第37話 血(アフェクション)
新学期に入るとフレデリカ率いるアビス研究会には入会希望者が殺到した。ウルスラもその一人だ。クリスの横にドカッと陣取っていたかと思うと、会のルールの説明を新入生に向かって始めたり、古参のような雰囲気だ。
ウルスラはちゃんと話をした。クリスに。
あのアイシス大聖堂で思ったことだ。
半魔は人数が少ない。あの二人は、全人口における割合で言えば、人間の何千人にも相当するんじゃないかと。もしかしたら私たちは大勢を救ったのじゃなくて、大勢を殺したのかもしれない。
「そうだね。それは分かる。ボクは種族で言えば、一分の一。ボクしかいないからね。ボクが死んだら絶滅。シグルドさんもそう。ウルスラの言うことは分かるよ」
そうだった。そうなのだ。彼は人間の側にいても人間ではない。
「どうにかしたいと思わないの?」
「ボクはたった一人の存在だから、そういうのがよく分からないんだ」
「半魔は数を減らしているんだ。私はそれをどうにかしたい」
溢れた涙が零れ落ちる。
「そうだね。ボクと違って半魔は滅びない可能性がある。でもボクは滅びるか滅びるかを基準にしたつもりはないよ。割合を基準にするならボクが1/1というだけ。ボクは親しくしてくれた人たち、縁のある人たちと共に歩みたいだけ。共に歩めるうちだけね」
「クリスくん、私、あの子の助けになりたい」
あの子とは聖堂の少女だ。しばらくの間は彼女も違和感なく人間と暮らせるだろう。それでもあと3年程度が限界だ。
どうしたら一番いいのか、ボクも一緒に考えるよ。
クリスはそう言った。
ウルスラには今はそれで十分だった。彼女は別に人間と暮らしたいわけじゃない。クリスなら共感できる。共感してもらえる。
人目につかないところで、みんなで静かに、でも楽しく暮らせたらいいなあ。
彼女の言うみんなとは魔人か半魔だ。彼女はクリスもその中に含まれると思っている。
アビス研究会で偉そうなウルスラだったが、彼女は研究会の誰よりも魔術が下手だった。泣き虫の彼女はその事実を知ってやはり泣いた。
初めて行われる子供たちとの魔術教室。魔術に触れたことのない子供たちに無償で開催された。メリッサが手伝いに来てくれた。
アビス研究会の面々も生徒会に積極的に協力している。
正方形に小さくカットした木片。30センチの距離から倒す魔法。その練習だ。
アンは生き生きと子供たちを回って教えている。
こいうのが向いているのだろう。
メリッサも目を細める。
そんな中、ものすごく必死になっている子供がいる。全くできていないが、泣きながら何度も杖を振る。彼は止めようとしないのだ。
「ねえ、少し休もう?一日では出来なくても次の日できるようになることもあるんだから」
アンが優しく諭す。
「お姉ちゃん、本当に明日になった父ちゃんを治す魔法が使えるの?」
子供が必死な理由が分かった。
「お父さんの様子、見に行こうか。病気とか怪我がどんなふうかによって使う魔法が違うんだよ」
メリッサはこの後ハイランド領トライアドに戻る必要があるので同行できないが、フレデリカ、テオドラとクリスを一緒に連れて行くようにアドバイスした。
するとウルスラも一緒に行くといって聞かないのだった。
「一緒に行こう」
クリスの一言で決まった。クリスには何となくながらウルスラを連れて行った方が良いと思える予感があった。
◇◇◇
子供の名はラスタ。農民の子供だ。魔法を習えば、それで父親を治せると思ったらしい。
実際に病床の彼を見ると黒に近いほど顔色が悪く、立つことさえままならぬ様子だ。
テオドラは以前、アリオンの肺の穴を見抜き、直したことがある。だが今回は病巣が良く分からない。しいて言えば全身から病気の気配がする。
「ねえ、どうなの?治るの?」
不安そうに聞くラスタ。
テオドラの表情が硬い。
治せる。治せはするのだ。
口を開こうとしたテオドラをクリスが制した。
「姉さんにも聞いてみようよ」
アンも先日の入学式であったので知っている。美貌の公女。
「ソフィ様は治癒魔法に詳しいの?王室宮廷勤めだもんね。そういう知り合いもいるか」
そう言うアンの表情は明るくしかしテオドラの表情は硬いままだ。
フレデリカは微妙な気配を察し黙ったままだ。
「私に任せて」
ウルスラだ。
「頼む」
クリスがそう言った。彼がそう言うなら何か確信があるのだろう。ようやくテオドラの表情から硬さが抜ける。
「フレデリカ、ラスタ君をお願い。ちょっと血が出るから見せない方がいいと思うの。テオドラ、あなたには手伝ってもらうことがある。アン、あなたは責任ある立場ね。なら何が起こったか、よく見てて」
そうテキパキ指示するウルスラにいつもとまるで違う雰囲気。
そしてクリスの眼を見てから患者の手に触れる。ラスタがフレデリカと部屋から出たのを確認し、すっと指先で患者の手をなぞる。するとそこに血の筋が浮かび上がった。
驚愕の光景が広がる。
血の筋が浮いた傷口から血が空中に流れ出た。鯉の滝登りのように一筋の水流となって中空に伸び、かざされたウルスラの両手の手のひらの、その左右の真ん中あたりで球体になる。
その球体から今度は黒い液体がずるずると一条の水流になって引き出された。
「血が足りないわ。誰かの血がいる。この村に血を分けてくれる人はいるかしら?」
恐ろしい言葉だ。そんなことが可能なのだろうか。
「血を分けた人はどうなるの?」
アンが聞いた。
「ちょっとの間めまいがするだけ。私がやるのよ。何も問題ないわ」
「ボクが……」
「クリスくんはだめよ……。彼には合わない」
「私は?私のは?」
アンだ。
ウルスラは頷いてアンの手首からさっきと同じように血を抜く。なんとその血と患者の血をペロッと舐め比べしたのだ。
「合うわ」
「良かった。私の血を使って」
ウルスラの魔術は魔素の影響でけがれた血の浄化だ。魔素が人間の血に入り込むことは滅多にない。一度入り込めば全身を駆け巡って手の施しようがなくなるのだ。
その魔素を抜き取る。そして浄化の間の血の不足をアンに補ってもらうのだ。アンの腕から血が一条中空をうねって患者の傷口に入っている。
患者はもう一方の腕から血を中空に流してまたそれが腕に戻る。中空に黒い液体だけが球体となって残った。後は魔素の入り込んだ血によってダメージを受けた臓器を回復させればいい。
「テオドラ、お腹のそのあたりの臓器。回復魔法で治せる?」
部位は特定された。これなら回復魔法が使える。
「出来る。これなら出来るよ、ウルスラ」
患者を光が包んだ。
帰路、ラスタの嬉し泣きが思い返される。あの父親にも何度も何度も礼を言われた。
少しふらふらするけど、特に異常もない。
あの場面でただの傍観者に終わらなかったことが何か誇らしい。特別なことはしていないのだが。
それにしても魔術は凄いといまさらながら思う。魔力を形にして相手にぶつけるなど、意味のないことだ。だがその先に今日見たものがあるのなら。
アンはテオドラとウルスラをみてそう思った。
特にウルスラの魔術はこの世のものとは思えない。大袈裟に言えば神を見た。幼そうに見えて成熟した、美しくしかし禍々しい血の女神。
誰かが彼女を劣等生と言っていたが、そんなことをいうやつは何も知らないのだ。




