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りんごの花

 さわやかな柑橘の薫りが介護施設の室内に流れた。

「スッケ(すっぱい)な」

 眉間にシワを寄せた祖母の口から国訛りがこぼれて小川の頬はゆるんだ。

「ヤマナカさん、もうむかなくていいよ。食べきれそうにないから」

 男性型介護ロボットのヤマナカの輪郭は丸く、下がり眉で愛嬌がある。テーブル上のハッサクを篭にもどし、小川にお茶を出した。

「ほんとはりんごにしようと思ったんだけど、今じきは売ってなかったんだ」

「夏場のりんごなんて食えたもんじゃない。金の無駄だ」

 小川の祖母はハンカチで指先をぬぐいヤマナカに命じた。

「あとはいいよ」

 はい、と返事をすると退室していく。小川はその背中に声をかけた。

「いつも祖母の面倒を見てくれて、ありがとう」

 振り返ったヤマナカの表情がエラーを起こしたように一瞬だけ固まったが、すぐに自然な笑顔を作った。そして会釈して出ていった。

「相変わらずロボットが好きなんだねえ。下働きのロボットに礼を言うなんて。新しい会社でも作ってるんだろ」

「うん。転職のこと話していたっけ?」

 小川はソファーから祖母の小さい体を軽々と抱き上げベッドに戻した。幼い頃に自分をおぶったこともあったと小川は覚えている。百歳に手が届くほどになった祖母が小さくしぼんでしまったことを、今さらながら思い知らされる。

「こないだお父さんたちが来たときに聞いたよ。春乃ちゃんも連れて来た。晴哉が孫見せてくれないからとか言って、還暦近くにもう一人子ども作るとはね」

 小川は苦笑した。

「ぼくも三十過ぎて妹ができるなんて思わなかったよ。父さんたち、人工子宮の使用権が取れて舞いあがっていたから。使わなきゃ損だと思ったのかな」

「使えるからって、何でもしていいわけじゃないだろうに」

 小川はベッドの背を起こして祖母を座らせた。毛布を引きあげる小川の手首に巻かれた包帯に祖母が気づいた。

「怪我したのかい?」

「これ? 仕事場でコードに引っかかって転んでさ」

 気をつけなよ、と祖母が小川をいたわった。小川は笑って応えた。

「このあいだ初めて行ってきた、東側の家に。写真とビデオ撮ってきたから見せようと思って」

 小川はベッドの向かい側にある壁掛けテレビにメモリを挿した。

「立ち入り制限地区になってから、帰ったことは?」

 小川が撮ってきたスライドショーが始まった。

「一度もないね。風向きで線量が上がりそうだから、一週間くらいだけ避難してほしいって言われてさ。すぐに帰れると思っていたのに、それっきり。おじいさんは最初の避難先で当分帰れないって言われたからか、がっくりきて心筋梗塞で亡くなったし」

 映像は、小川の家がある地区へと移動中だ。両側に緑の壁が迫る。かろうじて、道路だけは草木を払い通行を可能にしていた。

 それでも州政府が用意した車はホバークラフト式だった。ひび割れ穴だらけの路面はタイヤなど走らせられる状態ではなかった。車内は簡易防護服を着た元住民が乗り、満席状態。みな浮き足立っていた。一時帰宅も確か十年ぶりくらいなのだから。

