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第36話 時代の匂い

「いつか貸しにできなかった貸しを今日作れた。そうだね、ソフィ」

 ええ、そうよ。ありがとう、アリオロス。

 去り際にアリオロスは護身に使ってくれと短刀をソフィに渡した。細身の小さな刀身だがよく鍛えられている。そして柄に精細な夜明草の彫刻。


 クリスのワイバーンの背に乗って国に戻るアリオロス。卒業前の宿題をようやく提出した気分だった。イグナスも少しほっとする。張りつめっ放しだった弟の表情が今夜は大分和らいだ。

 あの公女が帝国の皇后になってくれぬものだろうか。イグナスは本気で考えている。


 帝国の一団が帰国した後、帝国からある噂が王国に漏れ伝えられた。プリシラが一国を一夜で壊滅させ得る軍事力を有しているという噂だ。見た者がいる。それはプリシラの晩餐会に皇帝と公爵の護衛についたメンバーだ。


 彼らは最初に移動手段を聞かされた。ワイバーンの背に乗っていくと。

 実際、5頭のワイバーンを使役する少年が現れ、その背に乗って往復したのだ。口外厳禁。


 だから誰も口にはしない。ワイバーンの戦力は正規軍の討伐対象。確実に討伐するなら、要する人数1頭当たり正規軍1000人。それが5頭だ。口にしないのはワイバーンがいたかどうかだけ。後は口止めされていない。


 王女は5000人相当の軍事力を持っている。インペリアル・パラディンが評したその言葉は信憑性が高い。


 そして短時間で皇帝一行が帝国と王国を往復できた理由を説明できるものはおらず、噂は神秘性と共にプリシラ王女の名声を押し上げた。


 ◇◇◇


「ソフィーティア様。エステバル、ただ今到着いたしました。入ってよろしいでしょうか?」

「お入りくださいませ」


 侍女に招かれた執務室には書類の処理をしているものが数人。一番奥にソフィがいた。

「エステバル様、ご足労有難うございます。最近貴族の面会依頼が多く、処理に困ってましてエステバル様とゼビル様に窓口をお願いできないでしょうか?」


 王女がいないときは口調が全然違う……。

 冷や汗をかく。

 とにかくこの女だけは敵に回してはいけない。平民から政務官に昇り詰めた勘がそう告げる。


 しかし、エステバルには魔術省の仕事がある。手持ちの労力を割く余裕がないのだ。

 察したソフィが言葉を継ぐ。

「人手はもちろんこちらで用意します。エステバル様とゼビル様にはその指揮を執って頂き、貴族の選抜をお願いしたいのです」


 これではエステバル達に権限が集中することになる。エステバルは蒼白なのにダラダラと汗が吹き出し、背を伝った。

「王女のためにお働きなさることをお忘れなきよう」

 大きな権限を用意しながら、釘をさすことも彼女は忘れていない。この女を敵に回すなどという選択肢はないのだ。


 ソフィは400年前に何度も見た。戦争前夜の光景、空気。

 時代が進むにつれて過去から続くねじれや歪みが、蓄積して一度に爆ぜる瞬間がある。

 ねじれや歪みが生み出したものは真の原因にはならない。歪みそのものが原因だ。


 今回戦争の火種は消した。だが歪みによって生み出されたものを消しても、歪みはどこかに残っていて、やはり戦争が起こるのだ。


 歪みが何かの衝撃で、例えば大規模な戦争などで解消されない限り原因は無くならないのだ。


 だが希望もある。アリオロスは生き残った。400年前、あの状況にあるものはどうあっても死ぬしかなった。

 そういう運命なのだ。そういう運命にあったものをかつてたくさん見た。


 時代や歴史が溜め込んできた歪みが運命を決める。個人の力ではどうしようもない。だがアリオロスは打破した。歪みの運命に打ち勝った。


 それでも戦争は結局起こるのだ。彼は自分一人の、あるいはその周囲の数人の命をどうにか出来たに過ぎない。


 だからソフィは戦争が起こったのちの備えの組織づくりに没頭した。戦火に逃げ惑う国民を救い得る組織。あの王子たちに国民を守れるだけの資質はない。能力も、その意志も、絶望的だ。

