第7話 竜が人に化けるなんて
王国側代表団はすでに汗びっしょりでその上暑いはずなのに顔面蒼白だ。
ミネルヴァも驚いた。マケドニア家は大陸でもっともよく知られた貴族だ。龍殺しの英雄の家系、その末裔。名乗った当代は龍殺しの末裔にふさわしい偉丈夫。ビーストテイマーでもあるようだが。
「私はミネルヴァ・ウエストザガと申します。ザガ首領連邦の一部族の家に連なるもので、初期より今回の件の調整に当たっておりました」
「お前がミネルヴァか。武大のエースと聞いた。私も武大の卒業生なのだよ」
マケドニア公イグナスが微笑む。
この男は名乗る前からミネルヴァに対しどこか親しげな空気を醸し出していた。
「閣下。私はエースでは御座いません、ですが、私ごときの名前が閣下のお耳にまで届きましたこと、光栄に存じます」
「うむ。それを言うなら私は帝国の代表という立場ではない。ただここは私の第二の故郷でもある。故郷で血が流れて嬉しいはずもない。王国は少しやりすぎたのではないかな。だが、ミネルヴァよ。先にあなたが王国の暴挙を許してやることは出来ないか」
この男に任せれば悪いようにはならない気がする。最初からどこか優しげだ。そういう打算もある。
「閣下の仰せのままに」
「うむ。まずは貴女の寛容に感謝申し上げたい。往来も増え、さまざまな民族人種が行きかう機会も増えるにつれ、土地を守るということ自体が、難しさを増している。警備の者も結果を急ぐようになるのだ。しかし、王国の……何と言ったかな、代表団の皆さん。お前たちは自治領とはいえ、自国の臣民を苦しめた。全部新しく建て替えて住民に提供し、今後その地には手を出すな。まあ、これは単なる個人の願いだが」
落としどころはこの場で最も権威のあるものから提示された。王国代表団としては今はこの餌に食いつくしかない。
「はは、仰せのままに」
「では、もういいか。一つ釘を刺しておく。この件で双方遺恨を残すな。これを守らなかったら、命は無いと思え」
住民側も過剰な要求を用意して臨んだのだが、口の出せる雰囲気ではない。この約束はわずか5年ほどで破られる。鬱積した感情とはいつか土石流となって爆ぜる。そう言う因果を秘めた土地だ。
人はそれを制御する術を持ち得ていない。時に理性ではどうにもならぬことがあるのだ。当事者の間ではどうにもならなかった。そうとも言える。だがこの地に発した火の手は大陸中を焼くことになる。
双方、頭を垂れて合意するのを確認すると王の威厳に満ちた男は退席しようとする。ミネルヴァが恐る恐る聞いた。
「あ、あの閣下はなぜあのような場所に?」
「在学時にあの辺でよく飲んでいたのさ」
そういってからミネルヴァの耳元に口を寄せ小声で言った。
「あの日は弟に届け物があって少し一緒に飯を食ったんだが、弟の生活をきけて楽しくなってな。弟と分かれた後、一人で飲んでいたのだよ」
ニヤリと笑いイグナスは出て行った。
弟さんがこの街にいるということなのか、そして何をしているのか。肝心のところは聞く機会を失った。
◇◇◇
「ねえ、アリオン。快気祝いはもらったの?」
「もらったよ」
「見せてよ」
「うーん。家宝らしくてね、家族以外、見せちゃダメなんだ。家族になれば別らしいけど」
「な、何よッ、何のこと!」
結局煙に巻かれて何も聞けなかった。それで長老たちのところに来たのだ。
「イグナス様は龍に愛された」
長老たちの言うことは訳が分からない。だがこの辺で呑み屋を営む、初老の女性はもう少し詳しかった。
学生時代のイグナスは美女を連れていた。武大の生徒ではない美女。おそらくイグナスより少し年上。輝くような美女。実際、その金髪は日を浴びると輝いていたと言う。
どこの誰であるかは誰も知らなかった。そしてある日、美女はイグナスの元から去った。イグナスは泣きながら彼女は竜だったと言っていたと言うのだ。
「すんごい美人だったわ。でも、美人だった印象は強いけど、なんかどんな顔だったか思い出せないのよね」
呑み屋のママがつぶやく。真相はイグナス本人しか知らない。
なぜイグナスはミネルヴァのことを知っていたのだろう。武大のエースなどと。武大のエースと言えばアリオンなのだ。自分の代わりにミネルヴァの名前を出すのはアリオンくらいのものではないか。
そして思った。地元を代表して公爵にお礼を言いに行こうと。
その護衛をアリオンに依頼するのだ。そんな話をしたところ、アリオンを通じてすぐに返事があった。
