第70話 真祖
アイシスに多くの西ゲルニア兵が来ている。オレルネイアに攻め込むルート工作だ。エキアゼルはそこを通ってアイシスの大聖堂跡にいって祈りを捧げていた。東ゲルニア兵は士気が低く、少女を見咎めることも無い。
祈りを捧げるエキアゼル。その背に剣が突き立った。
「やっと見つけたぞ、神人の奴隷のくせに」
何と勘違いしているのか、金髪の男はそう言った。
「サーナキア、無理だ、撤退だ」
正面から突撃してきた新手の騎兵を前にマイクロバーツが言った。新手はイグナスだ。無人の野を行くが如き突撃。
「陛下。いったん下がりましょう」
オスカーが皇帝レリネウスの前に出る。そのオスカーの首が一刀で跳んだ。イグナスだ。突撃してきたと思ったら、もうここまで到達していた。サーナキアがレリネウスの馬の手綱を奪い、彼を背負うようにして逃げる。馬は帝国有数の駿馬だ。レリネウス本隊は壊滅しながらも皇帝1人の命はかろうじてつないだ。
エキアゼルを探し回り、ようやくその変わり果てた姿を見つけたウルスラ。その日、アイシスは壊滅し、東ゲルニア首都オルドゲラードは翌日包囲された。
包囲しているのは死人だ。全てが死人。死人を血で操るのは黒いショートソバージュに白い肌。真っ赤なルージュ。血のような赤い瞳。黒いドレスを翻し、たった一人、宣戦布告した。彼女がその気になれば一国を滅ぼすことも容易い。
◇◇◇
魔弾が当たって散るはずなのにダメージが無い。ゆっくりと歩いてくる少女、いや化け物か。彼女を止めようとした兵士はいずれも瞬時に惨殺されている。彼女にまとわりつく血と血だまりが、まるで蛇のような、長くうねる生き物のよう蠢き、鞭のようにしなって高速で攻撃してくる。その攻撃に触れたものは、鎧ごと両断されていった。
「うわああ」
マイク・ロバーツは恐怖に悲鳴を上げた。迫ってくる化け物の背後からサーナキアが斬りかかった。血の鞭がうねって斬りかかったサーナキアの体が上半身と下半身に分かれたのを見た。それがマイク・ロバーツの目にした最後の光景だった。仲間が半分にされるところを見せられ、死に顔は恐怖で引き攣っていた。
ちくしょう。なんでこんなことに。
あの日、笑顔を交わし合っていた二人。サーナキアとウルスラ。失禁して恥ずかしそうなサーナキアにタオルを用意する優しそうなウルスラ。あれは幻だったのか。死んだ後もロバーツの顔は恐怖に引き攣ったまま。
だがその表情はまもなく弛緩と安堵に変わる。真の主を得て、嬉々としてその行進の列に加わるだろう。見よ、上半身だけになったサーナキアが長くうねるハラワタを引きずりながら這って進んでいるではないか。さあ、お前も早く目をさまし、そして列に加われ。
オルドゲラードが半日で陥落し、ゾンビが溢れた。ゾンビは隣国にも侵入し、被害が出ている。現場に向かったイグナスだが目の前のその光景を信じられない。首都には生きているものがひとりもいなかった。全てゾンビだ。
このようなおぞましいものが世界に存在してはならない。存在することを許してはならない。彼が単独で来たのは理由がある。部下たちでは対処できない。いたずらに死人を出すだけだ。その予測は当たっていたと言える。イグナスはゾンビを蹴散らして中心部に向かった。
雷雲が上空に広がる。大量のゾンビに四方を囲まれたイグナスは剣を振りかぶる。大上段に構えたイグナスの剣が縦斬りに斬り下げられた瞬間、剣に落雷。落雷は地面を走って放射線状に、網の目の稲光がゾンビごと舐め上げる。
ゴオオン……
文字通りの轟音と共に10数本の雷柱がイグナスの周りで天と地をつないだ。
四方から群がってきたゾンビが焼け焦げ、発火が始まっている。
黒焦げのゾンビ、その数1000体にもなるであろう大量の屍。
