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戦闘力ゼロの雑魚魔族、運だけで魔王軍の救世主と勘違いされる

作者: 虹村玲
掲載日:2026/02/02

第一部


戦闘力ゼロの雑魚魔族、なぜか前線に立たされる


 魔王軍において、戦闘力ゼロという数値は、才能の欠如ではない。

 それはもはや――存在の否定である。


 少なくとも、雑兵カイはそう理解していた。


「……俺、今日も生き延びたら奇跡だよなぁ」


 魔王城第三防衛区画。

 切り立った黒岩の上に築かれた防衛陣地の片隅で、カイは深いため息をついた。


 周囲では、屈強な魔族たちが武器を整えている。

 魔剣を振るう者、禍々しい魔力を練り上げる者、巨大な盾を背負った重装兵――

 どれもこれも、見ただけで「強い」と分かる連中ばかりだ。


 対して、カイ。


 ・筋力:最低

 ・魔力:検出不能

 ・特技:なし


 鎧は支給品の中で一番軽いやつ。

 剣は重くて振れないので、代わりに持たされているのは――木製の警棒。


「……これ、護身用って言うより、儀式用じゃない?」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 カイはもともと、前線に出るはずの魔族ではなかった。

 本来の役割は倉庫係。

 兵糧を数え、帳簿をつけ、間違えたら上官に怒鳴られる――それだけの仕事。


 だが今。


「よし、配置完了だな! 雑兵! お前はここだ!」


「はい!?」


 屈強な上官が、地図も見ずに指を指した先。

 それは、防衛線の最前列だった。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、後方支援じゃ……」


「人が足りん。以上!」


 会話、終了。


 カイは口を開けたまま、その場に立ち尽くした。


(いやいやいや、絶対に配置ミスだろ……!?)


 だが周囲はすでに戦闘態勢。

 今さら「弱いので無理です」などと言える空気ではない。


 遠くで、角笛が鳴った。


 ――勇者パーティ接近。


「……来る」


 誰かが呟く。


 空気が変わった。

 大地を踏みしめる音。

 張り詰める魔力。

 戦場特有の、命の匂い。


 カイの心臓は、限界まで早鐘を打っていた。


(無理無理無理無理……!

 なんで俺がここにいるんだよ……!)


 そのときだった。


 前方の岩陰から、まばゆい光が放たれる。


「――聖剣解放!」


 勇者の声。


 次の瞬間、必殺級の光弾が放たれた。


 一直線。

 迷いなし。

 狙いは――カイの立っている地点。


「え?」


 カイは理解するより先に、足がもつれた。


 躓く。

 転ぶ。

 地面に顔から突っ込む。


 ――その瞬間。


 カイの背後にあった崖の一部が、なぜか崩落した。


 光弾は進路を変え、跳ね返り、

 なぜか勇者パーティの後方支援魔術師に直撃。


「なっ――!?」


 爆音。

 悲鳴。

 陣形崩壊。


 魔王軍側が、一瞬、静まり返った。


「……?」


 地面に伏せたまま、カイはゆっくり顔を上げた。


 勇者パーティは混乱し、後退を始めている。


「……あれ?」


 次の瞬間。


「おい……今の、見たか?」


「勇者の一撃を……逸らした?」


「いや、あれは……誘導だ」


 ざわめき。


 幹部級魔族たちの視線が、一斉にカイへ集まる。


「……偶然だって……!」


 カイは叫びたかった。

 だが声が出ない。


 上官が、ゆっくりと近づいてくる。


「貴様……名は?」


「カ、カイです……」


「カイ……」


 上官は、深く頷いた。


「なるほど……

 前線に出ること自体が“罠”だったわけか」


「……え?」


「敵はお前を“弱者”と見て、最大火力を集中させた。

 それを利用し、後方を崩す――見事な判断だ」


(え?????)


 周囲の魔族たちが、どよめく。


「そんな策を、即興で……?」


「いや、あの落ち着き……

 最初から読んでいた顔だ」


「まさか……無策を装った策……?」


 カイは、ただただ口を開けていた。


(いや俺、今めちゃくちゃテンパってたんだけど!?)


