第6話 マケドニア公爵
「アリオン。どこに行ってきたの?」
「あ、副会長。お土産です」
「副会長はやめてよ」
王立武官師範大学、通称武大の生徒会副会長のミネルヴァは不服そうな表情を作って長身の男を上目づかいで見た。
ミネルヴァも長身なのだがアリオンはさらに背が高いのだ。武大では慣例的に翌年の生徒会長予定者が前年副生徒会長を務める。自然、学年で言えば一つ下になる。つまり彼女は来年の生徒会長だ。この辺は幹事が翌年の生徒会長になる魔術学院の仕組みにも似ている。
父は王都を護衛する王立騎士団に所属しその騎士団の一つ、薔薇騎士団の団長だ。
そして男爵位を戴くザガ首領の一人でもある。ザガの民族は数百年の歴史の中で文化的にも言語的にも王国と同化している。それでも民族の誇りは彼らのみが共有するアイデンティティ。それを忘れることなどない。
「失礼しましたプリンセス・ミネルヴァ」
アリオンが少しおどけた。事実、民族の長の娘でもあるのだ。女の腕で武大1,2を争う腕前。
美しいロングストレートの黒髪、大きな瞳、赤い唇、長身。怜悧な雰囲気、紛れもなく美女だ。凛とした佇まいに畏敬と憧憬を込めて呼ばれる異名がプリンセス・ミネルヴァ。
そのミネルヴァがアリオンの前では少女らしい佇まいになる。
「だから、やめて」
「ごめんごめん。ほらアヴァロンの魔法飴だよ」
「むう」
何とペロペロキャンデーだ。魔法飴とは商品名に過ぎない。
アリオンには独特の雰囲気がある。おおらかに他者を取り込んで、それでなお取り込まれた者が居心地いいと感じる大きな器のような。
「ひょれで、どこに」
さっきアリオンから口に突っ込まれたペロペロキャンデーを頬張ったまま。
「アヴァロンに行って、帰りに兄さんのところに寄ってきた」
そう。この立派なアリオンに遊び人の兄がいると聞く。武大の卒業であるのだそうだが、在学中、酒場に入り浸りだったそうだ。ただ女性にもてて、神話から抜け出してきたような信じられないほどの美女を連れて歩いていたと言う。そして武大在学中に実力を示す逸話はひとつとしてない。
ただ遊びほうけていたとのみ。
「お兄さんが好きなのね?」
「好き、とは違う。尊敬しているんだよ」
ミネルヴァは武大で1.2を争う腕だが、1にはなれない。1に大きく差をつけられた2番手だ。
だがアリオンがアヴァロンなどに気を取られている間に剣を磨いて新技も会得したのだ。
「ねえ、すこし手合せいいかしら?」
差はどの程度縮まっただろうか。
「いいね。その顔、何かあるんだね?」
アリオンの笑みは優しい。
武の頂点を志す彼女にとって、アリオンは心技体、全てを備えた目標だ。
そしてその日、彼女は練ってきた新技を初見で軽々と弾かれ、アリオンが数日で大きな変貌を遂げたことを知る。
「持病が良くなったんだよ。魔法の治癒で」
好調の理由をしつこく聞くミネルヴァにアリオンは返事した。
ミネルヴァははた目から見ても嬉しそうだった。アリオンの持病は以前から知っていた。突如息苦しくなって胸を抑え込んだことが何度かあった。
それでも武大1の実力だ。持病さえなければ。ミネルヴァはそれを自分のことのように口惜しく思っていた。幼いころに胸を患ってずっと治らないのだと言う。それが魔法の治癒で治ったのだ。
「それでお兄さんに報告に行ったのね?」
「そう。そしたら快気祝いをくれるっていうんだ。何をくれるんだろうね」
その兄曰く、手元には無いので後日持ってくると言う。
ミネルヴァはその兄がどんな人なのだろうと思う。女たらしだったか、酒飲みだったか。聞いた限り、評判は良くないし。
◇◇◇
数日後、事件は起こった。アリオンが兄から快気祝いを受け取るといったその日だ。自治区の貧民街で王国の警部団が不正住居者とその区域の強制撤去を始めたのだ。もちろん不正というのは王国から見れば不正という事だ。
もともと移設の協議は以前からされていて、反対する住民との間で話はこじれていた。首長の娘でもあるミネルヴァはそのことを気にかけ、足しげく通っていた。
そこで強制撤去現場に遭遇したのだ。
警備隊は魔獣を使役して家屋を壊していた。スピアーボア。
長い牙のイノシシ。警備隊に腕のいいビーストテイマーがいるのだ。
「だめー」
住民の少女が無謀にもスピアーボアが突っ込もうとしている家の前に立ちふさがる。
「危ないッ」
とっさにミネルヴァはスピアーボアから少女をかばった。少女を抱えたまま、宙に刎ね上げられ、家の壁に叩きつけられた。
スピアーボアの追撃。その瞬間、男が割って入った。
「アリオン……」
ミネルヴァは血を流しながら男を見た。長身、赤髪。
でも無精ひげ!
