第24話 剣姫
王国の王女と公女が愚かなはかりごとに頭を巡らせている頃、剣の地、武大はその対極にあった。
質実剛健、武骨。或いは、むさくるしい。そんな言い回しでも彼らの気質を表現するものであり、そしてそう表現されることが彼らの誇りでもある。
諸説あるがこの地方の言語学者の説明は以下の通りだ。
むさくるしいの「むさ」はむさぼるの「むさ」と語源を同一にする。すなわち欲する心だ。意地汚さや不潔と言った意味はあとから付与されたものである。
本来の意味は追及の飽くなき飢えと渇きを自らに課すその精神の崇高さにある。
その精神を胸に秘め、そして不潔や汚さといった概念からは相対する位置にいる美貌の剣士が今日も稽古修練の場に立つ。
ミネルヴァは休校中になにがあったのか、あれ以降すごくおしゃれになった。眉を整え、鮮やかに引いたルージュ、ほんのりほっぺに妖艶な目元。メイクもばっちりだ。彼女を象徴する黒のロングストレートに良く似合う。
かつての健康的すっぴん美人はどこに行ってしまったのか。
彼女の素振りを下級生たちがおしくらまんじゅう状態で見に来ている。
美人の先輩はいつの世も、そしてどこであろうと大人気だ。
「キミたち」
素振りを止めたミネルヴァが汗をぬぐいながら歩み寄る。ざざざっと下級生たちの群れが引き潮のようにたじろいで下がる。
「見稽古はいいことだ。でも見るだけか?見た後はどうする?時間は君たちのために無限でいてくれたりはしない。無駄にするな」
凛と。
そうなのだ。剣を磨く時間は限られている。いつかピークを迎え、そしてそこからは衰えていく。早くイグナス公に認められる腕にならなければならない。
そうだ。三校交流会で優勝し、その報告を理由に会いに行こう。
この動機を不純と誰が言えようか。今彼女の心を占有するもっとも大きなものがイグナス・マケドニアだ。
自分の心を占有する何かのために全力で努力する。そこに不純物は皆無だ。ただそれを見る傍観者が気に入るか、気に入らないか、それだけなのだ。気に入らなければ不純だ、剣を汚したなどと騒ぐのだろう。
なら私は不純でいい。汚れていていい。
ミネルヴァの素振りは疲労とは裏腹に振れば振るほど鋭くなっていく。ある一定の早さを超えたあたりから音が変わる。大気が裂かれる音だ。
「ミネルヴァ」
声をかけたのはアリオンだ。
「打ち込むのはいい。けど、もう少しこう、なんというか」
「なによ?」
「肩の力をだな……」
「そんなことを言っているうちに肩に力を入れるやり方を忘れたおじいちゃんになっちょうのよ」
アリオンにだけは今も言葉の感触が少し柔らかい。
「この間兄さんに会った」
「イグナス様に?いつどこで」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。君のことを話したんだよ、張りつめすぎてるって」
喰い気味に言葉を差し込んできた彼女の圧に押されて一歩後ずさる。
「う……、まさか、アリオン、あのこと言ってないよね?」
オスカーを叩きのめしたことだ。彼女はそのことを反省も後悔もしている。
闘志を無くさない相手に手を抜くことは相手の名誉を穢すことだ思ったのだ、あの時は。
「具体的な話なんて何一つしてないさ。それより君が心配でね」
「うん……」
「で、兄さんに言われたよ。敗北でしか学べないこともあるぞって」
優しげだったアリオンの雰囲気が変わっている。
だがミネルヴァは動じない。以前のミネルヴァではない。
「へえ、そうなんだ。負かしてくれるってこと?出来るの?アリオンに?」
不敵な表情でミネルヴァは返した。
「君の剣は素直すぎる。あれじゃ自分より強い相手に対した時、逆転出来ない」
「アリオンなら出来るというの?」
「今からやるかい?でも君は疲れているな。よし、明日教えてあげるよ。体調を万全にしておきな」
「ふふ。明日ね。楽しみだわ」
翌早朝、屋外の練習場だ。長身の男がすでにいた。
「待っていたよ。ミネルヴァ」
ああ、この人は。
「イグナス様!イグナス様がお相手を?」
「まさか、すぐにアリオンが来る」
落胆が表情に出る。
「アリオンになら勝てると思っているか?」
「い、いえ、そんなこと、ただ私はイグナス様のご指導を……」
「君ではアリオンに勝てない。黒騎士さえ凌駕する、彼が帝国最強の剣士だ」
「え……」
確かに彼に勝てるものは武大にはいない。しかし、黒騎士以上?帝国最強の?そこまでなのか?
帝国最強とみとめられた剣士だけに与えられる称号が黒騎士だ。
「あいつが本気で戦える相手なんていなかった。君がようやく、奴の足もとまで辿り着いた。奴は優しい男だ。しっかり教えてもらいなさい」
私が足もと?