ピチャッ、ピチャッ……。
雨あがりの水たまりを歩くような、少し軽快で、でも雨の余韻を残す足音。それも上空から。見上げれば少女が城の上の方から目に見えない階段を歩くかのように空中を裸足で降りてきている。その手には赤のミュール。黒のドレスとの対比が良く似合っている。軽い足取り。はにかんだ表情。美しい。美しい化け物。
彼女が一方踏むと、そこに波紋が広がる。何も無い空間なのに。まるでそこに足場があるように。階段状の足場だ。
「降りてきてくれたのか。交渉の余地はあると考えてもいいか?」
「いいよ。あなた、マケドニアのイグナスね?」
「そうだ。君は?」
イグナスは剣を収めて言った。
「アヴァロン魔法学院の生徒、北ベルガドのウルスラ」
「なら、クリストファー・ディムランタンは知っているな?」
「ええ。あたしの一番の友達。でも彼の一番はあたしじゃないけど」
頬をほんのり赤らめ、はにかんだ様な笑顔。
クリス。イグナスも知っている。彼とはアヴァロンへの道すがら、同行したときに親睦があった。その後、ワイバーンを使った帝国と王国との移動で世話になったり、彼とミネルヴァの交流の話も聞いている。
一目でイグナスたちの素性を見破った見識、アリオロスやミネルヴァを圧倒した剣の腕、飾らない人柄。儀礼の知識にも通じていると聞く。イグナスは思い返す。どれをとっても素晴らしい人物だった。
「クリスは今回のことを知っているのか?」
「さあ?でも一瞬、クリスくんが来てくれたと思ったのよ。そう思うくらい、さっきのは凄かった」
「そうか。じゃあ、失望させてしまったか」
「そりゃそうよ。でも心配しないで。ガッカリにもいろいろレベルがあって、あなたならだいぶマシなほうよ」
「はは、そうか、光栄だ」
「そうでしょ。あたしの配下になりなさい。永遠の命を見返りにね」
ウルスラの瞳が深い赤を宿す。
恐怖、だがその瞳に惹きつけられる。魅了される。こんな感情は過去経験したことがない。
「その前に一つ教えてくれ。ウルスラ、君の目的はなんだ?」
イグナスは踏み込んだ。大陸中に拡大していくゾンビたちをどうにか出来るなら、ウルスラの配下になることに何の躊躇いもない。
「それが良く分からないのよ。大事なエキアゼルがゲルニアの奴らに殺されて、もう許せなくて。そう、そうだ、復讐だよ」
「な、なら、復讐は果たしたんじゃないか?みろ、オルドゲラードは全滅だ」
ウルスラは周囲を見回して考えこんだ。
「オーケー、イグナス。あんたは配下になろうがなるまいが、命は助けてあげる。良かったね、枕を高くして寝てね」
城に帰ろうとするウルスラ。
「ま、待ってくれ。ゾンビたちをどうにかしてくれないか」
「え、命を助けてあげるって約束したのに。まだ要求してくるの?」
その声に険がある。
「俺たちだってクリスもだが、その手で何人も人を殺めている。国に帰ろう。また初めからやり直そう」
「……。何しに来たの?」
「戦いを終わりにしたい。復讐は済んだだろ?」
誇り高いイグナスがすがるように言う。敵に回せる相手ではないし、本質的には敵でない気がする。
「まだよ。人間どもは根絶やし。約束通りあんたは殺さない。クリス君やソフィも。それで満足しなさい」
イグナスの言葉への明確な拒絶。それでも約束をまもる理性はあるのだ。だが、空中を歩いて登る姿。見逃せない。いまなら、このタイミングならこの悪夢を終わらせることが出来る。たとえそれが背後からの不意打ちという手段をとることになっても。
鞘から抜き放ち大上段。七龍剣。伝説のドラゴンスレイヤー。ふりかざしての大跳躍。数条の雷が上空から剣にまとわりつく。まとわりつかせたまま振り下ろす。全てを乗せた紫電の一振り。その一撃を紙一重でウルスラが躱した。
