2-1 聖女、苦悩の聖騎士に殺される
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聖女セイカ・ハインテル。
そう呼ばれるたびに私の胸は締め付けられる。
私は聖女なんて大層なものじゃない。
緊急時に選ばれた、ただの聖女代理だ。
自分が死ぬか、愛した人を死に導くか……二つに一つを選ばされる破滅の聖女になんてなりたくない。
しかし、気がついたときには勇者を愛してしまっていた。
禁呪の影響かと思ったこともあったけれど、魔術的影響を察知できないほど私は鈍くない。
聖女候補として修行した日々。邪神討伐を成し遂げた知識と経験。
そして別世界から引き継いでしまったゲームの記憶。
過去・現在・未来、三つの魂が合わさった今の私に抵抗できない魔術などない。
つまり勇者を好きだというこの気持ちは、私の内側から生まれた本物の気持ちであるという結論になる。
自覚するとますます胸が苦しくなった。
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「勇者リラ、もうそろそろ本隊に追いつきます。速度を落としましょう」
賢者に与えられた試験。
貿易都市を帝国から奪還するために行軍中だった。
行軍と言っても、私とリラは本隊から離れての別行動。
先代聖女の墓に仕舞っておいた「勇者の証」をリラに授けた帰り道だ。
リラは昨日の事などまるで気にしていないようだ。
白い髪をふわふわ揺らしながら、息ひとつ切らさず山道を駆け抜けている。
私はその背中を険しい顔で追いかけている。
機嫌が悪いわけじゃない。気分が悪いだけなんだ。
昨日は全然眠れなかった。
賢者は優しい、賢者はいい人だ、賢者なら何か思いつく……賢者、賢者と何度も言われ私は声を荒げてしまった。
なんて愚かなんだ。
嫌われたかもしれない。
思い出しただけ気持ちが沈んでいくのがわかる。
こんなことで落ち込んでいるなんて気付かれたくなかった。
いつも通りを心がけて精神の平静を保とうと必死になった。
「……本隊への連絡は無事に済みましたでしょうか?」
私の口調が堅苦しいことに不満を漏らし唇を尖らせるリラ。
この不機嫌な表情も私は嫌いではない。むしろ可愛いとさえ思う。
刺々しさのない無邪気な表情が今の私には眩しすぎる。
好きなのに……まともに顔を見ることすら出来ない。
「導きの加護って便利だね。聖教会の修道士さんたちが神の声だって騒いでるよ。
恥ずかしいな。でも、頭に声が響くってちょっと驚くよね」
「魔術の素養なしで念話できるので奇跡の御業と思われても仕方のないことです」
「部隊長にした人の周辺も見えるよ。これは休憩してるところも丸見えだなぁ」
貿易都市を眼下に望む小高い丘の上。
リラはこめかみに手を当てただ念じるだけで、解放軍の様子を見通した。
解放軍の本隊は、都市を挟んだ東側の森にすでに待機しているようだ。
「千里眼と念話ですね。軍を指揮する者なら誰もが羨む能力でしょうね」
「セイカも羨ましい?」
「いえ、私は……」
「そこは嘘でも欲しいって言おうよ~」
本当に昨日のことを気にしていないみたいだ。
空気でも抜けたかのように私の腕にしなだれ掛かってきた。
小さくて軽くてとにかく柔らかい。
やっぱり女の子はこういうほうがいいよね。
どうして私は大きくて重くて堅いんだろう。
「見たことない人が解放軍の中に見えるんだけど、セイカ知ってる人かな?」
千里眼のない私にはその光景が見えていないけど……予想はつく。
北の港町に隠れていた花畑王女とそれを護衛する苦悩の聖騎士だろう。
「戦場に似つかわしくないドレスのお姫様と、派手な赤鎧の美形剣士ですね?」
「ふふっ、その言い方……セイカってその人たちのこと苦手なの?」
「私を殺すかもしれない人たちですので、つい警戒心が出ました」
「なにそれ!? また聞いてない秘密が出てきたよ!?」
驚きの声をあげるリラ。
表情がころころと変わって本当に子供みたいだ。
釣られて私も微笑み返すが、どうしてもぎこちない笑みになってしまう。
伝えていないことがたくさんある。
未来の記憶をリラにどう説明したらいいのか、私はずっと考えあぐねていた。
私にだってわからないことが多いのだ。
こうなったら、面倒な説明は賢者に押し付けてしまおう。
リラの言う通りに賢者が賢く優しい者ならばすべて解決してくれるだろう。
そんな賢者様なら苛立ちをぶつけられても受け流してくれますよね?
