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第55話 帝国敗れる

 いつごろからか斬ったときの手応えが希薄になってきていた。

 まるで肉に吸い込まれるように剣が走る。肉の中を剣が通過した、通り抜けた感覚だけが手の感触に残る。


 その頃から自分の剣が弾かれたり躱されたりすることが目に見えて減った。

 相手が反応できていないのだ。


 この速度についていける相手はいない。高名な相手でもどれもが未熟だった。未熟に見えた。過去にとっくに通過したいつかの自分。


 誰もがその程度のところに留まり、その場から先に進めていない。

 停滞だ。滞れば淀む。淀めば斬れぬ。


 黒騎士カイエンの剣は淀まない。なおその上で断ち切れぬものがまとわりつく。赤い剣緒。非情な謀略家のただ一握りの失われない人間性。そのカイエンが辿り着いた正念場。

 ここを乗り切れば勝利だ。


 だが、その最後の相手が悪かった。淀まぬ剣が当たらない。

 カイエンより速い。一合二合と打ち合い、三合目は躱された。躱されたと同時に繰り出されたイグナスの反撃をかろうじて受けるが体幹を崩される。


 浮いた胴を下から上に逆袈裟懸けに斬られる。その斬撃は雷鳴を発し、カイエンの身体は真っ二つになって中空を舞った。


 切られた瞬間走った雷撃は熱となって死体を焼く。炎にまかれながらも右手は剣を強く握りしめたまま。

 黒騎士として名を馳せ、大陸中を混乱に陥れた男の最後としてはあっけないものだったが、相手は七竜公筆頭。黒騎士が負けるとすればこの男をおいて他にいない。


 いまや燃え尽きようとする剣緒は黒く焦げ、しかし残り火が風に舞って駆け上る火の粉はあたかも今失われた魂を天に導くかのよう。

 大気を吸って一瞬強く赤い光を放ち、やがて白い灰となって雪のように舞い落ちた。


 浮足立った帝国軍にさらに新手が突入した。王国の援軍だ。

「王国薔薇騎士団、七龍公に加勢する」

 先陣を切るのは副団長ミネルヴァ・ウエストザガ。斬って斬って斬りまくる。

 故郷ザガ。薔薇騎士団長だった父のこと。全ての元凶が黒騎士だ。

 鬼神の如き暴れようであっと言う間に返り血で真っ赤になる。


 その前に一人。男が立ち塞がる。ミネルヴァもその男を知っている。

「レイ。もう勝敗は決したわ。投降して。悪いようにはしないから」

 馬から降りてミネルヴァが言った。その表情は先ほどと打って変わり、まるで哀願しているかのように眉に深い憂いが宿っている。


「ミネルヴァ。それじゃ、俺は騎士じゃなくなってしまう。頼むよ、勝負してくれ」

 時に斬りたくない相手に出会う。

 そうではないのだ。基本的に誰も斬りたくはないのだから。そしてそれ以上に仲間や家族を斬られたくない。

 だから斬る。大事な誰かを斬られる前に。


 ミネルヴァは頷いて剣を構えた。かつてアリオンと互角に戦ったという剣。

 なるほど、それも分かるほどには鋭い。だが技量の差はいかんともしがたい。ミネルヴァは撃ち込まれる剣戟をあしらうように弾くと、一太刀で勝負を決めた。

 たとえ一時でも苦しみを感じないよう、斬られたことさえ気づかぬうちに逝けるように。


 イグナス率いるマケドニア軍はそのまま主を失ったワグナーの城を攻略。そしてメルギド王国には帝国皇帝自ら率いるおよそ7万が進軍してると報告が入る。

 これで戦争は終わるのだ。


 同じように南方の紛争地にも情報が入る。ワグナーの敗戦、帝国軍の進軍。

 南方を担当していたクレッガーは途方に暮れた。辺境伯に寝返り、ガイナ公を討ち取って紛争を収束させたまではいいが、ワグナー公は戦死し、メルギド王国さえも陥落間近だという。


 こうなれば辺境伯の首を差出し、戦功を挙げたことにするしかない。

 しばらくの後に辻褄わせにちょうどいい男がやってくるが、まだそのことをクレッガーは知らない。


 プリシラも、そしてソフィも見誤っていた。これで戦争が終結すると。

 戦争の勃発を予見し、準備してきた王女領は混乱も無く、生活できている。物資の輸送で王都にも混乱生じなかった。最悪のシナリオは全て避けえた。

 だが、その終結を見誤っていた。


 ◇◇◇


 誰も予想しえなかった。

 抵抗するものを蹴散らしながら敵国深く進軍した軍神アリオロスが、クーデターまもない不安定な政権のメルギドに敗れるなどと。

 帝国軍7万。メルギド王国わずか3千。数だけの問題ではない。指揮官の能力、軍隊の士気の高低。

 誰の目にも勝敗の帰趨は明らかだった。


 帝国軍は国境付近でメルギド軍を鎧袖一触、散々に撃破した。

 そのまま王城を戴く、その首都を包囲。野営地に本部を建設し、その本部の最も大きな部屋に大きな水たまりが出現した。アリオロスは最初、それがなんだか分からんかった。しかし、血のたまったものだと気付く。

