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第66話 奪還

「ごほっ、ごほっ」

 クリスがまた血を吐いた。ウルスラがクリスに抱きつきその血を清めていく。

「ありがとう、だいぶ楽になったよ」

「クリス君無理しないで……」

 ウルスラは心底心配そうな表情で言った。


 自分ならクリスの役に立てるのだ。テオドラよりもずっと。たとえひと時でもエキアゼルも含めて三人で暮らせないだろうか。街中でなくてもいいじゃないか。山奥でひっそりとでも。ああ、そうかベスタやリオンもそう考えていたのかもしれない。それならいつかはエキアゼルは街へ出て行くのだろう。残されたあたしとクリス君は何をして山奥ですごすのだろうか。二人とも年を取って。いやそうはならないのだ。クリスの寿命は人間と同じだ。


 そんなことを考えているうちに首都オルドゲラードが眼下に見えた。

「俺が一人でいく。お前ら、敵が出たらためらいなく殺せ。いいな?」

 シグルドの言葉にうなずく二人。シグルドは音もなく城に侵入した。

 キイン。魔力感知。プリシラの持つ波動は知っている。プリシラの位置を特定すると、外壁伝いに移動し、窓から侵入した。



「あ、シグルド様」

 プリシラは侵入者に対し、動揺する様子も見せずに言った。丁重な使いを受けているらしく、部屋も調度品も、身に付けたドレスも豪華だ。

「てめえ、俺に様を付けたことなんかねえだろ?」

「そうでしたっけ?で、ソフィが助けをよこしたのね?」

「そうだ」

「さすソフ」


 そのやり取りに、雰囲気にのまれていた召使がようやく我に返ってベルを振り回す。けたたましい音に反応してドアが開けられ、両手に巨大なカギ爪を付けた男が飛び込んできた。飛び込んできた瞬間、その男の左肩から右わき腹まで一本の切り傷が走り、ずるりと上半身が滑り落ちた。

 そしてシグルドは左手で窓際の壁を殴って大きな穴を開ける。そこにワイバーンが飛んできた。同時に新手が部屋に入ってくる。


「ク、クリス!」

 部屋に飛び込んできた新手はサーナキアだ。それにシュレン、オリビアもいる。

 どう見ても死体になっているのはワイルダーだろう。あの日一緒にホワイトファングと戦ったケルベロスのメンバーとサーナキア。

 彼らの目が憎悪を湛えもう手の届かないところまでワイバーンの翼で退いているクリスを睨み据えている。

 いつまでも。


 一方時を同じくして王女邸宅にも侵入者がいた。

「待ちなさい。どこに行くの?」

 右手に剣を持った女がキラキラした粒子をこぼしながら上空からゆっくりと降りてきて侵入を試みる者の背後に立った。粒子は彼女の闘気が大気に反応する現象。深いサファイヤの瞳が金色に輝く。神眼。そのスキルは敵の動きを予見する。右手にもった剣は400年前の愛刀だ。シグルドから渡された。あの男、ずっと持っていたのだ。400年ぶりの実戦。彼女の力量は400年前、単独で魔王と互角に戦えるものだった。


「アクセルと言います。私の背後をとるとは……」

「ソフィーティアです。アクセル様、あなたの目的はエキアゼルね?」

 まばゆい金色の髪。金色に輝く瞳。白いドレス。黄金の剣。

「ソフィーティア、ともに天人として世界を支配しよう、この世界を二人のものにしよう。どうだ、素晴らしいだろ?」

 アクセルは力説した。世界も欲しいがこの美女も欲しい。美女は微笑んだ。

「あら、その程度のこと、あなたがいないと出来ないとでも?」

 聖女アウレリア。400年前、魔物や魔人との血みどろの戦いの中で覚醒した聖女。静謐の聖壇だとか、聖廟の静寂の中で育った聖女ではない。


「な、なに」

 ただならぬ気配に気圧されるアクセル。天人アクセル。同世代の天人でもリーダー格の力を持ち、生まれ持った力だけに頼らず、知恵と工夫で地上に降り立った。

 人間はあまりにも脆かった。なのに仲間が減っていく。信じられなかった。エキアゼルを奪われたあの日、残されたミストレルの死体をみてようやく気付いた。何者かがいるのだ。天人を越える何者かが。