 だが、その内心は誰にも届かない。


 上官は、満足そうに笑った。


「報告だ。

 “雑兵カイ”、勇者の初撃を無力化」


「え、報告……!?」


「魔王様も、きっと興味を持たれるだろう」


 カイの背筋に、冷たいものが走った。


(やばい。

 これ、完全に勘違いされてる……)


 遠くで、退却する勇者パーティの背中が見える。


 そして、魔王軍の士気は異様なほど高揚していた。


「……俺、今日……

 生き延びたけど……」


 カイは、震える声で呟いた。


「明日が、怖すぎる……」


 ――だがその小さな不安は、

 やがて“伝説の始まり”として語られることになる。


 このとき、誰一人として知らなかった。


 この戦場で起きたのは、

 策でも、才能でもなく――

 ただの、運だったということを。



第二部


魔王、なぜか本気で期待してくる


 魔王城は、やはり魔王城だった。


 高すぎる天井。

 黒曜石の柱。

 床に刻まれた魔法陣は、全部が全部「踏んだら死ぬ」系に見える。


「……場違いすぎる……」


 カイは小声で呟いた。


 両脇を固めるのは、魔王軍幹部クラスの魔族たち。

 全員が全員、明らかに強者である。


 歩くだけで魔力が軋む。

 空気が重い。

 胃が縮む。


(俺、なんでここ歩いてるんだっけ……)


 答えは分かっている。


 ――勇者の一撃を“読んで”逸らした男。


 そんな、とんでもない誤解のせいだ。


「……雑兵の癖に、玉座に近づくな」


 低く唸るような声。


 カイは思わず足を止めた。


「い、いや俺もそう思います!」


 即答したが、護衛に無言で背中を押される。


 そして――


 玉座。


 そこに座っていたのは、魔王だった。


 巨大な角。

 赤黒い外套。

 だが、威圧感以上に目を引くのは――知性。


 すべてを見透かすような視線が、カイを射抜いた。


「……ほう」


 魔王が、ゆっくりと口を開く。


「貴様が、カイか」


「は、はい……!」


 声が裏返る。


「聞いたぞ。

 勇者の初撃を誘導し、後衛を潰したそうだな」


「えっと……それは……」


 どう説明すればいいのか分からない。


 転んだだけです、とは言えない。

 言ったところで信じられない。


 魔王は、顎に手を当てて続けた。


「敵の性格、攻撃傾向、そして“見下し”を利用したか。

 雑兵を囮にするなど、普通は思いつかぬ」


(囮にされてたのは俺です!!)


 心の中で全力ツッコミ。


「しかも、あの一瞬で判断。

 ……才能か、それとも経験か」


「ど、どっちもないです……」


 小さく呟いたが、届かない。


 魔王は満足そうに頷いた。


「なるほど。

 “語らぬ”タイプか」


(違う、喋ると死ぬタイプなだけです)


 幹部の一人が前に出る。


「魔王様、彼の配置は倉庫係だったとか」


「……倉庫?」


 魔王の目が、わずかに細くなる。


「力を隠していた、というわけだな」


「は???」


 カイの思考が、完全に追いつかなくなった。


「前線に出れば目立つ。

 だからあえて後方で、全体を見ていた――」


 魔王は、楽しそうに笑った。


「……いい。実にいい」


 その瞬間、嫌な予感が確信に変わる。


「カイ」


「は、はい!」


「貴様、我が軍の切り札となれ」


「無理です!!!」


 反射で叫んだ。


 玉座の間が、凍りつく。


 しまった、と思ったが遅い。


 だが――


「……拒否、か」


 魔王は怒らなかった。


 むしろ、納得したように笑う。


「だろうな。

 切り札は、表に出たがらぬものだ」


(全然違う解釈されてる!!)


「よかろう。

 ならば“影”として動け」


 影。


 その言葉に、幹部たちがざわつく。


「表では凡庸。

 だが裏では全てを操る――」


 魔王の声が、低く響く。


「勇者が次に動くまでの間、

 貴様には“考える時間”を与える」


「考える……?」


「次の戦で、どう動くかだ」


 カイの視界が、白くなる。


(次!?

 次って何!?

 俺、もう一回奇跡起こせってこと!?)


 そのとき。


「……父上」


 澄んだ声が、玉座の間に響いた。


 振り向くと、そこに立っていたのは――

 魔王の娘だった。


 黒髪。

 赤い瞳。

 だが、その表情は柔らかい。


「この方が、噂の……?」


 興味深そうな視線が、カイに向けられる。


「……あの一瞬で、戦場を変えた魔族」


(いや変えてない!!

