第35話 王女領
戦争は回避され、アイシス領は名実ともに帝国の属国となった。仮初の傀儡教皇が置かれ、一応は独立国家の体裁だが内外性全ての権限が帝国のもとにある。このことは帝国との間に有効関係を持つ各国が、アイシス領に出入りすることを事実上可能にしていくことになる。
帝国新皇帝は反乱鎮圧の際の殉職者の合同葬儀を帝都で大々的に行った。反乱者を一掃することで正統性を宣言し、犠牲者に哀悼を捧げて臣民の共感の喚起したのだ。その後改めて墓地にお参りに来た。
小雨が朝から降っている。新皇帝は雨に濡れるのを厭わない。差し出される傘を固辞する。
待っていたのは13人。騎士が12人に、民間人が一人。
「君は……。お久しぶりです。姉君のことは、このアリオロス、生涯の痛恨です」
「覚えていて下さって光栄です、陛下」
あの日の一瞬を覚えて下さっていた。そのことはすなわち、姉のことも覚えていてくれたということだ。
言葉にならない感激が胸に拡がった。
あの国境の小川の岩の一件、その時にライラと共にいた妹の方。その妹がこの場にいる。
「申し遅れました。私は姉ライラ・ギリーの妹、ミリア・ギリーと申します。何卒姉にお預け下っておりました剣を、私めにお授けいただきたく、お願い申し上げます」
膝をつくミリアにアリオロスは優しく言った。
「まずはあなたの姉君のご冥福を共に祈らせて下さい」
そうだ、アリオロスは父である先帝の葬儀もまだのまま姉に墓に祈りを捧げに来ているのだ。
「し、失礼いたしました」
あの日から姉の夢はより明確になった。皇帝の騎士ではなく、アリオロス皇帝の騎士になる。あのお方は仕えるにふさわしい。
彼は既に姉のその夢が求めるに値するものだったことを証明している。
100人で1万を超える軍勢に突撃して大将首を挙げ、戦わずして隣国を屈服させた戦争と外交の達人、すでに軍神との呼び声が上がっている。雨中、姉の御霊に捧げる祈りは敬虔そのもので、ミリアの眼から涙が溢れた。雨がその涙を洗い流す。雨に洗われそして気づいた。新皇帝も姉のために涙を流して下さっていたのだと。
不敬ながらも先ほど垣間見た皇帝の眼は赤かった。痛恨と表現した想いは、言葉以上にその目が雄弁だった。
このお方こそ……!
ミリアだけではない。この場にいたミリア以外の12人も胸中は同じだ。雨が止み、雲間から陽光が射す。虹だ。
帝国の栄華は微塵も揺るぎはしない。するはずがない。
◇◇◇
先帝の葬儀は外国の王国貴族にも案内が伝えられた。それに先立ち、前教皇の葬儀も帝国主導で行われ、フレデリカも正式に招かれたのだ。フレデリカは見事に帝国の望む自分の役割を演じた。王国王女プリシラとその側近かつ王国筆頭公爵公女ソフィが同席してサポートしたのだ。
帝国は前教皇と教義の守護者であり、偽教皇を討って仇を取ってくれたのだと、言葉にして表現した。こうして彼女は帝国の先帝葬儀及び新皇帝即位の儀にも帝国国賓として招かれることになるのだ。
大陸情勢の不穏な気配はこうして取り敢えずは払拭され、新しい年度が開けた。
「さすがだわ、ソフィ」
紅茶を飲みながらうっとりしているのは王女プリシラだ。王学を卒業した彼女だが兄たちと違い、王女は領地を持っていない。兄たちは王子であるとともに爵位もあるので、公爵領や伯爵領を持っているのだ。
王室から金が出るので経済的に問題があるわけではないが、領地が無いので収入が増えない。この国では女性には爵位の継承権も土地の継承権も無い。女性しか生まれない家は養子をもらうしかなく、養子では必ずしも継承権が認められなかった。その場合は断絶するしかない。
そんなプリシラだったが、ソフィの助言で王室が蓄えていた木材、石炭、鉄鉱石を大量に売ったのだ。
大陸中が戦火とその長期化を予測し、逆に短期決着と見たソフィが高騰していた時期に在庫を売りに出し、通常の数倍は高値で売れたので、大儲けだったのだ。現在は市場に物資がだぶつき、相場は暴落している。暴落のタイミングで売った分を買い戻して国庫に納めたが、その収支で得た利益は年間予算ほどにもなった。
ソフィもまた公爵家保有のもので同様の商売をしたので公爵家も金が溢れていた。
プリシラは宮廷で教育省を牛耳っている。王も王子たちも教育省ならと彼女の好きにさせているのだ。そこへエステバルが挨拶に来た。魔術省のエリートだが、教育にも高い見識を持っているようだ。
エステバルは毎日のように挨拶に来るし、お菓子などの手土産を欠かさない。
「またお前?お前ほどの男なら、領地をもたない私なんかより、他に媚の売り甲斐のある相手がいるでしょうに」
「ほお、そんな方がこの宮廷におりましたかな?」
「お前なら次の王の宰相の座も狙えるでしょ?」
「なるほど。しかし面白さという点では魅力に欠けますな。それに先ほど王女は領地とおっしゃいましたが、領地にそれほど、価値はありません。それよりは人です。あなた様は、ソフィ様をお持ちだ」
本性を現したかのような目のぎらつき。それをプリシラの横で聞いたソフィがやれやれとため息をつく。
「プリシラ王女、そこに控えるエステバルですが、魔術省の資金をとある小さな魔術学校に流しており、最近尻尾を掴まれておるようです。本人なりに切り抜ける策を用意しておるようですが、それをすれば政敵との間に確執が残るでしょう。穏便に助けて差し上げれば、こやつの言う通り手駒が増えます。機と利に敏く、しかしながらそれ以上に情に深いところもあり、王女の配下にはふさわしかろうかと」
