【10話】編み目
午後の光が、ゆっくりと店の床を滑っていた。
今日は客足も落ち着いている。
お湯を沸かしながら、私は少しだけ余裕のある気持ちで窓の外を見ていた。
——からん。
扉の音。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、いつものようにルゥ。
けれど今日は、なぜか真剣な顔をしている。
両手で、何かを抱えて。
「こんにちは、リゼルさん」
席に座ると、彼女はそっと包みを広げた。
毛糸。
そして、編み針。
私は瞬きをする。
「……戦闘種族の装備、ではありませんよね?」
ルゥは少しだけ頬を膨らませた。
「違います。編み物です」
その言い方が、どこか愛らしい。
ルゥの指は、思っていたより器用だった。
細い毛糸を、くるり、くるりと絡める。
針が小さく音を立てる。
「冬、寒いので」
「ドラゴンでも寒いのですか?」
「人型は寒いです……」
少し恥ずかしそうに笑う。
編み目が、少しずつ形になる。
小さな、赤いマフラー。
その光景を見ているうちに、胸の奥で何かが動いた。
「……私も、昔」
ルゥが顔を上げる。
「やったことがあるんです。子どものころ」
前世で祖母に教わった。
不格好なコースター。
途中で飽きて、放り出した記憶。
「でも、ずいぶん前のことです」
ルゥの目が、きらりと光る。
「やりますか?」
「……できますかね」
「できます。たぶん」
“たぶん”が、少し不安だ。
でも。
やってみたくなった。
営業中の店で、編み物をするのは少し不思議な気分だった。
お湯を見ながら、針を動かす。
客が来れば手を止める。
静かな午後。
「今日は、手袋を作りましょう」
ルゥが宣言する。
「手袋?」
「はい。リゼルさん、手、冷たいですから」
私は思わず自分の手を見る。
確かに、少し冷えている。
「……気づいていたんですね」
「ドラゴンですから」
なぜか誇らしげだ。
最初の一目は、うまくいかない。
毛糸が絡む。
針が抜ける。
「わ、待ってください」
「ゆっくりです」
ルゥの声は、意外と落ち着いている。
私は息を吐く。
焦らない。
急がない。
誰も急かさない。
それだけで、こんなに違う。
少しずつ、形ができていく。
不揃いな編み目。
でも、確かに“作っている”感触がある。
「リゼルさん」
「はい?」
「なんだか、楽しそうです」
私は気づいて、少し驚く。
口元が緩んでいる。
「……ええ。楽しいです」
前世では、趣味は“時間の無駄”だった。
やらなければならないことが、山のようにあった。
でも今は違う。
これは、誰のためでもない。
ただ、私がやりたいから。
日が傾くころ。
片方だけの、少し歪な手袋が完成した。
「左右で大きさが違うかもしれません」
「それも味です」
ルゥは真顔で言う。
私は笑ってしまう。
試しに、はめてみる。
あたたかい。
毛糸の柔らかさと、少しのぎこちなさ。
それが妙に愛おしい。
「もう片方も、作りますか?」
私は頷く。
「ええ。完成させましょう」
今度は、急がない。
夜の灯りも、今日はつけない。
閉店後も、少しだけ続きを編む。
それくらいなら、きっといい。
編み目が増えるたびに、思う。
人生も、こんなふうならいい。
ほどけてもいい。
間違えても、戻ればいい。
急がず、重ねる。
窓の外は、静かな夜。
店の中には、小さな灯りと、毛糸の匂い。
「リゼルさん」
「はい?」
「狩りはできませんけど、編み物は得意です」
「十分、すごいことです」
ルゥは照れたように笑う。
私は、もう片方の編み目をゆっくり進める。
今日は、誰のためでもない夜。
それでも、こんなにあたたかい。




