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第52話 黒騎士の懐刀

 ザガードにとってゼネヴは目障りだ。

 彼のポジションを奪ったのは、ゼネヴなのだ。長年の埋伏だろうが、知ったことではない。突如現れて自分の上司になった存在。


 その上司は先ごろミネルヴァの調略に失敗している。その失敗の傷を広げるチャンスだ。或いはここでミネルヴァに反乱の機運を起こさせれば、ゼネヴを出し抜ける。

 ザガードはミネルヴァの滞在する宿に向かった。


 表向きは犯人逮捕のお礼だ。レイの上司と言えば会ってくれるだろう。ザガードは会って、彼女の美貌に驚愕した。

 彼女を旗頭に反乱を起こすなら、自分が先兵になりたい。そうとさえ思うのだ。


「なるほどレイとは交流会で知り合ったのですね。そう言った友情が生涯続いた話も聞いたことがあります。それでサウスポートにはどのような目的で?」

 お礼を言いながら、ザガードは探りを入れていく。

「観光です。お休みを頂いたものですから」

 当然、ミネルヴァは適当な言葉ではぐらかしてきた。

 ザガードは踏み込んだ。ゼネヴはおそらく反乱を促すようなことを言ったはずだ。ミネルヴァはそれに嫌悪感を持った。そこに同調する余地があるはずだ。


「私はゼネヴさんがあなたに何を言ったか知りません。しかし、あなたがそのことで何か疑問を持っておられるのではないかと思うのです。私が知ることなら何でもお答えします。」

「いえ、そんな知りたいこともありませんが、サークエル伯爵さまは辺境伯様より強いお力をお持ちのようですね」


 ザガードはそうだと肯定した。

「ゼネヴさんが勝手にいろいろやってしまって。悪いのは伯爵ではないのです。よろしければ明日色々な書類があるのでお持ちします」


 そういって宿を出たザガードだったが、彼の前にレイ・アーセナルが待っていた。

「どうした?」

「ザガードさん、すいません」

「あん?なんだお前、何を泣いている?」


「うう、ひっく……、俺はミネルヴァに機密を漏らしたとかで軍法会議にかけられて死刑になるそうです。でも内通者を始末してその首をもってくれば差し引きゼロにしてやるって」