躱したかに見えた。だがイグナスが剣を振り切ったと同時に剣が雷光を放ってウルスラを弾き飛ばす。弾け飛んで地上に落下し、落下した瞬間、イグナスの追い討ち。剣の軌道に強大な紫色の落雷。
バリバリ、ズゴオオオン……・。
耳をつんざく凄まじい轟音。地面が激しく揺れ、地上に穴が空いた。穴の中心にドレスが焼け落ち、裸の少女。白い全身から白煙が上がっているが、それは血のコーティングが熱で蒸発しているのだ。落雷はウルスラの皮一枚、表面を舐めたのみですべて地上に流れて抜けた。そして地に伏しているイグナスに向けてほほ笑んだ。イグナスの腹部から多量の出血。すれ違いざまのウルスラの攻撃は急所を正確に貫いた。
「イグナス。血を止めてあげる。殺さない約束を破ったお詫び。もう少しだけ生きていられるでしょ。でもあんたが悪いのよ。あ、不意打ちの事を言ってるんじゃないよ。あたしを殺すチャンスをあげたのにへましたからよ。ダメな奴」
もはやウルスラは二度とイグナスを振り返らなかった。
△▼◆◎□★【第71話】プロポーズ
転生の秘術は運命の理を曲げる。いや曲げた。曲げたことが生んだ歪みは、本来の運命の方に歪みの修正圧力を生じさせる。
アウレリアの特質を持つ生まれ変わりは地上に生じなかった。その特質だけが分裂してそれぞれ別の人物に引き継がれたのだ。400年前、シグルドはその気配を感じたアウレリアの気配。分裂して散らばる気配。
引き継いだのは人間とは限らない。魔人や半魔にだってその可能性はある。
そして引き継いだそれぞれのものが同じ時代に顔を合わせるとは限らないのだ。
同じ時代とは限らない。それは同じ時代ではないとも限らない。そう言い換えてもいい。どちらもありえるという意味で同じだ。
慈愛・純真・清廉・倫理・献身。アウレリアのいた時代、その時代の聖女の五つの特質。
ゾンビの群れがハイランド地方になだれ込んでくる。防衛線を後退し、前に出たのはテオドラだ。
ターンアンデッド。上からクリスがワイバーンのブレス。天地両方からの効果的な対処はしかし、クリスを蝕んだ。
それでも結果的にゾンビの群れは防衛線を破れない。ゾンビたちは西へ進路を変えていった。西ゲルニアだ。
「敵の親玉は東ゲルニアにいる。おそらくウルスラだ」
シグルドが言った。
「僕がいく」
「ダメだよ、ちょっと休んで」
テオドラ。
その様子に腰を上げたのがシグルドだ。
「俺が行こう」
ベルガドのウルスラ。半魔の少女の心臓を奪った男。シグルド。この中で最初にウルスラと面識を持ったのはシグルドだ。
400年前、シグルドはアウレリアの慈愛に救われた。
だから聖女の持つ特質でも慈愛に強く反応した。あの日アウレリアの気配を感じた先にいたのがウルスラ。
◇◇◇
ウルスラに敗れ、重傷を負いながらも公爵邸に戻ったイグナスは町に使いを出した。王国薔薇騎士団が留まっている宿だ。
火急の用件と言うことで呼び出されたミネルヴァは、武装した姿のままだ。おりからの雷雨でびしょぬれの姿。
邸宅の正面の門を入ったホール。召使、執事。彼らがいる。遠めに見守る形で。なぜか高齢の執事夫妻は泣いている。
夫妻は思い出していた。彼女が言った、あの日の話は本当だった。金色のロングヘアー。剣の達人。竜の生まれ変わりの女性剣士。竜姫。イグナスに剣を教えた神秘の剣士は夏の終わりに消えた。戻ってくると約束して彼女は消えた。そして消える前にこう言った。次に会うときは黒い髪だと。少し色々なことを忘れているかもしれないが、それは運命なので許してほしいと。
雷雨が激しい嵐の夜。ここで公爵のプロポーズを受けます。その時はどうか祝福してやってください。
正装をしたイグナスが階段を下りてきた。執事の妻が両手で口を押さえる。竜姫が言っていた言葉通りの服装で。