 転んだだけ!!)


 彼女は、微笑んだ。


「面白い方ですね」


 その一言で、

 逃げ道が完全に塞がれたことを、カイは悟った。


(あ、これ……

 俺、もう戻れないやつだ……)


 こうして。


 戦闘力ゼロの雑魚魔族は――

 魔王軍の中枢へと、

 完全に勘違いされたまま引きずり込まれたのだった。



第三部


なにもしてないのに作戦が成功する


 作戦会議室。


 ――という名前の、ほぼ戦争用の拷問部屋みたいな場所で、カイは硬直していた。


 長机を囲むのは、魔王軍幹部たち。


 全員、強い。

 全員、怖い。

 全員、なぜか期待に満ちた目でこちらを見ている。


(やめて。

 そんな目で俺を見るの、ほんとやめて)


 壁一面には地図。

 赤い駒が勇者軍。

 黒い駒が魔王軍。


 その赤駒が――多い。


「……状況は不利だな」


 誰かが言った。


「勇者は健在。

 聖女の回復も確認されている」


「正面衝突は避けるべきかと」


 幹部たちが真剣に議論している。


 そして――


「で?」


 全員の視線が、一斉にカイに向いた。


「カイ殿は、どう見ます?」


「……え?」


 思わず間抜けな声が出た。


(どう見るも何も、

 俺、地図の見方すら怪しいんだけど!?)


 だが沈黙は許されない。


 カイは必死に考えた。


(えっと……

 正面衝突はヤバそう。

 逃げたい。

 ……逃げたいな)


 無意識に、ぽつりと漏れた。


「……正面は……やめた方が……」


 その瞬間。


「ほう……!」


 幹部の一人が、目を見開いた。


「やはり正攻法は罠……!」


「勇者の得意分野を避けろ、ということか」


「つまり――」


 別の幹部が、地図を指す。


「側面突破。

 いや、もっと大胆に……」


(え、なに?

 今の俺の発言、そんな意味あった!?)


 カイは慌てて手を振った。


「い、いや、そんな深い意味じゃ……」


「深い意味がないからこそ、深い」


 即座に返された。


(哲学かな?)


「では、こちらの峡谷を――」


「いや待て。

 それは“見せかけ”だ」


「勇者は必ず警戒する」


「つまり――」


 議論は、勝手に加速する。


 カイは、完全に置いていかれた。


(ちょっと待って。

 俺、なにも言ってないよね!?)


 最終的に、結論が出た。


「……よし」


 幹部の一人が、深く頷く。


「全軍、動かず」


「…………え?」


 カイの声は、誰にも届かなかった。


「勇者は、必ずこちらが動くと読む」


「動かないことで、逆に揺さぶる」


「その間に、補給線を断つ……!」


(待って!?

 そんな高度なこと、できるの!?)


 だが、現実はさらに上を行った。


 翌日。


 勇者軍――混乱。


「魔王軍が動かない……?」


「罠か?」


「いや、あの“影の軍師”がいる……」


 勇者側の会議室。


 重苦しい空気。


「正面も、側面も、背後も……

 どこも危険に見える」


「まさか……

 こちらの動きを、すべて読んでいるのか?」


 結果。


 勇者軍、進軍を中止。


 補給が滞り、士気が下がる。


 魔王軍は――


「……勝っている?」


 カイは、呆然と報告書を見ていた。


 なにもしていない。

 本当に、なにも。


 なのに。


「やはり……!」


 幹部たちが、感動したように頷く。


「“動かぬ”という選択。

 勇者を内側から崩すとは……」


「カイ殿……恐るべし」


(違う。

 俺はただ、怖くて動きたくなかっただけ)


 その夜。


 魔王城の廊下で。


「……あの」


 控えめな声がした。


 振り向くと、魔王の娘が立っていた。


「今日の作戦……

 見事でした」


「え、えっと……」


「父も、貴方を高く評価しています」


 彼女は、少し照れたように微笑む。


「……私は」


 言葉を探す仕草。


「貴方の“考えすぎないところ”、

 素敵だと思います」


(考えてないんじゃない。

 考えられないだけです)