 そんなこと誰が言ったのか。思い当たる相手は一人だ。

「それで俺が内通者、命令したのはゼネヴさんってとこか」


「はい、ゆるしてください」

 斬り付けてきたレイの剣を抜く手も見せずカキンと弾き返すと、ザガードは脱兎の如く逃げ出した。レイが追ってくる。

「くっそ、あの女……」


 いきなり刺客を放つとは分別のつかないバカだ。こんなことならさっさと暗殺するべきだった。だが、それをやっていたら、ワグナーがどう出たか。


 もう考えても仕方ないことだ。レイに追いつかれそうだ。

「ひえッ」

 レイの剣先が尻をかすめてザガードは情けない声を上げた。

 だがどことなく追う側より逃げる側に余裕があるに見えた。


「ミネルヴァさん、たすけてえッ、レイ・アーセナルに殺されるうッ」

 宿の前でグルグル走りながらザガードは絶叫した。窓を開けて人々が往来を覗き込む。

「な……」

 狼狽したのはレイだ。


 騎士道とか名誉とか、そういったものすべてをかなぐり捨てる男を異質なものを見る目で見ている。

 宿の正面のドアが開いてミネルヴァが出てきた。


「な、何をしているのよ」

 ミネルヴァの表情に困惑と共に怒りが滲む。彼女から見ればこいつらは、ものすごく迷惑な連中だ。

 そのミネルヴァの背後に走りこんで回りこみ、彼女の背中の後ろからザガードがひょこっと顔を出した。

「ミネルヴァさん、こいつ俺を殺す気だよ。何とかしてえ」

 そう言われたミナルヴァは、やれやれといった表情で口を開いた。

「一旦話し合いましょ。宿に入って」


 ミネルヴァにザガードも続く、ザガードはミネルヴァの両肩に両手を置いて、腰を低くヘコヘコとついていく。たまに振りかえってレイを見た。

 振り返ったその顔にいやらしい笑みが張り付いていた。


 レイの話は、つまりこういう説明だった。

 ゼネブはザガードがミネルヴァに接触したことに気づき、内通者と断じ、レイに命じて暗殺を試みたのだという。

 当事者であるミネルヴァからみても現時点では大した機密は無かった。それに接触自体が問題だというならゼネヴだって接触してきている。


 レイも機密漏洩を疑われており、その罪を見逃す代わりに今回の暗殺を命じられたというのだ。

「ね?ひどいやつでしょ?ゼネヴってのは」

 ザガードがレイの説明に便乗してくる。


 その通りだが、ミネルヴァに出来るのは僅かな期間匿うくらいだ。それで問題が解決するわけではないだろう。

「そのサークエル伯爵は信用の置ける方ですか?」

「そりゃあ、もう……」

 それなら今回の窮状を包み隠さず訴えてみてはどうだろうか。ミネルヴァの提案は妥当だ。


 ザガードも情けないがそうするしかないと思い始めていた。

 まあ、レイ・アーセナルも心情的にはこっちよりのようだし、味方を一人得たと思えばそう悪い結果ではない。

 難局を乗り切るには同志が必要だ。


 ◇◇◇


 カイエンはザガードの放った伝書梟の手紙を受け取り、今後の展開に頭を巡らしていた。

 王国から偵察が来ているとなると、事を急ぐ必要がある。それに王国の偵察がやってきた背景にはゼネヴの失策があると書かれている。


 その失策の隠蔽の為にレイの罪をでっち上げ、暗殺に使った。ザガードが最も主張したいのはその部分であろうことはカイエンにも分かる。

 ゼネブの気質を考えれば、おおむね事実と思われた。

 だが、ゼネヴはゼネヴで大事だ。


 ここまで状況を整えた第一の功績はゼネヴにある。

 ザガードがゼネヴをどうにかしたいのならゼネヴを実績で上回るしかないのだ。

 ザガードはザガ方面に配置転換された。レイ・アーセナルと共に。


 ◇◇◇


「ちくしょう。ちくしょう」

 道中、アーセネルは何度もその言葉を聞かされた。ザガードがことあるごとにゼネヴへの恨み言を言っているのだ。


「あの女は最初の日に、俺が風呂を覗きに行ったのを根に持ってやがるんだ」

「そ、そんなことをしたんですか……」


 小さい。覗きと言う行為の矮小さに加え、それが理由で相手は暗殺まで試みているのだという発想。

 こいつと二人で新たな任務地に赴任するのだ。

 とんでもないことになったと思った。


 ザガードは支給された旅費が潤沢なので、贅沢をしながら赴任地に向かっている。 

 今晩は王都に立ち寄って高い宿に泊まるのだ。


 ミネルヴァのもとに伝書梟がやってきた。レイからの連絡だ。無事王都に着いたとある。しかし、この先あの二人がどうなるかはミネルヴァも心配に思った。

 武大には帝国からの留学生もいるので、言語は同じだが、方言と言うか、その違いがミネルヴァには分かる。


 ザガードは帝国出身だ。ザガードといえば、ミネルヴァが武大在学中、ザガ地方よりさらに北の地方の貴族との紛争を寡兵で鎮圧したワグナー公爵家の騎士団長がザガードという名だったはずだ。


 その時の戦術が最新の戦術論として講義で紹介されたのは、その紛争に従軍した帝国の騎士が臨時講師として招かれたためだ。

「オーウェン・ザガード。さすが黒騎士はいい配下を持っている」

 あの日のアリオンがそう言っていた。


 あのザガードがそうなのかしら。

 ミネルヴァは直感的に初対面から彼を強いと思っていた。


 三者三様の想いがある。

 まずいことになったわ。

 そう思ったのはゼネヴだ。


 理性を欠いていたと認めるしかない。今年の新人で一番腕の立つレイ・アーセナルの弱みを握った。その上でザガードの機密漏洩の疑い。好機だと思った。


 この機会を逃せばもう同じチャンスは二度と来ない。

 あの日の屈辱。

 忘れることなど出来るものか。


「へっへへ。さすがは隊長。見事な生えっぷりで。デンスヘアードエイプも真っ青なくらい……」

 入浴を覗き込んで鼻の下を伸ばしたあのいやらしい笑顔。

 ぬけぬけと言い放ったおぞましいセリフ。


 渾身の力で、殺す気で投げた角質取りの軽石を紙一重でヒョイと交わして逃げていった後姿。

 そのとき奴は立ち止まってニヤリと振り返ったのだ。股間を押さえた品性のかけらも無いポーズで。

 そのときの奴のツラときたら。


 デンスヘアードエイプとは猿のような見た目の知能の高いモンスターだ。魔法弾を撃ってくる。

 そして全身がブラックヘアードエイプよりも黒く濃い体毛で覆われている。


 ゆるさない。

 だが暗殺は失敗し、手駒まで奪われた。こうなれば奴の邪魔をしてでも失脚させる必要がある。

 ゼネヴのやるべきことは果てしなく多い。そしてその中にはこの件のように、労力の割にさしたる意味もなく、また成功する可能性の低いものも多分に含まれている。


 その頃、ザガードは王都で昨晩豪遊し、昼近くまで寝ていたが、ようやくベッドから身を起こした。

「おい、アーセナル。飯に行くぞ」

「はい……」

 ふらふらとレイが後についていく。



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