第46話 図書館の生徒
ウルスラが深夜外へと駆けていく様子。それを見ていた一人の少年、マルセル。やがて時間が流れ東の方から夜を追いやるように稜線が白んでいく。日が昇り、朝食も済むと図書館にはまばらに人の影。静かな空間に足音だけが少しずつ増えていく。
「キミは何年生ですか?お名前は?」
突然投げかけられたその質問にマルセルは言いよどんだ。向こうは自分のことを知らないようだが、マルセルは相手を知っている。生徒会長だ。生徒会長のその瞳はややたじろぎ、しかしこちらの内側まで射抜いてくるような、深い意思の輝きがあった。
アン・ストローハットはある時、見たことの無い男子生徒を図書館で見かけた。なぜだが理由もなく気になる少年だった。意識すると、図書館でいつも見かけるようになった。慎重で観察力のあるアンは、校舎で行き交う相手も学年くらいは誰であっても分かる。だがその年下に見える男子生徒は図書館以外の場所で見かけたことがないのだ。図書館の中で観察していると彼は孤独に見え、しかし一人だけ話し相手がいるようだ。新入生にしてすでに図書館のぬしと言われるウルスラだ。ウルスラの態度はぶっきらぼうながら、話しかけられれば、いちいち相手をしてやっている様子だ。
アンはある日、ついに我慢できずに声を掛けた。
「キミは何年生ですか?お名前は?」
マルセルは言いよどんだが、何とか名前は言えた。
「マルセルです……」
「マルセルさんですね。何年生ですか?」
「精霊魔法研究科の初等生です」
「え?」
そんなクラスはない。初等生という表現もクラシックすぎる。今存在しない言い回しだ。
「寮は?」
「スズラン寮です」
そんな名称の寮はない。少なくとも聞いたことがない。
「スズラン寮はどこにあるのかしら?」
「北の尖塔の校舎に隣接する寮ですよ?生徒会長」
北の尖塔の校舎とやらも存在しない。
魔法を研究する学舎は時にその魔力ゆえに魔物を惹きつける。特に魔力を吸いたがるアンデッドを招き寄せることもある。そのため強い結界が張られており、アンデッドに対してはここが世界で最も安全な場所といえる。そして学園の生徒は校章を身に付けることが義務とされている。結界の干渉を受けないようにするためのマジックアイテムだからだ。そしてこの校章は生徒一人一人にIDのように紐付され、他人が身に帯びても結界の干渉を防ぐ効果は作用しない。
そしてマルセルはこの場において結界による影響は受けておらずアンを生徒会長と認識している。
本物の生徒……?でも言っていることが……。
「ね?よければ精霊魔法研究科の教室まで案内してくれますか?」
「それが……」
図書館から出る術を知らないというのだ。
「おかしなこと言いうんですね。なら寮にも戻っていないのかな?」
アンの質問に頷くマルセル。
「こっちですよ」
アンはマルセルに先立って歩いた。ついて来いということだ。図書館と校舎を隔てる扉は他の学校では見られない程重厚だ。アンは振り返った。マルセルがついてきていない。扉の向こうで呆然としている。
「ちょっと!どうしたんですか?」
しかし返事がない。何やら目線は上向きで扉の上の方を見ているようでもあり、同時に声が聞こえていないような風情だ。
図書館から出れない……。
そう言っていたことと関係があるのだろう。アンは半信半疑ながら扉の向こうにもどったのだった。
「ねえ、扉の先は見えますか?」
扉は開かれたままだ。
「校舎の廊下が見えます。生徒たちがたくさん歩いています」
図書館の中から見える様子として間違っていない。そして周囲の生徒の中には扉を開けたままアンたちが何をしているのかと距離を取って遠目に見ているものもいた。
アンはそれらの視線に気づいて気まずそうに咳払いをし、そして
今度はマルセルが先に出るように促した。
「出れないんです。この扉の位置が境界線です。この境界線に触れた瞬間、石の壁に代わるのです」
マルセルはペタペタと空間を触れている。あたかもそこに壁があるように。
「ほら、進んで」
後ろからぐいっとアンがマルセルの背中を押す。
「やめてえ~」
「!?」
確かに壁があって、そこに人間を押し付けている感触。いや、力加減によっては壁がアンにも見えた。
「ちょっとだけ我慢して」
強く圧すと壁が現れる。圧す力を弱めると壁が見えなくなるが、壁の存在は感じる。つまり透明の壁だ。透明の状態でマルセルから片手だけ離し、その手を伸ばすと境界線を越えることが出来た。しかし、壁が見える状態ではアンの手も壁に阻まれる。
アンは理解した。マルセルはウソを言っていない。
「ぐええ~」
「ええ!ご、ごめんなさい!」
魔法の壁の作用を知りたいあまり、ちょっと強く圧しつけてしまった。そうと気づいてアンは慌てて手を放す。
「ちょっと疑ってたんですけど。確かにキミの言う通り。でも私一人なら通れます。例えばだけど……。手を繋ぎながら通ったらどうなるかな?」
