第51話 南へ
この話はすぐに王都にも伝わった。ヒュドラ出現は大ニュースだ。何十年に一度のニュースだからすぐに王都に伝わる。しかも実際にヒュドラの首が四本ギルドに納められたのだ。
「しかしほんとかねえ」
「その場にいたのが7人てのはウソだろ」
騎士団内でもそういう会話がなされる。
ヒュドラ討伐の任務が発せられたとして出来るのだろうか。
ヒュドラなんて想像もつかない。そういえばいつだったかワイバーンに乗ったのだった。
クリスはまだ魔学の生徒か。将来どうするのだろう。王国第一騎士団にさえ、彼に剣で勝りそうなものはいない。騎士の一人が仲間の話を聞きながらそう想いに耽っていた。
「倒したのは交流会の優勝者二人だってよ」
不意にその言葉が耳に入った。
「名前は?」
話し込んでいる同僚たちに、ミネルヴァが割り込んできた。
「ミネルヴァ、いきなり食いついてくるな。ビックリするじゃないか」
騎士団員は同僚である彼女の反応に驚く。珍しいことなのだ。
「そ、そうね。もしかして名前はクリスとテオドラかしら」
「そうだ。例の魔学の二人だよ」
そうか。ならこの話に疑問を挟む余地はないのだろう。だがこの話は意外な方向に転んでいく。ヒュドラはガザの住民が暴動を起こすために用意したものだという噂が出始めたのだ。
その噂が出始めると同時にミネルヴァはゼネヴ・カルネアというサークエル家の家宰から面会を求められた。ほんのちょっと前までは子爵だったはずだが、サークエルはすでに伯爵になっている。断る口実も思いつかないのだから、仕方なく面会に応じるしかなかった。家宰と聞いていたが、会ってみると女騎士といった印象だ。
「ウエストザガ様、あの噂は王家が流したザガ地区殲滅のための口実です」
この女は何を言っているのだろうか。ヒュドラが出た。そしてクリスたちが退治した。
それだけだろう。
もし何かの陰謀ならクリスが教えてくれるだろうし。
「カルネア様。偶然にもヒュドラを退治したパーティーの中に私の友人が二人います。その人たちのにも聞いてみたいのですが」
「冒険者ですか?彼らに陰謀のことは理解できないと思いますが……」
まあ理屈はそうだろう。だが頭ごなしに当事者を否定する姿勢なのは分かった。
そして陰謀と言うならこの女の方こそ謀を巡らす側だろう。そもそもサークエルには父の仇がいる。それはもう確信に近い。
この女は何をしに来たのだろう。いまもクリスたちはザガ地方にいるのだろうか。彼らに一度会いたいと思った。
クリスのようにワイバーンでひとっ跳びできたらなあ。
ゼネヴはミネルヴァの表情に今回の面談の失敗を悟った。
サークエル家は王国の南方に位置する公爵と辺境伯の紛争に介入し、功績を挙げて大きな領地を加増されたと言われる。
この紛争で得をしたのはサークエルのみで、その後身代を越える多額の納税をもって陞爵されて現在は伯爵となっている。
そのサークエルからの使者だ。その背後に辺境伯がいる。辺境伯はメルギド王国やワグナー公爵領と同盟を結び、ライバルであるガイナ公爵の力を大きく削ぎ落した。
サークエルはその手駒に過ぎないのではないだろうか。ミネルヴァは休暇を利用し、そこに向かった。王国の南端、辺境伯領に入ると、警備の騎士に誰何された。もちろん王国の正式な騎士であるミネルヴァは堂々と身分を告げる。
◇◇◇
「ミネルヴァ・ウエストザガ……武大のミネルヴァか」
そう言った騎士はフェイスガード付の兜を脱いだ。
「レイ・アーセナル」
父が戦死した時、樹氷騎士団の生き残りである彼の兄との面会の場を設えてもらったのは記憶に新しい。
王学で唯一のまともな剣士だ。
いや学生と言う意味では武大以外での唯一のまともな剣士だ。
クリスのようなのはまともな剣士とは言わない。
「王都騎士団できっと一緒になると思っていたのに。こんな遠くにゆかりがあって?」
「いや、俺は黒騎士の、その騎士団に入ったんだよ」
レイ・アーセナルはもともと帝国出身だ。そして帝国の武の象徴が黒騎士。黒騎士の配下になるのも分かる気がする。
「ああ、ワグナー公爵と辺境伯は同盟しているのよね」
それで何かの理由で同盟先に派遣されているのだろう。ミネルヴァは合点がいった。
「いや、それがサークエル領に派遣されたんだ。詳しいことは分からないけど、上の命令だからね」
「そうなんだ。ワグナー領とここじゃ随分離れていて不便だね」
当たり障りのない話に切り替えたが、黒幕が辺境伯と言うのは正しくないかもしれない。
ワグナー公爵とサークエル伯爵が直接つながっているとすればだが。
つまりもっと背後にワグナー公爵がいて、彼こそが真の黒幕なのかもしれない。
そしてその可能性はあるのだ。