 やるなら今しかないのだ。


 ◇◇◇


 エステバルはまたゼビルのところに来て一緒に飯を食っていた。

 エステバルは今日のことを話した。これでエステバル達はプリシラ一派の外務大臣だ。

「むう・・。はやいとこ、次の一手を打たんとなあ」

「は、はい……」

 難しい役目だ。


 いま、プリシラ一派に所属を願い出るものは多い。現在重く取り立ててもらっているエステバル達の立場からすれば、自分たちの一派における地位を脅かすものは入れたくない。だが、それは王女の利益に反する場合がある。


 エステバルが言うのはその部分だ。

「いや、エステバルよ。あの女に小細工は通用せん。一派に入ることを希望する者は皆入れて、それぞれ適した役割を与えれば、王女はいっそう安泰だ。我々はまた端っこに追いやれるかもしれんが、ワシは慣れておる。お前も付き合わんか?案外悪くないものだぞ」

 王女のために。エステバルは頷く。


 審査では王女のために何ができるか、何をするか。その点だけがしつこく聞かれる。

 王女の剣になれる。そう主張するものは剣の腕を、王女の筆になれるというものは、その文章力と字の美しさを。経済力を主張するもは、現金を。実際に確認されるのだ。


 それ以外の信条・理念の相違、或いは政治的立場の相違、そして何より身分の相違をエステバルとゼビルは一派に入る基準に入れなかった。但し礼儀作法の試験があった。


 礼儀作法が不十分なものは入会できない。

 それは人と禽獣を隔てる境界線。何しろ宮廷には人の姿をした禽獣が跋扈しているのだから。


 ◇◇◇


 魔学の入学式。王女は教育省の実質的トップ。来賓としてソフィと共に講堂にやってきた。魔導騎士団の護衛がついており、魔術省政務官エステバルが終始先導した。

「ソフィ」

 数人が寄ってくる。制そうとする護衛を牽制するかのようにソフィが声を上げた。


「キャー、ひさしぶりい~」

 抱き合う彼女たち。こうなればエステバル達も手が出せない。


 テオドラ、フレデリカ。ウルスラもいる。確かウルスラは今日から編入だ。少し離れてクリス。笑顔で手を振っている。ソフィは駆け寄ってクリスを抱擁した。いつの間にか背丈で追いつかれている。

 歓声とため息の混ざった声が上がった。それは講堂を埋め尽くすほどの音量。


 本人は自覚していないかもしれないが、彼は人気者なのだろう。特に女生徒からは。


 三校交流会武技で優勝し、文弱のそしりを一掃した魔学の英雄。

 噂では魔法で200人の生徒を圧倒し、本業の魔術でも力を証明したらしい。

 それにイケメンだ。見た目も中身も。そのイケメンの腕にウルスラがギュッと抱きついた。

 ソフィから奪い取るように。

「お姉さまとはいえ、クリスくんの独占は駄目ですよ~」

 今日から入学なのか、初めて見る生徒のふるまいに周囲から一斉にブーイングが上がった。


「相変わらずね」

 また歓声が上がる、去年の生徒会長メリッサ。今は提携校トライアド魔術学校に勤める副校長先生は本日の来賓でもある。テオドラとフレデリカが抱きついた。その後にクリスと優しいハグ。

 そして最後に隅っこでもじもじしている三つ編みおさげの生徒を抱きしめた。


「頑張って」

 憧れの先輩。一年前に魔学の最盛期を宣言し、実現させた先輩。帝国の名門に完勝。三校交流会の快挙。憧れの彼女の言葉は勇気だ。


 厳かなはずの入学式も、和んだ空気で始まった。

 今年の生徒会長もまた女性だ。魔学は男女構成比が女7男3。

 大体女性が生徒会長になる。

 順当ならフレデリカだろう。

 だが、彼女は教皇の娘だった。今はそうではなくなったが、仕方のないことだ。


 魔学は政治宗教のそのいずれの立場にも加担しない。そして加担しているように見えるふるまいもしない。

 アン・ストローハット。三つ編みおさげの少女。彼女が今年の生徒会長だ。


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