第29話 夏の午後。木陰とカーテン
4日目の試合が終わり、クリスはテオドラと街でパンケーキを食べていた。お昼を過ぎたあたりだ。
不意に長い黒髪の女性と目があった。
「クリス」
言ってから女性が顔を赤らめる。しまった。つい名前で呼び捨ててしまった。馴れ馴れしい。試合で対戦しただけで初対面のようなものなのに。
「やあ、ミネルヴァ、君も食べなよ」
勝手に追加を注文する。
「ちょ、ちょっと」
だが救われた。クリスの反応に救われた。
「お、お邪魔じゃなかったかしら?」
「なにが?」
「い、いえ……」
そういう関係かもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにしても別に邪魔ではないようだ。そしてクリスと一緒の女子生徒、確かこの子は魔術の部で4勝0敗の子だ。実質明日は決勝戦だ。
魔学は明日、魔術武技両部門制覇に挑む。もちろん同じ学校から両部門の覇者が出れば、それは王国の歴史で初めてのことだ。
自分がここにいていいものだろうか。
「ねえ、ミネルヴァ、王都のパンケーキは何回目?」
「は、初めてよ」
時代の重みと面影が佇むような石畳、その左右に並ぶ白やアプリコット、レンガと石の建物が歴史の道を囲む居住まいの坂道その中ほどならされたスペースにパンケーキ屋、その傍に大きく枝を広げた立派な木があって、木漏れ日の下のテーブルで食べるパンケーキ。
「それは良かった。ボクはここが王都で一番おいしいパンケーキ屋だと思っているんだ」
王都大路から一本外れた坂道にあるこの場所からは遠くまで町並みが見える。青空の下、巨大な入道雲をバックにアプリコットや茶色の屋根が下まで連なっている。誰が吹いているのか、トランペットの音がどこからか風に乗ってくる。トランペットの音と共に、風が何の匂いか分からないけど、懐かしい匂いを運んでくる。
「クリスは王都に詳しいの?」
「姉が王学だし、ボクも一年近く前は王学の生徒だったんだよ。すぐに魔学に転校したけど」
「そうだったの。でもどうして転校を?」
おっとなにか核心に触れたか、3人で囲むテーブルに微妙な空気感。テオドラが下を向いた。だがクリスはたじろがない。
「魔学でやりたいこと。やらなきゃいけないことというか、ボクじゃなきゃできないこと。そういうのに出会ったから」
その表情のせいだろうか。なんだかクリスが発光したように眩しく見えた。
そして出来上がったパンケーキが到着した。
レモンの風味を感じる生地に丁寧につくったクリーム。少し塩味を感じるのは表面に岩塩か。ふわっふわに焼き上げたパンケーキに心までふわふわになるようだ。
「ちょっともらっていい」
「あ、ダメ、やめてよクリス」
武大の学内ではあまり見せることのないミネルヴァの年相応の笑顔としぐさ。キャッキャッと笑う三人。その横を騎士団が通りかかる。7人ほどだ。
隊長と思しき先頭の一人が止まると全員が停止した。剣を鞘に入れたまま、くるりと胸の前に持ってきて剣先が上を向く形でぴたりと停止させる。
テーブルの三人が何者か知った上で儀仗の作法で敬意を示した。交流会の期間、出場者は騎士と同じように王国騎士団から接せられる。交流会の試合場は学生の戦場であり、そこに立つ彼らはその期間における騎士だからだ。クリスが立ち上がって応じる。
ヒュン、シュバ……。
より正式かつ目上の立場に捧げる栄誉礼で応えた。
「おお……」
騎士団員たちから一斉に感嘆の声が上がった。まず、儀仗の儀礼をもって返礼してきた生徒は初めてだ。その上で、儀礼「王国の剣捧げ」は相手の身分やその場の状況などで多様な様式がある。いま、とっさに適切な儀礼の様式を選択したと言うことは、他の様式にも精通していること意味する。現役の騎士団員でも事前に知っていなければ、その場における最適様式がわからないものなのだ。そもそも各国や貴族によって作法も違いがある。魔学の生徒の作法はオレルネイア王家の騎士に対する正式なものだ。
「さすがは決勝進出の勇士。私は王都薔薇騎士団長、ウエストザガです。これにて失礼します。ご武運を」
クリスは無言でビシッと45度の立礼。相手は王家の騎士団長。発言を促されなかった以上、これが正しい。
王国の騎士が通り過ぎる時、団長はミネルヴァに視線を送った。
彼はおそらくミネルヴァの昨日の試合も見ただろう。そして共に食事をしている相手こそ昨日の対戦相手と知ったはずだ。騎士の目は優しげだ。
良い友人を持ったな
そんなことを言いたいかのようだ。
そして優しげな視線を見返す彼女の瞳もまた敗残に揺らぐ失意のそれではない。深い誇りが宿っている。自分に勝った相手が並の男ではない。強いけれど強いだけの男じゃない。その事実は敗れた者から誇りを奪いはしない。だってちゃんと剣を交えたのだから。彼と剣を交えうるその場に至った、そこまでは辿り着いたのだから。
「クリス~」
騎士団を見送る背後から聞き知った声。メリッサとフレデリカだ。
午前中に試合をした二人であることはミネルヴァにも分かった。みんなで楽しげにテーブルを囲み、食事をする。楽しく笑いに満ちた空間。
「メリッサ先輩。私、春から生徒会長になるんです。生徒会長として、何か気を付けてきたこととかありますか?」
メリッサとミネルヴァは互いに何度か見たことはあっても実質初対面だ。ミネルヴァは交流学校の一つ上に当たるメリッサを先輩と呼んだ。
「あるかなあ?あるような、ないような。でも……」
最初は張りつめてギスギスやってたなあ。
そんな風には見えない。
「ギスギスですか?全然そんなことないようですけど」
「4年くらい前にね。上級生にいじめられたの。髪の毛引っ張られて平手打ちされて。魔学なのに物理攻撃かよって」
笑うところなのかもしれないが、ちょっと重いし、テオドラたちも初めて聞く話だった。
「だから、もっといい学校にするって、そう気を張って。生徒会長になって。プレッシャーもあって。でも、そういうのが溶けた」
「どうして、ですか?」
少し自分とダブる。
「私ずっと無敗だったんだけどね。その後たくさん負けたら、肩の力が抜けた」
「わかります!」
先日アリオンに負けた。そして原点に立ち返った。昨日クリスに負けた、そして今日クリスと友達になった。
クリスが微笑んでいる。
「ねえ、クリスは魔学なんだから魔法も使えるんでしょ?」
「うん、まあ、少しは……」
するとメリッサやフレデリカ達が一斉にブーイング。
あれのどこが少し?
