第44話 邪念
土地の権利を王国が保証する書類に、子爵であることを証明する書類。いずれも国王のサインがある。
王国における内戦の結末を見届けた新子爵は残った最後の仕事に取り掛かる。
子爵領に巨大な墓地と立派な墓碑の建設を命じたのだ。それは前男爵とその姉の墓だ。
カイエンから見れば許婚ブリジットとその弟の墓。
一区切り。カイエンにとってのそれは――、ついた。
この年は帝国のクーデター、王国南部の大規模な境界紛争があり、王都恒例行事は軒並み中止となった。魔法祭もそうだし、三校交流会も今年はない。
ミネルヴァは父の葬儀を終えたあと、王都でレイにあった。アーサーに会わせてもらうためだ。
「赤い剣緒の剣を持っていた。金細工のガードに黒いグリップ。細身で長めの刀身。そして貴族だ。だがどこで見たかは思い出せん」
面会がゆるされ、アーサーに話を聞くことが出来たが、聞けたのはそこまでだ。
その男が父の仇かどうかは分からない。ただ、敵にはネルソン他樹氷騎士たちを一蹴した凄まじい使い手がいるというのがまず一つ、そして彼女の父であるレスターは遺体の状況から袈裟懸けに一太刀で斬られている。この点が二つ目。
薔薇騎士の団長を一太刀で斬れるものは多くは無い。この二つは結びついている可能性が高いというだけだ。後はその男がどの陣営に属しているか。
そして今回の件で得をしたのはただ一人。サークエルと言う弱小貴族。彼はもう位としては中堅貴族ながら領地の規模としては大貴族だ。今分かることはそれだけだ。その分かることから、男はサークエルに属する人間。そう考えるのが自然だ。
ガイナ側についたネルソンを殺し、サークエルを調べにきた父を殺した。今回の件、すべての発端、言い換えれば諸悪の根源が見えてくるようだった。
王都まで来たミネルヴァにはもう一つ目的がある。帰りの途中、魔学に寄ることだ。魔学にはあの男がいる。
◇◇◇
アヴァロン地方の空気感はやはり独特だ。まるで水や苔の香りまで湿度と共に漂ってくるような緑と青が深い風景。夏でも空気の深層にヒヤッと冷たいものが含まれているような感覚。
正門できちんと名乗って面会の手続きをするとアンという生徒会長が挨拶に来た。そしてアンと一緒に来た女生徒。あの夏の日、王都のカフェテラス。緑の木陰でともにパンケーキを食べた一人。
「久しぶりね。ミネルヴァ」
「フレデリカ」
元気そうねと言いかけて言葉を飲み込む。彼女は確かアイシス領の関係者だ。
アイシス領のクーデターのことを考えると迂闊なことは言えない。
「それでミネルヴァ、今回は何か御用件があって?」
挨拶が一段落したところでフレデリカが切り出した。
「クリスはいるの?会ってみたいなと思って」
目的はクリスか。学内にいるはずだ。
「……。待ってて」
しばらくしてフレデリカと共に来たクリスはどこか具合が悪そうだ。
「やあ、ミネルヴァ」
「クリス……。少しやせた?でもまた背が伸びたね」
「成長期なんだ」
優しそうな笑顔はあの日と同じだ。
「今年は交流会も無いでしょ?ね、私と勝負してよ」
そう言ったミネルヴァに前に割って入ったのはフレデリカだ。
「駄目よ。魔学は私闘禁止」
「私闘じゃないわ。試合よ」
この辺は水掛け論だ。そしてフレデリカは試合だろうが何だろうが戦うことが嫌いなのだ。
「ミネルヴァ。なんだか知らないけど、あなたはあなた自身の事情で戦いを求めているのよ。個々の生徒が巻き込まれ理理由はないわ」
そう言われればそうだとも思う。卒業前にやり残した最後の課題ではあるのだが、クリスの方にはそんな課題はないのだ。
「ごめんなさい。辺境伯の紛争の事は聞いてる?その紛争で父が無くなって、私はなにか感情とかそういうのを発散したかっただけかもしれない」
ミネルヴァの事情。もっと軽いものだと思っていた。フレデリカも少し考えを改める。
「ならミネルヴァはアイシス領の件も知っているわね?父を失ったのは私も同じよ」
「ごめんね。私は子供だった」
自分の都合しか言っていない幼稚さを自覚し、力なく言うミネルヴァ。
「こっちへ来なさい」
そんな様子のミネルヴァをフレデリカが誘う。
ミネルヴァが連れて行かれたのは屋外の競技場だ。
「私が相手よ」
フレデリカが競技場に備えてある木剣をミネヴァに投げ、自身は杖を構える。
「待って、私はそんなつもりじゃ……」
「魔法使いなんか相手にならない。そう思っているのね。これを見てもそう言えるかしら?」
フレデリカの詠唱で石ころが宙に浮かぶ。宙に浮かんだ石ころが凄まじい速度でミネルヴァに殺到した。かろうじて躱し、躱しきれないものを木剣で弾く。競技場に置いてあった木剣はその衝撃に耐えきれずに折れた。