「来月の初めはどうかって?それでいい?」
「も、もちろん。でも話が早いのね。どうしてアリオンから返事が?」
「はは。またまた。知ってるんでしょ?公爵は僕の兄だよ。でも誰にも言わないで」
イグナスはアリオンにあの日の会談の話をしている。もちろんミネルヴァという名前も出た。それで勝手にミネルヴァは二人が兄弟であることを知っていると思ったのだ。
兄はずっと以前からミネルヴァに興味を持っていた。どうしてなのかはアリオンは知らなかったが、兄が関係を話したと思った背景にはそのことがある。
実際、ミネルヴァもそのことを疑ってはいた。やはりそうなのだ。だが、知っている話は公爵家に子供はなく、皇帝の家系から養子をもらったという話だ。つまり、アリオンは皇帝の家系ということになる。
カタカタと両足が震える。息苦しい。それは彼の身分を知ったからではない。これで関係性が決定的に変わるのだろうか。
変わっては駄目だ。それだけは駄目だ。関係性が変わることへの拒否反応が肉体の変調まで引き起こす。関係性を壊さないで。それだけを念じて発した言葉は稚拙だった。
「ええと、でもお兄さん、平民出身の養子なんでしょ?なんか偉そうな様子だけど、あんたはちっとも偉くもなんともないじゃん?」
とぼけたフリして稚拙なウソを織り交ぜる。
「そうだね。君は本当に聡明だ」
アリオンはにっこりとほほ笑んだ。どう聡明なのかは分からない。彼は事実を誰かと共有したかった。でも同時に口止めも必要だった。勝手にそんなふうに思う。でも守られた。関係性の変化のきっかけは今はっきりと消失した。
アリオンとは依然親しい友人だ。彼はただの親しい友人で彼が帝国の皇太子アリオロスではあるかどうかは私の知らないことなのだ。
そう、私は知らない。聞いたことも無い。暗雲を振り払い、生気の戻った表情で少しだけ話題を転換させる。
「それはともかく、確かに公爵は尊敬できる人ね。王者の風格と言うか……」
「剣の腕は見た?見てないか。そうだよね。兄さんが剣を抜くような相手はこの辺にはいない」
「強いの?アリオンより?」
「うん……。次元が違う……。比喩じゃなくて……。兄さんの剣は雷なんだ」
ちょっと想像がつかない。すごく速いのだろうか?
「ねえ、やっぱり護衛は不要だわ」
御礼のその場で改めて今と同じ話になっても困るのだ。
「君がそういうなら。必要になったらいつでも言って。どこにでもついて行くよ」
やはりアリオンはアヴァロンに行ってから一回り大きくなった。
魔法の治癒とは何だろう。
ミネルヴァは第二代表で交流会に参加したが、魔術学院の生徒とはあまり話す機会が無かった。次は積極的に話をしに行こうと思った。
その日が来た。マケドニア公イグナスに挨拶に行く日。旅装で馬を駆るミネルヴァが国境付近まで来ると、すでに待っていたらしく二十騎ほどの騎士に迎えられた。驚くことに騎士服の公爵本人までがいた。
イグナス公爵は轡を並べて親しげに話しかけてくる。気さくだ。
弟の快気を契機に剣技を教えていること、武大時代の思い出。ザガ地方の思い出。つられてミネルヴァも軽々しく質問を返す。
「閣下はビーストテイマーの能力もお持ちで?」
護衛たちに少し緊張が走る。能力の話だからだ。だがイグナス公爵は気にしない。
「そんな力は無い。でも、私には竜精が宿っているのだ」
「竜精?」
「竜が人間の女に化けて人の世界にやってきた。仮の姿は古の血のプリンセス。とても美しかった。彼女は人間の騎士と交流した。二人は恋人になったんだ。だけど時がきて、やがて彼女は去った。騎士には竜の力が残った。彼女が意図して残したんだよ。信じるかい?」
「え、ええ……」
それがイグナス公爵だとでも言うのか。ちょっと微妙な話だ。
「信じてないね。ふふ、でもいつかこの日の話を思い出すさ」
イグナスが剣を抜いて中空にふるうと、稲光が生じ、数百メートル先に轟音と共に落雷が生じた。
「か、閣下……!」
護衛の隊長と思しき男が青ざめる。
「おお、すまん。あまりにも気分が良くてな。こんな気分で一日を過ごしたいとずっと思っていたんだ」
呆然としながらもミネルヴァはこの男の横顔をじっと見る。竜の力は存在するのだ。
その力を得た経緯まではウソ臭いが。
ああ、でも金髪美女を連れまわしていた話はザガで何度も聞いた。そこは事実に違いない。
でも竜が人間に化けるなんて。まさか、ね。