確かにマルセルはアンが扉の先に行くのを見ている。その後、自分も通ろうと境界に触れた時点で石の壁の出現によってその先は見えなくなったのだ。ここに見え方にも若干の差がある。アンは壁と触れて認識できるが目視では見えない壁も存在として感じ取っている。しかしマルセルの場合は僅かでも境界線に触れた場合、すでにそこれは石の壁になっている。見え方は違う。しかし現象としては同じだ。見えようが見えまいが、壁が現れるという点で。
さて、アンの提案には不安しかない。やるべきではないと思う。つまり予想できる現象はこうだ。つないだ手は先にアンが通る。そしてその手に繋がれたマルセルの手、いや指が境界に触れた瞬間壁が出現する。その瞬間、ふたりの手、というかアンの手はその壁によって境界線の内と外に分たれるのではなかろうか。
「たしかにそうよね・・・。なら、棒を二人で持ってやってみるか」
二人の手と手の間にバッファーを設ける考えだ。具体的にはリレーのバトンの前走者と後走者による受け渡しの際の姿勢だ。二人でそれぞれのほうの端をもったまま扉を通過する。マルセルの棒を持つ手が境界線に触れた瞬間、その境界線はきっと壁になる。しかし、アンの棒を握った手はその壁よりも先あるはずだ。よっぽど壁が厚いなら別だが、それぞれ二人が内と外に分かれた時の感触で言うと壁は薄そうだ。
「さすが生徒会長……」
マルセルは尊敬のまなざしをアンに向けた。棒の代用として箒を使った。結論から言うと箒は切断はされなかった。
境界を超えたアン、越えれなかったマルセル。それぞれの手元に箒が残る。マルセルの箒は壁に壁に刺さっていたが、引っ張ると抜けた。向こう側に押し込もうとするとビクともしなかったが、引っ張る分には用意に抜けた。そしてアンの持つ箒は暫くして霧のように消えたのだ。それは不思議だった。手に持つ箒が徐々に透明になって行き、しかし箒を持っている感触は残り、しばらく機能が有効かどうか床を掃いたりして試しているうちに感触も失われていったのだ。その時にはアンははっとした。たった今しがたの箒の実験の記憶も消えかけたのだ。矛盾が生じると辻褄合わせがなされ、都合の悪い方は無かったことにされる。そうアンは直感した。
「マルセルくん。キミはいつから閉じ込められているの?」
「一週間くらいかな?」
ウソだ。もっと前からアンはマルセルの存在に気付いている。しかしそのことは触れずに食事や睡眠はどうしているのか聞いた。
ベッドに仰向けになってアンは日中のことをもう一度考えた。マルセルはウソをついているのではなく、時間を正しく認識できていない。認識というより記憶の部分で問題が生じているのだ。食事や睡眠の記憶もあいまいで質問に答えることが出来ていない。だがウソを言おうとはしていないように感じる。本当に分かっていない、そう感じた。アレクシアへの報告を躊躇ったのは気になることがあったからだ。マルセルはあの子のことが好きだという。あの子とはウルスラに違いないだろう。確かに二人は良く話していた。そしてマルセルはウルスラの生まれ育った場所に行ったことがあるというのだ。アレクシアへの報告は明日でもいいだろう。明日きっとする。
マルセルはこの夜も図書館の中にいる。マルセルを認識して以来、ずっと図書館の中にいるのだ。最初に気付いたのはいつだったか。およそひと月前だ……。とはいえ、その一月の間に彼の栄養状態に問題が生じたようには見えない。見た目にはいたって健康に見える。ウルスラが何か食事を与えていたのだろうか。
アンは翌朝、パンとハム、ゆで卵にミルクを
用意して図書館に向かった。もちろん館内では飲食禁止。
細かいこと言うな。生徒会長でも校則を絶対に守るということはないのだ。
「ねえ、アン、あんた昨日図書館の入り口のところで一人で何していたの?」
図書館に向かう途中で同級生にそう言われたが、何のことだろうか。その質問に対する答えも用意できなかったし、深く追求するのも怖くてアンは曖昧な返事をして図書館に入った。マルセルはやはりそこにいた。
「おはよう、マルセルくん。はい、朝ごはん。いままでもあの子が用意してくれてたの?彼女とは同じ学年だもんね。ずっと仲がいいのね」
無難に共通の知人であるウルスラの話題から入る。食事のことは気になる部分だ。
「え?あの子は前からの知り合いだけど入学は彼女が後ですよ」
「そ、そうなの?」
そうだ。そもそも初等生ってなんだ?存在しないクラスに在籍しているとも言っていた。マルセルの言っていることは何もかもおかしい。
「ねえ、そのクラスでやっている精霊魔法だけど、見せてくれる?」
「うーん。外に出たら見せることができるんですけどね」
確かにそうだ。言っていることはおかしいが、そのうちの一番おかしい内容が現実なのだ。彼は本当に図書館の外に出ることが出来ない。
「彼女とはどこで知り合ったの?入学前からの知り合いなんだよね?」
「そうです。そこに住む人はみな、自分たちの地域をベルガドって呼んでいました」




