第39話 櫛一枚
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。2026.1.1
晩餐会場。許嫁を探す目的ではなくとも、公爵令息の立場ならそこに行く機会は多い。盗賊団を襲撃した金で、身なりも公爵家にふさわしい見事な装いだ。
すると一人の下級貴族の娘が子猫を探していると言う。
ブリジット……。
確認しに行ったが別人だ。
「エリー様の下級貴族いじめにも困ったものね」
「子猫なんかいないのに」
女性同士の会話にカイエンは足を止めた。
「子猫はいないのですか?」
公爵令嬢エリーは下級貴族を見つけると無理難題を言って困らせる遊びが好きなのだという。
「雨の中、一晩中雨の中を歩くか、このドレスを着て回るか選びなさい」
ズタズタに裂けたドレス。
ブリジットはその上記貴族の遊びのターゲットにされただけだったのだ。
だがそれだけではないように思う。カイエンにはどうしてもやはり、彼女には清廉で高潔そして優しい心持があり、それが彼女の本質のような気がしてならないのだ。
現在彼女は喪に服している。
弟君が病気で亡くなられたのだ。
しかし、喪に服している期間、彼女を王国のとある公爵邸で見かけたと言う話があった。探らせると、ブリジットはその公爵領で頻繁に見かけられていた。公爵も一緒にいたと言う。
ブリジットは王国の公爵と出来ている。その噂を確かめるため、その後何度も面会を申し入れたが、全て断られている。先月彼女の弟が病気で亡くなってから一度も会えていない。
彼の手にはブリジットのための一枚の櫛があった。奪った盗品の財宝を売りさばいた金で買ったものだ。どうせなら盗品の中から選べばひと手間省けそうなものだが、カイエンにはこだわりがあったようだ。それに装飾品と違い、身に着けずとも、彼女の美しい髪を際立たせることが出来るものだ。
◇◇◇
噂のあった公爵は血祭りに上げた。もう我慢できなかった。
ブリジットに聞けないなら、公爵に聞けばいい。公爵邸。夜陰にまぎれ、門にいる護衛二人を始末する。空いている窓を見つけ邸内に侵入すると、もっとも公爵が使いそうな部屋にその男はいた。
剣を擬され恐怖にひきつる男。
「ブリジットと関係があるのだな」
「ど、どちらさまからのご依頼で?」
この刺客とブリジットがどのような関係かによって返答が変わるのだ。相手を怒らせない回答がしたい。しかし、その関係が分からないでは回答のしようがないのだ。だから先に確認しなくてはならない。
カイエンはその様子を見てとった。つまり関係はあるのだ。あとはその関係をどのような言いましで表現するかだけ。そこにつきあう義理はカイエンの方にはない。
カイエンは剣の柄に手をかけた。
男を始末し、その足でブリジットの邸宅に向かった。
その手には彼女のために買った櫛一枚がある。
もはや面会に彼女の合意はいらない。彼女の部屋に侵入する。殺すつもりはない。
ただ最後に聞きたいだけだ。どういうつもりだったのかと。貧乏男爵家の邸宅侵入は容易かった。
彼女は寝ていたが、頬を軽くはたかれ目を覚ました。
「ヒイッ」
侵入者に気付いたブリジットは短い悲鳴を上げた。
だがそれがカイエンと分かると落ち着きを取り戻す。
「カイエンさま。ご無体と言うものでしょう。あなた様らしくないように思います」
低く押し殺した抗議の声。
「ガイナ公は始末した。人の許嫁に手を出したのだ。文句は言えまい」
「血の匂いがします。カイエン様が自ら手を下したのですか?返り血を浴びたのなら、すぐに洗って。あの男は不治の病魔に侵されています。今すぐ洗って!」
低く抑えた声が最後は大きくなった。広くはない邸宅だ。家人の騒ぐ気配がした。
「どういうことだ、くそ、人が来る」
「明日、ウォーレン丘の木の下で。全てお話しします」
カイエンは仕方なく窓から邸宅を抜け出た。
◇◇◇
小高い丘、ウォーレン丘。やけに目立つヒノキ科の巨木が一本。ウォーレンの木とはここを指す。
ブリジットは既に木の下にいた。
「カイエン様、おはようございます」
透き通るような笑顔だった。ブリジットのこんな笑顔は初めて見たかもしれない。
その笑顔に飲み込まれそうになる。カイエンは先にカードを切った。