 おそらくそれが目の前の女だ。女神と見紛う姿。アクセルは剣を構えた。


「世界征服なんて、やめていただくことは出来ませんか?」

「地上に根を張る。俺たちの悲願だ」

 アクセルの剣が鋭く斬り込んできた。キインとソフィの剣がかろうじて弾く。彼女の持つ剣は攻撃用ではなく彼女の魔力を高め持続時間を延長するバフ用。そして聖属性の障壁を展開するので主に防御用だ。

 その上、彼女の神眼は対象を見据えることで次の動作を視ることを可能にする。


 アクセルの剣は速く鋭い。高い防御力を持つソフィでも押されている。だが、致命傷を負わせるには後一歩及ばない。


 ソフィは瞬間加速魔法を使っている。無詠唱だ。アクセルたち天人も魔法は無詠唱で使う。だがソフィはその制御がとても巧みだ。

 追い詰めて最後の一撃で致命傷。そのときに逃げられる。左右に、或いは後ろに。

 だが瞬間加速はソフィだけのものではないのだ。


 これまで何度か追い詰めて逃げられる展開を繰り返した。

 この女は想定できていない。ただ逃げてこちらの隙を狙うだけだ。最後の一撃をかわされる。その後の隙を少しずつ大きく見せていた。

 いつかつけるはずの隙。それが大きくなっている。


 女は狙っている。勝てる瞬間の到来を疑っていないのだ。

 アクセルの剣がさらに鋭さを増した。しかし微妙に剣筋が乱れる。乱れているように見せたのだ。それでも連撃に女の上体が浮いた。浮いた胴に払い斬り。瞬間加速で退く。払い斬りの構えのまま、その姿勢のままのアクセルが瞬間加速。敵はこのディレイに引っ掛かった。相手は防御を一手失ったのだ。後は剣を振るだけでいい。


 ドンピシャのタイミング。魔法を使う前といま。何も状況は変わっていない。依然彼女は自分の間合いで細い胴を無防備にさらしている。

 斬り払う。剣が振られたその瞬間、ソフィが消えた。

 どこだ―


 後方斜め上、瞬間移動。前後左右の動きに慣らされたアクセルは斜め上に意識が向いていない。眼の前に女の腕が落ちている。剣を握ったまま、肘の辺りから先だけ。

 レーザーのような光筋がヒュンと飛んでアクセルの胸を貫いた。

「あ、あ……」

 小さな穴が光筋の通過後、急激に広がり、彼の上半身を吹き飛ばした。


 切断された右腕を押さえながら、ソフィは敵の気配に集中する。この男は死んだ。もう他に敵はいない。

 ギリギリの勝利だ。男に仲間がいたら負けていた。

 右腕を拾い上げたのとクリスたちが戻ってきたのはほぼ同時だった。


「プリシラ、無事だったのね。良かった」

「あ、あんた、それより、その腕……」

「え、ええ、それが、割と簡単にくっつくのよ」

 ソフィの回復魔法はこの世界でもっとも強い効果を持つ。


 くっついた腕を見てプリシラが呆れ、そして安堵した。苦い表情なのはシグルドだ。傷の様子で分かる。強敵と戦ったのだ。そしてソフィは死に掛けたのだ。そういっていいくらい髪一重だったに違いない。


 ウルスラの表情も固い。

「エキアゼルは無事なのね」

「もちろんよ。そのために私がここに残ったんじゃない」

「天人と戦ったのね、良く勝てたわね」

 魔素に還元されつつある肉片。その血を指で救ってペロッと舐めたウルスラが言った。それを見てしまったプリシラが顔を引き攣らせている。なぜかソフィも顔を引き攣らせているが、敵をここまで粉々にしたのはお前だろうとウルスラは言いたい。

 天人に勝てるとすれば魔人か半魔だ。つまりシグルドと自分、そしてシグルドのホムンクルス、クリスも互角に戦える。


 ウルスラは思う。

 ソフィは何者なのだろうか。確かに彼女を敬い、そして慕ってきた。それは彼女が人間にしては強い魔力を持ち、なおかつ政治力と権力を持つ貴族で、その上魔人を従える人柄と知識を有する人物だったからだ。

 それは人間の中で魔人に対する理解がもっとも深いことを意味する。

 だからこそ窮したときに彼女を頼った。


 だがそれは認識不足だった。彼女の戦闘力は自分と同程度にはある。その気になれば一国を容易く滅ぼせる自分と。


 天人の血の味から激しい疲労と驚愕を感じ取った。

 激戦だったのだ。不意打ちとかじゃない。戦ったのだ。そしてソフィは無事だ。なら今はエキアゼルのもとに急いだ。狙われたのは彼女なのだから。


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