第81話 魔王の城
今日の議会には大きな動議が一つ持ち込まれる。魔王城への侵攻だ。城としての規模は大きくはない。かつて貴族が住んでいた古城だ。王都アヴァロンからは半日ほどの距離。その山の中腹にある。
プリシラは女王時代、そこに兵を派遣し、散々に敗れている。名君プリシラの唯一と言っていい失策だ。この時すでにオーウェン・ザガードはこの世にない。ザガードがいてくれたら。
その痛恨をプリシラは噛み締めた。とはいえ冷静に考えるとザガードが健在だったとしても、その攻略は難しいと思えた。城の主は既に失われたはずの魔法を駆使し、100数体の石のゴーレムを使役する。それぞれ3メートルを超える巨体。重量も重く、人間が束になってロープで引っ張っても引き倒せない。拳を承ければ屈強な戦士が一撃でひき肉になった。その上、ゴーレムには剣も槍も歯が立たない。弓矢などただカツンと弾かれるしまつで、まるで役に立たない。有効だったのが戦闘用ツルハシ、バトルピカクスと城門破壊用のウォーハンマーだ。だがそれを扱う人間がもたない。部隊一の怪力を誇るデライアがウォーハンマーでゴーレムを殴りつけると効いたのかゴーレムがよろめいた。
だがその一撃でデライアの両手が痺れきったのだ。よろめいたゴーレムだったが、踏ん張って裏拳を放つとデライアはぐちゃぐちゃの肉片と化して遥か遠くまで飛んで行った。バトルピカクスやウォーハンマーのような大型武器を扱える兵士は少ない。そのほぼすべてを失い、王都軍は敗北したのだ。
城には魔王が住む。国民たちの間でそう噂された。幽谷の古城と呼ばれる今は誰が立てたかさえ記録に無い古い城。プリシラは古城周辺に駐留部隊を展開させて様子を見たが敵から仕掛けてくる気配はなく、数年が過ぎた。
プリシラはなぜ気づかなかったのだろうと不思議に思う。それだけ女王時代は忙しかったのだ。だが考えてみればあの人物しか思い浮かばない。なぜこんな簡単なことが。戦争が終わって魔力が世界から失われていくと同時に、彼女だけは魔力が増していったことに戸惑い、そして隠遁を選んだあのひと。
あの城の主は魔王などではない。魔女だ。人類史最強の。
サラと二人でプリシラは幽谷の古城の前に立った。国を、兵士を動かすわけにはいかない、これは自分のやり残しなのだ。古城の前に立って分かった。ゴーレムたちは健在の様子だ。何体も出てきて二人を取り囲む。
「私はプリシラよ、こっちはサラ。忘れたの?薄情じゃない!」
大きな声で叫ぶ。すると、そのプリシラの言葉を理解したかのように、ゴーレムたちが道を開けた。左右にそれぞれ一列に並び、二人を迎える。門は誰も触れていないのに勝手に開いて二人の通り道を作る。
「だ、大丈夫なの?」
サラがプリシラに聞く。
「行きましょう。ここに待つのは私たちのともだち。きっと大丈夫」
「そうだね。行こう」
次々と開門する門を進む二人。城の中に入ると、三つ又の燭台がゆらゆらと空中を飛んできて、その蝋燭に灯が点った。そして三つの炎が揺れる燭台は、二人を案内する様に空中を浮遊して進む。
二階に上がり、そして大きな部屋に先導された。テーブルにクロスが飛んできてきれいにセットされていく。ティーカップやスプーンも空中を浮遊してテーブルのあるべき位置におさまる。
「すごーい」
サラは目を丸くしている。椅子に座るとゆっくり椅子が僅かだけ宙に浮いて前に進む。ティーポットが二人のカップに紅茶を注いだ。
クッキーがきれいに並んだバスケット。
「昨日焼いたんだけど、まだ美味しいわよ」
椅子に座ったままのロングスカートの女性が浮遊して対面に着座した。
「久しぶりね。二人ともちょっと老けたんじゃない?」
「あなたはあまり変わらないのね、メリッサ」
そこにいる脚元さえ見えないほど長いロングスカートの女性は長い髪こそ真っ白だが、肌は若々しく、せいぜい30代で、それより年齢が高いようには見えない。
「その若さも秘訣も魔法の力かしら?」
「そうかもね。あの日。ソフィたちがいなくなった日以来、私の魔力は高まり続けているの。いつがピークと聞かれたら、今日と答えるわ」
大聖樹を介せず、天空の魔力と繋がる唯一の存在メリッサ。かつては大聖樹がそのほとんどを受け、その後に地上に供給していた魔力だが、いまはメリッサの独占だ。
彼女は世界でたった一人の存在。魔法を使うことのできる今やたった一人だ。そしてその魔力はかつて魔人を倒した時を上回る。
もちろん彼女にその気はないが、望めば世界相手に戦いを挑み、そして勝ち得る力を持った存在だ。彼女に対抗できるものは今の世界には皆無。しいて言えばプリシラとサラにその資質があるものの、彼女たちのその資質は戦闘には無関心だ。
「ねえ、今のあなたなら、クリスやテオドラよりも?」
「うーん、どうかな。クリスの、あの、帝都を焼き尽くした魔法。あれは出来ないなあ」
それでもあれに近いことなら出来る。それにメリッサは天空の魔力と繋がっている。クリスほど強大な魔法は使えないが、辿り着いた深淵の深さならもっと深い。でもソフィはさらに深いと思う。なんとなくだ。
「それで相談なんだけど、私たちの屋敷の隣に家を用意したわ。そこに移り住んでもらえるかしら?」
プリシラが本題に踏み込んだ。
「ただで住めるの?」
メリッサはコストが掛かるのかどうかだけを聞いてきた。
「ただよ」
「ならいいわよ」
「そう。じゃあ、今日にでも引っ越せる?」