 言えなかった。


 その瞬間、カイは悟る。


(あ、これ……

 完全に“戻れない流れ”だ……)


 こうして。


 何もしていないのに、評価だけが積み上がり、

 勇者側は勝手に追い詰められ、

 魔王軍では――


 カイは、

 「読めない最恐の策士」

 として語られ始めるのだった。



第四部


勇者が勝手に病む


 勇者アレインは、眠れていなかった。


 ――正確には、眠れるはずがなかった。


「……動かない、だと?」


 勇者軍の本陣。


 作戦机の前で、アレインは額を押さえていた。


 魔王軍は動かない。

 罠も張らない。

 奇襲もない。


 なのに、こちらが動けない。


「これは……異常だ」


 参謀が、声を落とす。


「“影の軍師”カイ。

 あの男がいる限り、どこへ進んでも――」


「――読まれている、か」


 アレインは、歯を食いしばった。


 初戦。


 剣を振るった瞬間、なぜか地面が崩れた。

 次の戦いでは、放った必殺技が偶然反射された。

 補給路は、なぜか“誰も守っていない場所”から断たれた。


 ――すべて偶然。


 理屈では、分かっている。


 だが。


「……本当に、偶然か?」


 アレインの脳裏に浮かぶのは、

 何もしていないように見えて、すべてを掌握している男の姿。


「……いや、違う」


 彼は自分に言い聞かせる。


「相手は魔族の雑兵だったはずだ。

 戦闘力も、魔力も、低い」


 ――なのに。


 結果だけを見れば、

 魔王軍は“最適解”しか選んでいない。


「……くそっ」


 拳が震える。


 その夜。


 アレインは、夢を見た。


 雪原。


 静かな廃城。


 そこに、カイが立っている。


 何も言わない。

 剣も抜かない。

 ただ、こちらを見ている。


「……来るな……」


 勇者が叫ぶ。


 だが、カイは一歩も動かない。


 それなのに――


 足が、前に進まない。


「……なぜだ……」


 目が覚めたとき、背中は汗で濡れていた。


 翌朝。


「勇者様……」


 聖女が、心配そうに声をかける。


「お顔色が……」


「問題ない」


 即答。


 だが、視線は泳いでいる。


「……敵は、こちらの“心”を見ている」


 ぽつりと漏れた言葉に、参謀たちが反応した。


「やはり……!」


「“何もしない”ことで、

 こちらの思考を誘導している……!」


(違う。

 あいつ、たぶん何も考えてない)


 ――そんな正解には、誰も辿り着かない。


 一方その頃。


 魔王城。


「……あの」


 カイは、廊下の隅で小さくなっていた。


(最近、視線が多くない?

 なんか……尊敬と畏怖が混ざってるんだけど……)


 通り過ぎる魔族たちが、ひそひそと囁く。


「……見たか?」


「うん……

 あの人、今日も“何もしなかった”」


「……やはり、次の一手を考えているのか……」


(“何もしなかった”が、

 もはや実績扱いなんだけど!?)


 そこへ。


「カイ様」


 魔王の娘が、真剣な表情で近づいてくる。


「勇者軍が、動けずにいます」


「……え?」


「補給が滞り、士気が低下。

 内部で対立も起きているそうです」


(えぇ……)


 彼女は、少しだけ笑った。


「……すごいですね」


「いや、俺は本当に何も……」


「“何もしない”という選択は、

 最も難しい判断です」


 きっぱり。


(違う。

 怖くて動けなかっただけです)


 だが、もう言えない。


 その日の夜。


 勇者軍では。


「……進軍は、見送る」


 アレインは、重い声で言った。


「下手に動けば、

 あの男の思う壺だ」


 参謀たちは、無言で頷く。


 こうして。


 勇者は勝手に追い詰められ、

 魔王軍は勝手に有利になり、

 カイは何もしていないのに、戦局を支配している男

 として、両陣営に刻み込まれていく。


 そして――


 魔王が、静かに言った。


「……決めた」


 玉座の間。


 全員が、息を呑む。


「次の作戦――

 カイ、お前に任せる」


「……はい?」


 逃げ場は、もうなかった。



第五部


全部偶然なのに、伝説になる


 戦場は、静かだった。


 魔王軍と勇者軍が対峙する平原。

 かつてなら怒号と魔法が飛び交っていたはずの場所で、今は不気味なほどの沈黙が支配している。


 原因は一つ。


 ――カイが、前に立っているからだ。


(……なんで俺、最前列?)