慌てたのはエステバルだ。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。た、確かに、ゼビルさんに金を流したのは事実で、というかなぜご存知で?ま、まあ、探られてはいますが、その先がゼビルさんだとは思われていません。きょ、今日はなにやら大儲けされたようですので、あくまでのその話をお聞かせ、いやお祝いを……」
プリシラが興味を示す。
「ゼビルって……。宮廷を去ったあのゼビル?お前、まだあんなのと繋がっているの?」
「え、ええ、まあ……」
ゼビルは宮廷では評判が良くなかった。というより悪かった。
「王女。今日、この男がやってきたのは天の御意思です。エステバルとゼビルをお味方になされませ。両名見た目のみすぼらしさにさえ目をつむれば、性情、能力、ともに確かな頼れる男たちです。将来必ずや王女の助けとなるでしょう。エステバル、お前もそれでよろしいですね?」
言い方よ。
「は……、ははッ」
しかしエステバルはここぞとばかりに大袈裟に平伏した。
「今日来たのは天の意志って……。こ、こいつは毎日来てるじゃない」
今度はプリシラが慌てたが別に反対まではしなかった。
◇◇◇
宮廷内の派閥争いが激しくなったのはまだ第一王子が王学在学中の時だった。第一王子派、第二王子派、当時生まれたばかりの第三王子派。ゼビルは第一王子派の重鎮だった。今はもちろん往時の権勢を偲ぶものもない。ただの田舎のおっさんだ。そのおっさんが訪問してきたエステバルの話を聞いて心底嬉しそうだ。
ソフィーティア公爵令嬢。遠目に見たことがある。その美貌は神話に伝え聞く女神の容姿のように見えた。
自分の秘密を言い当てて弟のクリスに教えた女でもある。あのクリスという化け物を上回る化け物ではないのか。その彼女が性情、能力共に確かと言い、直接その場で味方にすることを王女に進言したという。
「頼れる男……。頼りになる……」
ゼビルが恍惚の陶酔。
「それで晩餐会ですが、発起人をどうしたら、と……」
ゼビルが我に返った。
「わ、わしはやらんぞ。わしの命はトライアド魔術学校にある。政敵に恨みでも買ってはたまったもんじゃない」
「ですよね……」
「しかし、待て。一つ別の相談がある……」
翌日ゼビルは領内の荘園領主の一人を呼び出した。彼は高齢だがまだ幼い娘がいて、農民に舐められているのか、税収入も少ない。娘の将来を心配している様子だ。
「なあ、ブロンコよ。いっそ、王室に寄進してはどうか?」
「そ、それでは男爵様の領地が……」
「まあ、いいってことよ。ただ寄進先は王子じゃなくなく王女だ。将来宮廷に入れてもらえれば、娘さんの将来は心配ない」
荘園領主の名はブロンコ。彼はゼビルの提案に従った。
領地は王室にのみ寄進できる。王室以外の貴族への寄進は禁じられているのだ。そして女性王族に寄進するケースが過去に無かっただけで、女性王族への寄進は法律上、禁じられていない。
前例がなく誰も知らなかったのだ。こうしてプリシラは直轄地を得た。
王国内全貴族が周章狼狽した。晩餐会の招待状が届いたのだが、その呼びかけが野心に満ちている。それも王女の呼びかけ。彼女は継承権をもたない。
しかし数年内に結婚し、男児を授かる可能性もあるのだ。そうなればその男児には王位継承権が発生する。むしろそのあてがあっての呼びかけではないのか。
晩餐会の招待状。行くべきか、行かざるべきか。
プリシラと同時に卒業したソフィは宮廷に部屋を貰い、王女の側近として教育省や宮廷で手伝いをしている。侍女もつけられたのでまるで王族の一人のようだ。
政治的な派閥とは別に貴族の子女には貴族子女の派閥がある。社交の場は戦場だ。プリシラ一派はプリシラの王学卒業と同時に一気にダントツの最大派閥になった。
今晩、彼女が主催する初めての晩餐会。国の行く末を憂慮する者よ、共に繁栄の舵を取ろうと呼び掛けている。
下手に参加すれば、叛心ありと捉えられかねない。しかも発起人の名前が無い。
これはきっと王女を使った王室の罠だ。
この会に参加しても大丈夫な者。すなわち本当に影響がないもの。また、本当に王女を崇拝しているもの。或いは公女の崇拝者。
影響のないものは2種類いる。叛心を疑われないもの。それは他派閥の中心人物などだ。そして叛心を疑う必要が無い小者。男爵ゼビルや平民エステバルは現在その位置だ。
参加の人数はほとんどが女性だ。宮廷のプリシラ一派が来ていて華やかだ。そして来賓の登場に会場が湧く。
ゲルニア帝国皇帝“軍神”アリオロス。
帝国領マケドニア公爵イグナス。
国内の貴族はもちろん、他国の王でも簡単には招待の叶わない大物中の大物だ。それに前教皇の娘フレデリカ。
晩餐会の格は参加者の格で決まる。その上、プリシラは木材相場を読んで取引で莫大な儲けを得たので料理も豪勢で凄まじい量が振る舞われた。金をかけたので管弦楽団も凄まじいまでの大人数。
やられた――。
日和見した上に決断できず、参加しなかった貴族たちは皆一様にそう思い、不参加を悔やんだという。




