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彼はロボット  2

流血あり。ご注意ください。

 小川は耳をそばだてた。足音は数人分だ。朝比奈は議長に付き添いを三名まで認めていた。だから多くても四人だろう。

 壁に揺らめく影と慎重に降りてくる足音、面会のときは一刻一刻近づいている。

 小川は緊張が過ぎてめまいと吐き気がした。

 やがて白い防疫服に身を包んだ四人が現れた。全身を覆う服装のせいで、性別も容姿の違いも分からない。手前に二人、一人を挟んで後ろに一人。中心に立つ、がっしりした体格の人物が議長なのだろう。

 一行はホールまでおりた。シェルターの扉を背に、小川の右斜め前に朝比奈が、さらにその前にカナタが立つ。

 お付きのものを後ろにまわし、ホールの中ほどまで進み出た人物が深みのある低い声を発した。

 朝比奈は端末を右手に握りしめ、耳を澄ませるように目を伏せて聞いていた。

「ヨナーシュ・フラステクだ」

 ゆっくり目を開いた朝比奈は顔をあげた。

「朝比奈です」

 そうしてカナタより一歩前に足を踏み出した。ヨナーシュの顔は防疫服の透明なヘルメットの向こうだ。鼻から上だけが見える。朝比奈は端末を確認すると眉を曇らせた。

「声紋では確定不可なのね」

 議長が首をかしげる。

「ドクター朝比奈、私と話したいこととは」

 朝比奈は臆することなく、議長のヘルメットの中の青い双眸を見つめた。

「人工眼球…」

「なに…?」

 二人の噛み合わない会話を小川は冷や汗を流しながら聞いていた。

 カナタは頭部が何かに固定されたように、議長の後ろに控える三人に向けられたままだ。

「思い出して、わたしよ。あなたは夫のハリンでしょう?」

 一歩進み、近づいた朝比奈に押されるように議長の体が後ろにゆらいだ。

「ほら、あなたの好きなワンピース着てきたの。わたしはあなたと離ればなれになったときのままの姿よ。少しも変わってないでしょう」

 小川は朝比奈の意図に気づかされた。……もしかして、すべてはいつか議長に会うための準備だったのか。

「意味がわからない。私はフラステクだ」

「そんなはずない。わたしは初めてあなたを見たときにすぐ分かったわ、ハリンは事故で死んでいない、フラステクに作り替えられたんだって」

 議長は絶句した。

「ここに来る前から何年もあなたのことを調べたわ。出身が夫のハリンと同じ町、でも詳しく調べていくと、いつも途中で経歴がうやむやになる。事故の年に大きな怪我をしていたわ。本来のあなたと夫はそこで入れ替わったんじゃない? わたしには分かる、あなたはハリンなの」

「狂気の沙汰だ。たかがそんな個人的な思い込みで、これだけの騒ぎを起こしたというのか!」

「たかが、じゃないわ!! 違うなら夫を返して! あそこから見つけて連れてきて!」

 議長は朝比奈に詰め寄られ明らかにたじろいだ。

「あの日、夫が帰ってきたらわたしは妊娠を告げるはずだった…」

 朝比奈は両手を腹部にあてた。

「家族が増えるって…でも事故で夫は帰らず、わたしはショックから流産したわ」

 欲しかったけど、得られなかった子ども。以前、朝比奈は遠い目をして小川に話して聞かせた。ことの真相は悲惨だったのだ。

「そのあと、ハリンの冷凍保存の精子を使って何度も妊娠しようとしたけどすべて失敗だった。成功率が八割を越えるのに。まるで誰かが妨害してるみたいに、ね」

 小川には朝比奈はすでに常軌を逸していると感じられた。

 議長は何も答えない。朝比奈に恐れを抱いているようにも見える。

「夫ではない証拠を見せて。端末に指を…グローブを外して。指紋を確かめさせて」

 さあ、と朝比奈は端末を議長に突きつけた。不気味なことに警護のものたちが止めに入らない。微動だにせず、まばたきをしないカナタと睨みあっている。カナタの手指が徐々に握りこまれ、拳になってゆく。

