの? わたし頑張るから色々教えてね。
戦闘系以外の魔術も使ってみたかったんだ。すっごい楽しみだよ」
「私は厳しいですよ?」
約束のしるしに指を絡ませ誓い合う。
こんな時間がずっと続けばいいのにと思った。
小さな願いが簡単に砕かれるのも世の常。
「そんな所にふんぞり返って王にでもなったつもりかバカ弟子よ。
目を離すとすぐに怠けよる。手が空いてるなら捕虜の管理を手伝うのじゃ。
ゆーしゃも何か言ってやってくだされ」
幸せに浸っていた私に小言を浴びせたのは幼女の姿をした私の師匠。
大賢者チハチルなどと持て囃されている魔術研究家だ。
魔術に関してはよき師匠だが、私の痛いところを付くのを生きがいにしているような面があって、どうにも苦手意識が抜けない。
「セイカは戦闘で疲れてるみたいだから、手伝いにはわたしが行ってくるよ。
チハチルさんもゆっくり休んでくださいね」
あぁっ、リラが行ってしまう。
どうしていつも私の邪魔をするのか。
「統治は騎士団の仕事です。私が口出しすることではありません。
治療が必要なものがいたら、いい機会ですから聖女見習いに視させてください」
「師を伝令に使う気か。だらけきった顔をしおって情けない。
どうせまた調子に乗って魔力配分をしくじったんじゃろ」
黙っていれば人形みたいな可愛さもあるのに、失敗を持ち出しては叱ってくる。
だから私も無意識に刺々しくなる。
「王子の居場所はわかったんですよね?
でしたら同じ方法で救い出してきたらいいんじゃないですか。今すぐにでも」
「場所は王都の南のアスポラじゃ。あそこにも多くの捕虜が収容されておる。
山越えになるがグリフォンでは何度も休憩を挟むことになるじゃろう。
行きはまだよい。王子を抱えての帰り道、囲まれればどうなるかわかるじゃろ」
ワイバーンを帝国に奪われたのが痛い。
グリフォンにはワイバーンほどの輸送力がない。
単騎で乗り込むことに成功しても追いつかれる可能性がある。
山中で傷つき孤立すれば結果は無残なものに終わるだろう。
「解放軍と共に迂回するのが最善じゃ。
都市を制圧して行けば、後方の安全も取れるじゃろうて」
「それではベイバロン島を経由して、東回りで王都へ向かいましょう。
聖教会本部が襲われているという情報もありましたので」
協力をあおげば支援の増強にもなる。
王子と共に虜囚を助け出せば、解放軍はかつての力を取り戻すはずだ。
道筋は見えた。
あとはひとつひとつ攻略していくだけ。