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第78話 永遠のプリンセス

 太く長い立派なツタが門に絡みついている。戦火に焼け落ちた武大の校舎に続く入り口、その門。太い柱はいにしえの戦の神が神殿の柱を折って武器として振りまわしたとされるが、まるでその話に出てくるような重厚な柱。天までそびえるかのようで絡みつく蔦は深い緑。それこそ天を目指しているかのようだ。

 女は剣を胸に抱いていた。大事そうに。これを渡さなければならない。そして秘技を伝えなければならない。それだけが彼女の役目。自分でそう思っている。その役目だけは果たさなくてはならない。その目的だけが強く記憶を支配し、それ以外のことがよく思い出せない。彼女は歩き出す。白いワンピースにロングストレートの金髪が初夏の陽光に輝いた、比喩ではなく。


 門を下れば出会いの広場だ。広場にそう書いてある。だが、その看板は見当たらない。サークル上の広場を店が囲んでいる。中央に小さな人工池。その周囲を赤毛の少年が走り回っている。

 金色のロングストレートの女性はその少年に声を掛けた。

「アリオン。お兄さんはどこ?」

「え、ボクはアリオロ……。あ、違った。でもボクはアリオンじゃないよ」

「イグナス様を探しているの。君のお兄さんでしょ?」

「うーん。酔っぱらってどこかにいるんじゃないかな。でもどこだろ?」


 イグナス。この時すでにマケドニアに養子に出されている。養子に出された皇帝の血筋、そう言われるのが嫌で、インペリアル・レイブンではなく王国の武大に入った。もちろん地理的にも公爵領からは武大が近いというもある。それでもこの時のイグナスはまだ子供じみたあどけなさを残していた。

 剣の腕は立った。なにせ、皇帝の秘剣、ティタノマキアの使い手だ。それを使うに至るまでの剣の修練を積んでいる。

 しかし、彼は皇位を諦めるしかない。父の正妻が産んだ弟がいる。彼は弟にちゃんとした愛情を持って共に成長してきた。兄弟の感情に歪なものは何もない。


 皇位を弟が継承することだって、きちんと理解しているのだ。だが弟が生まれる前には帝王学と剣の日々。それらをこなしてきたのだ。理性で理解し、感情でも納得した。それだけの賢者であっても、少しだけやさぐれた。それが学生生活の自由さで出てしまったのだ。

 ある日生徒会に呼び出された。

「君は日の高いうちから酒を飲んで、講義にも出ずにフラフラしているそうだな。武大の名を落とす恥ずべき行為と思わないのか?」

「剣が錆びなきゃ問題ない。武大の生徒なら剣の優劣のみが全てだ」


 その言葉に反応したのは武大一の剣士、生徒会副会長のカーチスだ。

「酒に浸った剣が錆びてないと?貴公は剣の錆びもだが、頭のさびを落とすのが先だろうな」

「ふ、試してみるか」


 イグナスの勇名を語るエピソードが武大に残っていないのは不思議なことだ。彼は武大に剣名を馳せる歴代の誰と比較されても勝りこそすれ劣ることなどない。彼がもし、もう少し大学当局、そして生徒会に歩み寄る姿勢をとっていたなら、また違っていたであろう。というのも意図的に記録に残されなかった気配がある。しかしそれも無理な話。今日以前はやさぐれていたし、今日以降もっと夢中になることに没頭したのだから。大学も生徒会も、イグナスにとっては眼中にない。昨日も、明日も。


 勝手知ったる我が家のように学内を歩き回る金髪の美女。美人なので目立つ。見たこと無い顔だが、振る舞いが自然すぎて誰も咎めない。剣を大事そうに抱えており、劣等生、或いは落伍者のイグナスを探していると言う。

「あいつなら修練場でこれから公開処刑だとよ」

 そう教えてもらい、修練場に急いだ。


 相手の金髪オーバック。木剣の扱いからかなり慣れた様子だ。カーチスという名前らしいことは周囲の生徒の会話で分かった。イグナスの腕前はどの程度だろうか。構えがない。無造作に剣を持っている。

「こらー。イグナス、ちゃんと構えろ」

 大声で叫ぶ美女。イグナスもギョッとする。白のワンピース。金色のロング。


「女に指導してもらって、良い身分だな」

 カーチスが笑う。内心凄まじい美女が駆け付けたイグナスに嫉妬している。

 やろう、ゆるせねえ。


 試合が始まった。

 カーチスの剣は基本に忠実。そして程よくアレンジが入っている。その剣を容易にいなすイグナスの技量は見事だ。

 ドス……。

 カーチスの腹部にイグナスの蹴りが突き刺さる。動きの鈍った瞬間を見逃さず、イグナスがカーチスの腕を打ち据えた。

 腕が下がった顔面にひじ打ち。カーチスが倒れた。生徒会のメンバーがカーチスに駆け寄る。そして次に彼らはイグナスに向けて剣を構えた。


「恥知らずはどっちだよ。まあ、いいけど」

 イグナスは動じない。だが、間に割って入ったのは金髪ワンピースだ。

「卑怯者たち、私が相手よ」

 左手に剣を抱えているので、右手一本で拾った木剣を持っている。


 怯んだのは生徒会だ。女はそんな彼らに容赦なかった。あっという間に彼の手元から木剣を叩き落とす。カーチスと違って彼らは防具をつけていない。だからその体を撃つわけにはいかない。