 議長は朝比奈に命じられるまま、グローブに手をかけた。

 カナタの唇が何かを呟いた。

「ステルス…!」

「え?」

 カナタの真っ正面にいた一人の体がゆらいだ。

「下がって!」

 カナタの鋭い声に小川は朝比奈に飛びつき一気に扉まで下がった。同じく議長が警護の一人に引き戻される。

 不意に朝比奈の手から端末がはじけ飛び、ひゅう、という低い音がしたかと思うと、床に赤いものが撒かれた。

「あああ!!」

 朝比奈の右手が切り裂かれ血がほとばしった。

 朝比奈は自身の手首を掴み止血しようとしているが、体が瘧のように震えていた。

「カナタ!」

 カナタは正面の警護の顔面に膝げりを喰らわせていた。倒れるかと思われた体は不自然な体勢のまま、たわむようにして元に戻った。見ると左手首がない。いや、違う。ワイヤー付きの手首をカナタが絡め取っていた。

 鋭い爪が赤く染まった端末を掴んでいるのが見えた。

「ロボット!?」

 カナタは相手の腹を蹴りつけ、襲いくるもう一人にぶつけた。

 そのまま素早く距離を詰め、低い姿勢からカナタは警護の前で右腕を足下から顎に向けて力強く振り抜いた。

 カナタの手首から伸びた刃が、前方の警護を防疫服ごと引き裂く。

 思わず目をそむけた小川の耳に金属音が響いた。振り返りカナタを探す。

 床にパーツがばらまかれ、カナタの左肩は鈎爪で破られて朱に濡れていた。肩から伸びた数本のケーブルで腕は辛うじてつながり、膝の位置までぶら下がっていた。

 カナタが斬った防疫服の中に見えたのは、黒のプラスチックスエットとはみ出た機械…。一体を屠ったカナタは小川と目が合うと叫んだ。

「シェルターへ! 警護はロボットだ!!」

 唇を噛みしめ、朝比奈が入り口のコンソールに手を当てるが、傷口のせいか血のせいか認識されない。

 カナタは勢いよく体を回転させ蹴りを放った。後方のロボットにカナタの踵がめり込み頭部を潰す。飛ばされた体がぶつかった衝撃で手すりが曲がった。エラーを起こしたように、四肢が無意味な動きをするロボットが床に転がった。

 カナタは自身の左腕を迷いもなく引きちぎった。

「はやく!」

「あっ」

 今こそ使う時だ。

 小川はポケットの鍵を探した。震えてうまく掴めない。それでも何とか手にするとコンソールの横のパネルをこじ開け鍵をさす。

 しかし扉は無情にも開かない。

「パスワード!?」

 コンソールの液晶に四個のアスタリスクが現れ点滅している。小川はソフィアからパスワードなど教えられずに来た。

 破裂音がしたかと思うと、いきなり朝比奈の膝が力を失った。小川はとっさに左腕で支えた。

「朝比奈先生!」

 首から血が信じられない勢いで溢れてくる。朝比奈の見開かれた両の目、蒼白の顔面。瞬く間に白衣の襟元から肩を赤に変えていく。血の濃い匂いが立ちこめた。

 階段のなかほど、議長のそばの警護の伸ばした腕には小型の銃が握られていた。弾丸が過たず首を撃ち抜き、頸動脈を傷つけたのだ。

「三原則を外されてるのか!?」

 カナタが数歩の助走で大きく跳ね、階段のロボットに向けて刃を振りかざす。

 議長を前に突き飛ばすとロボットはなおも朝比奈に銃口を向けて狙った。

「……!!」

 朝比奈が四桁の数字を叫び、小川は素早く入力した。扉が開く音と共に、耳をつんざくような音とまばゆい光がホールではじけた。小川は開いた扉の隙間から朝比奈を横抱えして通路へ体を押し込み、伏せた。

 空間がどん、と大きく揺れた。一拍置いて小川が頭をあげると、あたりは一変していた。すぐ上の踊り場から銃を持つロボットがいた足元までコンクリートに亀裂が走り、焦げ臭い匂いが充満していた。そしてカナタの足元に黒焦げの防疫服のロボットが倒れていた。

「カナタ!!」

カナタの右腕の刃は小さな火花を散らしていた。高圧電流を放ったのだろうか。振り返ったカナタの瞳は緑の蛍光色を放っていた。

 小川の近いところで議長が腰を抜かしたようにしてカナタを見ている。

 にわかに地震の前触れのような震動が伝わって来たかと思うと、階段にライフルを手に黒づくめの一団が殺到した。

「特殊部隊か!!」

 足音の荒々しさとは裏腹に一言も発せず、すばやい動作で規則的に並ぶと体勢を低くし、ただ小川たち三人に狙いを定めた。

「なくなれ…ぜんぶ」

 床に倒れた朝比奈から呪詛のようなうめき声がした。通路の傾斜に沿って、血がいくつも筋を作っている。どこから出したのか、端末の上を朝比奈の指が滑る。先に奪われたのは、ソフィアのものだったのか。

