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第68話 王都

 王城地下資料室。一人の女性が書物を運び出そうとしている。

 アンと言う女性で魔学の生徒会長まで勤めた人材らしいが本人の希望で福祉庁担当官となったのだ。福祉庁は左遷先ともなる閑職の庁だ。彼女は学生時代に命を救う場面に遭遇したのだという。すばらしい魔法で命が救われた。彼女の魔法はそんなことは出来なかったが、彼女は魔法以外の方法でも人を救えるなら、その道に進みたいと考えたのだ。


「アン、何をしている!逃げるんだ!」

 地下室のドアを開けて閑職庁の先輩が叫んだ。

「エリックさあん、でもこれ貴重なものなんです」

「バカ!命のほうが大事だ」

 エリックと呼ばれた先輩がアンを無理やり引きずり出す。

「ちょっとエリックさん、乱暴です、痛い」

 日頃の優しい先輩からは想像できない行為だ。


 愛妻家で優しい人柄。実直な実務家でもある。剣も魔法も向かない人だ。戦うこと自体が向かない人。愛する奥さんが出産を控えて実家に帰っており、寂しそうにしていた愛妻家。その彼が必死にアンを引きずり出す。アンはようやく事態の緊迫を理解した。

 三人の兵士に囲まれた。剣を向けられた。人が、同僚が倒れている。死んでいる。同僚のうち、女性たちは衣服を乱して死んでいた。


 先輩エリックが右腕の指を二本立てて構えた。なにか呪文でも使えるのか?意味が分からない。その腕に大きな傷。人差し指と中指。反乱兵にすーっと向けた。

 エリックは丸腰だ。

 取り囲まれている。もう殺されるのだ。二人とも。エリックはこんな状況で地下に助けに来てくれたのだ。


 一人だけなら逃げる余地は合ったのではないだろうか。優しい先輩。福祉管理の実務なら誰にも負けないのに。剣の勝負だけが勝負じゃない。仕事で勝負してみろ。そう言いたい。

 人をたくさん殺した奴より、たくさん救った人のほうが偉いんだ!くやしい、そんなことさえ知らないい奴らに!


 せめて先輩に言いたい。愛妻家と知っているがゆえに言えなかった一言。尊敬する先輩に尊敬を超えた心情。


 反乱兵士が剣をエリックに振りかざした。人差し指と中指が剣の腹を払う、払われて兵士の上体が泳いだ。

 その泳いだ体、浮いた喉元に、剣の腹を払った中指と人差し指が突き立てられた。


 武器は手の延長に過ぎない。手で出来ないことは本質的に武器を使っても出来ない。

 武器を使って初めて出来ることもある。そう言う人もいる。だがそれは人間の技量をもって出来ているのではない。それは、ただ武器が出来ているのだ。武器さえあればできるのだ。なら技量を磨く必要は無い。武器を携えておけば事足りるのだから。私たちの行き先は違う場所にある。武器は所詮手の延長に過ぎない。それを自覚できるまで技量を磨きに磨く。