ホールに降り立ち、跪いて指輪。
どうか結婚してください。
左手の薬指、鳴り止まぬ拍手。奥様と呼びかけながら泣いているのはあの若い召使。彼女の前でオレンジジュースを盛大に噴き出したこともあったっけ。
夢のよう。まるで夢の中にいるかのよう。
雷雨が止んで月が出ている。妻の裸の肩が布団からはみ出している。布団を直してやってイグナスは外に出た。ウルスラの魔術がまもなく解ける。すでに肉体は死んでいる。ウルスラがくれた猶予。その時間がまもなく訪れる。
初めての朝。大きなベッドに一人だけ。旦那様はどこに行ったのだろう。今日は何をしようか。何をしたらいいのだろうか。昨夜の雷雨が嘘のような明るい朝だ。
◇◇◇
ウルスラの気配。夜の闇にその気配は濃厚。でもどこか怯えの気配。あの時もそうだった。
おそるおそるソフィとクリスを尾行して探る姿。彼女は怯えていたのだ。ベルガドの血の魔人。とすれば400年前の四柱の一人で北の魔王、黒のエキデルナ。そういえばエキデルナはネプラカ-ンと仲が悪かったなと思い出す。
怯えながら尾行する魔人。この魔人は魔王エキデルナの末裔だ。
ゾンビたちは自我の無い存在。そのはずが、シグルドを見ると道を空ける。シグルドは城内をただ歩いて進むだけでよかった。
玉座の間。ウルスラが出現した男を見て目を丸くしている。
「なんだ。希望の相手じゃなかったか?」
「あ、当たり前じゃない。なんでクリスくんが来ないのよ!」
「クリスは来れない。お前にも分かるだろ?」
シグルドの声色はすこし優しい。
「そうだね。でもあたしと一緒のほうがいいと思うんだけどな」
「こんな血だらけの城でか?」
「うーん。きれいにするよ」
「それでクリスがお前と一緒に住むと思うか?」
「……」
そんなことは百も承知だ。何でこんなことになってしまったんだろう。何もかも自分で壊してしまった。元の鞘に戻ることなど出来ないのだ。
何より自分を許すことが出来ない。
あたしを、ころして
ウルスラの足元から噴出した血の鞭が幾重にもうねりを上げてシグルドに襲い掛かる。ビチャッ、ビチャッとそれがシグルドに当る手前で爆ぜた。
「無駄だ。お前の祖先、エキデルナでさえ、俺には手も足もでなかった」
「強いね……。それにそんなことまで知ってるんだ。あんた何者?よく見ればそこそこいい男だし。ねえ、あんた、クリス君じゃなくあんたにしとけば良かったかな?」
誰も知らないはずなのに、エキデルナのことも知っている。100%の純血魔人。祖先と戦ったというのも事実だろう。四柱の一人、北の魔王が手も足もでなかった。それも納得できる強さだ。
「ああ、こっちは歓迎だぜ」
「うそつき」
「ウソじゃねえ」
シグルドはウソをついた。
だが100%のウソでもない。ウルスラに感じるアウレリアの要素。聖女の要素5つあるうちの一つ。つまりその分、5分の1は真実だ。ウルスラの赤き魔眼が真実を見抜く。
「え、マジ……?まんざらウソじゃないんだ。やだ、嬉しい……」
シグルドに近寄って、その胸に体を預けるウルスラ。シグルドは左手でウルスラの体を引き寄せ、そして右腕の手刀が彼女の心臓を貫いた。
「う、嬉しい、嬉しいよ、シグルド。決着もつけてくれて。最初からあんたにしとけば良かった。そ、そうすればちょっとは違ったかな」
「もうそんな心配はするな。お前はお前なりに頑張ったんだ。ゆっくり安め」
「そうだね……」
シグルドの腕の中でウルスラの体の重みがなくなっていく。魔素の粒子となって天に還っていく。天に還っていくのだ。聖女から受け継いだ慈愛を胸に抱いて。
この瞬間を境に全土のゾンビが物言わぬ屍に戻った。その数後世の記録に数十万とある。




