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前夜  1

 カウンセリングから十日あまり。暦は八月に変わっていた。

 運搬用のロボットは完成した。座席のないスクーターのようなL字型のシルエット、先端の立ち上がった部分に小さな操作盤とハンドルがついている。タッチパネルで行き先を指定する自動運転も、また手動に切り替えることも可能だ。

 人が歩くよりほんの少し速い程度のスピードでのんびり進む。

 小川は試運転のため、実験棟の廊下を行き来している。

「ほんと、すぐ作るよね」

「ヒト型を作る手間を思えば楽なものですから」

「たしかに」

 今回、丸子博士は小川のサポートに回っている。空調が効いているため夏特有の蒸し暑さとは無縁だが、ドーム越しに降り注ぐ陽ざしは真夏そのものだ。

 丸子は健康のためとか、殊勝なことを言って、額に浮かんだ汗を白衣の袖で拭きながら小川の横を歩いている。

 あれから少し分かったことがある。

 サエコ、九条小恵子は事故の前年に病死していたこと。これといった来歴がなかったので、いわゆる研究者ではなかったようだ。

 それから発電所事故の犠牲者の名簿に、ハリン・朝比奈の名が確認できたこと。

 ついでに田嶋とよく似た『但馬(たじま)』なる人物も同じリストにあり、驚いたこと。

 朝比奈医師の言う、ハリン氏議長説はあまりに荒唐無稽としても、仮に但馬と田嶋が同一人物なら機械化した理由は、これかも知れない。

 小川は隣を歩く丸子を見た。すでに息があがり、毛のない頭皮が赤くなっている。

「運転を代わってもらえますか」

 小川が運搬車を停めて声をかけると、丸子は膝に手を当て荒い息に背中をゆらした。

「ああ、ちょうど運動が終ったところだ。だいぶ酒も抜けた」

 今日も丸子はアルコール臭かった。部屋は片付けたようだか、再び酒瓶で埋まるまでそう時間はかからないだろう。 よっこらしょ、と自分にかけ声をして運搬車に乗る丸子を見て小川は思った。

 誰しも事情があって、ここに来たのだ、と。

 丸子も人生に何らかの齟齬があったのだろう。ただ小川が知らないだけで。

「これさ、ほんとにカナタに任せるの? 奴がボクらの言うことを聞くかねぇ」

 懐疑的な口調で丸子が言った。

「聞き入れてもらえたらいいなあって思います」

 小川はポケットから端末機を出してカナタの現在地を確認した。このまま放射線研究室のあたりまで行けば会えそうだ。

「自律タイプは付き合いづらい。単純なロボットほど、嘘がなくていいじゃない。愚直なまでに命令を遂行する。ボクはそんなロボットのほうが愛しいよ」

 それはカナタに固執する小川へのアンチテーゼめいて聞こえ耳が痛くなった。

「あの、丸子博士の肝臓は…」

 小川は先日からの疑問を丸子に訊ねた。

「おっと、ボクの肝臓のことは残った髪の毛と同じくらいナイーヴな話題だよ」

「どっちも大切にしてないじゃないですか…」

 毎日アルコール臭く、髪の毛もボサボサだ。

「もっともな指摘だ! で、何か?」

「丸子博士の移植された肝臓は、自己細胞から培養されたものですか?」

「とうぜん」

 何をいまさら、といったふうに丸子は答えた。

「機械じゃないですよね」

「機械仕掛けにする手間より培養のほうがはるかに簡単で安全だろ?」

 あまりに当たり前すぎる問答だ。けれど、どこか思うところがある小川に気づいたのか、こんどは丸子が聞いてきた。

「何?」

「友人に『体の半分が機械』って奴がいました。いまは自己細胞でほとんどのものが再生可能ですよね。わざわざ機械にする意味はあるんでしょうか?」

 そりゃ、と丸子はわずかに言い淀んだ。

「軍事関係者だろ…対テロ要員のサイボーグ」

 聞き咎める者もいないのに、丸子は小さく言った。

「テロリスト? 反社会分子は存在しないのでは?」

 実際、聞いたこともないし、ニュースで報道されたこともない。小首をかしげる小川を丸子は苦々しく笑って見た。

「今月さ、避難訓練あるだろ?」

「ええ」

 朝比奈が楽しみと言っていた行事だ。

「対テロの避難訓練だよ。シェルターでの動きかたを皆でシミュレーションするんだ」

「な、テロ? ここに? なんで…」

 丸子は運搬車をゆっくりスタートさせた。と、どこからかクシャミが聞こえた。小川はぎくりとして後ろを振り返った。鼻をかみながらゆく職員が見えた。この場所には緊張感は不似合だ。