「陛下、お気をつけて」


 パラディン、青の13ことアンタレスが皇帝の前に立つ。血だまりが泡立ち始める。湧き上がる恐怖に耐える。まるで澄んだ湖から姿を現す女神のように、そこに姿を現したのは妖艶な美女だ。湖ではなく血だまりで、なおかつ神々しさの代わりに禍々しさをまとって。

 アリオロスはアンタレスをはねのけ、いきなり奥義を使った。

 ティタノマキア・アインへリアル

 そしてティタノマキア・ゼーニムリル


 女が吹っ飛ぶ。

「問答無用ね」

 女の右腕が肘の当たりでもげている。躱したつもりだったが、衝撃波で肉と骨がはじけ飛んだ。血がぼとぼとと流れて落ちている。さらに追撃するアリオロスに血の霧が吹きかけられる。

「く……」

 目を凝らすと血の霧の奥で蛇がうねっているように見えた。正体は血の水柱だ。あたかも濃霧の海でそのうねる影だけが見えるシーサーペントのように。うねうねと。その血柱が鞭のようにしなり、襲いかかった。

 剣でアンタレスが受ける。しかし血の水流の鞭は弾かれることなく、剣を通過し、アンタレスの肉体を切り裂いた。さらに血溜りから何本もの水柱が湧き立ち、いっせいに鞭打つように部屋一面を無尽蔵に飛び交った。


 皇帝を守ろうとするパラディンたちが勇敢にも水流に身をさらし、水流を操る女に殺到するが、鞭と化した血の水流に打たれ、近づくことさえままならない。血の鞭は鎧ごとパラディンを切り裂き、防具は意味を為していない。

 アリオロスはのたうつ水流の間隙を縫って、奥義を放った。


 二発目のティタノマキア・ゼーニムリルが血の霧を吹き飛ばすが、今度は女にダメージを与えることは出来なかった。赤黒い水柱が束になって壁となったのだ。血で壁を形成しながらも、女は地を這うように攻撃を同時に繰り出していた。その一撃がアリオロスの片足を払っていた。

 床に転がる数体の死体。それはうねり回る血の鞭に斬り裂かれたパラディンたちだ。

 立っているのは女とアリオロスだけ。そのアリオロスも右足と左腕を失い、自らの出血で血まみれ、かろうじて立っているだけだ。血溜りが大きくなればなるほど、血柱の鞭は変幻自在にのたうち、予測し得ない動きに、アリオロスもかわしきれぬまま切り刻まれていったのだ。

 む、無念……。

 女が失ったはずの右腕をかざしたのが見えた。右腕はそれぞれの切断面が血で結ばれている。血で結ばれ右腕が動いている。その動きに合わせ、血だまりから血柱が立ってアリオロスを袈裟斬りにした。


 軍神アリオロス。死してなお片足で仁王立ち。その目は開かれ、まだ敵を見据えていた。


 帝国軍の撤退。様々な憶測を呼ぶ。皇帝が暗殺された。その憶測が有力だ。本来であれば姿を見せて憶測を打ち消さねばならない。それが出来ないのだ。

 撤退命令の下った翌日には皇帝死亡は帝国王国に生きる者の共通の認識になった。


 さらに王国のオレオン二世の暗殺だ。彼はあっさり暗殺された。

 門にその首が掲げられたのだが、翌日噂は打ち消された。幽閉されていた第二王子がオレオン二世として国民の前に出たのだ。

 能力も含めそっくりな二人だ。影武者だとして、どちらが国王でも大差はあるまい。帝国とは違い、ここでは国民も特に大きな関心を示さなかった。


 マケドニア軍に同行中の薔薇騎士に連絡が入る。

「ミネルヴァ・ウエストザガを薔薇騎士団団長に任ずる」

 王国史上最年長の騎士団長は戦乱の中誕生した。今は平時ではない。そのことを雄弁に物語る事例だ。


「イグナス様、友達を斬ってしまったんです」

 今思い出しても恥ずかしい。取り乱してしまった。レイと戦った後、イグナスに挨拶に行ったときの話しだ。

 イグナスはただ抱きしめてくれた。嬉しくて、でもその後のショック。悲しみ。だが前を向くしかない。そういう状況だ。


 後に聞いたアリオロスの死。帝国は分裂すると言う。分裂後のそれぞれの元首はいずれもアリオロスの父であるテリセウスに連なるものだ。テリセウスはアリオロスの前の皇帝だった。だがレイブンの生徒に暗殺されている。そして分裂した一方の皇帝がテリセウスの寵姫の息子、そしてもう一方がテリセウスの妹の息子。それぞれ皇帝に即位する予定だと言う。当然イグナスの元には派閥に入るよう両陣営から何度も使者が来ている。


 後に寵姫の息子の国を西ゲルニア帝国、そして東側半分、テリセウスの妹の息子が即位した国を東ゲルニア帝国。そう呼ばれる。


 そして彼らの即位と同時にマケドニア公国が誕生した。懐疑的な目で見られる東西ゲルニア帝国と違い、大陸諸国が正当性を認めるまっとうな公国だ。黒騎士を一騎打ちで討ち取ったマケドニア公は剣聖と呼ばれた。それゆえ後の歴史家の間で剣聖公国とも呼ばれる。史書に剣聖と称されるのは神話の時代の剣聖レオノールに次いで、歴史上2人目だ。


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