第38話 黒き剣
プリシラはゼビルから新たに寄進された旧伯爵領に来ていた。ゼビルが伯爵位を王室に返上する前に所有していた土地だ。
この土地はゼビル以外に継承権を持つ者がおらず、なんとなく王室直轄地のような扱いだったが、ゼビルが突如正式に寄進を申し出た。
土地と爵位は一体だ。爵位を返上した以上、土地も返上されたはずだが、正式な手続きの記録が残っていない。当時、彼は返せるものだけ返して、とっとと男爵領に帰ってしまったのだから。
ただし、税収の履歴がある。そこから辿れる納税者、すなわち土地の所有者はゼビルから土地を委任された荘園領主たちだ。
その彼らもまた寄進だと言うのでどうにもならず、土地はここもまたプリシラのものになった。
大きな伯爵邸は今も残っている。しばらくはそこを使って、あとから建て直せばいい。豪勢な家財道具が次々と運び込まれた。
指揮を執っているのはエステバルだ。公務を放り出しての引っ越し手伝いだ。ゼビルは学校の先生も兼務しているので、子供優先だとはっきり言ってきた。それで引越しの手伝いには来ていないのだが、そういうところはソフィの好みに合致しているようだった。
「さすがよ、ソフィ。まさか伯爵領がまるまる手に入るなんて」
「何をのんきなことを。暴落した建材を買占め、安値で移住希望者に融通して住民を募るのよ。土地も人も全然足りないわ」
その言葉を盗み聞くでもなく盗み聞いたエステバルがビクッとした。いったい何をやる気なのだ、今度はなにをやらされるのだと生きた心地がしない。
そういえばゼビルが男爵領内に大規模な孤児保護施設を建設していた。金はソフィが出したと聞いている。
木材の暴落で困窮した木材ギルド救済のために大量の買い付けをしたらしい。
暴落の原因はあの女じゃねえか。
ソフィは戦争の中止に伴う物資暴落を見越して物資高騰時に、それまで大量に備蓄しておいた資材を思い切って全て売りに出している。
同時に国内における主要物資の暴落は対外国通貨との交換相場で王国通貨安を招き、その機に乗じて国内の宝飾品や加工品を買い漁って外国に売って通貨交換相場差額で儲けたとも聞いている。
一方市場経済は大打撃を受けた。物資をストックしていた者たちには逆ザヤが発生し、明確な損失を被ったが、同時に損失の発生は信用も失うことになった。木材ギルドも職人ギルドも投資意欲という下支えを失い、手元には暴落した物資だけが残ったのだ。高利貸し達も融資した資金が焦げ付いている。
得をしたのはソフィ達だけだ。
だが彼女の真の狙いは相場で儲けることではなく、直接的な救済で木材ギルド、職人ギルドに恩を売るためだとエステバルは睨んでいた。実際、恩どころか、彼らは今やソフィ達の膝下に敷かれているではないか。古典と儀礼以外は見た目がいいだけの取り柄のない女。王学在学中の評価はそうであったはずだが、爪を隠していたか。二人の話を盗み聞きながらエステバルはとにかくどんな要求があろうとも、この女の機嫌を損ねないことだといっそう自戒するのだった。
帝国とのパイプ、帝国の精鋭が恐れたと言う隠された軍事力、市場の相場を利用した金儲け。木材ギルド、職人ギルドの掌握。何が目的なのかは分からない。
野望なのか、しかし基本的にこれらはすべて王女の利益になっている。
王女直轄領はかつてのゼビル伯爵領。ゼビル男爵領に隣接し、魔法学術都市アヴァロンにも近い。雨量が多く、冬には雪も降る。
山と渓谷、森に草原。自然に囲まれた美しい風景が特徴と言える。
農耕も進んでいる。
ゼビル時代の大規模開発がこの地方の農耕の発展を進めたのだ。職人ギルドと木材ギルドの誘致に成功し、木工品、装飾品、家財の生産地にもなりつつあった。
王女は王宮と直轄領を往復する生活が当たり前になってきている。
プリシラは王宮でソフィに封を切ってある手紙を渡した。プリシラに拝謁を願い出たいと言う申し入れだ。
ただ、距離の関係で王女が直轄地滞在中にお目通りしたいとのことだ。
差出人は帝国領ワグナー公爵とある
ワグナー公といえば黒騎士カイエンだ。
◇◇◇
黒騎士の称号は帝国最強の騎士だけが名乗ることを許される。当代の黒騎士カイエン・ワグナー。インペリアル・レイブンを首席で卒業した勤勉な騎士だ。先代ワグナー公の実子にして長男。
