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番外編   聖アレクシスの苦悩

ノア・アレクシス・椎葉事務室長のお話。

 日曜日の食堂は閑散としていた。まだ朝の八時前、ゆっくりしている所員が多いのだろう。

 小川は左手にコーヒー、右手に焼きそばパンを持って研究室に戻るところだった。

 ふと見ると、窓際にひときわ目立つ存在があった。小川は足を止めて声をかけた。

「おはようございます。椎葉室長」

 椎葉は人差し指を立て小川に向け注意を促すような顔をした。

 あ、と気づき小川は言い直した。

「おはよう、アレクシス」

 うんうんと室長は満足そうにうなずいた。

 小川はそのまま室長のテーブルについた。

「今日は休日でしたね」

 室長は休日にはなぜか『私人に戻るから』という理由で、姓ではなく名前で呼ばれることを好む。そのため執務中ならいつもスリーピースを着ているが、服装もごくラフな感じだ。今朝はブルーの細い縦縞が入った綿のシャツにアースカラーのチノパンだ。漆黒の肌によく似合っている。

「安息日なのに、今日もお仕事ですか?」

 白衣に無精髭の小川をあきれ顔で見ている。室長の前にはコーヒーカップだけだ。食後の一杯だろう。

「カナタの腕のパーツが改良できそうなので、それを少しだけ」

「仮眠室に入り浸りじゃないでしょうね?」

 小川はあわてて首を横に振った。滅相も御座いません、と。

 何もかも見透かすような黒曜石の瞳がきらりと光る。小川は冷や汗をかきながら作り笑いをしてみせた。

「信じましょう、それに私は今日はオフですから詮索はおわりです」

 そう言ってコーヒーを口に運んだ。小川も一緒にパンにかじりつく。

「焼きそばパン…丸子博士の好物でしたね。炭水化物プラス炭水化物、意味が分からない」

 皮肉るように口にした室長は、ふと淋しげに笑って言った。

「一人で三回の生体移植の成功例になってやる、なんて言ってたくせに」

 小川は食事の手を止めた。

「もう三年ですね…天然痘の影響も残っていたのでしょうか」

 さあ、と室長は肩をすくめた。

 小川の同僚であり先輩の丸子博士は三年前に亡くなった。アルコールの過剰摂取による慢性的な肝臓病を患い、三度目の肝臓移植に挑んだが成功しなかったのだ。

「私はいつも思うのですよ」

 室長が不意に語りだした。

「自分が死を迎えるときのことを」

「はあ…?」

 ぽかんとする小川を優しく諭すように室長は続けた。

「若いあなたにはまだ実感がわかないでしょうが」

「いえ、ぼくも六十七になりましたよ」

 おや、そうでしたかと室長はひと呼吸置いた。

「まだまだ若い。とにかく三桁に近くなると考えますよ。それに抗エイジングを受けていたらいつお迎えが来るかわかりません」

 それはそうだ。抗エイジング処方の最大の欠点ともいえる。

「小川博士、身長はおいくつですか」

「えーと、百九十一センチです」

 室長が無言で睨んでいる。

「すみません、ウソです。百九十三です」

 高すぎる身長が少しばかりコンプレックスだとは、更に高身長の室長には言えない。

「あなたも私も二メートル前後、こんな物体がいきなり倒れたらどうなります? 時と場合によっては事故を引き起こします」

 室長は真剣な眼差しで小川を見つめた。

「まあ…そうですね」

 旋盤や高圧電流を扱っているときに、もしも意識を失ったら? よしんば自分は死ぬからいいとして…。

「後始末が大変そうですね…」

 腕組みして顎に指をあてた小川の意見に室長は同意してうなずいた。

「ですから、できれば倒れるときには、こう膝を曲げて…」

 室長は立ち上がって実演して見せた。

 膝を曲げて前のめりに場所を取らないように倒れる。汚れることを忌わず床に寝転んだ室長は、小川の目からも巨大に見えた。

「自分も室長とあまり変わらないサイズですよね」

 確かにこれだけの物体が倒れるのは、事件だし事故を招く。

「ぼくも気をつけないと…」

 真剣味を増した小川に満足がいったのか、室長は立ち上がって埃を払った。

「そうだ、こんどロボ研に新しいメンバーが増えそうですよ」

「ああ、それ助かります。ソフィア博士と二人だけじゃ、メンテナンスだけで手一杯で」

 そう答えると、室長は意外という表情をした。

「ソフィア博士との二人きりの蜜月が間もなく終了ですよ」

 言われて小川は首まで赤くした。

「そんな、蜜月だなんて…ソフィア博士は相変わらずクールですし、だいいちいつもカナタが一緒なんですから、どうにもこうにも進展もしてな…い…」

「そこまで聞いてません」

 室長が小川を呆れ顔で見下ろしていた。

「そっ、そうですよね!!」

 じゃあ、と小川はほうほうの体で退散した。

 膝を折り腕を胸の前に交差してそのまま床に伏す…。

 室長が実演してみせた姿はまるで何かに祈るようにして倒れていくものだった。

 誰しもいつか、みんなとサヨナラをする。

 丸子の遺品には、家族との写真が一枚だけ残されていた。古風にも紙にプリントされたその中で、丸子は二人の女の子を両手で抱いてた。

 ちょっと、むっつりして。

 小川は白衣の大きなポケットの中に忍ばせたコロッケパンをソフィアと半分にして一緒に食べようと思った。

 アレクシスの苦悩と、新しいメンバーのことと、丸子の思い出話をしながら。


平和なドームのお話も書きたかったので。

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