「ドームの内と外じゃあ、文字どおり世界が違う。処分されたはずのロボットや不自然に命を伸ばしている連中が住む。いないはずのテロリストが襲ってきても不思議じゃないさ」

 体の半分は機械。

 瑕のない人なんてあなたくらい。

 ソフィアは学生時代から愛人。

 …ドームの天気は見せかけ。人びとの外見もまた、見せかけ…。

 田嶋は言った。安易に信じるな、と。

「たとえばですが、被験者が瀕死の状態でいたらどう対処するんでしょうか」

「医療技術研究所なら嬉々として回収するさ。うまくいけばボクらみたいに市民IDが消えて活用のしがいがある人材が合法的に手に入る」

 小川が予測していたことに近い回答を丸子からも得た。

 政府は、小川が思っていた以上に情報を操作している。

 どれが真実で、どれが嘘か。確かめようにも正解のテキストは手元にないのだ

「あ、カナタ」

 丸子の声に顔をあげると、真夏でもスリーピーススタイルを崩さない椎葉室長の後ろにカナタがいた。

 ブルーのキャミソールのうえに白いレースのパーカーを羽織って、一見するとミニスカートのようなキュロットを身につけている。

「…まだハルカ状態だよ」

 丸子の小さなボヤきはカナタにはしっかり聞こえたらしく、不快げに眉を寄せ上目づかいに丸子をにらんだ。

「お二人そろって試運転ですか?」

 椎葉室長が運搬車のほうへ歩み寄ってきた。

「ええ。椎葉室長、風邪とお聞きしてましたが、もう大丈夫なんですか?」

「おかげさまで、昨夜あたりから熱も下がりました。夏風邪で他の職員も欠勤なのでいつまでも休んではいられませんよ」

 もとからヤセ形の椎葉室長は、頬がこけまだ万全とはいえないようだ。

「カナタ、前に言ってたスケッチブック、見るかい?」

 小川は運搬車の荷台からスケッチブックを取り出し、カナタに渡した。

「これは?」

 興味を惹かれたのか椎葉室長もカナタの手元を見つめた。

「ぼくの友人からの餞別です。カナタたちが描かれてるんですよ」

 カナタはスケッチブックの表紙を何度か撫でた。

 久しぶりにカナタを間近で見る。カナタの顔の表皮はまだ修復されていない。触られるのを嫌がるからだ。

 …眼は縦より横に、ほんのわずか広く。重要なのは、むしろ瞳を常人の平均より大きくすること。舞うような優雅な所作を生むために、各関節の稼働域を拡げ…

 小川が自作のロボットに命を吹き込むために重ねた工夫と努力は、カナタを前にするとすべてが呆気なく崩れる。

 カナタの丸い頬、表皮には張りと遊び、涙腺があるかと思う瞳の潤い。

 そしてカナタの反応は、小川のロボットに比べて緩慢に思える。すぐには答えず、何かしら考えているような間を作る。

「見ないの?」

 小川の声に促されるように、カナタは表紙をめくった。パラパラと見始めるとあっという間にスケッチブックを閉じた。

「ん…」

 カナタはスケッチブックを小川に差し出した。

「もういいの?」

「データ取ったから」

 小川と丸子は目配せしあった。丸子は明らかに、小川の作戦ミスをとがめる目つきだ。

「あ…カナタ、手伝って、欲しいことが、あるんだ」

 小川は自分でもぎこちない話し方だと感じた。

「この運搬車で荷物を配達して欲しいんだけど」

「…命令?」

 カナタは頭ひとつぶん背の高い小川の目をまっすぐに見あげた。まるで優等生のように背筋を伸ばしているカナタが愛らしくて小川はほほえんだ。

「どちらかというと、お願い、かな」

「ぼくがそれに従うと?」

 カナタは皮肉めいた顔をした。

「うん」

 小川は膝を曲げてカナタと目線を合わせた。

「だってきみは人を助けるために生まれたんだろう?」

 カナタは一瞬だけ目を見開き、すぐに小川の笑顔から視線をそらした。

「いいかな?」

 カナタは答えず、小川たちに背を向けて来た通路を戻り始めた。

「明日の午前中にゲートに荷物が届くから、頼んだよ」

 小川の声を無視するように、カナタは皆から離れていく。

「カナタ! 分かったのか!?」

 丸子の胴間声に反応するように運搬車が横に揺れ、乗っていた丸子は咄嗟にハンドルにしがみついた。

「こらーっ!」

 腕を振り上げ丸子は怒鳴ったが、小川はカナタなりの返答に、くすりと笑って長い髪がゆれる後ろ姿を見送った。



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