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第58話 縁談

 戦争の爪痕は大きく、大陸の地図も書き換えられた。

 帝国は大きく三つに割れた。

 正統性の曖昧な東西ゲルニア帝国。公国でありながら旧帝国から離脱した諸貴族の恭順と加盟の相次いだマケドニア公国。


「破談になっちゃったね。ごめんね」

 そういって謝るのはソフィだ。

「やめてよ。人を失恋したみたいに。けど。惜しい人を亡くしたわね。世界の損失だわ」

 プリシラの言葉にソフィも頷く。帝国皇帝アリオロス。こんなところで死んでいい人材ではなかった。


 そして彼の生前、王国と帝国正面衝突前夜。ギリギリで交わされた王国との和議同盟の条件がプリシラとアリオロスの婚約だった。双方、ソフィの帝国宮廷入りを条件とし、ソフィもそれを呑んだことで和議が成立したのだ。


「世界一の男なら結婚してもいいかもね」

 いつだったかプリシラが言った言葉。

「ねえ、プリシラ。前に言った言葉、覚えている?世界一の男の目処が立ったわ。誰が見ても世界一。そいつと結婚して」

「ほおん?あんたも一緒についてくるの?」

「なしてよ」


「こないの?そ。じゃあダメね」

(むむう……。)


 後に国母と称えられる王女の、戦争回避のその前夜の会話はおおむねこのようなものだった。


 そして王国ではサークエル伯爵領がガイナ公爵領、アルカニア辺境伯領を呑み込み巨大な版図を築いた。すでにその版図はディムランタンを凌駕する。領土と軍隊の規模において、王国1の巨大貴族だ。

 あとは有力公爵か王家と親戚関係ができれば、晴れて公爵位が陞爵されるであろう。

 だがサークエルはあっさりと領土の半分と子爵の位を家宰に譲ってしまった。


「まさか、俺がお前の養子になるとはな」

 ザック・クレッガー。カイエンの右腕。


「ははは。こやつめ、“おまえ”じゃないだろ?お父上様と呼びなさい」

 オーウェン・ザガード。カイエンの懐刀。


 二人は古くからの付き合いだ。ゼネヴが参加する以前からカイエンを支え、盛り立ててきた二人。


 カイエンはもういない。二人だけになってしまった。ザガードはカイエンの死後、直ちにカイエンが持つサークエルの爵位と領地を継承、というか捏造文書にて簒奪したのだ。簒奪というのも語弊がある。ザガードはワグナー公爵が不正に簒奪したザガードの正当な継承権を正当な手続きで取り返した。そう主張したのだ。これではあの世でブリジッドも浮かばれまい。だが、この世にある者はこの世に生きるもののためにあるべきだ。この世で今生きる努力をし続けているのは今を生きるものたちだろう?オーウェン・ザガードに感傷はもちろん、躊躇もなかった。

「これからどうする?」

 クレッガーが聞いてくる。クレッガーにはまだ野心が残っているのかもしれない。


「俺はもう嫁でももらってゆっくり暮らすよ」

 ザガードが答えた。カイエンと共に、そしてカイエン以上に人を斬ってきた男。彼はもう戦うのは疲れたと言った。

 その首にブラド・ゾルのタグネックレスが光っている。


 ブラド・ゾルの葬儀は王女領で行われた。サラに涙は無い。

「兄さんは自由になったんです」

 彼女はそう言って兄を見送った。

 プリシラが手配した葬儀はブラドにはもったいないほど立派な葬儀だった。


 そしてサラが王都に帰ると間もなくして彼女に縁談の申し込みが来たとの報告がプリシラの元にもたらされた。

「ソフィ。油断しちゃだめよ。変な男だったら、暗殺も選択肢の一つだから忘れないで」


「え、殺すの……?」

「殺せば間違いないわ。間違いは許されない」


「物騒ね。それで相手はどんな身分なの?」

「聞いて驚け。なんと伯爵、それもあのサークエルよ」

「うそ……!」


 ソフィは意外すぎる相手に口元を掌で覆った。

 プリシラは縁談に入る前に相手の面接を行うと宣言した。

 当然ソフィも同席させる。ソフィは簡単に同席を了解した。

 相手は飛ぶ鳥を落とすが如き雲竜の出世人、サークエル伯爵と聞いたからだ。


 サークエル伯爵はあやしいところが多数ある。当初はワグナー公と同盟関係にあったはずだ。ワグナーとアルカニアに同調した動きをとって王国配下の貴族の領地を切り取っている。いる。サークエルが内通している。それは当時、現場における当たり前の認識になっていた。


