表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/74

第47話 棘

 北方ベルガド首領国。ゲルニア帝国の北東に位置する小国で、独立国家として体勢を維持している。文化的にも王国や帝国といった中央文化に属さず、また宗教も中央とは異なる異教徒の国だ。当然過去の歴史においてゲルニアとの間には何度も紛争が生じた。しかし、峻厳な山岳と冬場の厳しい気候、そして工夫された武器によって領地を守ってきた。ただ、裏では北方ベルガドの指導者は、代々その土地に住む魔人との交流を絶やすことがなく、そのおかげで近隣との紛争時には魔人の助力があったと言われる。


 その少年は視力に不自由があったが、他の感覚に優れ、やがてその他の感覚を駆使し、土地の精霊の魔力に作用できた。北方ベルガドは中央と隔絶された世界だ。彼が魔法の天才であることを認識できた周囲のものは、その才能がこんな辺境の小さな地域に埋もれるのを惜しんだが、個人ではどうにもならない問題だった。

 そんな時にゲルニア帝国とベルガドの交易が再開したのだ。ゲルニアでは技術革新があり、強靭だが軽量の金属加工技術が確立されたのだ。しかし生産のためにはベルガド産の鉱石が必要だ。ゲルニア帝国の方から歩み寄ってきた交易だったが、国境の門はその分だけ狭き門から広き門へと変化した。いや閉ざされていた門が開いたというべきか。

 つまり少年はゲルニアを経てオレルネイアに向かう道が開けた。オレルネイアに何があるというのか。もちろんアヴァロン魔術学院だ。


 少年は一人で歩くことが出来る。しかし周囲の人間は心配し、少年に同行したのだ。国境手前で彼らは襲撃を受けた。旅人を狙った山賊の仕業だ。手斧で肩口を深く斬られ瀕死の少年を助けたのは魔人だった。魔人の名をカーミラといった。

「私は町で神官をしている。その実、お前たちとは違う種族だ」

 はっきりそう告げておかないと生きられない。最初から異物であることを告げておくことで周囲は一定の安心感を得られるのだ。後にその事実を口にしなくなるカーミラだったが、この時はまだそうではなかった。

 何しろ、カーミラという昔からこの町にいる優秀で優しい神官は、何年たっても年をとったように見えない。そしてあまりに効果の高い切創の治療魔法も通常の魔法では説明がつかない。手斧で縦に深く斬りこまれた傷口がぴったり塞がっているのだ。


「有難うございます……。あの一緒に来た人たちは?」

「すまない。間に合わなかった。私の魔法でも失われた命は取り戻せない」

 死屍累々。山賊もまた全滅している。山賊を殺したのはカーミラだ。その山賊の死体から血を抜き取っている少女もまた魔人だろう。死体から吹き出る血が少女の空に向けられた掌の上で渦巻き、やがてそれは真っ赤な光沢を放つ真球を形作った。その珠を少女は胸に抱くと珠は霧のように形を崩し、少女の中に取り込まれていった。少年にはその様子は見えていない。見えてはいないが異様な気配は感知していた。


「カーミラさん、他にも仲間が?」

「ああ。ウルスラという名の魔人の子供だ。お前の共は私たちが代わりを勤めよう」

 少年は視覚以外の感覚が発達していた。だからウルスラを外見ではなく感覚で記憶していた。だから後年再会した時、すぐに分かったのだ。たとえそれが人間の感覚では非常に長い時間を経てのことであったのだとしても。

 あの子が魔人であることをこの学園の生徒たちは知らないのだ。なら言うべきではないだろう。

「あの子はベルガドに来たことがあるんです。その時に知り合いました」

 マルセルがアンに答えたのはたったそれだけ。


 ◇◇◇


「アン・ストローハット。確かのその生徒はマルセルと言ったんだね?精霊魔法科初等生の」

「は、はい、確かに……」

「不思議に思うだろう。そんなクラスは存在しないからね。ええと、それにスズラン寮に入っているとも言ったんだね?それらは存在しないんじゃない、かつて存在したが、今はない。だから、そのマルセルがかつてのこの学校の生徒なら、そのクラスや寮があった時の生徒なら、何も不思議ではないよ」

「え……。でも私より年下に見えましたが……」

「いいさ、私にも会せてくれるかい?」

 実を言えばアナスタシアにも気になる気配は昔からあった。図書館の中にだ。しかし誰もいない。ついに姿を見せることは無く、実害もないし、生徒にも何も起きなかった。だからいつしか気にならなくなってしまっていたが、それが図書館にたたずむ気配の正体だろうか。


 ◇◇◇


「ねえ、ウルスラ。キミはこの先どうするの?カーミラさんのように神官になるの?」

「私のパパとママはとても年をとってから私を産んだの。だから一緒に入れる時間も短かった。私は早く、結婚したい。今この地方にいる同族はカーミラを除けば老人ばかり。私は外に出て仲間を探しに行くの」