……私は本当にかわいくないな。
「この戦闘が終わったら全部話します。賢者を交えて今度こそ……全部を」
「言ったね?約束だからね? 指きりだよ」
小指を絡ませて嬉しそうに腕を振るリラに表情が蕩けそうになる。
これから戦闘だと言うのに、まるで緊張感がなかった。
「でもさ、本当に帝国兵相手に、派手にやっちゃっていいの?
目立たないほうがいいんじゃなかった?」
「貿易都市の内部では今や帝国によって戒厳令が布かれているでしょう。
王国民は屋外へ出ることも控えて震えているはずです」
作戦はいたって単純だ。
貿易都市に正面から乗り込み、帝国兵を片っ端から叩きのめして捕縛する。
派手に暴れて帝国兵を防壁の外へとできる限り引きつける。
その裏から解放軍が内部に入り込み都市を制圧する。
いわゆる陽動作戦だ。
防壁の外ならいくら暴れても王国民に見られる心配はない。
勇者の攻撃で陽動は確実に機能するだろう。
仮に敵兵が釣られなくても、こちらから踏み込んでいくだけだ。
「さすがセイカ。戦術眼?も完璧だね。導きの加護も成功を見通してるよ」
「賢者の試験でもありますから、心持ち派手めに攻め落としてさしあげましょう」
「それではセイカのご期待に応えて、派手な狼煙あげちゃうよー」
小さな拳をぐるぐる回して、やる気になったリラが戦端を開いた。
音と光で目を引き付ける花火の魔術を打ち上げて見張りの目と耳を眩ませる。
それは同時に解放軍への合図でもあった。
にわかに防壁周辺が騒がしくなる。
「本当に、本当にいいんだよね?」
「もちろんです。侵略者には容赦はいりません。
ですが、なるべくは生かして捕らえてください。
捕らえた分だけ解放軍の資金が増えることになりますから」
「そういうもんなの?」
「えぇ、そういうものですよ」
軽く会話を交わしながら、ぞろぞろと群がってきた帝国兵に睨みを利かせる。
リラは手のひらの中で風と雷の魔術を練っていた。
致命傷を与えず無力化するために、衝撃で気絶させるのが目的だろう。
戦争の基本を知らなくても答えにいたるのは導きの加護があってこそ。
「それじゃ遠慮なく、勇者リラ行きまーす!!」
無防備に駆け寄っていくが帝国兵の攻撃は、ひとつ、ふたつ、空を切る。
撃ち掛けられる弓矢ですらリラの速さに及ばない。
「すごい! こんなにも身体が動くよ!」
緩急をつけた踏み込みは舞を踊っているようで、右に左にスカートも揺れる。
放たれた雷玉は触れたものの全身を痺れさせ、大地へと伏せさせた。
「力に溺れちゃいそうになる気持ちが少しだけわかるよ」
リラはかなり興奮している。
高揚感がこちらにまで伝わってきて、私も思わず極大魔術を放つところだった。
危ない危ない。
後方支援に徹しよう。
「なんだか魔王さまになった気分だよ。
世界征服したら半分をセイカにあげるね!」
「リ、リラ!?」
導きの加護があれば世界を手中にすることも可能だろう。
でもそのために送りの加護がある。
召喚された勇者に課す足枷。勇者を暗殺するための切り札。
あれ? 送りの加護を与えていない勇者ってものすごく危険なのでは?
まさかリラがそんなことするわけないわよ……ね?
考えすぎ、考えすぎ。
でも、まさかってことも……
「大丈夫。わたしはセイカの期待に背くようなことしないよ。絶対にね!」
小指を立てて指きりだよっと叫びながら帝国兵の中に埋もれていく。
そして……
尽く返り討ちにして笑顔で帰ってきた。
うん、強すぎるでしょこの子。
暴走したらこの世界詰むわ。
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「これで終わりみたい~。内部は本隊が制圧したってさ~」
作戦通りならば、解放軍に加わった修道女たちが主導して、怪我人たちを手当てして回っているはずだ。
「あとは解放軍に任せましょう。女王や賢者が上手くまとめてくださるはずです」
捕らえられていた要人も解放され、すぐに都市機能も正常化するだろう。
食料に関しても帝国の徴収した物を再配布するだけで不満を抑えられそうだ。
奪われたものを返すだけであがる好感度。ちょろいな。
元はといえば王国が護れなかったせいなんだけど大丈夫なのかな。
全ては邪神に魅入られた帝国が悪いってことにしておこう。
「ねぇセイカ。これで本当に終わりなのかな?
すごい胸騒ぎがするんだけど、わたしの気のせいってことはないよね?」
「警戒いたしましょう。
あなたは勇者リラ。直感に自信を持ってください」
私にも感知できた。
本当に邪神が悪さをしているのかもしれない。