 そして最終盤に至ると、突如ワグナー公爵とその仲間であるアルカニア辺境伯を裏切った。そう考えるのが自然な動き方をした。表面上は王国に忠誠を誓いながら、王国の貴族の領土を奪い、そして最終的には敗色濃厚のワグナーとアルカニアを執拗に攻撃した。

 人物を見定める必要があった。ただ、いずれにしても相当な人物のはずだ。それがなぜ下級貴族の家出身とはいえ、いま現在は平民のサラを?


 疑問もあるが、期待もある。

 もしそいつが万が一にもいいやつだったら、こんなに素晴らしい話は無いのだが、良い奴であろうはずがない。生きて返さないという選択肢は、ただの軽口で言ったわけではないのだ。


 ◇◇◇


 プリシラとソフィ、二人は王都まで移動し、面接は王宮で行われた。


 広く、煌びやかな廊下。さすが王宮は違うとその成りあがり貴族は思った。

 帝都の宮廷よりも豪華で眩い装飾が施されている美しい廊下だ。

 通された控え室で待たされる。思ったよりも長く待たされた。

 やがて案内が来て隣の大きな部屋に通される。


「伯爵サークエルめで御座います」

 美女二人に挨拶をする。椅子に座っている女が王女であろう。その横で立っている女は誰だろうか。


 更にその横にカーテンが引かれてある。護衛か刺客が潜んでいるのかもしれない。油断は出来ない。なにかあれば王女を盾にするか。この距離なら――、可能だ。

 頭の中ですばやくシナリオを練る。とはいえ気になるのは立っている女だ。

 チラ……。

 王女の隣に立つ女。驚くほどの美人だが、その美貌が思いっきり引き攣っている。


 なにか問題でもあっただろうか。作法を間違えたか、それとも社会の窓から何者かが先に挨拶を済ませていたとか?

 違う。この美女に見覚えがある。そうだ、王都を去るあの日、焼き菓子を取り合ったあの女だ。

 だがそこまで表情を変えるほどのことをその時しただろうか。思い当たらない。


 ソフィはバクバクする心臓が少しでも落ち着くように呼吸を整えた。

 実を言えば1割くらいはこうなる予感があった。

 こいつは黒騎士の側近オーウェン・ザガードだ。顔も確認済みだし、サインの照合も済んでいる。


 あの日見たザガードは不器用な誠実さがあるように思えた。翌日見たサラの笑顔に二人の絆の存在を感じた。赤い糸、そんなものがあるだろうか。


 もしあるならば。男の方にはその糸をしっかりその端を握りしめる意志と、切れないように力加減をコントロールできる理性、そしてそれが一方的にならないように相手を慮れる知性が垣間見えたのだ。


 ならばこの場に辿り着くにふさわしかろう人物に思えたし、大身の貴族が平民の侍女に求婚する理由にも合点がいく。


 プリシラの要望であの日すぐに調べたから馴れ初めは分かっている。露天商に騙されたサラを気遣い、心配して何度も手紙のやりとりをした。清く私心のない彼女に謀略家が心を動かされた。そしてその謀略家の根が善人であったなら。

 この男は想定した最も好ましい条件に合致している。敵でさえなかったのなら。もちろんまだ敵とは断定できない。しかし戦争中の怪しい振る舞いは安易に水に流せない。こいつがあの忌々しいサークエルでさえなかったなら。


 だがザガードとサークエル伯爵が結びつかない。今日来るのはサークエル伯爵だ。かつてカイエンと会った時、もしカイエンが王国のサークエル男爵位を持っていると知っていれば、また話は違ったのかもしれないが、そうではなかった。

 だから可能性は低い。せいぜいが1割。そう思ったのだがなぜかやはりこいつだった。


 後日、ソフィはザガードとサークエルを結び付けられなかった己の不明を恥じたという。しかしその後、さらに思い直した。

 結局ただのなりすましじゃん。


 とはいえそれは後の話。今は喫緊。王女に、プリシラに言わなくてはならない。今すぐに。こいつは戦争を引き起こした張本人のその一味。そいつらの最も深い位置にいた男だ。

 すなわち、敵、だ。もう断定済みなのだ。

「王女、この男ですが……」


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