「これは君への最後の贈り物になるかもしれない」
櫛だ。余談にはなるが、念のために補足しておくと、この国に櫛(「ク」「シ」)を不吉な贈り物と考える文化はない。
「まあ、嬉しい。何を持っていこうか迷ってたけど、これにします」
持って行く?カイエンにはブリジットの言葉の意味が分からない。
「また売るんじゃないのか」
ここに来て言う必要のない一言だったのかもしれないし、あるいは口に出すことで正常化する関係もあるのかもしれない。どちらに転ぶかは、当人でさえ分からない。
だが、二人の思惑がいい方向に進むことで一致しているのなら、いい方向に進むのものなのだ。なら言うべきだろうとも思う。この余計なひと言を。
「ご無理をなさっていたのは存じ上げております。全てお金にしておきました」
ブリジットはカイエンに貨幣の入った袋を渡す。
「しかし、君のやっていることは……」
「私、不治の病なんです」
手櫛で髪をかき上げ、その手をカイエンに見せた。何の病か、ごっそりと髪の毛が抜けている。
「せっかく頂いたこの櫛も、ここじゃ使えません。でも向こうに言ったら使えると思います。きっと大事にします」
初めて見たときに感じた清廉は錯覚ではない。改めてそう感じる。
「あの公爵との関係は……」
その質問に対しては彼女の中の躊躇いが表情に出た。しかしブリジットはカイエンに向き直る。
「弟の病気を治せる人を紹介してくださる。そういう約束だったんです。その約束と引き換えに、あの男のお屋敷に行っていました。その約束はウソでしたが騙されたと分かった後もお屋敷に向かいました。復讐だったんです。私は弟の看病をしながら病気がうつってしまい、それをあの男にうつしてしてやったんです。私は身も心も汚れた人間です。このことはカイエン様に知られたくはなかったけど、だからカイエン様は私から避けられていたように感じたかもしません。そうじゃないのです。いまお話ししたことがその理由です」
そうだったのか。カイエンの表情に苦渋が滲んだ。
「剣を替えられたのですね……。前の剣はとても美しい剣でした。これを、あの剣の剣緒にと思ったのですが……。上手ではないですが、自分で作ったんですよ」
赤い糸で織った剣緒。一生懸命作ったのが分かるとても美しい織柄。
「三日後またお屋敷までご足労お願いできませんか?お渡しするものが……」
◇◇◇
三日後、男爵領をとぼとぼと帰るカイエンの姿があった。ブリジットはすでに旅立っていた。彼の弟、サークエル男爵も髪が抜け始めた翌日に亡くなったのだと言う。
ブリジットはすでに死期を悟っていたのだ。そして男爵は彼女の父ではなく弟だった。彼女は女の身で病床の弟を看病しながら領地を運営していたのだ。
形見分けうようなものも彼女は殆どもっていなかった。彼女のたった一つの所有物。美しい櫛。
男爵領は女性であるブリジットに継承権がない。ブリジットの許嫁、カイエンを死んだ男爵の義理の弟とみなし、継承の手続きが終わっていた。王国としては狭い領地を直轄地とするより、納税者の確保が優先だったのだろう。正式に継承が認められた書類が残っている。
ブリジットの遺体の前で渡されたのがその証明書類と彼女の生前最後の手紙だ。その一節。
「心よりお慕い申し上げておりました。短い間でしたが、カイエン様は私に光を下さいました。ほんのひと時。それでもカイエン様は私の人生の光そのものでした」
その数週間後、彼はかつて自ら捨てた剣を見つけ出して手に入れ、腰に差している。
黒装に金色の鍔、赤の剣緒。後の黒騎士の代名詞その姿の原型だ。
この原型に従う限り、黒騎士は代々妻帯者でなくてはならない。なぜならブリジットの眠るこの地方において、赤の剣緒は妻が騎士である夫に贈る武運長久の願いの象徴、すなわち夫婦の絆を示すものなのだから。
メルト・ネグロ。所有者の後悔と慚愧の念を吸い続けたその剣は、いつしか魔剣と呼ばれる。生涯無敗と呼ばれた名将オーウェン・ザガードを経てその息子、共和国初代大統領の手に渡ると彼の手により大事に保管され、後世に国宝として伝わった。なお、あまり知られていないことだがメルト・ネグロの柄には子猫が彫られている。黒騎士が拾ったコインを模して再入手後に彫らせたものだと伝わっている。