朝靄から長身の男がまぼろしのように現れた。
「おはようミネルヴァ」
にっこりとした笑顔。昨日も一昨日も、いつもと何一つ変わらないアリオンだ。イグナスが振り返った。にこっと笑う。アリオンから自然体の気配。イグナスは先日のことを思い出す。
◇◇◇
アリオンと国境で落ち合い、二人で剣の稽古に向かった日だ。そして帝国と王国の国境付近、峠の手前で水を探していると、女性二人と出会った。普通の女性ではない。騎士のようだ。帝国騎士団所属と思しきのものが平民のような格好でいた。
「姉さん、どうしよう」
「困ったわね」
川の中ほどにある岩だ。そこに流れ着いた木や土が堆積し、川の流れを邪魔している。分岐して結果的に王国側に注がれる量が多い。だが周囲を見ると丸太がころがった後、その上を重いものが動いた跡などがあり、ここから推測できるのは王国の人間が帝国側の領内で岩を動かし水の流れを変えた可能性だ。
「岩か。王国の人間の仕業だな」
「あなたは?」
姉がイグナスに尋ねる。イグナスは答えずに剣の柄に刻まれた紋章を見せた。
「あ……」
何かを言いだそうとした女をイグナスが手で制す。
「互いに旅の身。偶然の気まぐれ。誰が誰であるかも旅の神の気まぐれだ。それで、あれだな?岩を動かしたいが、女の手に余る。そんなとこか。アリオン、お前ならどうする?」
イグナスに振られたアリオンが剣を抜いた。兄より伝えられた皇帝の秘技。闘気をまとう剣。ティタノマキア・ゼーリムニル。
「なんということを……」
姉妹は今見たものが信じられない。剣で岩を破砕するなど。それに砕いてしまってどうするのか。水の流れが変わってしまった。このまま一本に集約し帝国か王国、どちらかに偏ってしまうのではないか。
「どうする気ですか……」
「川の流れは自然に従う。人の知恵はそれをどう利用し、どう恵みをわけていただくかだ。今摘んだのは争いの芽。今植えたのは共生の種。ほどなく両国でこの場の扱いが話し合われる。岩は大勢いないとここまで粉々に破壊できない。大勢の気配が無ければ自然現象で割れたと思うさ」
「……」
そうかもしれない。そうなりそうな気がする。
二人の背中を見送りながら妹がつぶやく。
「姉さん、今のひと……」
「そう。マケドニア公爵様、そしてもう一人がきっとその弟君。あの方々が帝国で一番有名なご兄弟よ」
次代の皇帝の力を見た。洞察、決断、そして行動。あの信じられない剣の技量。
あの方なら、お仕えしがいがある……!
彼女は騎士だ。仕える主に理想の君主像がある。
アリオンも相手のことに気づいていた。
「兄さん、気づいたかい?あの人、たぶんお姉さんの方、聖騎士の剣を持っていたよ」
柄に青地の○。その中に白銀で「Ⅳ」。インペリアル・パラディンか……。13人で構成される帝都のエリート騎士の一人だ。
「お前は良く物事が見えているな」
アリオンは強い。強くなった。技量も内面も。帝国中興の祖になる。
イグナスは確信している。
◇◇◇
雷鳴の剣。先に振れば相手は反応できない。最短最速。だが最速ではなくとも、攻撃側は目指す標的が防御側に有る以上、そこに辿り着く最短はいつも防御の方にある。
反応できないはずの剣が弾かれて当たらない。
「く……」
ミネルヴァは一旦間を置いた。
いつもは一手先が見える相手の動きが今日は見えない。
こっちが先に動きすぎた。そのためだ。
今度はそっちの番よ、と剣先で挑発する。罠と知っていても乗ってくれるのがアリオンだ。
「ティタノマキア・アインへリアル」
乗ってはくれた。しかしその瞬間、アリオンの身体が二重に見えた。剣も体も。そして打撃音が響いた。
「うぐぐ……」
いつの間にか倒されている。そして立てない。撃たれたのかどうかも分からない。二重に見えた彼が剣をふるった。その記憶はある。
その後はただ激痛に襲われ続けている。
上には上がいる、そしてそれはすぐそばにいた。
試合開始からわずか一分ほども経っていないだろう。天狗になっていた。そして天狗の剣はその日1分に満たず地に這わされた。
翌朝、ある生徒が夜明け前後にトイレに起きた。廊下を歩いていると、女性の用務員さんが、もう廊下を清拭している。まばゆい朝日が射してきた。その光を浴びながら長い髪を清純な白のリボンで束ね、エプロンの彼女がおはようと笑顔。ようやくここでとんでもない美人と知った。寝ぼけ眼の生徒はハートを射抜かれた。一時期噂になった。武大の寮に剣の女神が棲んでいると。
その日以降、武大の寮生は、朝早く起きて廊下や修練場をピカピカになるまで磨くミネルヴァの姿を毎朝見ることになる。朝食時にはすでにばっちりメイクの彼女もこのときはまだすっぴんだ。優しい笑顔にエプロン姿の明るい挨拶。始業後は決して見ることのできない剣士モードになる前のミネルヴァ。武大の文化が変わった。早朝から大勢の生徒が早起きして清掃を始めるカルチャーが根付いた。
男どもの目的はただ一つ。武大の剣姫、ミネルヴァの笑顔を一目見たいがためだ。
早起きは三文の徳。君の運が良ければ彼女からおはようの一言を賜ることも。
この時代に生まれたこの地方の方言は後世にも残った。
むさしい
という。飽くなき探求の精神の高みを表現したものであり、しかし、求めるものは他の事にも心を配らねばならぬという教えを含む。
例えば、剣を究めんとする者は、毎日風呂で身を清め、ひげもそって服装も身ぎれいにしなければならず、それが出来ていればむさしいと言えるのだ。
だから、むさくるしいでない。むさしいだ。誰もくるしくは、ないのだ。
むさ-し・い
【形】 [文] むさ・し[シク活用]《近世語》 勇ましくも清々しいさま。勇敢にして清廉。むさしい。
「その剣士、―・くあって敵ら、近寄ること能わず」〈東国記 三四〉
(出典)辞水編纂委員会『辞水』第53版 p.609上段