「待って。持ってきた木剣があるからそれを使わせて」
新たな木剣に持ち替え、再び対峙する。四方八方から高速で飛んでくる石つぶて。しかもフレデリカは時折魔弾を撃ってくる。
近づけない。防戦一方だ。舐めていた。
正直こんな戦い方が出来るとは思っていなかった。
どんくさい魔法使いなど、何やら呪文を唱えている間に距離を詰めて一撃で倒せるはずだった。
それが近づけない。
だがミネルヴァも石の礫の速度に徐々に慣れる。すでに体の何か所にも痣を作っているミネルヴァだが今はもう正確に弾いている。弾きながら一歩づつ距離を詰めていた。
「降参よ」
徐々に距離を詰めるミネルヴァに対し、不意にフレデリカが負けを宣言した。
「どうして?」
「あんたは今はもう正確に石つぶてを弾いている。どこに弾き返すか、コントロールして。でもあなたは一度も私目がけて打ち返しはしなかった。それをしていれば勝負はその場で終わったのに」
「……」
そう指摘されればそうかもしれないが、刎ね返してフレデリカにぶつけるという発想はミネルヴァにはもとから無かった。四方からの攻撃に対処するのが精いっぱいでそこまで考える余裕がなかったのだ。
「学校にポーションがあるわ。治療しましょ」
フレデリカに言われて気付けばミネルヴァは全身キズだらけの上、汗びっしょりだ。
ポーションで傷を治した後、汗をぬぐい水でのどを潤し、自然と二人の会話は卒業後のことになる。二人は間もなく卒業だ。
「私は魔術省に行くわ」
フレデリカ。
「そう。私も王都に行って、騎士団入りを目指すけど……。希望の騎士団に入れるかしら?」
「へえ、希望の騎士団なんてあるんだ。王都第一騎士団?」
第一騎士団は騎士団中最大規模で王都護衛が任務だ。
「ん…。薔薇騎士団……」
「私は騎士団のことは良く分からないけど、そこって確か簡単には入れないんじゃ……」
「そう。でも父がそこに所属していたの」
「そっか。私ももう少し考えてみようかな、将来のこと」
父の話と聞き、フレデリカはアイシス領にも行ってみたいと思った。
日が傾いてきた。クリスがミネルヴァを送っていくと申し出た。
「これは……」
ミネルヴァは絶句した。ワイバーンに乗るなど、おとぎ話の世界の話だと思っていた。
そのワイバーンが突如降下して地上に降り立った。
「相手になるよ」
その言葉にミネルヴァは木剣を構えた。
スーとその木剣が根元からスライドし、地面に落ちた。手で握った部分、柄だけ残して。
クリスが立っている。いつの間に抜いたのか、真剣を手にして。木剣を斬り落とした動作、全く見えなかった。
「お父さん、王都であったあの騎士団長さんだったんだね。良い人だと一目でわかった」
「うう……」
「どうした?抜きなよ。騎士団に入ったら、死ぬことだってあるんだろ?」
「クリス、違うよ……そんなことをしたいわけじゃ……」
木剣を切り落とされ、真剣を見せられて、ミネルヴァの声が少し震えている。
「心配ないよ。何も心配ない。君の最高の剣を見せてみな。君じゃ、僕にはかすり傷一つ付けられない」
「……!」
挑発に乗った。
鼻先をかすめてやろう。皮一枚斬る。
抜刀。真剣の重みを乗せたその一閃は木剣のそれとは比較にならない。積み重ねた鍛錬は彼女の技量をあの日とは別人にしている。
だが、結果はあの日と同じ。薄い刀身が真剣の剣先で受けられる。
キンッと。
信じられない技量を見せられ、ミネルヴァは唖然とした。
「ミネルヴァ。君は死ぬ気にはなれるようだけど、優しい君にはそこが限界じゃないのか?死ぬ気でやるとかじゃない。戦う覚悟とは、殺す気でやることなんだよ」
その通りだろう。死ぬのが任務じゃない。任務のためには殺す側になるしかない時がある。
「今日は何しに来た?チャンバラごっこして、満足して帰るつもりだったか?覚悟不足の邪念の剣。今まで何を修行してきた?」
「う、う……」
「心配しなくていいよ。君じゃ僕にはかすり傷一つ付けられない」
「……」
ミネルヴァは覚悟を決めた。逃げることは出来ない。クリスが逃がしてくれそうもないからじゃない。邪念の剣。その通りだ。目指してきたものと対極の姿。邪念を持っていたからこそ、その邪念を捨てたくてここに来たのだ。
全部見透かされた。恥ずかしい。
自分の剣は邪念の無い純真の剣であらねばならない。迷わない。躊躇わない。何度も反芻した誓い。
クリスの挑発に誘われるようにミネルヴァの剣が上段に移行する。その動きに幻惑されたか、ミネルヴァの誘蛾灯の剣先にクリスの剣が誘われた。