辺境伯の首都、サウスポートタウンは思っていたよりはるかに賑わっていた。潮の匂いにカモメの声。キラキラと揺れて不規則に反射する海の水面。周辺では豊富な魚介類が採取でき、干物職人もたくさんいる。海産物を干物にして王都や内陸の大きな都市に売る商売が大きな儲けになるのでこの辺の名物として発展している。お客さんは今日も大勢いる。大海に面する風光明媚な港町は観光目的で訪れる人も多い。
非番だというレイに誘われたのは冒険者パーティー同行のアルバイトだ。内陸では珍しい珊瑚やパール、モンスターの鱗や牙は高値になり、採取依頼も多い。冒険者が採取している間の見張りと護衛だ。
冒険者はそれらの採取に適した場所を知っていたり、穴場につれていってもらえる。そんな軽い気持ちだった。
◇◇◇
依頼主は5人パーティー。珊瑚の採取依頼だ。彼らとともに海辺に行くと他のパーティーがいた。
砂浜ではなく岩場がごつごつしている。
「よし、お前ら、はやく行って取ってこい」
「え、俺たちは護衛……」
「あん?死ぬのと珊瑚取るのとどっちがいい?」
抜いた剣を向けられた。先に来ていた他のパーティーも加わっている。こいつらはグルだ。数の上では10対2だが。
「レイ、行ける?」
「もちろん」
戦闘で切り抜けるしかないし、その自信がある二人だ。
ミネルヴァが剣を抜く。キイン……。抜いただけで音が鳴った気がした。その瞬間、10人に怖気が執り付いた。
レイ・アーセナルもその異常さに気付いた。彼女は明らかに相手に恐怖を引き起こさせる何かを発している。
最後尾の者が逃げた。
すると後は蜂の子を散らすように散り散りとなり、一合も刃を交えることなく戦闘は終了した。
「ごめんよ。こんなことになるなんて」
「いいのよ。色々あるわ」
傾きかけた太陽に海の煌めきが眩しい。煌めきと風に揺れるロングストレートがあまりにも美しい。潮の匂い。そんなレイを我に返らせたのは帰路、隣を歩くミネルヴァの一言だ。
「血の匂い!警戒して」
そして何かを見つけて駆け寄る。
死体だ。斬り殺されている。
「さっきの連中の一人ね。仲間割れかしら」
周囲を調べると他にも遺体が数体。いや数体ではない。さっきの連中全員が物言わぬ死体に変えられている。
キラッ……。
視界の隅で何か光った気がする。矢じりだ。ミネルヴァは飛来する弓矢を躱し、その相手に向かって剣を構える。
「珊瑚泥棒のお仲間にしてはいい動きだ」
「この人たちを殺したのはあなたね?」
ぼさぼさの長髪、ひげ面。潮の匂いがしみ込んだような日焼けした肌。弓を捨てて剣を抜く。長い曲刀。
「彼らは珊瑚をとっていないわ。殺すほどのことだったかしら?」
「結果的に取れなかっただけだろ?こういうやつは次にまた来る」
冒険者の命は軽い。殺されても捜索届は出ないし、戸籍もないので納税もしていない。だから死体が見つかっても焼却するだけであとは放置だ。
犯人が見つかる、と言うかそれ以前に捜索さえしない。
「それで私たちは見逃してもらえるのよね?」
「駄目だ、死ね」
問答無用か。
「レイ、あなたは人を殺したことがあるの?」
「い、いや……」
「そう、じゃあ、ここは私に任せて」
ミネルヴァが男の前に立つ。
「この死体の数を見ても、逃げる気はねえってことか」
「あなたは殺人をした。罪があるのはあなたのほう。逃げる立場はあなたでしょう?」
「珊瑚にだって命はあるさ」
「そうね。でもそれとあなたの罪は別の問題。たとえあなたが私たちを見逃すといったところで、私たちはあなたの罪を見逃さない」
「そうか、誰だか知らねえが、なら仕方ねえ」
男は大きな曲刀を片手で軽々と操って斬りつけてきた。
速いし重さもある。肌を掠めただけで恐怖に手足が強張りそうな剣戟だが、ミネルヴァは余裕を持って紙一重でかわしている。
徐々に追い詰め、次こそ当りそうなのだが、当らない。疲労、焦燥、それらが恐怖に変わる。恐怖は動きを小さくする。それでは切っ先さえも決して届かない。そう思えるほどに。
やがて男は疲労がきわまり、その場に膝を突いた。
「レイ、捕縛して」
一度も剣を振るうことなく10人を一人で殺害した強敵を制圧した技量にレイ・アーセナルは舌を巻いた。彼女は今日一日、一度も剣を振るうことなく、すべての戦闘を制圧している。
レイは男の連行に同行し、ミネルヴァとはそこで一旦別れた。レイの報告により、ミネルヴァが来ていることはゼネヴの知るところとなった。
わざわざこんなところに来た背景はとして考えられるのは、彼女が何かを疑っていると言う事実だ。疑われたとすればゼネヴの失態になる。そう考えたのはゼネヴ本人ではない。彼女の副官、ザガードだ。




