【6話】明かりを消さない夜
その日は、少し冷えた。
夕方、最後の客が帰り、私はカップを洗う。
ミアは今日は来ていない。
森に戻る日だと言っていた。
ルゥもいない。
来る日は決まっていない。
店には、私ひとり。
静かだ。
悪くない。
けれど——
少しだけ、広い。
灯りを落とし、暖炉の火を消す。
扉に鍵をかける。
それから二階へ上がった。
本を読んでいると、ふと違和感を覚えた。
階下が、ぼんやり明るい。
「あら……」
ランプを一つ、消し忘れていたらしい。
ため息をついて階段を下りる。
すると。
扉の向こうに、人影があった。
立ったまま、動かない。
灯りを見ている。
私は少し迷ってから、扉を開けた。
夜気が入り込む。
そこにいたのは、若い獣人の男性だった。
垂れた耳。
疲れた目。
「あ……すみません」
彼は慌てて頭を下げる。
「灯りがついていたので……つい」
帰るつもりだったのだろう。
私は一瞬、考える。
“営業時間外です”
そう言うのは簡単だ。
でも。
「少しだけ、入りますか?」
気づけば、そう言っていた。
彼は遠慮がちに席に座る。
「何も注文しなくていいです」
私が言うと、彼は戸惑った顔をする。
「でも……」
「灯りだけ、どうぞ」
店は、静かだ。
昼間よりも、ずっと。
彼はしばらく何も言わなかった。
ただ、手をテーブルに置き、ランプを見ている。
やがて、ぽつりと。
「眠れなくて」
仕事の失敗。
上司の言葉。
自分の情けなさ。
私は、相槌を打つだけ。
「そうなんですね」
「大変でしたね」
何も解決しない。
助言もしない。
彼の話は、夜に溶けていく。
やがて彼は立ち上がった。
「……すみません、急に」
「いえ」
彼はポケットから銅貨を一枚取り出す。
「お茶も頼んでないのに」
「灯り、使わせてもらったので」
テーブルに、そっと置く。
私は止めなかった。
押し返すのも、違う気がした。
扉が閉まる。
静寂。
テーブルの上に、銅貨が一枚。
私はそれを見つめる。
消し忘れた灯り。
偶然の夜。
でも——
必要だったのは、きっと灯りじゃない。
“いてもいい時間”。
ランプの火を見つめながら、思う。
昼は喫茶店。
夜は、ただ灯りのある場所。
決めなくてもいい。
営業にしなくてもいい。
でも。
この灯りを、急いで消さなくてもいいのかもしれない。
私はその夜、ランプを一つだけ残した。