彼には許嫁がいた。王国の男爵令嬢だ。
晩餐会での出会いだ。社交と交流、政略結婚。晩餐会はそういう目的だから、結婚適齢期の参加者も多い。
この時、ワグナー家は経済的に困窮していた。家格爵位に見合った納税額が会計を圧迫していたのだ。だから、ワグナー公は息子に経済的に裕福な王国の貴族との結婚を望んだ。
しかし、カイエンが選んだのは猫の額ほどの領地しか持たない男爵風情の娘だった。
その上その娘は、髪の毛こそ蜂蜜色の絹糸が風にほどけるさまを彷彿とさせて視線を奪ったが、容姿そのものはさして美しくもない。なんであの娘がいいのか聞くワグナー公にカイエンは答えた。
彼女はその日、庭で迷子になった子猫を雨の中濡れながら探していたのだと言う。メイクもドレスも台無しだ。彼女にとって社交の場より一匹の子猫が大事なのだ。帰り道コインを拾った。
通貨ではない装飾品。猫が掘られており、裏面に幸運の使者と刻んであった。
彼は男爵令嬢にコンタクトを試みた。
その令嬢は、男爵家令嬢ブリジットは承諾した。しかしながら話はとんとん拍子には進まず、彼女との交際はとてもプラトニックだった。カイエンはなんとか工面して入手した装飾品を彼女に送って歓心を得ようとした。
ブリジットは贈り物を喜んだが、身に付けることはなかった。
◇◇◇
「このネックレスはどこで入手した?」
質屋で高価そうなネックレスを手にしたカイエンはその店の主人に尋ねた。すると主人が言うには貴族の娘が売りに来たそうだ。
「しかし旦那もお目がたかい、そいつは帝国一の職人集団ゴルド商会の新作だよ」
そうだろう。そうと知って買ったものだから。そうと知ってブリジットに送ったものだから。
もちろん偶然の一致と言うこともある。木を見て森を見ないのは愚か者だ。木が同じだからと言って森も同じとは限らない。それは一部が似ているだけの別の森だ。
しかし、その店からはブリジットに送ったものと同じものが多数出てきた。
「旦那、その娘、他にもいろいろ売って行きましたよ。これとか、これとか」
そういって主人がわざわざ紹介してくれたのだ。全て見覚えがあった。
手をつなごうすれば手を引込められ、去り際に抱きしめようとすれば手で押し返される。
それも彼女の清廉な人柄なのだと自分を納得させてきたが、贈り物を片っ端から売ってしまうというのはどういうことだろうか。
公爵家の財政状況が良くないこともあり、工面するのも簡単ではなかったのだ。
◇◇◇
「私のことが嫌いか?」
それだけは確認したかった。
たとえ事実とは違っていても慕っているの一言が欲しかった。
あの雨の中、子猫を探すずぶ濡れの姿はきっと本物だ。彼女の言葉なら信じられるし、いっそウソだって構いはしないのだ。
「いいえ、嫌いではないです」
期待した応えとは少し違っていたが、それでも前には向けた。後ろを向くよりはよほどいいのだ。
悪名高き白兎盗賊団のアジトは山中にある。そこを黒ずくめの男が襲撃した。最近噂になっている盗賊狩りだ。容赦のない男らしい。皆殺しの上、溜め込んだ財宝を一つ残さず掻っ攫っていくと言う。
「だ、誰だ、てめえッ」
叫んだ盗賊の首が中空に舞った。
物音を聞きつけた盗賊の仲間たちがやってくる。血しぶきが舞い、あたりを血の匂いが覆う。
「お、お前、名前は?」
「死んでいくお前に俺の名前が関係があるのか?」
「お、俺は白兎のジョン、名前くらいは聞いたことがあるだろ?盗賊の世界じゃ、ちょっとした有名人だ、俺と手をくも……」
言い終わる前に白兎の首が床に落下した。
「おい、終わったぞ、運び出せ」
襲撃者の指示で数人の男が現れ、財宝を運び出す。どれも盗品だ。
「まて、良い剣があるな」
襲撃者はその剣を手にとり、代わりに血に濡れた自分の剣を財宝の山に投げ入れた。その血に濡れた細身の剣はつば周辺に精細な彫刻が施された美しい造形だが剣緒が切れている。刃毀れもあった。
お読みいただきありがとうございます。2025年もあとわずかですね。お正月も毎日投稿します。新年もソフィたちの歩みを見守って頂けると幸いです。良いお年を。