 一行は一か月も掛けてオレルネイアに辿り着いた。ウルスラたちとはそこで別れ、そこから先は一人だ。去り際にカーミラが言った。

「お前の目は神経の通りをよくすることで見えるようになる。私にはそれが出来る。どうする?」

 カーミラは丁寧に今後想定できるリスクも説明した。脳が認識する外部からの情報が突然ひとつ増える。その情報を脳が正しく統制できない場合、新たな苦痛に見舞われる可能性がある。説明とは概ねそのような点についてのものだった。

 現代においてもそのような結論の得られていない問題は存在する。生来目の不自由な人が視力を得たとして、目を開いた瞬間、目の前にある立体を、立体として認識できるかどうか。哲学の問題としても議論されるし、医学的見地からの異なった複数の意見がある。少年は全ての説明を聞き終えた後でカーミラに頼んだ。回復させる術があるなら、ぜひやってほしい、と。

 最低でも一年は目を急に開けず、徐々にならすんだよ。術を終えた後、そう言い残して二人は去った。


 ◇◇◇


「学院長は、もしかして心当たりがあるのですか?」

 廊下を二人で歩きながらアンはアレクシアに聞いた。

「あるよ。50年前の話しだ。北方ベルガドからきた目の悪い子が確かに精霊魔法のクラスに入った。その時点ですでに強力な魔法使いだったよ。魔人に目の治療をしてもらったって言ってたけど、その魔人に言われていたことをマルセルは破ったんだんよ」

 50年前……。自分はずっと幽霊とでも話していたのだろうか。そして魔人に言われたことととは?

「魔人に何を……?」

「禁止されていたのに、急に視覚で物を認識するようにしたのさ」

 彼の脳は混乱し、魔力が暴走した。彼は制御を失った自らの魔力に焼かれ、重傷を負ったが一命は取り留めた。傷が癒えた時には視覚とその他の感覚の統合を脳が出来るようになっていた。しかし魔力は失われ、二度と魔法を使うことは出来なかったのだという。


 図書館の扉を開け二人は奥に行く。そこにマルセルはいた。

「久しぶりだね、マルセル。私が分かるかい?」

「アレクシア先生、いや学院長先生……」

「なんだい、あたしが学院長になったこと知ってたのかい」

「はい。でも事故の後遺症か、記憶がいつも変なんです」

「そうか、苦労したんだね・・・。何か気になることはあるかい?あたしなら知ってるかもしれないよ」

「ボクは、死んだんですか?」

「ん?覚えてないかい?」

「毒を飲んだ気がします。その後は……」

「うん、助からなかった」

 アンが目を見開いて口を手で覆っている。彼にとって生まれてから過ごし慣れていた環境の方がより安全だったのだ。一つ増えた感覚が、見えているその世界がマルセルからその安全を失わせた。少なくとも彼は恐怖と違和感を覚えつづけた。やがてその違和感は絶望へと変質していく。そして毒をあおったのだという。

「そうですか……。もう一つ、いつもあの席に座っている女の子の名前は?」

 その質問にもアンは驚愕した。マルセルは言っていた。彼女は僕の救いだと。メリッサは学園の中における唯一の友人という意味位で認識していたが、もっと別の特異な共通点をウルスラに見ていたのかもしれない。今になってそう感じたが、名前を思い出せないという。きっと、ずっと思い出そうとしていたのだ。

「知らないのかい?」

「いえ、思い出せないんです。本人にも聞いたんですが、もう少し話をしてからでもいいでしょって……」

「そうか。私は教えるべきだと思うけどね……。ウル……、あの子は時間の感覚が少しのんびりしてるから。アン、どう思う?」

「はい。マルセルくん。よく聞いて、あの子の名はウルスラ。どう、思い出した?」

 彼が取り戻したい記憶。その重みまでは理解できない。しかし欲する以上は、与えることが出来るのなら、そうするのが自然だと思う。

 記憶に刺さるトゲが抜けたか、にっこりと笑ってそして霧となって消えていく少年の影。良いか悪いかは分からない。ただどっちがより自然かは、人間の基準で判断できる。より自然な方を選んだ。それだけのことだ。アレクシアによれば、マルセルはレイスやゴーストといったアンデッドに近い存在になったのだという。つまりは魔物だ。しかしモンスターになり切れていない不思議な存在。アンデッドなら魔学の結界に引っ掛かるのに、それを自然に避けれている。

 世のことわりからはみ出た異物。図書館は彼を許容した。図書館には相反する思想や矛盾、それらを詰め込んだ書物が公平に並べられている。世のことわりからはみ出した不都合な存在であっても、保管と閲覧の限りにおいて図書館はそれを許容する。この世で図書館だけが許容した。そしてマルセルはことわりの埒外にいるという矛盾を失い、図書館を出て行ったのだ。アンはそう解釈した。

 マルセルはウルスラの名前と共に、きっと色んなことを思い出したに違いない。そして記憶は思考を取り戻し、腹落ちして旅立ったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