「長い間仕えてくれたゴーレムたちにもお別れしなくちゃね。どうせ壊しちゃうんでしょ?」
そうなのだ。城もゴーレムも廃棄して軍隊派遣の不要を証明する必要がある。
「来て」
メリッサが先導し、城の屋上に上がる。見下ろすと十数体のゴーレムが整列している。
「石くれにこめられし、彷徨の魂よ。その定めの限りに従い、いま安らかなる安寧を迎えん。カルムリベレイション」
ざらりとゴーレムたちが砂に姿を変えた。
「あとで壊す用の石人形を作ってあげるわ。それなりの体裁は必要でしょ?さ、残りのクッキーを食べてから行きましょ」
こうしてこの問題は解決した。解決という表現は正しくないかもしれない。そもそも彼女たちは争っていない。ずっと、友人だ。
とはいえ、魔物に関わる類の、そういう争いはこれで世界から撲滅された。
三人はまるであの日の10代の頃のように、コロコロと笑いながらクッキーを食べて紅茶を飲んだ。不思議で懐かしい感覚がメリッサを包み込む。
眼を閉じればソフィの気配。いやテオドラも、ウルスラもいるようだ。ミネルヴァもそこに。ミネルヴァとはそれほど話す機会も無かったが、一番気が合う相手だった気がする。彼女は剣士だが、その本質は魔の力に近い。魔の力が剣士と言う形をなしている。そんな感じだ。
みんながいる。不思議な感覚。そして一筋頬を涙が伝う。涙を流したのは何十年ぶりだろうか。
もっと早く来ればよかったな。
プリシラはティーカップに口を付けながらそう思った。しかし後から話を聞いてみると、メリッサの方にもそれが簡単にはいかない事情があったのだ。世界から魔力が失われていく過程で、かつて魔人だったもの、魔獣だったもの、そう言った者たちがメリッサの魔力に救いを求めた。彼らは出来る限り友好的に魔力を分けてもらおうとメリッサにすがってきたのだ。メリッサは彼らの面倒を見た。そのための隠遁であり、古城に結界を張って人間の世界から見つからないよう、関わらないよう、過ごしていたのだと言う。とはいえ、そんな生活もいつしか終わった。力を失った魔人や魔物はメリッサを崇め、仕えた。その意味ではメリッサは彼らの主でもあった。そして時代は進む。魔力を失った彼らの命は短かった。反動によるものか、人間ほども生きられなかった。
彼らの主は人の生活に戻った。
勇者と魔王の戦い。その手の魔を相手にする人間たちの戦いは、この後一度も起こることは無かった。もう人間が戦いを挑むようなそういう相手はいないのだから。
最後の魔王。そう記される魔王は詳細が不明だ。ただ石のゴーレムを使役し、王都の正規軍を散々に打ち破った。その後、これも詳細不明の勇者に討たれたとある。
詳細不明ながらも勇者像は女性だけのパーティーだった。あるいは、それは姉妹二人だけのパーティーだった。そんな風にストーリーに肉付けされていった。
そのストーリーに根拠はあった。
当時プリシラの従者が、主とその義理の妹が魔王城に向かったのを証言しているし、魔王城が解体されたのはその直後だ。そのような伝聞が民間に伝わり、英雄譚が形成されていく。
魔王の正体は人類史最強の魔女。だがその事実を知る者は少ない。それでもなぜか最後の魔王は女性だったと伝わる。
彼女は人間であって、別に魔王ではなかったが。とはいえ、魔物たちに敬われ、仕えられた以上、彼女を魔王と定義する余地もあり、もし魔王とみなすなら、歴代のどの魔王よりも優しく理性ある魔王だった。
大聖樹の濾過もブースターも無く高濃度の魔力を使用できた例は魔人や天人を含めても歴史上彼女1人。過去の魔王たちでさえ為し得なかったその力を私欲に使うことは無く、失われていく魔の眷属たちを看取ることに半生を費やした。そは彼女が自らに課した魔の頂きにいるものの責務なのだ。
メリッサは同世代で最も長生きした。プルシラやサラが亡くなった後も、彼女たちの家と庭続きの家で過ごした。近所の人はメリッサが庭を歩いている姿を見ることもあった。膝から先を以前の戦いで失った彼女だが、足元まで隠すロングドレスをたなびかせて歩くように重力魔法を操った。その巧みさはかつてのテオドラ以上かもしれない。
みんな先に行ってしまって……。
深いため息。プリシラ、サラ……。それにテオドラ、クリス、ヒルダだって……思い返せばもっとたくさん。でもさびしくはない。明日になればまた生徒たちがやってくる。彼女は世界一美しい筆跡の持ち主。子供たちに筆を教える先生だ。
死後100年のちも書物に伝わる伝記の人物メリッサ・アビスフィールド。現在の書体の源流になった彼女の筆跡。世界一の麗筆として名高い彼女は、魔法使いでもあったという。
余談だが彼女が生涯使っていた魔法の杖が彼女の死後遺品の中から発見され、後世に残された。かつて存在したという魔法学校の学生が使う初心者用の杖。一度折れて修復した痕跡、そして刻まれた下手な文字” "The first step of magic is the step to unravel the mysteries of the world. Dedicate sincerity and pave the way for a long journey."。
伝説の存在でも使う道具は初歩のまた初歩のもの。初心忘れるべからずということか、そう思うものもいたが、なぜ生涯その杖を使用していたかは本人にしか分からない。




