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暗黙の了解 公然の秘密  4

 お母さまはサエコ? …誰? そういえば、カナタのきょうだいたちはどうなったんだろう。

 小川はベンチの背にもたれてドームの天井を眺めた。考えをまとめようとしたが、すべてが初耳だ。思考は進まないまま、やがてまぶたが閉じていった。

二晩続けて寝不足だったのだ。睡魔には抗いようもない。小川は、そのまま眠りに落ちてしまった。


 …誰かの声がした。

「休むならお部屋へ帰ったら?」

「うん…母さん…わかってる」

 寝返りを打つと、体がふわりと宙に浮かんだかと思うと、すぐに衝撃がきた。

「っ!?」

 小川が跳ね起きると、朝比奈医師が口元を押さえ肩を震わせて立っていた。

「おはよう、よく眠れた?」

 あわてて頬についた芝を払い落とす。

「あ、朝!?」

 見ると、ドーム全体が茜色に染まっていた。朝焼けか?カナタと話してから一晩、ここで寝てた?

「ウソ、夕方。さっきまでソフィアもあなたのこと、起こそうとしてたけど諦めて行っちゃたわ」

「ソフィア博士が!! な、なんで、ここ…」

「今日は荷物の届く日だから」

 そう言うと朝比奈は第五ゲートを指さした。第五ゲートの門扉は開け放たれ、トンネル内の壁面が見えた。その前に中型の車両が停めてある。運転手なしでも自動走行できるタイプだ。

 朝比奈の横には小ぶりのカートがあり、薬剤らしき箱を重ねて乗せてある。

「各自荷物を受け取りに行くの」

 確かに今もちいさな人だかりができている。閉鎖施設と言えども完全に自給自足ではないわけだ。

 へー、と言ったあと、小川は顔から血の気が引いた。

「各自…って、皆さん、あそこに行った…ここを通って?」

 ベンチは舗装された通路で縁取られた緑地帯にある。通路は実験棟などの主要な建物からゲートまでの通り道だ。

 つまり小川はだらしなく寝てる様をドームの大半の人たちにご披露したわけだ。

「ドーム内サイトで大人気よ」

 ほら、と朝比奈医師が携帯端末を小川に見せた。ベンチで口を開けて寝こけている小川の姿が多数アップされている。あまりの情けなさに小川は絶句した。

「大物新人加入とかロボ研に命知らず見参とか書かれてる。良かったわね、みんな好意的よ」

 朝比奈はほがらかに笑っている。

 …こういう好意はいらないのに。小川は頭を抱えた。

「ゆっくり休んで。あ、お薬は忘れずに」

 じゃあね、と立ち去る朝比奈を小川は呼び止めた。

「荷物、運ぶの手伝いますよ」

 荷物は華奢な朝比奈には気の毒なほどの大きさだ。小川は立ち上がり、朝比奈からカートのハンドルを引き受けた。

「ありがとう。電動カートは入り口から遠いところが優先的に使うから。医務室はすぐそこでしょ? 毎回人だのみなのよね」

 確かに医務室は一番手前の建物、事務室の隣だ。

「お掃除ロボもいいけど、配達ロボも作って欲しいってソフィアに言ってるけどなかなか忙しいみたいで」

「そうですね、あれば便利だ。許可をもらって作りますよ」

 助かるわ、と朝比奈はほほえんだ。

「さっきわたしが声かけたら、『母さん』って言ってたけど、もうホームシック?」

 小川は頬が熱くなった。寝ぼけていたから半信半疑だったが、口にしたのは本当だったのだ。

「いえ…その、つい反射的に。すみませんでした」

「いいわよ。わたしもこんな見かけだけど、きっと小川博士のお母さまと同じくらいよね」

 三十代にしか見えない朝比奈は薄暮の中では更に若く見えた。

「抗エイジング処方ってすごいですね」

 小川の嘆息に朝比奈は意味ありげな顔をした。

「これは次世代タイプの処方なの。現在開発中。わたしは被験者」

 世界政府の方針だ。二百年ほど前に、医療や生命科学から宗教・倫理を排除した。そこから新しい技術や手法が次々に生まれ民衆に行きわたった。

「施設に入るときの同意書にあったでしょう。『自身の体を開発途上の最先端医療・技術の被験者とすることに同意する』」

「ありましたね」

 政府関係者の大半は、これに属する。抗エイジング処方という命と引き換えだ。何事も美味しいところだけ取れはしない。権利と義務は一対を成すものだ。

「政府関連の施設はどこもだけれど、ドームも実験場だから。閉鎖空間での生活のデータは宇宙船や月面コロニー開発に活用されるの」

 最先端医療や技術の被験者、つまりはモニター。聞こえは悪くないが、いわゆるモルモットだ、と小川は一人ごちした。もっともその条件を飲んだのは小川だ。

「それにしても夕焼けなんてめずらしい」

「そうですか? 梅雨の晴れ間だから?」

 みごとな夕焼けが視線の先に広がっている。漂う雲の縁が橙色ににじんでいる。ドームは樹海に囲まれているため、ほんのひとときの現象だろう。振り返ると、そちらには既に光る星がいくつか。

「カナタは夕焼けが嫌いだから、本物にしろダミーにしろ。いつもはいきなり夜になるのよ」

 わずかのあいだ、足を止めて二人で空を眺めた。三羽のカラスが上空を横切る。朝比奈のゆるく波うつ肩までの髪を風が揺らす。

「…事故を思い出すからみたい。あの日は最初の地震で停電になって、夜がきたら真っ暗で。でも事故現場は赤々と火が燃えて空を焦がしていた」

 それは、まるで夕焼けのようだったのだろう。

「忘れられないって大変ね。五十年前の出来事もカナタには今のことみたいに記録を引き出せる。悲しみも苦しみも時間は癒してくれない」

 小川の胸はずきんと痛んだ。一部たりとも違わない過去を記憶しつづける苦悩はどれほどのことだろう。

「でも今日は機嫌がいいのね。何かあったのかしら」

 まさかカナタが小川と話したくらいで上機嫌になったわけではないだろうが、小川は嬉しかった。

 願い事が叶ったようで。それを思えば、朝からの失敗も少しは気にならなくなる。

「医務室の前まででいいからね」

 正面の入り口から左に折れて医務室の赤十字マークの扉のまえで小川はカートを朝比奈に返した。

「端末に政府からのお知らせが配信されるから、忘れずに見てね。今日は議長からメッセージがあるはずよ」

 どこかはずむような声で朝比奈が小川に教えてくれた。

「なんだか嬉しそうですね」

「わたしね、ヨナーシュ・フラステク議長のファンなの。議員に初当選してからずっと」

 朝比奈は頬を染めている。議長、たしか七十代で北欧区出身なはず。面長で白髪、カミソリの刃を思わせる…。

「亡くなった夫に似てるの」

 そう言うと両手を頬にあて、更に顔を赤くした。そんなはにかんだ表情をすると、まるで少女のようだ。

 小川はくすりと笑った。

「はい。ニュース、見ます。薬も飲みます」

それじゃ、と小川は自室へと戻った。食堂で皆からの好奇の視線にさらされてから…。


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