 小川には初めて見る景色だが、かつて住んでいたならば懐かしくてたまらないからだろう。

「五月かい? 山桜が咲いてる」

 祖母はまぶしそうに目を細めた。

 半壊の民家がまばらに残る。長年閉鎖された地区は、荒れていた。田畑は森になり、家畜が野生化していると説明された。

 事故から四十年あまり。盗難を防ぐのがやっとだったのではないかと小川は思った。 

 各々が自宅のそばで車から下ろされ、三時間の自由行動が与えられた。

 冬場の雪の重みに耐えきれず壊れた家屋が目立つなか、小川の家は比較的痛みが少なかった。

「思ったよりこざっぱりしてるね」

 二階建ての家が正面に、向かって右手に母屋と同じくらいの大きさの納屋、左手奥には果樹園の名残が見える。玄関までのアスファルトは割れて草が生えていた。

 玄関の鍵を開けて室内に入ると、そこは普段の日常生活がそのままの状態だった。ついさっきまで人が住んでいたように感じられた。

 幸運なことに盗みに入られた形跡はなかった。

「農作業カレンダー……」

 そこには種まきの予定や肥料が届く日に丸がつけてある。

 室内のテーブルには、埃をかぶった湯飲みが倒れてあった。

「二階は、窓ガラスが割れていた。上にはあがれなかったんだ。階段も腐ってたし」

 小川は祖母に説明した。聞いているのかいないのか、祖母はただうなずく。

「果樹園のようすも見てきたよ」

 画面には、どっしりとした幹から伸びた枝が横に広がってから上方に向かって成長している四百本あまりの木立が映った。

「ああ、りんご畑だ」

 りんごの枝えだには白い花が咲いていた。

「天気がよくてね。蜂が飛んでいたよ」

「おじいちゃんがミツバチの巣箱を置いたんだよ。受粉させるために。それと自家製ハチミツを食べたいから……」

 多分、箱はすでに朽ち、蜂の巣は別にあるのだろう。

 雲雀の鳴き声が高いところから響いていた。風に混じる、りんごの葉ずれの音。そして蜂の飛ぶ小さな音だけがあった。

「真っ青な空にりんごの花と、遠くの山桜……信じられないくらいきれいだったよ」

「そうかい」

 祖母はテレビから、そっと視線を外した。

 目を閉じ、記憶の中の風景をなぞっているように見えた。

「ずっとりんごの世話をして終わるもんだと思っていたよ。朝から晩まで一日中働いて。私らのような暮らしはもう時代遅れだったんだろうね。天気に左右されて同じものなんか二度と作れない。でも買ってくれたお客さんから『おいしかったです。毎年楽しみにしています』なんて言われるとそれだけで苦労が吹き飛んで」

 単純だよねえ、と祖母はつぶやいた。

「作業用ロボットが家に来たときには嬉しかった。晴哉の父さんが生まれたばかりで体がユルくなかったから」

 ユルくない、キツいということを祖母は地元の言葉を使う。

「おばあちゃん、小川の家がほかより荒れてなかったのはこれのおかげじゃないかな」

 小川はスライドの中から果樹園の写真を探して映した。

 伸び始めた雑草の中に、人工的な塊があった。

 小さめの段ボールを二個重ねたような縦長のフォルム。アーム状のものが四本、まるでりんごの木を世話するように上がった状態で止まっている。

「コタロー……? コタローだ!」

 祖母が食い入るように画面を見つめた。

「高田浜中社製の農作業用ロボット、耕太郎シリーズ。動力源は太陽光発電でまかなう、でしょう?」

「ああ。地震で停電したときコタローから電気を引けたから助かったんだよ。コタローは農作業もしたけど、背中にバスケットつけてもらって、赤ちゃんだったおまえの父さんを入れて子守もした」

 農作業用ロボットは狭い場所へも入るように小型だ。小川の胸までもないくらいの高さ。ぬかるみや斜面にも対応できるように足回りはキャタピラー。頭部には極端に大きく丸いレンズ状の太陽光発電パネル、おざなりな作りが逆にユーモラスな印象を与える。

 会話する機能はついていない。警告音が鳴るくらいだ。

「このロボットが、家の面倒を見ていたんじゃないかな。農作業はもちろん、冬場の除雪とか。泥棒も追い払ってくれたのかも知れない」

「誰もいないのにかい?」

「そうするようにプログラムしてあったんだと思う。データを回収したら、つい八年前まで動いていたよ。びっくりした」

 わずかに残っていたコタローのデータには淡々とした日常が映されていた。家の周りを掃き清め、雑草を抜き、りんごの世話をしていた。無人になって三十年間、稼働し続けたのだ。

 小川はコタローのデータをモニターに映した。日々の作業の合間に撮られた、花々や動物たち。緑に染まっていく集落や秋の紅葉。ただ白くしか映っていない雪景色。

 祖母はまばたきも忘れたように、モニターに見入った。

「一緒に作業したよ。枝の剪定や、実をつけさせ過ぎないように実が小さいうちに摘果っていう作業をするんだ。秋には収穫……糖度を測ったり、蜜の入りを調べたり。熟すのを待ってるうちに雪が降りだすと、凍らないように大急ぎで採り入れたよ。寒くて指がかじかんで……辛くて泣きたくなった。でもコタローが黙って働いているのを見るとなんでだか励まされてるみたいで頑張れたよ」