常識をわきまえろ
あたおか
彼女たちの口ぶりから魔術も高いレベルにあることが窺い知れた。
先ほどの栄誉礼の作法は見事だった。武大でも授業にあるが、誰もあの場で出来はしない。いや、アリオンならもしかしたらその作法を知っているかもしれないが、彼は立場が特殊だ。参考にならない。知っている事と咄嗟にやってのけることでは意味がだいぶ違う。そして咄嗟にやってのけたそのクリスの視線の先にメリッサがいる。
何を考えているのだろうか。クリスの彼女に注ぐ視線がとても優しげだ。
クリスから視線を外したミネルヴァが遠くを見やる。王都の木々は緑眩しく空の青さがどこまで天高く続く。真っ白な入道雲。気温上昇の午後。カフェテラスに真っ盛りの夏。全力を尽くして戦った相手との交流。きっと学生の間だけ。こんな夏はもうこない。あまりに眩しい昼下がりだった。
◇◇◇
ウルスラとソフィは競技場の来賓を招く控室の一室で話をしていた。厚いカーテンに陽の光を吸われ、それでもくすんだ明るさが、ところどころ欠けた古い石の床に滲む。湿った埃の香りが鼻先をくすぐる木製の壁。その昔、この競技場では出場者が命を落とすことも多かったという。そのようなショーを見に来る貴族たちが使用していたであろう部屋のその壁には、観覧者たちの在りし日の熱狂と歓声が染みついているようで、シミを落とせぬまま時間がゆっくりと沈殿していった重い空気が粘るように淀んでいる。
ウルスラはソフィにはっきり言った。先祖に魔人がいるのだと。自分は半人半魔なのだと。そして配偶者を見つけるのが目的なのだと。
「私たち半魔は、おなじ半魔との間に子供を残せない。残せないはずだった」
つまり、半魔は、100%の純血魔人または100%人間との間でなら子供を残せると言うのだ。
魔人の数は減り、純血魔人は何百年も前に絶えている。だから半魔は人間との間で魔神の血を薄めながらその血統を残してきたというのがウルスラの説明だ。
「でも100%ではなくても、どちらかに大きく偏っていれば、例えば99%魔人、1%人間、またはその逆となら子孫を残せる。そう知ったとき、クリスを見かけたのよ」
ウルスラはクリスを純血度の高い半魔と見た。結論はそういうことなのだ。
そうか。彼女にも事情があるのだ。そこに悪意も感じられない。
「それでシグルドがどう関係あるのよ」
「あなたたちを監視してたのよ。そしたら、あいつが」
ウルスラは王都で二人を最初に見たのだと言う。そして尾行まがいのことをしていたらシグルドに襲われ、心臓を奪われたのだと言う。
「そんなことが……」
信じられないと言う表情を作ったが、確か400年前、魔神大帝は配下の魔王や魔人から心臓を奪って従わせていたのだと思い出した。ちなみに人間の心臓を奪うことは出来ない、死ぬから。とも言っていたな、とそこまで思い出した。
「あんたに危害を加えたら、奪った心臓を握りつぶすと言われたのよ。目の前に心臓をぶら下げて、笑いながらね」
またウルスラはカタカタと震えだした。
「そう。じゃあ、よく聞いて。クリスはシグルドが作ったホムンクルス。子孫が欲しいならシグルドに頼みなさい。あなたの望む純血。その最後の生き残りよ」
「い、いやよ、あいつだけはいや」
ウルスラの必死の形相。やつめ、随分嫌われたものだな。
半魔の生き残りは何人いるのか?
最近長老が死んで知る範囲では3人。北方ベルガド首領国の山奥でひっそりと暮らしている。
それ以外にも存在する可能性があるとは聞いている。だがどこにいるかは知らない。寿命や成長が全然違うから一時的には人間と暮らしても、長くは一緒にいられないはず。
世界征服とか、そういう野望はあるのか?
ない。ただ子孫を残し、血を後世に伝えたいだけ。迫害しないで。
同情する余地、もっと言えば寄り添える部分はなくはない。寄り添うだけの余地があるように思う。だが、多分共生までは出来ない。生きていく時間軸がだいぶ違うのだ。そこに互いの不幸の火種は確実に生じる。
だが。
ウルスラは泣いている。見捨てることなどできはしない。