 イグナスは女の技量をみて逃げた。帝国から派遣されて来たのかもしれないし、別の国の刺客かもしれない。

「ちょっとお、イグナス!」

 女の声が遠くに聞こえた。


 女の噂は一晩で学内に広まった。問題児イグナスを追いかける美女。生徒会は彼女1人に全員たたきのめされた。なぜかそう伝わった。イグナスは彼女を置いて逃げたと言う。事実はともかくそう伝わった。

 遊びに来ていたアリオロスも宮廷に帰り、また面白くない日々の再開だ。イグナスはそう思った。講義はもう途中から聞いていない。昼になって街に昼食を食いに行く。

「待ってたわ」

 木漏れ日からその女は現れた。金色のロング、白いワンピース。

 昨日と同じ格好だ。そのことにイグナスは気づいた。やはりわけあり、それに剣の腕からみて只者ではない。そうと分かって放っては置けない。女性だからだ。


 取り急ぎ着替えを提供したい。だが気高そうな女だ。下手な物言いで彼女の誇りを傷つけることは許されない。考えろ、考えろ。まずは糸口を見つけ出せ。彼には生来の人柄の良さがある。

「待っていたと言うが、どこで待っていた?」

「ここよ」

「あん?野宿か?」

 初夏だ。とはいえ夜は冷えるだろう。

「お金も持っていないし。仕方ないわ」


 イグナスの表情が歪む。別に彼のせいではない。だが胸の内から生じる罪悪感はどうしようもない。このことは俺に関することなのだ。自分に関する以上、責任が生まれる。彼のこういう姿勢は生涯変わらなかった。

「待たせて済まなかった。要件を言ってくれ」

「あなたに剣技を伝えること、剣を渡すこと、竜精を渡すこと。この三つよ」


「ああ、そう。だがよく分からねえな。特にその、竜精ってなんだ?」

「これよ」

 首から外したネックレスを渡す。手のひらで握れるくらいの大きさの雫の形の石がついている。

「ただの石じゃねえのか?」

「首にかけておいて。あなたの中に宿るまで」


「それで剣はそれか?」

「まだ渡せない。その腕じゃ。でも見せてあげる」

 鞘から抜いて見せた。

「これは……」


 イグナスは唸った。彼は皇帝の宝物庫で様々な剣を見ている。魔剣と呼ばれる類のものもあったし、アダマンタイトを鍛えた剣もあった。目の前にある剣はそのどれよりも神々しい。

「ど、どうすれば、その剣をくれるんだ?」

「最初に言ったでしょ」

 二人は武大の修練場に向かった。


 夕焼け雲が魚の形で並んでいる。とても美しい夕暮れだ。

 絶妙な剣技で散々にうちのめされ、疲労困憊、イグナスは膝と手を地面に突いたままの姿勢でなんとか顔を上げた。あごを伝った汗が地面に滴る。

「うーん、ちょっと時間がかかりそうね。間に合うかしら?」

 立ったまま女が言った。間に合う?何のことだろう。


「あんたも汗をかいただろ?なあ、とりあえずあんたに宿と着替えを提供させてくれ。俺は庶子だが帝国皇帝の実子。金なら腐るほどある」

 女性の目が優しい。正直に出自を語ってくれたことが何よりうれしい。

「ずっと何か言いたそうな顔をしてたけど、もしかしてそれ?ご覧の通り汗ひとつかいてないけど、でもお受けするわ」

 彼はきっと昼から着替えのことを気にかけてくれていたのだ。自尊心を傷つけないよう細心の注意を払って。


 イグナスの表情が明るくなった。やさぐれていたイグナスだったが、彼女の秘めた純真に触れ、イグナス本来の人柄の良さが正しく目を覚ます。

「あんたのことをこれから何と呼べばいい?」

「ミネルヴァ。そう呼んで」

 ミネルヴァ・マケドニア。私の名はミネルヴァ・マケドニア。そう名乗りたいのをグッとこらえる。

 ミネルヴァは思い出した。願った奇跡。それはきっと有限だ。はっきり分かるわけではない。だが奇跡が持続するのはこの季節の間だけという予感がある。それは確信に近い。

 だが、夏はまだ始まったばかりだ。


 後年語られる。

 剣聖イグナスは学生時代遊んでばかりだったと。そしてある時期、信じられないほど美しい金髪の女性を連れて歩いていたと。その美女をイグナスは竜の化身だったと言っていた。

 ある時期からイグナスはその思い出話をしなくなる。なぜならミネルヴァが約束通り戻ってきたのだから。彼女はもう思い出の世界の住人ではない。


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