 懐かしいね。祖母は柔らかくほほえんだ。

 小川はただひとりで黙々と作業をするコタローを想像した。雨の日も、雪の日も。命じられた仕事をこなしてる。帰らない主人たちを待って。

「思い出した。避難するときにコタローに言ったんだよ。『一週間くらいで戻るから、家のことをお願いね』って。まさか、二度と戻れないなんて思いもしなかった。なにのにコタローはひとりきりで畑や家を守ってくれてたんだね……」

 祖母の深いしわの奥の目から涙がこぼれた。

「ずっと忘れていたよ。まさか、ずっと動いていたなんて。ごめんな、一人きりにしてしまって。晴哉、ばあちゃん分かったよ。こんなときは自然と言えるもんだね…ありがとう、ありがとうコタロー」

 小川は祖母のかたわらに寄り添うと、肩を抱き小さな手を握った。

「家の中のアルバムデータも持ってきた」

 ほら、と小川が差し出したタブレットには、真っ赤に実ったすずなりのりんごの木の下に、若き日の祖母と祖父。それに背負ったバスケットに幼い父を入れたコタローがならんで立っていた。

 かつて、いつまでも続くと思っていた平穏な日常がそこにあった。



 祖母の介護施設からの帰りは予定より遅くなってしまった。

 最寄りの駅へ向かう途中、小川はどこへ戻るか迷った。

 東側から帰って来てから、不審な出来事が続いた。

 会社のロッカーと研究室の机とパソコンが荒らされた。

 めったに帰らないマンションに戻ると、きみが悪いほどきれいに片づけられていた。

 何も盗まれてはいなかったが、何かの警告だというのは分かった。自宅も会社も安全ではないのだ。

 祖母には心配をかけまいと嘘をついたが、怪我は駅の階段を二・三段踏み外して転んだからだ…背中を押されて。

『あたらしく議長に就任したヨナーシュ・フラステク氏は、今後も月のコロニーへの移民を推進することを宣言しました。引き続き火星へのコロニー建設も・・・』

 駅前の大型ビジョンが今日のニュースを伝えている。

 小川は、東側の自宅から持ち帰った地震直後のニュース…加工されていないものを思い返していた。祖母のいう通り地震直後は停電したが、コタローのバッテリーから電気が使えた。そのため自動録画されたニュースが残っていた。

『・・・火力発電所から、何者かが上空のヘリを攻撃しているもよう。これはテロなのでしょうか。救助に向かった九体のロボットからの応答が途切れたと、いま報告が入りました』

 今現在、当時のものとして流布しているのは、『原子力発電所の事故』だが、真実は違っていた。やはり火力発電所の事故、そして事故現場に向かったロボットは九体だ。

 残り一体はどこにあったんだろう。

 …小川は見てしまった。

 火力発電所の事故の映像を。救助に向かったヘリがなぜか墜落し、替わりに軍事用のヘリが飛んできた映像を。

 歴史は政府に改竄されている。確証を得てしまった小川は途方にくれた。

 だからといって、これをどう扱えばいいのか?

 追いかけていたはずのギンガたちの姿をまた見失った…。

 こちらに帰ってきてから、常に誰かの視線を感じる。大学時代に田嶋がいっていた、公安の存在。自分は監視されているのだろうか。


 あの日、東側行くためにホバークラフトに乗り込む前に小川は見かけた。

 田嶋の姿を。

 同行していたのは、市長ではなく州知事だった。政府高官とおぼしき人物もいた。なぜ、一介の地方公務員の田嶋が知事や政府の役人と一緒にいたのか。

 小川には分からなかった。


 終電に近い駅は人影も少なく、しんとしていた。

 旧式のコンクリートの壁は高い湿度で汗をかき、独特の匂いを放っている。

 背後を確認してから小川は慎重に階段を下りた。しかし長い階段の中ほどまで降りてきたとき、不意に背中を突き飛ばされた。

「!」

 受け身を取る間もなく小川は硬い床に叩きつけられた。全身に衝撃が走った。

 わずかの間をおいて、頭と顔の皮膚のうえを生ぬるいものが伝わり落ちる。

 意識が薄れる前に見た階段の上には、煙草をくわえた田嶋が立っていた。


去年まで、父とリンゴ畑の世話をしてました。じつは畑の隣に家が建ち、農薬散布のことなどがあるので、リンゴは去年で最後でした。サヨナラ、リンゴ畑。子どものころからの思い出を詰めて。

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