「いけない!!」

 小川が取りあげるより早く朝比奈は画面のエンターを押した。

 銃を構える音をかき消すように、シェルターの奥から猛獣がひと吠えしたかに思われた。

『原子力発電、稼働率九十……百…百一』

 おそらく自動放送だ。館内にサイレンが鳴り出した。

 みな一瞬、あたりを見渡す。カウントアップは続く。

『百四…百六』

 あはは、と朝比奈は哄笑した。

「こんなセカイ、いみがない」

朝比奈の首から血が止めどなく溢れ出る。小川は端末をもぎ取り操作しようとしたが無駄だった。

 続く朝比奈の笑い声、銃口はいつの間にか端末を持つ小川に向けられていた。

「博士!!」

 聞こえたのはカナタの声と銃声。小川は体に衝撃を感じた。端末が手から離れる。体が倒れるまでが、やけにゆっくり感じた。思い浮かぶのは、満開のりんご花と家族の顔……これが走馬灯というやつか。小川は死を悟った。

 が、頭をしたたか打ち、小川は我にかえった。

 あり得ないものが小川の体にのし掛かっていた。

 ひしゃげた防疫服のヘルメットから、半分潰された顔が見えた。それは先刻カナタが蹴り飛ばしたロボットだった。背中から薄く煙が立ち火薬の匂いをさせている。

「なっ、どうして!?」

 ぎくしゃくとロボットは身を起こした。

「ますたー」

 しゃがれた声だった。しかし小川には聞き覚えのあるものだった。

「飛天、か!」

 殯の飛天、かつて小川が開発したロボットだ。ロボットはうなずいたのか、首が揺れただけなのか判別はつかないような動きを見せた。

「敵、を排除…ますたー、守り、ます」

 エラーだ。小川が止めるより早く、飛天は駆け出し、両手首を狙撃者に向けた。

「ああ!!」

 このままでは自分の作ったロボットが人を殺める、小川は耐えられず悲鳴をあげた。

 カナタが壁を蹴り、宙に舞ったかと思うと、飛天を真上から突き刺した。カナタの刃は飛天の体を貫き床に刃先が当たる鈍い音がした。

「ます、たー…」

 切り裂かれた飛天は小川に向かって手を差しのべ、一つ残った瞳を静かに閉ざした。

 小川は悲鳴に似た叫び声をあげた。

『稼働率百二十五、過稼働域に突入、全ゲート解放。総員十分以内に待避、十分後、再びゲートが閉まります』

 今や鳴り響くサイレンは耳を聾すレベルだ。カナタは小川が落とした端末を拾いあげた。

「カナタ、止めて! 止めてくれ!!」

 カナタになら止められるはずだ。しかし小川の声など聞こえていないようだった。カナタは特殊部隊の兵士に端末を向け、口角をあげて笑ってみせた。

 まるで何かに魅入られたように、焦点の合わない目付きをしていた。

「キエ…ロ」

 朝比奈の唇が動いた。

 狙撃者たちの隊列が乱れた。明らかに動揺しながらも、しかしカナタには標的に当てられる赤いレーザー光線が集まった。トリガーに力がかかるのが見えた。

『百二十八……』

 動けずにいる小川の横を何かが駆け抜けた。

「カ……タ!」

 髪を振り乱したソフィアがよろめきながら、カナタに抱きついた。ソフィアの背中が光線で朱に染まった。

 カナタがソフィアを振りほどくように、体をよじらせた。しかしソフィアはカナタの小さな体にしがみついた。

「やめ…て」

 ソフィアは力強くカナタを抱きしめ、かすれた声で呼びかけた。

「…強権」

 カナタの目に光が戻った。手から端末が落ち、カナタの全身から力が抜けた。ソフィアは端末を拾うと、素早くパスコードを打ちこんだ。

 シェルターの奥からの咆哮は急速に静まり、サイレンも鳴り止んだ。

『稼働率平常値。各自持ち場を確認』

 ソフィアは今にも泣きそうな顔で、膝から力が抜け、しゃがみこんだカナタの体を胸に抱き続けた。

 小川が通路を見ると、ヘルメットとグローブを外した議長が朝比奈の傍らにいて、手を握っていた。

 すでに朝比奈に息はなかった。ただいつもの優しげな微笑みを浮かべていた。

「ミユキ……」

 小川は議長が小さく彼女の名前を呼ぶのを聞いた。


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