 カイは震えそうになる膝を必死で押さえながら、前を見据えていた。


 いや、見据えている“つもり”だった。


 実際は、

 逃げ道を探しているだけ である。


「……勇者アレイン」


 魔王が、重々しく告げる。


「ここで決着をつける」


「……望むところだ、魔王」


 勇者アレインは剣を抜いた。


 だが、その視線は――

 魔王ではなく、カイ に向いている。


(なんで俺を見るんだよ!?

 魔王いるだろ!?)


 カイは心の中で絶叫した。


 アレインの喉が鳴る。


「……来ない、のか」


 カイは、一歩も動いていない。


 剣も抜かない。

 魔力も放たない。

 ただ、ぼんやり立っているだけ。


 ――それが、致命的だった。


(来ない……?

 いや、違う……)


 アレインの脳内で、これまでの戦いが再生される。


 ・攻めたら崩れた地形

・偶然反射された必殺技

・補給路の壊滅


(……“待っている”)


 アレインの額に、冷たい汗が滲む。


(俺が踏み出した瞬間、

 何かが起きる……)


「……くっ……!」


 勇者は、動けなかった。


 その瞬間。


 ――バキン。


 乾いた音。


 勇者の背後で、地面が崩れた。


「なっ……!?」


 偶然だった。


 昨夜の雨で地盤が緩んでいただけだ。


 だが、勇者軍の目にはこう映った。


「罠だ!!」


「最初から……誘導していたのか……!」


「“一歩も動かずに”地形を使う戦術……!」


(知らない!!

 今初めて聞いた!!)


 カイは内心で泣いていた。


 勇者軍は、完全に混乱した。


 隊列が崩れ、指示が飛び交い、

 誰もが「カイの次の一手」を恐れている。


「……撤退する」


 アレインは、剣を下ろした。


「これ以上は……

 被害が大きすぎる」


 その声には、悔しさと――

 理解不能な存在への恐怖 が混じっていた。


 勇者軍は、後退を始める。


 誰一人、カイから目を離さない。


 そして――


 勝敗は、決した。


 戦闘らしい戦闘は、

 ほとんど行われていない。


 なのに。


「……終わった」


 魔王が、低く呟く。


 魔王軍から、歓声が上がった。


「勝った……!」


「影の救世主……!」


「カイ様ぁぁぁ!!」


(え、なにこれ……

 俺、今なにした……?)


 カイは、その場にへたり込みそうになるのを必死で耐えた。


 戦後。


 魔王城の大広間。


「……カイ」


 魔王は、真剣な眼差しで言った。


「お前は、魔王軍を救った」


「……いや、俺は……」


「謙遜は不要だ」


 魔王の娘が、柔らかく微笑む。


「あなたがいたから、

 皆が冷静になれたのです」


(違う。

 怖くて固まってただけです)


 だが、その言葉は喉までで止まった。


 言っても、信じられない。


 誰一人として。


 後日。


 勇者アレインは、記録にこう残した。


『魔王軍には、

剣も魔法も使わぬ“最恐の存在”がいる。

彼は戦場に立つだけで、

こちらの心を縛り、

戦争そのものを終わらせた』


 ――その名は、カイ。


 一方その頃。


「……あのさ」


 城の裏庭で、カイは空を見上げていた。


「俺、本当に普通の雑兵なんだけど」


 隣で、魔王の娘がくすっと笑う。


「でも、生き残りましたよね?」


「……それは、まあ……」


「なら、それでいいじゃないですか」


 彼女は、穏やかに言った。


「運も才能の一つ、です」


 カイは、ため息をついた。


「……じゃあさ」


「はい?」


「このまま、

 “伝説”ってことでいい?」


「ふふ」


 彼女は、少しだけ悪戯っぽく笑った。


「逃げても、

 皆ついてきますよ?」


(……だよなぁ)


 こうして。


 戦闘力ゼロ。

 知略なし。

 努力も、ほぼなし。


 ただ運が良かっただけの雑魚魔族 は、


 いつの間にか――


 魔王軍史上、

 最も語られる英雄 になっていた。


 本人だけが、

 最後までその理由を理解できないまま……

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