 エステロソ・オルナシオの教え。


 アンは喉を指で突かれた兵士が壁まで吹っ飛ぶのを見た。その首が曲がっている。一週間前に見た屋根から落ちて頚椎骨折で死んだ男の首があんな感じだった。


 左遷先にされる閑職の仕事場は気力に欠けており、希望を胸に抱いて福祉庁を志願した彼女の心境とは対極にあった。

 アン・ストローハット。それでも彼女の情熱が枯れなかったのはひとえにエリックの存在だ。


 王都は商業が発達しており、商人を中心とした税収が財政を潤わせている。だがその一部は貴族の懐に不正に入っている。その中から少しでもいいので福祉に回してほしい。

 その結果、低所得層の購買力が増し、税収に回せば貴族が不正に手に入れる金も減りはしない。

 そんな内容を直接的表現は避けて議会に提出し、そしてエリック自身も賄賂を駆使したことをアンは知っている。

 だが、効果はあった。薬が増えたと喜んでいたおじいちゃん。騎士団の仕事で障害を負い、働けなくなった元兵士は補償で義足を作り、働き始めたという。

 犯罪組織に加入する少年が減った。そして犯罪組織の数が減った。犯罪の発生件数が減った。


 この国はエリックでもっているとさえ思った。エリックひとりではないにしろ、実際こういう男たちが国を支えているのだ。これでもう少し男らしかったら。

 酒場で彼が因縁をつけてきた酔っ払いに叩きのめされたのを見たときはそう思った。

 その彼がいま、敵が床に落とした剣を拾う。

 指先で柄を操り、剣が生き物のようにヒュンヒュンと回って唸りを上げた。素人目にも一見して分かる。彼がいかに剣の扱いに長けているかを。


 残った二人の敵の一人がその場に倒れた。その体の下から血がひろがる。それを見て背中を見せた残りの一人の背中から血が噴出した。

「王都から出るぞ」

 アンはがくがくと頷いた。


 大路の坂の途中で戦闘が行われている。

「薔薇騎士団!」

 最後の精鋭。彼らは内応者によって城外に出されたが、偽計と知り戻ってきて反乱軍と戦闘している。

「ダン先輩!城内はどうなっている!」

 有名な女性騎士団長がエリックを一目見て叫んだ。


「反乱の親玉は内務大臣のベン・カーター卿だ。王族は抑えられた。今は脱出するしかない。臣民を誘導する。ミネルヴァ、手を貸せ」

「ええ、よろこんで!」

 そういったミネルヴァの剣が敵を三人瞬時に斬った。


 薔薇騎士団は王都脱出を図る国民のしんがりを引き受けた。退路を開くのはエリックだ。返り血で血まみれになりながら文字通り血路を開いていく。

 門を抜けてひろがる草原に出た。後はしんがりに参加し、追撃軍を追い払うのみだ。

「エリックさん、見て!」


 アンの指す方向、砂塵が上がる。

「違う、あれは……敵だ!」

 旗を確認してエリックが叫んだ。ゲルニア帝国の旗だ。

 王都逃亡軍は追撃してきた反乱兵と西ゲルニアの兵に挟み撃ちにされた。おいかけてきた反乱兵たちは西ゲルニアの到着を待つため、少し距離をとっている。


「先輩。降伏する?戦う?私は死ぬまで戦う気だけど、奥様を故郷で待たせている先輩はそうは行かないでしょ?」

 この状況でミネルヴァがにやりと笑うのをアンは見た。

 そのミネルヴァの表情がまた変わる。


「待って。あれは……、クリスだわ。援軍よ」

 遠くに竜影。それが凄まじい速度で接近してくる。

「クリス!クリス!」

 ミネルヴァが大きく手を振って叫ぶ。ワイバーンの背に騎士が乗っている。彼に向かって。


 ファイヤーブレス。西ゲルニアの兵が大混乱に陥る。それを見た反乱兵が王都にあわてて引き返していく。

 逃げていく敵を追撃する余裕はエリックたちにはない。彼らはクリスから情勢を聞き、そして徒歩で王女領を目指した。

 彼らは亡国の流浪の民だ。オレルネイア王国はすでに滅亡していたのだから。


 王女領を目指す一行の足取りは重い。それでも重傷者や重病人がいないのはクリスがテオドラを連れてきてくれたからだ。彼女が献身的に治療している。アンも一緒に働いた。テオドラとクリスの使うデバフ解除魔法は強力だ。それでも足取りは軽くならない。


 すでにオレオン2世は戦死した。そうクリスに聞いた。

 前進か後退か。判断が出来ないでいる王国本隊の側面を、西ゲルニアが急襲したのだ。乱戦の中、逃げ回ったオレオン二世だが、豪華な黄金の鎧が目立つ上に重くて文字通り足枷になった。彼は追いつかれてその場で首にされた。


 知らせを聞いて、この時ばかりはプリシラも弱音を吐いた。

「ねえ、ソフィ、逃げよう。ゲルニアの奴らが来る前に。一緒に逃げてくれるよね?そうだよね?」

 そんなプリシラにじとっとした眼を向けるソフィ。プリシラは怯えた。ソフィのそんな視線は初めてだ。

「何を言っているの、プリシラ」

「え?」

「宣言しなさい。今すぐに!」

 ソフィの気炎。


「な、何をよ……」

「寝ぼけてないで!王の即位と王国の再建よ!」


「誰が……」という質問は飲み込んだ。

「そ、そうだったわ。そ、それを言いたかったのよ。ついてきてくれるわね、ソフィ?」

「もちろんよ、女王」


 この日オレルネイア王国創建以来初の女王が誕生した。遷都によってオレルネイア女王国の首都はアヴァロンに定められた。大陸最古の街。王都アヴァロン。宰相ゼビル。家令エステバル。元帥に無敗の男ザガード。薔薇騎士団長はミネルヴァ。国民たちの前に姿を現し堂々と即位宣言した女王。海千山千と言った顔つきの廷臣と官僚たち、一糸乱れぬ精鋭揃いの軍隊。大陸中に名を轟かせる魔法使いたち。はるか上空を旋回する数頭のワイバーン。一際大きな竜影、神話の存在バハムートまで。

 強い王が誕生した。それも破格の。

 国民はそう思った。女王の即位を万雷の拍手が祝福する。宮廷を固めていく中、アヴァロンに亡国の民が続々とやってきた。

 そしてマケドニアに行っていたソフィからの連絡も届く。

 マケドニアとの相互軍事同盟成立を知らせるものだ。


「騎士団長はエリックさんとお知り合いだったんですか?」

 アンに騎士団長と呼ばれたのはもちろんミネルヴァだ。

「彼は武大の一つ上の先輩よ」

「え、エリックさん、武大出身なんですか?」

 アンはそのことを知らなかった。


「そうよ。それもトップレベル。その年の次席だったわ。首席が帝国のアリオロス陛下だったから、彼がどれほどすごいか分かるものよね」

「そんな凄い人だったんですね……。騎士団長は首席じゃなかったんですか?」


「私はその次の年の首席よ」

 ミネルヴァは当時を思い出して目を細める。軍人を目指した自分ではあったが、こんな戦乱の世の中になるなど思ってもみなかった。

「あーあ、エリックさんもアヴァロンに残ってくれれば良かったのに」

 エリック・ダンは王女領に旧王都の民を先導し、任務を完了するやいなや、そのまま妻の故郷に行ってしまったのだ。

「好きだったの?」

「まさかあ、あ、でもちょっとだけ……」


 ミネルヴァはアンの言葉にウフフと女性らしい笑い声を上げた。

「エリック先輩は学生時代もモテたのよ。強いくせに鼻にかけることなく控え目で、真面目で。だからか、彼を好きになる女の子は控え目なタイプが多かった。それで同じように言うのよ、ちょっとだけ好きって控え目に。すごく好きなくせに」

 アンは真っ赤になった。彼女の頬を赤くはしたものの今回の恋は実らなかった。今はまだ少女と大人の境目。この国の政治体制が変わった後も、この優しい能吏は大きな役割を果たしていく。この国の家令、そして後に共和国初代内務大臣となるその夫と共に。


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