それに酒臭さがここまで漂ってくる。髪はアリオンより長い。でもなんだか似ている。
その男が口笛を吹くと、数頭いたスピアーボアは動きを止めた。
そして警護隊の隊長らしき男の下に行き、何か話をしているようだ。すると警備隊の連中は全員が引き上げて行ったので、住民から歓声が上がった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「え、ええ」
少女の声に肩を抑えながら立ち上がるミネルヴァ。額から血が流れている。めまいが少し。それでもしっかりと両足を踏ん張って立った。
すると住民からプリンセス・ミネルヴァ、プリンセス・ミネルヴァの大合唱だ。ミネルヴァは男を探したが、すでにどこかに去っていた。
この問題は後日話が大きくなった。
国家間の紛争として問題化しかねない状況になったのだ。
自治領から警護と治安を委託されている王国騎士団が住民と衝突。住民の代表の一人が騎士団所属で怪我人がその娘。そして現場で王国騎士団に圧力をかけたのが帝国の貴族だ。
この地の成り立ちにも関係し、複雑な様相を呈していた。
王国はすぐに動いた。王都から官僚を派遣し、事態の収束を図る。
住民を救って怪我をしたのが大首領の家系の娘ということもあり、住民側はヒートアップしていた。
王国としては撤去の撤回で終息を図りたいが、帝国が首を突っ込んできたこと、住民のヒートアップが事態の混迷を深めているのだ。
ともかくも王国の発議で会談が行われた。
王国からは中央官僚と警備隊長。撤去を強行した挙句、住民の象徴的人物にけがをさせた。落としどころの難しい役割だ。
◇◇◇
住民側には長老たちとミネルヴァ。
そして帝国の公爵が当事者として出席している。
ミネルヴァは知っている。あの日現場にいた長身の酒臭い男だ。無精ひげだった顔はきちんと剃られ、頭髪も整えられていた。
「オレルネイア王国の方々、王家臣民の皆様には多忙に関わらずこの場を設けて頂き、感謝申し上げる。本日は王国とその臣民、そしてザガの民のすべてが納得できる日となることを期待している。申し遅れた。私はゲルニア帝国領マケドニア公爵のイグナス・マケドニアだ」
「げえッ」
後継者のいない筆頭公爵家マケドニア家の養子として家督を継いだ男だ。その家柄は七龍家と呼ばれる帝国の由緒ある七つの名家の一つ。マケドニア家はその筆頭の家柄だ。
そして実父は現皇帝。
庶子ながら皇帝の第一子だ。二男である正妃との実子が優秀で、他家に出されたが大物中の大物だ。
他家に出されたのは七龍家筆頭である名家存続の大義名分もあるのだろう。庶子でもあるし仕方ない。王国側は後手を踏んだと知った。
ちくしょう、この程度の問題に、こんなところに、どうしてこんな大物が。
これでは交渉の余地がない。挽回の可能性は既にない。まだ仲介役が一言冒頭の挨拶を言ったに過ぎない段階なのに、だ。




